第259話「ナイフとライフル」


【熱川 カノン】


──事務所を飛び出した後、とにかく1人になりたくて走った。年末ということもあり、普段は賑やかな新都も人はまばらで、駅前の噴水公園に至っては貸し切り状態だった。


 噴水の前に設置されたベンチに腰掛けたわたくしは、ただ呆然とした。事務所でヴィヴィアン社長に見せられた資料には、そこに写っている筈のない人物の姿があった──


(……テン、どうしてですの……)


 エミリアは、親友だった。エミリアだけではなく、カルタもヒカリも櫻子も……4人とも、私に初めてできたかけがえのない友人で、親友で……なのに、理不尽な運命がそれを奪い去ってしまった。


 あの日……エミリアの訃報ふほうを知ったあの日から、夜になると涙が溢れて止まらなくなる。熱川の女たるもの、人前で涙を見せることはするまいと常に気を張っているけれど、夜1人になると、どうしてもダメだった。


 お母様もお父様も、とても私に気を使って優しい言葉をかけてくれるけれど、この胸に空いた穴は、そんなものでは埋められない程に大きくて、大きすぎて……ダムの穴のように、ただ流れた涙を吸い込み続けていた。


 テンの声が聞きたい。


 眠れない夜を何日も過ごして、ふとそんなことを思った。事情も何も話せなくてもいい、ただあの方の声を聴ければ、立ち直ることは出来なくても、せめて顔を上げることくらいならできる気がしたから。


 けれどそれは最早叶わぬ事だと、私は充分に納得していた。声はもちろん、きっともう姿を見ることすら出来ないだろうと……実際、その方がずっとよかった。


 テンが魔女狩りの構成員だったなんて、知りたくはなかった。ましてや、エミリアを殺した実行犯だなんて。


 テン、あの日貴方は知っていて私に声をかけたんですの? 私が魔女だと、ヴィヴィアン社長の元で働く部下だと、全てを知っていて、初めからたばかるために私に近づいたんですの?


 可能性は大いにある。ヒナヒメを名乗っていた彼女も、恐らくは情報収集のために学生になりすましていた。


 そうだとすれば、クリスマスの惨劇が起きた原因は私にあるのかもしれない。私のせいでエミリアが──


 クリスマス会の日の記憶が、エミリアやヒカリ達の笑顔が、頭の中で走馬灯のように駆け巡る。それに混じって、テンと一緒にクレーンゲームをした日、崑崙宮でお食事をした日の記憶も……。


 テンが何も知らなかった可能性も、無くはない。


 そんな意味の無い淡い期待が心のどこかにあって、そんな自分が、心底気味が悪かった。


 私がするべき事は無意味な期待ではなく、ただ受け入れること……起こってしまった取り返しのつかない事実、テンがエミリアを殺したということを。


 そして、そのケジメをつける覚悟を決めることだ。



「──捕縛作戦は、正午から……でしたわね」




* * *




【安藤 テン】12月24日 クリスマス当日



──ミナトでは、もうありきたり過ぎてガキでもかからないような手口だった。


「──だ、誰か助けてっ!! お願いっ、誰かああああっ!!!」


 助けを求める女の声。それに釣られてのこのこやって来た奴を、待ち伏せして、殺して奪う。要はただの騙し討ちだ。


 こういう姑息な手には、決まって綺麗なヤツがハマるのだ。汚い世界を知らない、清廉で高潔な奴ほどまんまと騙される。エミリア・テア・フランチェスカ・ヘルメスベルガーは、まさにその典型みたいな魔女だったんだろう。


 レオナルドの監視ゴーレムでターゲットの帰宅ルートはとっくに割り出している。襲撃ポイントも何ヶ所もピックアップした。その内の1つ、廃工場にまんまとターゲットを誘い込んだ。


 襲われたふりをしたオルカの声を聞くや否や、なんの躊躇いもなくアイツは工場に飛び込んで来たのだ。


 俺が相手方の監視ゴーレムだと思われるでかいカラスをナイフの投擲で殺したのを合図に、オルカがターゲットに奇襲した。


 しかし、既に魔力始動していたターゲットはギリギリでそれに勘づいて、オルカの刃から逃れた。


「……っ! 魔女狩りか!!」


 ターゲットは直ぐに距離を空けると、魔力で武器を生み出した。一般的に魔力で生み出す武器は斧だろうがナイフだろうが、総じて“魔剣”とまとめられるらしいが、奴が生み出したそれは“魔剣”と呼ぶにはあまりにも対極に位置していた。


