第252話「晩餐とソース」
【辰守 晴人】
「──バンブルビー! 腕が治ったって本当ですか!?」
ついさっきスカーレットの部屋を訪れた時のフーのように、俺とスカーレットはノックも忘れて扉を押し開けた。部屋の中には、驚いた表情のラテとヘザーとブラッシュ……そして──
「…………おっとこれは、驚いたな。
俺とスカーレットの目の前には、バンブルビーが居た。さっき見た痛ましい姿でも、見慣れた隻腕でもない……両腕の揃ったバンブルビーが。
「いったい何があったんですか!?」
「理由なんてどうでもいいわよ! 本当に良かったわ!」
スカーレットは涙目になりながらそう言った。どうだってよくはないだろうとは思うけど、俺も目頭が熱い。嬉しい時にも涙って出るものなのだ。
「……あの、その……二人とも、何してたの?」
感動しているとラテが妙に気まずそうな様子で声をかけてきた。バンブルビーの腕が治った決定的瞬間に居合わせないで、どこで油を売っていたんだということだろうか。
「さ、さすがにそれを聞くのは野暮というものさ……だってもうこれは……」
ヘザーが頬を赤らめながら、俺とスカーレットから目を逸らしている。しきりに咳払いをしているが、喉でも傷めているのか?
……いや、ていうか……まてよ。
「ふふ、私がプレゼントした下着、ちゃんと役に立ったみたいね……めちゃくちゃエロいわご馳走様」
スカーレットの方をもう一度見た。下着姿だった。視線を自分の身体に向けた。下着姿だった。
ああ……やっちまった。
「……こっ、これにはですね、深い事情が……」
「そ、そそっ、そうよ! 晴人君はただ私を慰めようとしてっ……」
「うん。大丈夫だよ。もう皆分かってるから、取り敢えず服を着ておいで?」
バンブルビーに言われて、俺とスカーレットは何も言えずに大急ぎで部屋を出た。顔から火が出るかと思った。
「もうダメ……恥ずかしくてしばらく皆の前に出れない……」
「俺だってそうですよ……我ながらなぜ気が付かなかったのか……」
「──あ、いたいた! ハレとスカーレット服忘れてるよ〜!」
二人で頭を抱えていると、両手に服を抱えたフーが廊下の先から走ってきた。フーに世話を焼かれるなんて……これは本当に反省しなければならないな──
* * *
爆睡していると思われるイースの代わりに夕食の準備をしたりしていると、あれよあれよという間に夜になった。
きっと密度の濃い時間を過ごしたせいだろう、昼間に行われた龍奈奪還作戦が昨日の事のように感じられる。
夕食の時間に合わせたように、現場検証に向かっていたアビスとマリア、それにライラックも城に帰ってきた。
マリアとライラックはバンブルビーの姿を見るなり絶句していたが、アビスだけは腕に気づくよりも前に「バンブルビー髪短く整えたんだね。ラテに切ってもらったの? なんだか500年前みたい」なんて言って、天然を爆発させていた。
「──それにしても、その夕張 ヒカリちゃんだっけ。
俺が作った料理に大量のマヨネーズとソースをかけながら、我らが盟主アビス・オールドメイドはそう言った。
アビスの隣のマリアは「い、いけませんアビス様、そのようにソースをかけられては……ア、アビス様っ!」と狼狽えているが、気にもとめられていない。この二人だけなんか関係性が他と違う気がするんだよな。どうでもいいけど。
ちなみにアビスは食事の時もフェイスベールを外さない。けど、いつも着けているものよりも布が短いので、隠れているのは目元までだ。そうじゃないと食事が出来ない。
目元が見えなくとも、見える範囲の彼女の顔はやはりご多分に漏れず彫像のように整っていて、そのせいで稲妻のような古傷はいっそう痛々しく見えた。
裏切りの魔女ジューダス・メモリーと最強の魔女アビス・オールドメイド。2人の禍根が目に見える形でそこにあった。
「アビス、バブルガムじゃないんだからホイホイ子供を引き込もうとするもんじゃない」
「むはぁ? 聞き捨てならねーなバンブルビー! なんか私ちゃんが
「結果論よねそれ。それにヒカリちゃんってあのヴィヴィアン・ハーツの部下だったんでしょ。櫻子ちゃん介さなくてもヴィヴィアン経由でいつかはバンブルビーの腕も元通りになってたんじゃない?」
