第253話「竜巻と雨」


【辰守 晴人】


──イースの部屋に鍵は掛かっていない。共用の浴室がある部屋だからというのが本来の理由なのかもしれないけど、本人が言っていたようにイースの部屋に入ろうなんて奴がそもそもこのレイヴンに居ないからってのが実際のところだろう。


 だから、ふて寝していると思われていたイースが部屋にいなかったことに、誰も気づいていなかったのだ。


「──ふふ。それで、私の元を訪ねてきたというわけね。てっきりエロいことかと思ったわ」


「ええ。全くエロいことでなくて申し訳ないですけどお願いします。感知魔法でイースを探して下さい」


 何度扉をノックしても返事がないので、恐る恐る部屋に入った俺はイースの不在を知って困惑した。いったいいつから居ないのか、今どこに居るのか、さっぱり見当も付かなかった。


 けれど、こと人探しにおいて鴉(レイヴン)にスペシャリストがいる。ブラッシュである。

 彼女の感知魔法の性能は今日の件で身に染みて分かっていた。故に、彼女の力を頼るという判断は早かった。しかし──


「……無理ね」


「え、無理って……なんでですか?」


「だって今日はずっと魔法を使っていたからもう疲れちゃったもの。魔力もそうだけど、すごく精神をすり減らすのよ。あの魔法」


 けんもほろろに断られてしまった。けどそれも仕方の無い話だ。魔女狩りの施設……あの巨大な建物全体にスプリンクラーで水をまき続けて、その水しぶきに触れた全ての者を把握し続けるなんて、疲れないわけがない。

 今日手を貸してくれただけでも、充分感謝しないとな。


「……そうですか。わかりました……無理言ってすみません。それと、改めて今日はありがとうございました」


「……あら、ありがとうだなんて……ねぇ、まだ試してない方法を教えましょうか?」


「方法?」


「ええ、少しの間、動かずにそのまま立っていなさい」


 ブラッシュはそう言って、じっと俺の顔を見つめた。何だかよく分からないが、目を逸らす事が出来なかった。

 元 七罪源プレアデス所属、色欲の魔女ブラッシュ・ファンタドミノ。イースよりも少し淡いブルーの髪に、少し眠たげな瞼に収まった藍色の瞳。ぷっくらとした艶やかな唇……艶めかしくも上品にすら見える舌なめずりに目線を奪われると、舌の先がヘビのように分かれているのが見えた。


(……スプリットタン、てやつだっけ。なんかエロいな……)


……ギュっと、ブラッシュが下唇を噛み締めた。真珠のような犬歯が柔らかい唇に沈み込み、プツッと真っ赤な血が浮かびあがる。


「……ブラッシュ?……て、あれ……」


 咄嗟に身体を動かそうとしたけど、金縛りにあったみたいに身体が動かなかった。


(……くそ、これって──)


 さっきの「動かずに立っていなさい」というセリフ。あのセリフに魔力が込められていたんだと今になって思い至った。


(……こいつの魔法、自白させるだけじゃなくて普通に言いなりにできんのかよ!?)


「ふふ、そろそろイけそうだわ……」


「…………ンむ?!」


 かろうじて言葉は喋れそうだったから、何を企んでいるんだと問い詰めようとした矢先……俺の口はブラッシュの唇で塞がれてしまった。

 突然の事に頭が真っ白になる。


「……もっと舌を絡めて、むさぼるように」


 一瞬唇を離したブラッシュは、耳元でそう囁くと、再び俺の唇に自分の唇を重ねた。ねっとりとした長い舌が、口内に押し入ってくる。

 俺の身体はそれを拒むどころか、同調するように受け入れた。


 口の中をひとしきり蹂躙すると、ブラッシュはキスしたまま俺の肩を押さえ込んだ。これがまたものすごい力で、金縛りで硬直した身体はあっけなく膝立ちになった。


 ブラッシュと俺の高低差が逆転する。彼女は俺の頬を両手で優しく挟んで持ち上げて、慈悲を与える女神のような表情で口付けを再開した。5秒……10秒……30秒……ぐちゃぐちゃになった頭が良くない方向に落ち着きかけたところで、ブラッシュの唇は俺から離れた。

 

「……っぷはぁ……はぁ……な、なな、なにするんですか、ついに頭おかしくなったんですか!?」


「あら、私って貴方から見てまともな時があったの?」


「ねぇよ!!」


 狼狽える俺を見て、ブラッシュはくすくすと笑っている。なんだってんだ、色狂いだとは思ってたけど、それだって女専門だった筈だ……もしかしてついに見境が無くなったのか!?


