第262話「追っ手と黒星」


【安藤 テン】


──突如現れた傭兵の魔女は、一目見ただけで只者ではないと分かった。

 2メートルをゆうに超える規格外の体躯フレームもさることながら、身体から漏れ出る魔力の量が尋常ではなかった。


「どなたか存じませんが、邪魔をすると言うなら容赦はしません」


 エミリアは威嚇するように凍てつく魔力を放ちながら、傭兵の魔女……ヒルダにそう言った。


「容赦はしないだと? そんなものされては困る。久しぶりに骨のありそうな奴に出会えたんだからな」


「目的は何ですか」


「そこの魔女狩りの身柄だ。殺さず捕らえろというのが雇い主の依頼でな」


「そうですか。では雇い主にいい報告は出来ませんね」


「クハハ……口より先に腕が立つところを見せてみろ。ガキの喧嘩でもしているのか?」


 酷く安い挑発だったが、エミリアは眉間にシワを作ってライフルを構えた。対してヒルダは微動だにせず、まるでエミリアが引き金を引くのを待っているかのようだった。


──バァンッ!!


 弾丸が発射された。ヒルダはそれを難なく躱す。直後、エミリアが銃弾の位置に瞬間移動した。唐突な死角への移動と奇襲……初見殺しと言っても差し支えない能力だ。


 瞬間移動と同時に放たれた弾丸は、ヒルダの後頭部を確実に捉えていた。


──が、ヒルダは驚異的な反応で弾丸を切り伏せた。その途端……真っ二つになった弾丸から冷気が爆ぜてヒルダの体を凍り付かせた。


 エミリアは飛びかかりながらライフルを振りかぶった。怪しく光る銃口のブレードが、氷漬けになったヒルダに迫る。


(……な、嘘だろ……!?)


 銃剣が氷ごとヒルダを両断しようとしたまさにその瞬間、雷鳴のような音を立てて氷が砕け、拘束を解いたヒルダがライフルの銃身掴み止めた。


 ヒルダは銃身を持った腕を振り上げて、背後に向けて振り下ろした。グリップを握っていたエミリアはそのまま地面に叩き付けられそうになるも、空中で身体を捻って着地した。


 物凄い衝撃音と共に地面に亀裂が走り、一面を覆っていた氷の被膜が吹き飛んだ。


──バァンッ!!


 銃身を握っていたヒルダに超至近距離で弾丸が放たれた。だがヒルダが銃身を地面の方に向けて逸らしたので、弾丸はあらぬ方向へ飛んだ。


──フッ……と、エミリアの姿がヒルダの前から消えた。ヒルダの後方数メートル、たった今銃弾が当たった場所にエミリアは移動していた。


 闘いのレベルが異次元すぎる。転移魔法と氷結魔法が込められた弾丸を操るエミリア……そしてその両方に真っ向から相対するヒルダ。今のところ2人の実力は拮抗しているように見えた。


(……今なら、オルカを……)


 地面を覆っていた氷は粉々になって吹き飛んでいる。踏みしめる地面さえ数カ所あれば、オルカの所までは一足飛びだ。


 息を殺して2人の様子を覗う。再び始まった戦闘……ヒルダが傍にあった木を片手で引き抜いてエミリアに投げつけた。エミリアはそれを氷結弾で粉々に撃ち抜き、接近戦に持ち込んだ。ヒルダは湾刀型の魔剣で応戦する。

 身体強化のレベルが高すぎて、刀と銃を合わせる度に地面や木が吹き飛んだ。


 その滅茶苦茶に乗じて、気配を殺しながら素早くオルカの傍まで駆け寄った。倒れているオルカに意識は無かったが、冷気のおかげか出血は収まってきていた。

 オルカを担ぎあげて、猛スピードでその場から離脱した。俺の身体強化なんてあの化け物共に比べたらあってない様なものかもしれんが、とにかく今は生き残るために全力を尽くす時だ。


