第258話「ケーキと遺品整理」
【鳳 カルタ】
「──鳳カルタ、お前はまだ帰らないのか?」
八熊にそう言われて、わたしは事務所の壁に掛けられている時計を見た。時刻は午前11時を過ぎた頃だった。
「……そろそろ帰る。長居してごめんね」
「カルタよ。分かっているとは思うが……」
「……分かってるよ」
デスクで書き物をしていた社長にそう言い捨てて、私は窓から外へ飛び出した。あの人、事務仕事とかちゃんとしてたんだ。
バスに乗って、待ち合わせの場所へ向かった。途中、最寄りの駅前でケーキを買って、そこからは徒歩。目的に着くと、ちょうど待ち合わせの時間だった。
少しためらって、私はインターホンのボタンを押した。
──ピンポーン、ピンポーン……。
聞きなれた呼び出し音、直ぐに玄関の扉が開いた。
「どうも来てくれてありがとう……寒かったでしょう、どうぞ上がって」
扉から出てきたのは、昨日葬儀で会ったエミリアのお父さんだった。
──昨日。葬儀が終わって帰る間際に、私は彼に呼び止められた。ローズかマゼンタか、誰に聞いたのかは分からないけど、私が1番エミリアと親しかったと知っていたらしい。
『無理を言ってすまないけど、もし君がよければ……エミリアの……娘の遺品整理を手伝ってくれないか』
私は彼の提案を承諾した。そうして今日、再びここに来たのだ。もう何度も来たことのある……けれど、もう二度と来ることはないと思っていたエミリアの部屋に。
「四十九日どころか、昨日の今日なのに本当にありがとう。待っててね、今暖かい飲み物をいれるから」
部屋に上がると、エミリアのお父さんが私のコートを受け取って、ハンガーに通しながらそう言った。
「……えっと、何かコーヒーとか──」
「……そこ、食器棚の上に紅茶のパックと、インスタントのコーヒーがあります」
「ああ、ほんとだ……ありがとう。やっぱり君に来てもらって正解だ」
彼は少しおどけたように微笑んだけど、酷い顔だった。今朝、鏡で見た私の顔そっくりに。
私は椅子に座って、エミリアのお父さんがせっせとコーヒーだか紅茶だかを用意する様子をただじっと眺めていた。
この部屋にいると、色んなエミリアの痕跡が目から鼻から入ってきて、何か別のことに集中していないと気が変になりそうだったのだ。
「……おまたせしました。紅茶とコーヒー両方作ったんだけど、どっちがいい?」
「じゃあ紅茶を」
「砂糖とミルクは?」
「いりません」
「ストレートか……なかなか通だね」
彼は言いながら私の方に紅茶を差し出して、自分のコーヒーには角砂糖を3つも入れた。
紅茶を一口飲む。ダージリンだ。コーヒーが好きなエミリアが、私のために買い置きしてくれていたもの。そのへんで売ってる安いやつでいいのに、あの子はわざわざショッピングモールまで行ってコレを買ってきたのだ。
「──情けない話だけれどね……」
目の前の彼の声にハッとして、自分が紅茶のカップを持ち上げたまま固まっていたことに気がついた。
「……1人では、やりきれる自信がなかったんだ。ずっとあの子を放っておいて、どの面下げてと思われるかもしれないけれど……もう二度とあの子と会えないと思うと……胸が、張り裂けそうだ」
大人の男の人が泣いているのを、私は初めて見た。ポタポタと、涙がテーブルを打つ音が聞こえる。
「……ごめんね、いい歳したおじさんの弱音を聞かせたくて呼んだわけじゃなかったんだけど……どうにも、これは……」
彼は目元を手で押さえて、必死に涙を止めようとしていた。息を深く吸って、吐いて、なんとか平常心を取り戻そうと努めていた。
「……エミリアが
突然の話題に、彼は目元を押さえたまま不思議そうな顔をした。自分でも、どうしてそんな話をし始めたのか、よく分からなかった。
「……どうして、今まで一度も会わなかったんですか?……そんなに、泣くなら……どうして今までエミリアに会いに行ってあげなかったんですか?」
喉の奥が苦しくて、声が震えて……目に涙が溜まるのを感じた。
ああそうか、この不思議な現象を引き起こしているのも、エミリアの痕跡だ。
私の中の、エミリアの痕跡──
クリスマス会の少し前……たしかヒカリの家で飲み会をした後の事だった──
「──手紙を、一緒に読んで欲しいんです」
エミリアが急にそんな事を言い出した。なんの手紙かと訊ねると、実の父親から送られてきた手紙だと言った。それも、一通や二通ではなく、数え切れない程の量があるのだと。
「……毎週、
「怖くて読めないんだ?」
「はい……父は私のせいで、取り返しのつかないものを沢山失ってしまいましたから……どんな
「ん〜エミち〜の頼みならお姉さん別にいいけど……1つ条件があるよ〜」
「条件……ですか?」
「手紙読んだら、ちゃんとお父さんと仲直りすること」
「……それは、さすがにちょっと話が飛躍し過ぎでは──」
「じゃなきゃ一緒に見てあげな〜い」
「ええそんなぁ!?……うぅ、もう、分かりましたよ! 仲直り出来るかは……分かりませんけど、父に会う努力は……してみます。たぶん。きっと……そのうち、いつかは──」
──いつかは、結局来なかった。
「……僕は父親として失格者だ。あの子には、どうやっても償えないような、取り返しのつかない事をしてしまった……何年も手紙を書いたけど、結局許しては貰えなかった。そんな僕に、あの子に会う資格なんて──」
「……エミリアは、貴方から送られてきた手紙に怯えてた。どんな酷いことが書いてあるのかって……けど、本心ではずっとおじさんに会いたかったはずだよ。じゃなきゃ、一緒に手紙を読んで欲しいなんて私に頼まないだろ……!」