「貴方が私の魔法を使えるようになれば、わざわざ誰かに頼まなくても自分でイースを探せるんじゃないかと思ったんだけれど……ダメだったのかしら?」


「はぁ? 何言ってんですか。ブラッシュとき、キスして……何で魔法が……」


 妖艶な顔で微笑むブラッシュを見て、内心かなりドギマギしながら俺は抗議した。まだ口の中にさっきの感触が残っている。柔らかい唇と、ブラッシュの長い舌の感触、味。


……味?


 口の中から鼻を抜けるこの感じ……鉄の味だ。いや、鉄というか鉄分……血だ──


「……え、まさか俺、飲んじまったのか……血を」


むさぼるように、ね」


 ぺろりと、下唇に浮かぶ鮮血を舐め取りながらブラッシュは怪しく微笑んだ。


「お、俺を眷属にしたんですか!? 何でまたそんな事を!?」


「あら、今言ったじゃない。私の魔法を分けてあげようと思って」


 この女、常々どうかしてるとは思っていたが、ここまでイカれているとは認識を誤っていた。なにアドレス交換するノリで眷属にしてくれてるんだ!


「そんな滅茶苦茶な! だいたい、眷属になったからって魔法が使えるってもんじゃないでしょう!」


「使えてるじゃない。フーちゃんの回復魔法も、ラミーの風魔法も」


「……?」


(……今なんて言った? フーの魔法と……なんだって?)


「もしかして気づいていなかったの? ほら貴方、アビスと手合わせした時に風魔法を使っていたわよ」


「……いやいや、急に何言って…………ん?」


 言われてアビスとの手合わせを思い出した。まるで子供の相手をするように、俺の攻撃を全て余裕で躱していたアビス。

 けど、最後の一撃、顔面目掛けて放った蹴りはアビスに紙一重で躱された筈だったのだが、何故か彼女のフェイスベールを切り裂いたのだ。


 てっきり俺の蹴りが凄まじくてカマイタチでも起こしたのかと思っていたが、あれはちがったのだ。

 のだ。


「複数の魔女の眷属になれるなら、当然魔法も複数受け継ぐことが出来るものね。どうかしら、私の魔法は使えそう?」


 ブラッシュが俺の手を取って、空いている方の手で水を生み出した。彼女の手のひらの上で球状の水がぷかぷかと浮かんでいる。真似してやってみろって事だろう。


 俺は魔力始動して自分の右手に魔力を込めた。ブラッシュの手に浮かぶ水を見ながら、見様見真似で。


「あら、随分と筋がいいのね」


「……まじか。出来ちまった」


 俺の右手の上には、ブラッシュのものと同様にぷかぷかと水の玉が浮かんでいた。マジで水魔法が使えるようになっている。ということはつまり、俺は本当にブラッシュの眷属になったという事でもあるわけで──


