Libertéーplié
「あーーーーーつらい。意味わからん。聞こえてる? 幸」
「聞こえてるよ」
「まじめに読んでる??」
「読んでるってば!」
幸と宇美は自宅でボイスチャットをしていた。なぜかといえば、そう。『外郎売』を読んでいたからだ。滑舌練習として毎日1回は噛まずに読むよう課題で出されたものの、さっぱり上手くいかない。そのため宇美から「飽きないように」という名目で電話をかけてくるようになったのだ。明貴は忙しくて時間が取れないらしい。なんだそれ。
「そっちなんか音漏れてない?」
「ああ、そう。今ショッピングモールにいるから」
「もう7時じゃん。家でやればいいのに」
「いま母さん『お取り込み中』なんだよ」
宇美の家庭事情は詳しく知らないが、たまに電話中突然ミュートになったり、朝アザができていたりするので仲睦まじいとはいえないのは知っている。ただ、一度問いただした時はぐらかされてから、もう詳しく聞いてはいない。
「で、今幸に見放されるとショッピングモールで独り言いうやばい奴になっちゃうの」
変わらぬトーンで話す宇美は強い。宇美はたまに、友人にちょっとと思うようなからかいを受ける時がある。急に宇美のせいじゃん、と言われているのを聞いた時からそう意識し始めた。それでもずっとにこやかにしていられる強さが羨ましくもあり、心配でもあった。
「......で。楽しい? 劇」
「わ、わかんないよ」
元々やりたかった音響も、曲の音量調整や切り替えの一部は携われたものの、幸が第二皇女として出る場面ではやることができなかった。そもそもどうして役をもらえたのかも幸にはわからない。
「そっかあ。私は第二皇女役似合うと思うよ。こう......死にそうな感じ? うまくいえないけど」
「死にそうなのが似合うってひどくない?」
「うん、だからこうどうにかしてあげたいと思わなくはないというかですね......」
宇美の声が尻すぼみになると、あー買い物するから! と言って電話を勝手に切ってしまった。すると入れ替わりで、奈子から「クッキー焼いたのみて」と連絡があった。そういえばもうそろそろホワイトデーだ。
幸はバレンタインにものを作るのを邪魔くさがって、大体ホワイトデーにまとめて返すことが多かった。真澄は特に料理上手で、毎回絶品を出してくる。女子校のバレンタインだから、多くは友達に渡す人が大半だった。チョコも親しい友人にだけ渡す人や、安いものでも多くの人に配る者もいた。公には学校が禁止していたものの、教師の何人かはお礼を渡すほど黙認された行事だ。幸は20人前後にもらっていたから、これを返すためにチョコレートを数種類かってパック詰めしていた。
「あー、贔屓した方がいいのかなこれ」
もちろん金や時間をかけてくれているプレゼントもあったわけで。幸は優先順位をつけた方がいいのか、はたまた普通でいいのか計りかねていた。メッセージカードでもつけるかと思ったが幸の柄でもない。とりあえず何も考えずラッピングして鞄に詰めた。
翌日、授業の間の10分休みを利用してお礼を配っていった。1-Aによると、あの黒板に悠然と立っていた少女が目に入る。はっと思って近づいて、あの! と大声を出してしまった。少女は怖気付いた様子もなく、男装役どうしたと返事をする。
「な、なんで私なの......?」
「はっはははは!!」
幸には何がおかしいのかさっぱりわからない。しかし大声で笑った後に少女はキッパリと言った。
「実にホームズにでもなった気分だ。まず、マリッジブルーが似合いそうな奴で、......そのホワイトデーに贈り物を返している所。あとは女に人気の出そうな女? 演劇部やESSの面子でやっても代わり映えしないからな! 何で私がと言いつつ渋々やりそうなその表情! まさに第二皇女だ。そのままでいてくれ。......ああ、ハッピーホワイトデー」
そう言ってチロルチョコを手渡すと、さっさと移動教室へ向かってしまった。もう無茶苦茶すぎて珍しく腹が立ってきたが、幸はともかく理由があったならよし、と思うことにした。
真澄や沙美にはご飯中に渡し、宇美に渡そうと思ったら実はもらってないのに気づいた。くれてもよくない? なんて皮肉に思ったがとりあえずよしとする。今日はわざわざ奈子と一緒に帰るのだ.......駅の最寄りまでだけど。奈子を1-Bの教室前で待つ。Bの担任は話が長いので待つことの方が多い。すると目の前に宇美が現れて、勢いよくハグしてきた。もう終礼は10分前に終わったのに、と思う間もなく、ハッピーホワイトデー、と言ってチョコを渡してきた。昨日のショッピングモールで買ったらしい、可愛らしいラッピングが施されている。
「じゃあ一個もらうね〜」
と、ハグしたまま勝手に紙袋から包装されたお菓子を取り出す。
「お待たせ」
少し低めの声。振り返りたくないが振り返ると、奈子がいた。ゆっくり距離を置こうとするものの、浮気の責任取るって言ったでしょ、と笑って宇美はガッシリと幸を掴んだ。幸は手で眉間を摘む。
「あ、奈子ちゃん! ども〜。これから部活だから、また今度3人で遊ぼ」
と言って返事も聞かずに風のように宇美は去っていった。
「......とりあえず帰ろっか」
1-Bは2階にあるので、使い古された木製の階段を一段ずつ下り、言葉少なに下降口へ向かう。ロッカーを開けると、誰のかわからないチョコレートが5-6個ロッカーに入っていた。
「......え」
確認しても自分のロッカーだ。
「で?」
奈子は冷ややかな目線でこちらをみてくる。
「あー。あの、......ハッピーホワイトデー」
おずおずと包みを取り出す。最後の一個だ。空いた紙袋にとりあえずチョコレートを仕舞う。とても幸は奈子の方を向く気にはなれない。
「......奈子のチョコレート、めっちゃ
美味しかった」
「それだけ?」
たったひとつだけある。この場を好転させる、とても恥ずかしい方法。それを選択するほどに、幸は切羽詰まっていた。
「来年は、......私のためになんかつくって」
ふふ、と軽く奈子は笑う。幸は余計に恥ずかしくなった。
「あなただけにとはいかないけど、来年楽しみにしててね」
くつ、履かないの? と言われて動作を全て忘れていたことに気づく。奈子が自分の好きな歌を口ずさんでいるのを聞いて、幸は少しだけ顔を綻ばせた。
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