「……“セイバー”!!」


 ターゲットの両手に構えられたそれは、どこからどう見てもライフルだった。銃なんて複雑な物を魔力で練り上げるなんて器用なやつにも程があるってもんだが、よく見るとかなりシンプルな作りの銃だった。リボルバーとマスケット銃を足して2で割ったような見た目……リボルビングライフルってやつか?


 奴はライフルの照準をまだ下げたまま、視線でオルカを牽制していた。俺の存在を気にして視野を広くとっているんだろう、なかなかできる事じゃない。恐ろしい程の冷静さだ。


 オルカはターゲットに警戒しながらジリジリと距離を詰めようとしている。俺の正確な位置はまだ気取られてはいない……ここは息を合わせて挟撃──


 そう思った刹那……奴が地面に向かって銃をぶっぱなした。一瞬で地面が凍りつき、オルカの足が地面と固着した。奴は続けざまに銃をオルカに向けて──

 

「……投降して下さい!! おとなしく従えば傷つけません!!」


 撃たなかった。防御姿勢をとっていたオルカも、思わず飛び出しそうになっていた俺も面食らった。


「……あんた、エミリアとか言ったっけ。ふざけてんの!?」


 オルカがイラついたように怒鳴った。あのバカ、ターゲットと口は聞くなってあれほど──


「ふざけてなんていません。どうせ他にも仲間が居るんでしょう……ヒカリさんやカノンさん、皆さんのところに差し向けた仲間の位置を教えなさい!」


……一瞬、思考がつっかえた。今ターゲットが言ったセリフに、小さな違和感を……けれども確かな違和感を感じたからだ。まるで魚の小骨が喉に刺さっちまった時みたいに。


(……今あいつ、“カノンさん”って言ったのか?)


 脳裏にカノンの顔が浮かんだ。最近知り合って、デートしたばかりのあの娘の顔が。


「──そんなもん教えるわけないでしょ!!」


──キィンッ……!!


 オルカの方から衝撃が走って我に返った。

 魔法で足元の氷を粉々にしたオルカは、既にターゲットに飛びかかっている。俺も反射的に挟撃に転じた。


 俺とオルカの武器はナイフとコンビネーション。それでこれまで10人の魔女を狩ってきた。勝てなかったのはレイヴンのバブルガム・クロンダイクだけだ。


 怒涛のナイフの挟撃は、奴の身体にかすりもしなかった。リボルビングライフルを器用に振り回して、俺とオルカの攻撃を全ていなしてきやがる。


 身体強化のレベルが違う。魔女同士の闘いで1番ものを言うのは結局それだ。よっぽど高水準の魔法でもない限り、火や氷なんかは人間相手じゃなければそこまで驚異になり得ない。


 単純に殴り合い、斬り合いが強い方がよっぽど有利なのだ。オルカの素体になった魔女は、身体強化3級相当……俺はその半分ってとこだ。

 異端審問官の中では強い方だが、目の前のこいつはおそらく2級相当。これまで狩ってきた魔女とは完全に別物。


「ッ無駄なことはやめて、おとなしく投降して下さい! 私は魔女協会セラフに所属しています! あなた達の命を脅かすような事にはなりませんから!」


 オルカはライフルで殴られて、俺は後ろ蹴りでそれぞれ吹っ飛ばされた。直ぐに受け身をとったが、その瞬間には目の前の地面に銃弾が着弾して地面が凍りついた。身体がびったりと固着して動かない。


 奴は必死に俺たちに降伏を促し続けている。もう何度も、殺す機会を見送りながらだ。


「……オルカ!」


「分かってるよお兄!!」


……キィンッ!!


 オルカの魔法は振動を操る。強振動を直接ぶつける事も出来るが、真価は振動の方だ。狙った対象物だけをピンポイントで破壊できる。今なら地面を凍てつかせている氷……そして──


「……何度かかってきても無駄です!」


 拘束が解けた俺とオルカは、ナイフを投擲しながら再び奴に飛び掛った。奴はライフルをほんの一回ししてナイフを2本とも弾いた。クルクルとナイフが空中を漂っている間に、次いで襲い来る俺たちにもう意識を向けている。


 力の差は歴然だ。けどその差こそが、油断を誘う。


──キィンッ!!