「外へ行きましょうか。感知魔法の使い方を教えてあげるわ」


「いや、あの、その前に……」


「なにかしら?」


「なんでわざわざキスして血を飲ませたんですか?」


「別に深い意味は無いわ。貴方可愛い顔してるから、しばらく女の子だと思って見つめたらイける気がしたのよ……そうね、案外悪くなかったから、また今度続きをする?」


「結構です」




* * *



 ブラッシュに水魔法の手ほどきを受けた俺は、あっさり感知魔法を習得した。自分で言うのもなんだが、この魔法に関してはかなり筋がいいと思う。


 魔剣は未だに上手く作れないが、感知魔法ならもう実践レベルだ。得意不得意って魔法にもあるもんなんだな。


 今俺は林を抜けて島の外周にある浜辺にいる。理由は目の前に莫大な水があるからだ。


 ラムの魔法学の授業で教わった内容には、青魔法の特性についても詳しく触れていた。


〜回想〜


「いいかいラインハレト。色んな属性を扱えるようになる青魔法だけど、それぞれ特徴があるんだよ」


「へー、火は熱いとか氷は冷たいとかか?」


「……そんな単純なわけないだろ。ずばり、マナへの干渉力さ!」


「マナへの干渉力? さっぱり分からん」


「一から説明しようじゃないか! まず、火属性の青魔法で炎を生み出すとするよね? 厳密にはあれ、火じゃないんだよ」


「……魔力で作った火に近い何か……みたいな事か?」


「さすがラインハレト〜中々邪悪な勘のよさだね! ほとんど正解だよ〜」


「ええい、分かったからすぐにくっつくな頭を撫でるな!」


「こほん、つまり厳密にはアレは僕たちの自前の魔力、つまりオドの性質を変換したものなんだよ。だから普通の炎と違って、自分の魔法で作った炎は自分を焼かないわけさ」


「なるほどな。そういうカラクリだったのか……地味に気になってたんだよなその辺。めっちゃスッキリしたわ」


「で、おもしろいのがここからさ。自然にある方の火や水、氷、土や風なんかにも実は魔力は宿っているんだよ」


「……ああ、それがマナか」


「クックック、君ってやつは教えがいがあるんだか一周まわって無いんだか……まさにその通りさ。自然界の物質には多かれ少なかれ全てにマナが宿っている。僕たち魔女は基本的に大気に溶け込んだマナを呼吸や食事で少しずつ吸収し、体内でオドに変換しているわけだよ」


「なるほどな。魔女がみんなよく食う理由が分かったぜ」


「同じ魔力でもマナとオドは別物……ここまでは分かったよね? なんと青魔法は同じ属性同士なら干渉して支配権を拡張出来るのさ!」


「ラム先生もっと優しくお願いします」


「例えばだね、水属性の魔法で100リットルの水を生みだすのに100のオドを消費するとしよう」


「はい」


「けどけど、もし目の前に泉があるのなら、そこに自分のオドを10流し込んで干渉すると、不足分の魔力90を、オドに変換したマナで立て替えることが出来るのさ!」


「おお、そういう事か。つまり、水属性の青魔法持ちは水場ならかなりの脅威になるって事だな」


「その通り。この世界は大半水と地面で出来てるからね。必然的に水属性とか地属性とかが脅威になりがちだよね」


「へー、じゃあ火属性って意外と使い勝手悪いんだな」


「そそ、大火事の山とかじゃない限り、殆ど自前の魔力オドしか使えないからね。コスパの関係で戦闘継続能力がほかの青魔法に比べるとかなり低いんだよ。ていうか火とかまだマシだからね? 雷なんてピカっと光って消えちゃうんだから干渉する暇もないよ……」


(……なるほど。それを考えると、火とか雷の魔法持ちなのに強いイースとかバブルガムってマジでバケモンなんだな)


「青魔法の本領はいかにしてマナを味方に付けるかだからね。少ないオドで、より多く、より早く、より効率的にマナを巻き込める属性が使い勝手としてはいいよね」


「ふーん。じゃあ1番強いのはやっぱり水属性? それとも地属性?」


「う〜ん、ラインハレトの言う“強い”の概念にもよるから一概には言えないんだけど、少ないオドで多くのマナに干渉できて、尚且つ干渉速度も速い属性なら──」



〜回想終了〜




 俺は目を瞑りながらラムの授業と、さっきブラッシュに教えてもらった青魔法の基礎を頭の中で反芻はんすうした。


 まずは手元に魔力とイメージを集中してを作る──


「……我が手に来たれ、“イグラー”……!」


 目を開けると、俺の手には細長い指揮棒のような剣が握られていた。ライラックとラミー様の魔剣“イグラー”……の、完成度低めの模造品レプリカである。

 一応ラミー様が魔剣を作る時の口上を真似してみたけど、俺がすると全然様にならない。もう二度としない。


 俺は手に持った魔剣“イグラー”を振ってみた。ヒュンヒュンと、空気を割く音が心地いい。


 ラミー様が元々そういう意図でこの形状の魔剣を生み出し、愛用しているのかは俺程度の犬には存じ上げないが、個人的に“大気に干渉する”するという抽象的なイメージを表現するのに、この形はもってこいだと思った。