──走り出して1秒、2秒……まだ俺の方に追撃がかかる気配は無い。2人の戦闘音は絶え間なく続いている。


……10秒、11秒、戦闘音が遠のいて、森の終わりが見えてきた。いくらアイツらと言えども、街中でのドンパチは避けたいはずだ。絶体絶命かと思われた状況に、ようやく光が差し込んだ。


「……ッ!?」


 視界の端から突然何かが振り下ろされて、反射的に飛び退いた。背中でオルカが苦しそうなうめき声をあげる。


「……オルカ、悪い!……ってか、くそ……追っ手かよ」


 目の前には、黒いロングコートを着込んだ壮年の男が居た。たった今振り下ろした左手を、地面からゆらりと引き抜くと、気だるげな様子で俺を見据えた。


「……あーめんどくせぇなぁあのやろう……久々に遊び相手が出来てハイになってやがる」


「……誰だオッサン」


「あー俺ぁ“鉤爪のライル”ってもんだぁ……てめぇらをとっ捕まえる為に雇われた傭兵ってやつだなぁ」


「デカ女の仲間か……悪いが素直に捕まるつもりはねぇ」

 

「はぁ〜めんどくせぇ。けどよぉ俺ぁプロだぜ……あっちのバカと違って、金さえ貰えば仕事はこなす。カチッとなぁ……」


 ライルは、土がパラパラ落ちる左手を俺の方へ向けた。“鉤爪のライル”……異名の通りその左手は手首から先が鋭利な鉤爪になっていた。


「……お兄、アタシは大丈夫だから……あいつをやっつけて……」


「オルカ!?」

 

 背中に背負ったオルカはいつの間にか意識が戻ったようで、既に状況を把握していた。


「……分かった、ちょっとだけ待ってろ」


 ライルを視線から外さずに、俺はオルカを地面に降ろした。ライルは懐からタバコを取り出して火を付けている。


「……ふぅ、もう済んだのかぁ?」


「律儀に待っててくれたのか」


「俺ぁ女と闘う趣味はねぇからなぁ……あぁ、男は別だぜぇ」


 ライルは言いながら右手に反りの深い湾刀を生み出した。ヒルダの眷属か? だとしたら相当な強敵だが……今はもうやるしかない。


 ナイフを手元に錬成し、振動魔法を刀身に流す。オルカみたいに魔法単体での武器破壊は無理でも、こうすれば魔剣がぶつかった際に相手の魔剣が先に折れる。馬鹿と魔法は使いようだ。


 相対するライルは両手を垂らし、ゆらゆらと不気味に揺れ動いている。

 俺がナイフを構えたのを見ると、奴は煙と一緒に咥えていたタバコを吐き捨てて、右手の湾刀を無造作に放り投げた。


 ほんの一瞬、視線が空中の湾刀に吸われた……その刹那、物凄い速さでナイフが飛んで来た。


 殆ど反射でナイフを叩き斬るも、既にライルは放り投げた湾刀を掴んで猛進して来ている。

 息付く暇もなく湾刀をナイフで受けると、超振動するナイフと湾刀がぶつかって激しい火花を散らす。


 少しづつ、しかし確実に削り取られる魔剣を目にしても、ライルは冷静だった。鍔迫り合う刃を真横に滑らせてくるりと回り、横凪に斬りつけると見せかけて右手で俺の手首を極めにかかった。


(……こいつ、剣を離してッ!?)


 魔剣すら削り切る切れ味を見た直後……その直後に素手で挑もうなんて思えるライルの豪胆さに度肝を抜かれた。


 ほんの一瞬で手首を極められて、ナイフが手から離れる。それと同時に、ライルは俺の腕に膝をぶち込んだ。


 捻られて伸び切っていた肘……本来曲がる方向とは逆向きに食らった蹴りで、関節が完全に砕けた。ボキンッ……というゾッとする音と、あまりの激痛に一気に汗が吹き出した。


「……っが、ああああああああぁぁぁ……ッ!!?!」

 

