第257話「光と櫻 II」


【馬場 櫻子】


 ヒカリちゃんの言った通り、家はもぬけの殻だった。リビングもキッチンも、引っ越してきばかりのようなまっさらな状態で、ただわたしの部屋だけがバブルガムさんに荒らされた惨状のまま残っていた。


 わたしは部屋にあった見覚えのない大きなスーツケースだけ持ってヒカリちゃんの家に向かった。ヒカリちゃんが言うには、このスーツケースは記憶のない時のわたしが使っていたらしい。

 中には着替えとか生活に必要なものがギッシリ詰め込まれていた。


「なんか、ここまでくると怖いとか色々通り越して笑っちゃうね……わたしってほんとに何なんだろ」


「アタシの将来の嫁さんだろ」


「もう、ふざけないでよヒカリちゃん」


「え、真剣だったんだけど」


 ヒカリちゃんはおどけたように言って、わたしの前に湯気のたったコーヒーを置いてくれた。湯気と一緒に香ばしい香りがほんのり広がって、少し心が落ち着いた。


「……ヒカリちゃんは、優しいね」


 コーヒーを一口飲むと、自然とそんなセリフが口からこぼれた。


「……アタシは冬のコーヒみたい……なんだとよ」


「え、なにそれ」


「合宿の後、お前が家(うち)に来た時そう言ってたんだよ」


 そんなことを言った記憶は、一切無かった。合宿の後だって言ってるし、また知らないわたしが勝手に言っていたんだろう。けど、確かに──


「……そうだね。確かにヒカリちゃんは冬のコーヒーみたい」


「前は聞きそびれたけど、どういう意味で言ってんだよそれ」


「前の時は分からないけど、一緒に居てすっごく安心するって意味だよ。ああでも、どっちかっていうと……」


「……どっちかっていうと?」


「ヒカリちゃは冬のおしるこって方がしっくりくるかな。えへへ」


 記憶を無くしている間のわたしがなにを思ってそんな事を言ったのかは分からないけれど、ヒカリちゃんに対する気持ちはきっと似ていたんだと思った。


「わたしね、ヒカリちゃんと友達になる前、ずっとひとりぼっちだったの。けど、学校に友達がいないってお母さんにバレたくなくて……ずっと部活してるって嘘ついてたんだ」


 目の前のコーヒーに目を落としながら、わたしはゆっくりと話を続けた。


「けど学校にも居場所なんてないから、放課後は学校から家まで歩いて帰ってたの……旧都に入ってすぐのバス停の傍に自販機があって、そこでいっつもおしるこを買って飲んでたんだ。甘くて暖かくて、飲むとすっごく安心したんだよね……」


 きっと、記憶が無い間のわたしも、そんな気持ちでヒカリちゃんの家に転がり込んだんじゃないだろうか。物凄く不安で、寂しくて、切なくて……凍えるような気持ちを、何とかして暖めたかったんじゃないのだろうか。


「アタシはおしるこでも湯たんぽでも、櫻子が望むなら何にでもなるぜ」


 ヒカリちゃんのセリフに、ふと微かに既視感のようなものを感じた。


「……もしかして前も、今みたいなこと言った?」


「ん、ああ……言ったかもしんねぇな」


「なんでわたしにそこまでしてくれるの?」


「櫻子が好きだから」


 ヒカリちゃんはすっごく真面目な顔でそう言った。どうすればそういう事、ハッキリ言えるんだろう……わたしには恥ずかしくてとても無理だ。

 というか──


「……あの、ずっと聞こうと思ってたんだけど、どうしてわたしの事……す、好きなの?」


 ヒカリちゃんの好意に気づいてから、わたしは結局一度もハッキリしたことは聞いていなかった。


『​──気になっているのは、夕張 ヒカリちゃん……』


……わたしもわたしで、ブラッシュさんにあんな事言わされてから、変に意識しちゃうし……。


「あ、あの、聞いてる? ヒカリちゃん……」


「……櫻子が、櫻子だからだよ」


 ヒカリちゃんはわたしの目を見てそう言った。けど、何でだろう……どうしてか、どこか遠くを見ているような気がした。


「このセリフもな、実は前に言ったんだ」


 ヒカリちゃんは立ち上がって、わたしの隣に腰掛け直した。肩と肩がぴったりくっついて、少しドキリとする。


「そん時の櫻子は、わたしがわたしじゃなくなっても一緒に居てくれるかって、そう聞いてきたんだ」


「……なんて、答えたの?」


「嫌われねぇ限りはずっと付きまとってやるって」


「やだ、ストーカーみたい」


「ひでぇ言われようだ! 言っとくけどストーカーは嫌がっても付きまとってくんだからな……って、多分これも前に言ったわ」


「えへへ、実はわたしもさっきからちょっとデジャブだよ」


 突然やってくる白昼夢と違って、凄く自然な既視感……ヒカリちゃんと話していると、それを頻繁に感じる。


「ヒカリちゃんは、ずっとわたしと一緒に居てくれたんだね。ありがとうね」


「……よせ。礼なんて言うな……」


「どうして? だってヒカリちゃんは──」


「……アタシはお前を突き放したんだ!」


 急に大きな声を出したヒカリちゃんに、わたしは面食らってしまった。怒鳴るというよりも、悲鳴に近いような……悲痛な声だった。


「日に日に知らねぇ奴みたいになってく櫻子が怖くて……認めちまったら全部ダメになっちまう気がして……けど、エミリアの仇を打つって言い出した時のお前は……もうアタシの知ってる櫻子じゃなかった。それで、怖くて、余裕もなくて、お前から離れた……櫻子が櫻子じゃなくなっても、一緒に居てやるって言ったのに……アタシは──」