 オーケストラの指揮者が指揮棒で音を操り、空気を心地よい振動で満たすように、俺は手に持ったイグラーを海面に向けて、振った。


 すると、一陣の鋭い風が吹きすさび、海面に波を起こした。ほんの一瞬のことで、海は直ぐに静けさを取り戻す。


(……よし、いけそうだな)


 虚空に円を描くように、クルクルと手首を回してイグラーをの切っ先を動かす。自分の魔力オドは極力少なめに、できるだけ大気マナを巻き込むイメージで──


「……は、はは、やべー……」


 視線の先で、竜巻が海水を巻き上げながら天を貫いている。なんと俺が作った竜巻だ。


(まさか竜巻をつくる日がくるとはな……)


 安全のために100メートルほど沖合いに追いやりながら作った竜巻は、イグラーを向けて“とどまれ”と念じると、その場で轟々と渦を巻き続けた。まるで魔法使いだ。


 そして、今度は海面に手をつけながら魔力を込める。さっきの要領でどんどん海水を干渉し、支配した海水を持ち上げようとした。


「……ッおっもい、くそ!」


 さっき少量の水を手のひらに発生させた時はぷかぷか浮かんだのに、今は海面が少し隆起するだけで、それ以上は持ち上がる気がしなかった。支配した水を浮かせる魔力と、海水の重力が釣り合っていないんだと理解した。


(……ええい、だったらこのまま行ってこい!)


 魔力オドで干渉した海水をひと塊にまとめて、沖合いの竜巻目掛けて押し込んだ。重力に反していない水平移動なら話は違う。あっという間に周りの海水を巻き込みながら竜巻のふもとに到達した。


「よし、いけ!」


 俺の魔力オドを含んだ海水が、竜巻によって上空に巻き上げられた。その瞬間、イグラーを振り下ろすと、竜巻はフワッとほどけて消えた。息付く暇もなく、今度は空に広がる自分の魔力を感じ取りながら、イグラーをヒュンヒュン振って島の中へ誘導した。


──ポツ、ポツ……と、鼻の頭に雨が当たった。次の瞬間、バケツをひっくり返したような雨が島に降り注いだ。


「……べっ!ぺっ!! しょっぱいなちくしょう!」


 厳密には降り注いだのは雨ではなく、風魔法で巻き上げた俺の感知式水魔法(海水仕立て)だ。口の中に広がる塩味に惑わされないように、目を瞑って意識を集中した。


 大きな水たまりに水滴を落とすと波紋が広がるように、俺の意識には無数の小さな波紋が浮かんでいた。そのひとつに更に意識を集中すると、段々と形を帯びてくる。それは突然の雨に驚いて羽ばたいた海鳥だった。


(……すごいな、これが感知魔法……たしかに頭がパンクしそうだ)


 膨大な量の反応……当然魔女意外の生物にも感知は反応するのだ。この無数の反応の中から、さっき練習でブラッシュを感知した時、あれと同じ種類の反応を見つけなければいけない。少なくともイースがこの島にいて、この雨に触れる範囲に居るのなら見つけられるはずなのだ。


(──見つけた!!)


 俺が今いる場所から西に数百メートル……その位置に魔女の反応があった。


(……?……なんだ?)


 しかし、反応はあったが、集中してみると反応は2つだった。大きな反応に小さな反応が隠れて、一瞬1つだと錯覚してしまったのだ。


「……ッ!?」


 俺は咄嗟に身体強化を使って走り出した。


 今にも消え入りそうな小さな反応……それがイースのものだと察してしまったからだ──

 





 

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