 がむしゃらに左手でライルの顔面に突きを放ったが、ライルは俺の右手をパッと離すと、地面を舐めるように姿勢を下げて躱し……直後に右足首に激痛が走った。


 痛みと同時に視界が回って、気がついたら字面に叩きつけられていた。背中が地面にめり込んで、肺の空気が強制的に押し出される。


 呼吸が詰まって悶絶する俺に、オルカが何か叫んでるが、頭の奥から込み上げた耳鳴りが酷くて殆ど聞き取れなかった。


「……お兄ッ!! いやだ、やめてよぉ!! お兄に近づかないで、お願いだからもうやめてぇ!!」


 押し潰された肺は未だに空気を取り込む事が出来ていない、今まで味わった事がないような痛みが全身を駆け巡る。

 微かに聴こえるオルカの声だけが……なんとか俺の意識をこの場に留まらせていた。


 視線だけでオルカを探す。首がピクリとも動かなくて空と木しか見えなかったけど、段々と回復した耳で居場所が分かった。


(…………情けねぇ……また泣かせちまってんじゃねぇかよ……)


「──あー、やりづれぇなぁったく、けどよぉ仕事だから勘弁…………ッ……」


 耳だけで位置を特定したライルに、左手でナイフを投げ付けた。見えてないけど、多分外れた。


「危ねぇなぁ、最後のイタチっ屁ってやつかぁ? クク、てめぇみてぇなしたたかなガキ……部下に欲しかったぜぇ」


 オルカが叫び続ける中、ライルは俺を見下ろしてそう言った。左の頬から僅かに血がしたたっている。


「……っかは、、ごほ、ゴホッゴホッ……」


 縮みあがっていた肺がようやく仕事を再開した。だが空気を吸い込むだけで、気絶しそうに全身が痛い。


「……てめぇはもう動けねぇな。んじゃあ、お次はてめぇだ嬢ちゃん。抵抗するだろうから不本意ながらちっと眠らせてもらうぜぇ」


 ライルが俺の視界から外れて、オルカの方へ歩き去って行く。


(……やめろ、ふざけんな……オルカに近づくんじゃねぇ、殺すぞこのくそジジイ!!)


 意思に反して、身体はぴくりとも動かなかった……いや、ほんの少しだけ……指先が動いた。新しい激痛が電流みたいに流れたから間違いない……そういや、右腕は折れてるんだった……動かすなら、左だ馬鹿──


「……あ、く……ぅあ、ああ……」


 全身の痛みを堪えて、左の肘を地面に突き出した。

ゴロン、と、身体がうつ伏せになる。バキッと嫌な音が身体から響いたけど、もう関係ない……今はライルを止めないと……。


「……やめて、来ないで!! や、ゴホッゴホッ……はぁ、はぁ……お兄、助けて……」


 オルカは口から血を吐きながら、怯えた眼で俺を見ている。


(……待ってろ、今行くぞ……)


「……おいおい、冗談だろぉ……立ってんじゃねぇよクソガキィ」


 右手と右脚は使い物にならない。身体は左脚だけで支える……足と腕、まだ半分残ってんぞ俺は……。


「……はぁ、はぁ、まだッ……勝負は着いてねぇだろ、クソジジイィ!!!!」


 地面を左脚で蹴りこんで、ライルに飛び掛った。氷の破片を踏んでしまって、途中で体が前のめりに詰んのめったが、左手を着いて立直した。


 ライルは右手を俺へ向かって伸ばす。俺はその手を掴み止めた。すぐさま鉤爪が俺の腕に突き刺さったが、好都合だ。片手で両腕相手出来ればこれでイーヴンだろ!