 オルカの共振動。砕けたのは氷ではなく、奴が手に持ってたライフルだ。ライフルだけじゃない。弾かれて空中で踊っていた2本のナイフも粉々に砕けた。


 奴は途端に武器を失って驚愕の表情を浮かべた。俺とオルカは、既に新しくナイフを練り上げている。


 “魔剣殺し”それが俺たちがこれまでほとんど負け無しだった理由だ。あのバブルガム・クロンダイクでさえ、武器を失った時はほんの一瞬隙を見せた。


 強さゆえの余裕よゆう綽綽しゃくしゃく、冷静沈着、そんな奴の意表を突く事は簡単じゃない。簡単じゃないからこそ、そうなった時にそういう奴らは──


(固まっちまうんだよなぁ!!)


 俺とオルカのナイフが、右の大腿部と左の腹部に突き刺さった。途端に奴を中心にものすごい冷気が発されて、俺達は飛び退いた。


「……う、あぁぁッ!! く……はぁ、はぁ……!!」


 奴は痛みに悲痛な声をあげながら、地面にへたりこんだ。オルカの刺したナイフは大腿部の骨まで達している。あの足じゃもう立てないだろう。


「形勢逆転ってやつだ。今回は殺してもいい手筈なんだが、おとなしく投降するならひとまず命までは取らない」


「……お兄、何言ってんの!? 殺した方が早いって!」


「落ち着けオルカ。こいつを人質にしたら他の奴らも楽に捕まえられるかもしれないだろ」


「ああ、なるほど。さすがお兄頭いい!」


 へたりこんだまま冷気を放って威嚇するターゲットに、俺はゆっくり近づいた。1歩近づくごとに、皮膚が凍って砕けそうになる。


「……お前、いいやつなんだな」


「………………?」


 苦痛に顔をゆがめながら、奴が不思議そうに眉を曲げた。気をそがれたように冷気が弱くなる。


「その気になれば、何度も俺たちを殺せただろ。そもそもお前レベルの身体強化でわざわざ銃なんか使ってんのは、人を傷つける事に抵抗があるから……そうだろ、エミリア」


 こいつの場合、銃をつかうメリットなんてそれくらいのもんだ。だってこいつ銃弾より早く動けるんだからな。


「……仲良く話すつもりは、ありません……お願いですから、降伏して下さい……これが最後です……」


 目の前のターゲットは、エミリアは、そう言ってナイフを引き抜くと立ち上がった。傷口を凍らせて、殆ど片脚で身体を支えている。眼はまだ死んでいなかった。


「……なぁ、こっちも最後に聞かせてくれ」


「……?」


「カノンは……熱川あたがわ カノンは、お前の仲間か?」


「……そんなことを聞いて、なにを…………っアナタまさか、カノンさんの……」


 嫌な予感はしていた。さっきこいつの口からカノンという名前が出た時に、既に察しは付いていた。

 思い返すと、カノンが魔女だってことなんか言われなくても気が付きそうなもんだった。あのパンチとか。


(……そんだけ、浮かれちまってんだな……)


 俺達は抵抗するエミリアを痛めつけた。けど、どんなに傷を負ってもエミリアは諦めなかった。片脚とはお前ないほどの獅子奮迅の闘いぶりは凄まじく、ともすれば俺たちがやられるところだった。


 エミリアの敗北の原因はただ一つ。人を殺せない事だった。


「……ここまでだ。これ以上は死ぬぞ……頼む。殺したくない……」

 

「……私が捕まれば、人質になるんでしょう……皆さんの足を引っ張るつもりも……人形ドールになるつもりも、私にはありません……」


「……お前、なにをっ!?」


 地面に座り込んだエミリアの身体が、足元から凍りついていった。頭の方に向けて段々と氷が身体を覆い始める。


「……貴方にも、手を汚させる訳にはいきません……」


 エミリアは、静かに微笑みながらそう言った。こいつは、自分が生きるか死ぬかという状況の中、仲間のために自死を選んだ。それどころか、俺の手を汚させない為だとまで言った。冗談みたいなセリフだけど、本気だってのはこいつの顔を見ればわかった。