感情が抑えきれずに、目の前のおじさんに怒鳴りつけた。私は自分の声に少し驚いて、荒くなった呼吸を整えた。今更こんな事言い合ったって、何の意味もないのに……どうしたって胸の奥からやるせない気持ちがせり上がってくるのを、止められなかった。
「……まさか僕の手紙……読んでなかったのか……一通も……」
「エミリアも同じこと言ってた……お父さんには取り返しのつかない酷いことしたって……恨まれて当然だって……」
「バカな! 僕がエミリアを恨むなんてどうしてそんな考えに……」
「親子だからでしょ!!」
何だか悲しいとかよりも腹立たしいが勝ってきて、再びエミリアのお父さんを怒鳴りつけた。
「言っとくけど、おじさんとエミリアそっくりだから! 人当たりいい所とか、介護されてんのかってくらい気を使ってくれるとことか、コーヒーに角砂糖3つも入れるとことか、他人よりも自分ばっかり責めるとことか……ほんと、なんで……なんで仲良いはずなのに……もう仲直りも出来ないじゃん……!!」
振り返れば、やり残した事ばっかりだ。
私達は魔女で、不老で、時間なんていくらでもあるって思ってた。
エミリアとお父さんを仲直りさせてあげたかった。私がお母さんとそうできない分、エミリアには家族を大切にして欲しかった。
エミリアに愛してるって、ちゃんと言葉にして伝えたかった。そんなこと後回しにしなくても、いつだって伝えられた筈なのに──
私はエミリアのお父さんの前でわーわー泣いた。エミリアのお父さんも、声を出さずに肩を震わせていた。
エミリアの部屋が静けさを取り戻したのは、10分程してからだった。
「……勢いで、色々失礼なこと言ってすみませんでした……でもちょっとムカついちゃって……」
「あはは、滅相もない……こちらこそ、娘の恋人に情けない姿を見せてしまって、申し訳ないよ……」
「こ……えっ……恋人っ!?」
「え、違ったのかい? エミリアの雇い主のヴィヴィアン・ハーツという人からそう聞いていたんだけど……」
「……そうなる……予定だったんです……偉そうなこと言ったけど、私も大切なこと伝えそびれちゃって……」
イライラの原因はきっとそれだった。おじさんを見てると、その姿が自分の後悔と重なって見えたのだ。そういう意味では、私とおじさんだって似たもの同士なのかもしれない。
「鳳カルタさん、だったよね。君みたいな子がエミリアの傍に居てくれたんだと思うと、本当に救われる思いだよ……ありがとう」
「別に、お礼を言われるようなことじゃないし……遺品整理はしないんですか」
「ああ、ごめんごめん。そうだね、大きく脱線しちゃったけど、君に受け取って欲しいものがあって」
おじさんは鼻をすすりながら、1冊の本を取り出した。
「……えっと、これは?」
「娘の日記みたいだね。僕なんかが引き取るよりもいいと思うから。たぶん君のことばかり書いてあるし」
「……見たんですか?」
「…………」
まあ、遺品整理なんだから、内容は確認するのが当たり前なんだろうけど……エミリアの気持ちを考えるといたたまれないな。親に日記を見られるなんて、私には想像しか出来ないけど、想像するだけで最悪だ。
「あまり物は多くないけど、何でも好きに持って行ってあげて欲しい。僕には娘の持ち物だけど、君にとっては大切な思い出の品になるかもしれないから」
そういうところが、エミリアに似てるんだよと私は心の中でツッコんだ。そしてふと気づくと、ずっと沈みこんでいた私の心は、いつの間にか少しだけ軽くなっていた。
エミリアの部屋で、エミリアによく似た人と一緒に居るからなのか、それとも自分に感じていた憤りを、おじさんに代わりにぶつけたからなのか。
ほんの2時間くらいで、エミリアの部屋の遺品整理は終わってしまった。元々越してきたばかりで最低限の荷物しかなかったし、エミリアは物を買い込むタイプではなかったからだ。
その分一つ一つの物に時間をかけた。エミリアの服やアクセサリーを手に取っては、おじさんにそれがいつ身につけられていたかとか、お気に入りだったとか、そうじゃなかったとか……買って来たケーキを食べて、このお店のモンブランにハマってたとか、沢山エミリアの話をした。
「今日は本当にありがとう」
「こちらこそ。ありがとうございました」
「……最後に一ついいかな?」
玄関先で送り出される間際、おじさんが優しく微笑みながら、けれども真剣な顔でそう言った。
「エミリアは、君の両親の事を調べていたみたいだ。どうやら君には家族を大切にして欲しかったらしい……親子揃っておせっかいかもしれないけれど、どうかエミリアの気持ちを汲んでやってくれないかな。おじさんからのお願いだ」
おじさんは懐から白い封筒を取り出して、私に手渡した。封筒には
「……これ」
「君の両親の情報……なんだと思う。
また涙が込み上げてきそうになって、私は大きく息を吸い込んだ。私がエミリアに家族を大切にして欲しかったように、エミリアもそう思って手を回してくれていたんだ……。
「鳳カルタさん。君が娘と仲良くしてくれて……いや、君が娘の恋人になってくれて、本当によかった。ありがとう」
おじさんはこれが最後とばかりに深々と頭を下げた。私も手に持った日記を握りしめながら、おじさんに頭を下げ返した。
恋人になってくれてありがとう……そのセリフは、本当ならいつか私がエミリアに言うかもしれない……言えたらいいのにと思っていたセリフだった──
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