 ヒカリちゃんは、それ以上は喉がつっかえて話せないみたいだった。目から鼻から涙と鼻水を垂らして、号泣し始めたからだ。わたしはヒカリちゃんを抱き寄せて、頭を優しく撫でた。


「泣かないでヒカリちゃん。ヒカリちゃんがずっとわたしの事を気にかけてくれてたの、ちゃんと分かってるから……それに、今だってこうして傍に居てくれるじゃない」


 ヒカリちゃんは、ずっと一人で抱え込んでいたんだ。わたしが急におかしくなったという日から、エミリアちゃんを喪った日も……いつも強がってるけど、本当は凄く繊細で泣き虫なのに、今まで気丈に振舞ってきたんだ。


「わたしこそ、もうヒカリちゃんのこと一人にしないからね。嫌われないかぎりは、ずっと付きまとってみせるよ」


「……なにそれ、最高かよ……」


 ヒカリちゃんは鼻声でそう言うと、頭をグリグリ肩に押し付けてきた。もっと撫でろということらしい。


「……ごめんな、櫻子だって……色々不安なのに……」


「もう、お互い様でしょ。謝らなくていいから……それにわたし、強いところだけじゃなくて、弱いところも見せてくれるの嬉しいよ」


 ヒカリちゃんはしばらくすると気を持ち直して、顔を少し赤くしたままコーヒーを啜った。


「……さっきの話な。なんでアタシが櫻子の事、好きかって……」


「……へ? ああ、うん」


 唐突に話が巻き戻されて、不意を突かれたわたしは間抜けな声を上げて姿勢を正した。さっきは『櫻子が櫻子だから』って、なんだか哲学的なようなロマンチックなような事を言っていたけど──


「……昔、初恋の人がいてな。アタシよりも7つ歳上で、出会った時アタシは8歳だった。知り合ったのは病院……アタシは魔獣災害で手足が無くなっちまって、そいつとは病室がたまたま相部屋になったんだ」


 急に始まったヒカリちゃんの初恋エピソードを、わたしは黙って聞いていた。わたしを好きなこととなんの関係があるかはさっぱり分からないけれど……。


「アタシと一緒にいると、夜寝る時にうなされないからって、ずっと同室だった。そいつ、生まれつき心臓が悪くて、運動なんて当たり前に出来なくて、それどころか夢でうなされるだけで命懸けだったんだ」


 ヒカリちゃんはチラリとわたしの様子を伺って、続けた。


「そいつとは2年一緒にいた。いつの間にか好きになってたよ……お互い話す相手もいなかったし、会話のキャッチボールは下手くそだったけど、優しい奴だったんだ。婦長のババアが押し付けてきたおしることか、いっつも代わりに処理してくれてよ」


 ヒカリちゃんは大切な宝物を見せるように、ゆっくりと、優しげな表情で話した。


「……最後の日、魔獣災害が起きたんだ。昔は分かんなかったけど、今になって思うとたぶん、急患で運び込まれた患者が魔獣化したんだろうな……病院の中から発生した。常駐してた魔女はそん時ちょうど別の災害に対応してて、病院が火の海になんのはあっという間だった」


 急展開した話……わたしは手に汗を握った。炎にまかれる病院の光景が、まるで見た事があるように、ありありと脳裏に映ったからだ。


「アタシは当然逃げれるような状態じゃなかった。手足がねぇからな……けど、あいつがわたしを抱えて病室から運び出してくれたんだ。下手に動いたら死ぬって言われてんのに、自分一人なら逃げられたかもしんねぇのに……」


 再びヒカリちゃんの瞳に涙が溜まっているのが見えた。言い回しからして、きっとその人は……亡くなってしまったんだろう。


「……結局、そいつもアタシを抱えたまま病院の廊下で倒れちまった。アタシはその時始めて魔法が発動して、なんとか生き延びたけど……あいつはそのまま逝っちまった」


 ヒカリちゃんは目を服の袖で拭うと、立ち上がってリビングの端に置いてあるキャビネットに向かった。1番上の段の引き出しを開けて、中から箱を取り出して戻ってきた。


「婦長のババアがな、病院が燃える前にカメラのネガを現像に出してたみてぇでよ。しばらく後になってから手元に届いたんだ」


 ヒカリちゃんが箱を開けると、中には写真が何枚も入っていた。まだ小さいヒカリちゃんが病室に居る写真だった。本当に手足がなくて、看護婦さんと一緒に何か話をしている様子が切り取られていた。


 写真の束を手に取って、数枚目を見た時だった──



「…………なんで、これ……」


 写真には、幼いヒカリちゃんに本を読んであげている、わたしの姿が写っていた。他の写真も、殆どにわたしの姿が写っていた。自分の姿だし、見間違えるはずもない、そっくりとかそんな次元ではなく完全にわたしだった。


 写真から顔をあげると、立派に成長したヒカリちゃんがわたしの方を見ていた。


「……それが、アタシがお前のことを好きな理由だ」


 わたしはようやくさっきの言葉に理解が追い付いた。なんて検討はずれな事を思っていたんだろう。哲学的でもロマンチックでもなかった。


『櫻子が櫻子だから』


 それはわたしが考えていたよりもずっと複雑で、ずっと単純な意味だったのだ──






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