(……本当にいいのか。ここで、こいつを死なせて……カノンのツレを、このまま──)


「……よせ! 分かったから! 俺達はもう退くから……死ぬな!!」


 俺はエミリアの肩を掴んで叫んだ。自分でも、何を口走ってるんだと驚いた。


「ちょ、はぁ!? 何言ってんのよお兄!! そいつ見逃すとかありえない……」


「ちょっと黙ってろオルカ!!」


 怒鳴りつけると、オルカはおとなしく引き下がった。バツの悪そうな顔で俺の方を見てやがる。後で謝らないとな……。


「……俺は、今からお前を見逃す。だから死ぬなんてよせ」


「……あなた……いったい何を……」


 エミリアは急に態度を正反対に変えた俺に困惑しているのか、目を白黒させた。けど、それも直ぐに飲み込んだのか、再び微笑んで「わかりました」と小さく呟いた。

 身体を這い上がる氷結は既に胸元まで迫っていたが、途端にスピードが緩やかになった。


 やっちまった。けど、これでよかったんだ。きっとこいつを死なせてしまったら、俺は一生それを悔いて生きた筈だ。それこそ、オルカの時の二の舞だ。


 こんな事してマズイ事になるのは目に見えてるけど、そんなの今に始まった事じゃない。


 裏切りがバレれば魔女狩りからは処分対象になるだろうが、逃げればいいだけの話だ。オルカの記憶を保つ薬だって、別の異端審問官から奪うか……横流しでもしてもらえばいい。平田とか、何だかんだ頼めばくれたりしそうだし。


「……俺は今からカノンの所に行く。もちろん、殺しに行くつもりはない……」


 俺は目の前のエミリアにだけ聞こえるように小さく呟いた。エミリアはこくりと頷き、何か言おうと口を動かした。


「……分かりました……カノンさんぁえッ──」


 言葉の続きは、頭部と一緒に食いちぎられた。


 一瞬何が起こったのか分からなくて、首の無くなったエミリアをただ呆然と眺めていた。首から吹き出す血は、直ぐに凍てついて固まってしまった。


「──クハハハハハ!! お前様たち、仕事がおせーからつい手が出ちまったのだ!!」

 

 声の方に振り返ると、背中から赤黒い触腕をウネウネと伸ばしたエキドナが立っていた。触腕の先端には、不揃いなむき出しの牙が並んでいて、そこから血と、灰銀の髪がはみ出していた。


「……お前、何してんだよ……」


 愕然として地面に崩れ落ちた俺に、エキドナはひたり、ひたりと近づいてきて、ついには目の前までやってきた。エキドナは両手をそっと広げると、俺に抱きついた。おれの頭が、エキドナの胸に押し付けられる。


 耳に吐息がかかるくらいの距離で、エキドナが囁いた。


「……ヒメの好意に感謝するのだ。お前様に熱川カノンを殺させるのは忍びないと思って、ヒメがツッコミ担当に配役の口利きをしてやったのだぞ?」


「……なん、だと……?」


 つまり、コイツは……知ってやがったのか。俺とカノンが知り合いだって事を。知っていながらコイツは──


「安心するのだイケメン。さっきの素敵なセリフは聞かなかった事にしてやるのだ。だってヒメ、優しいから……クハハ」


「──おいオマエ。あーしのお兄に発情してんじゃねぇよ」


 オルカがエキドナにナイフを突きつけてそう言った。エキドナはオルカをジロリと一瞥いちべつすると、抱擁を解いてスタスタと歩き去って行った。


「……ああ、そういえば今回の作戦は失敗なのだ。さっきヒメが2人も殺されてバーンズはぴえんなのだ。ということで、お前様達もとっととお家に帰るのだ〜」


「はぁ!? 作戦失敗って……他の奴らはどうなってんの!?」


 オルカの問いかけに、エキドナは振り返りもせずに姿を消した。


 足を少し動かすと、砕けた氷の乾いた音が構内に反響した。後に残されたのは、傷ついた俺とオルカと……首のないエミリアの死体だけだった──

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