 俺はライルの首筋に噛み付いた。ミチミチ……と、歯が肉に食い込む感触が伝わってくる。


(喉を食いちぎっても止めてやる……オルカには手は出させ──)


 ライルの膝蹴りが鳩尾みぞおちに突き刺さった。思わず口が離れそうになるが、離さない……。


「……ちぃ」


 ライルは何度も何度も膝蹴りを繰り返した。腹筋がイカれて、内蔵がぐちゃぐちゃになっていく。口の中に血と吐瀉物が混み上がってくるが、まだ、離さない……。


「……てめぇ、やめろくそガキ!! 離しやがれ、く、があぁぁぁ!!?」


 俺はライルの首筋を食いちぎった。ライルは大量の血を首から撒き散らして、地面で動かなくなった。


「……はぁ、はぁ、はぁ……やったぞ……」


「お兄!!」


「……オルカ、どうだ、ちゃんと勝ったぞ……」


「さすがお兄!! やっぱりウチら兄妹は最強だよ!!」


「ああ、そうだな……俺たちは最強だ」


「さっさとみんなのとこ戻ろ。はやく行かないと昼ごはん全部フカのバカに食べられちゃうよ!」


「ああ、戻ろう……皆のところに」





* * *




【鉤爪のライル】




──目の前で地面に這いつくばるガキを見下ろす。


「……あ……もどろ……みんな、とこ、に……」


 たまに戦場でこういう奴がいる。死ぬ気でかかってくる奴じゃねぇ……死んでも死んでまるかって思ってる奴だ。

 往々にしてこの手の奴らはしぶとく、最後の最後まで気を抜けねぇ相手だった。


「……まさか噛み付いてきやがるたぁなぁ」


 残った腕を潰して、俺の首筋を噛みちぎろうとした執念は天晴れだが、むざむざ命をくれてやる義理はねぇ。膝を腹にぶち込むと、こいつは糸が切れたみてぇに崩れ落ちた。


 ぶつぶつうわ言を漏らしてやがるから、生きてはいるが……もう殺しちまった方がいいんじゃねぇかとすら思っちまう。


「……ったく、テンション上がんねぇ仕事だぜぇ」


 相方をやられて急に大人しくなった女のガキを見ると、かっぴらいた眼からボロボロ涙を零して固まっていやがった。


「決めたぜぇ、今日こそ取っといた酒を空ける日だなぁ……ったく」

 

 傭兵なんざしてるとこういう事も度々ある。女子供の殺しはやらねぇが、今回は結局俺が手を下さねぇだけでコイツらは死んじまうんだろう。


 関係ねぇ事だし、考えねぇでいい事だ。だが、酒の力を借りねぇとやってらんねぇ事でもある。


『──昔っから妙に買ってくれてるみてぇだがよぉ、俺ぁこの仕事に向いてねぇぜ。ヒルダ』


 いつかの会話が頭を掠めた。俺がガキの頃からあのバカとはつるんでた。アイツの後を追いかけて傭兵になったが、歳を重ねるごとに向いてねぇと気付かされた。


 だから、アイツがこのまま死なすには惜しいと、俺を眷属にすると言い始めた時に言った。俺ぁこの仕事に向いてねぇと。


『──何を言っている。お前ほど傭兵に向いている奴はいないだろう。依頼を達成出来なかった事も無いし……まあ確かに小汚いし、酒臭いし、女好きだし博打狂いだが』


『その辺にしとけぇ、このやろう』


『……だが、クソ真面目だ。そこが好きだ』


──結局、こうなっちまったのは全部あのバカのせいだ。


「……悪いな嬢ちゃん。俺ぁプロだからよぉ、仕事はさせてもらうぜぇ……カチッとなぁ」


 目の前の嬢ちゃんは、固まったままうんともすんとも言わなかった。俺はため息を1つ吐いて、嬢ちゃんの後ろに回り込んだ。首筋に手刀を一発……それで終いだ。


「……ったく、今度はなんだァ」

 

 振り上げた右腕をだらんと下げて……俺は背後のやろうにそう言った。


「…………その方達から、離れて下さい」


 振り返ると、ガキが立っていた。随分と穏やかじゃねぇ、剣呑けんのんな雰囲気でだ。


「……誰だぁてめぇ」


──向いてねぇ向いてねぇと言いながら、何百年も続けた傭兵家業。今日この日が、俺の傭兵人生に初の黒星を付けた日になった。


 輝かしいクソッタレな経歴にアクセントを加えてくれやがったガキの名前を、俺ぁ生涯忘れることはねぇだろう。


 熱川あたがわ カノンの名を──





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