「ラテの言う通りさ。そもそもこれまでバブルガムの奔放さがもたらした被害は数えだしたらキリがないからね。会計係の悩みの種だよ」
「ふふ、私は身体で償ってくれるならどれだけ問題を起こしてくれても歓迎だけどね。ええ、もちろんエロい意味よ」
「性欲大魔神様の言うことは置いておくとしてですね、皆してこんなふうにバブルガムを責めるのはさすがに可哀想ですよ」
「……むはぁ、はれとぉ!!」
右隣に腰掛けていたバブルガムは、感動したように腕に組み付いてきた。頬っぺに着いてたソースが服に付いちゃうでしょうが。
「バブルガムをいくら責めたってもう改心の余地はないんですから、ペンギンに飛べないことを非難するようなものです」
「……は、はれと?」
驚愕の瞳でバブルガムが俺を見つめた。頬っぺのソースは綺麗に取れてやがる。
「確かに晴人の言う通りね。きっと何かの病気よ」
「病気は言い過ぎだぞスカーレット……ああ、ありがとう。助かるよ」
左隣に腰掛けていたスカーレットが、バブルガムを押しのけて服をナフキンで拭いてくれた。相変わらず如才無い人である。ほんと聖母。
「バブルガムいい所もいっぱいあるよ! サンデーも美味しいし、ぎゃんぶる? とかも教えてくれるし!」
フーの言葉を聞いた途端……晩餐を囲みながら淀みなく続いていた会話がピタリと止まった。ほぼ全員の視線がバブルガムに突き刺さる。
「む、むふぇ!? なんだ、私ちゃんはただフーに大人の遊びを教えてやっただけだろーが!」
「おいクソ債務チビデコ女。貴様、今後二度とフーの半径5キロ圏内に近づくなよ。悪影響だ。この悪そのものめが」
凍てつくような冷ややかな目をしながら、真っ先にバブルガムを正論で切り付けたのは、何故か夜なのに降臨なされたラミー様だった。普段は取り決めを守って日中にしか表に出てこないのに、よっぽどフーが汚されたのが気に食わなかったらしい。激しく同意である。
「むっはぁ!? んだとラミーてめー! そもそも、おめーだってチビだろーが! このチビ! チビチビ!」
「……ん、もっと強く……なの♡」
「ってライラックじゃねーか!! むっきぃぃぃぃ!!」
どうやらラミー様は言いたいことだけ言って、既にライラックに身体を空け渡したらしい。ライラックはダメージ吸収スキル持ち(ドM)だからバブルガムの小学生みたいな悪口は当然効いちゃいない。
呆れて見ていると、逆ギレするバブルガムにラテやヘザーが追撃をはじめた。どうやら俺の出る幕は無さそうだ。
「──やれやれ、ほんと賑やかな食事だね。それにしても、私の可愛い妹はまだ寝てるんだ?」
長テーブルの先端、いわゆる誕生日席ポジションに腰掛けたアビスが、マヨネーズとソースで埋め尽くされたチキンソテーをナイフで切り分けながらそう言った。
「夕食を食べに来ないって事はそういうことでしょ。新型の
アビスとは反対側の先端、つまり真正面の誕生日席のバンブルビーがワインのグラスを揺らしながら答えた。今日の彼女はいつもよりもアルコールのペースが早い気がする。
「なるほど。ふて寝してるわけか。可愛いところもあるじゃない。誰かさんも見習えばいいのに」
「……イースのやつは負けず嫌いだから。ていうか、可愛い妹分のメンタルケアもボスの役目のうちじゃないの? どうせ暇してるんだろうしさ」
「……悪いんだけど、そういうのはバンブルビーに一任するよ。イースっていっつもお酒臭くて、近寄ると頭痛が酷くなっちゃうし。それにバンブルビー、お姉さん風吹かせるの好きなんでしょ?」
「アハハ、えーなにそれー……俺が好きでやってると思ってんのかこの味覚バグり女が」
「んーどういうことかな。それもしかして遠回しにジャンクフードのこと悪く言ってる?」
「ア、アビス様、今のは直接的にアビス様を貶しているのだと思われますが……」
「スノウうるさい」
「……も、申し訳ございません……」
さっきとは別の意味で晩餐が凍りついた。なんだってこの2人は直ぐに喧嘩するんだ……間に挟まれた俺たちの気にもなってくれ!
あとマリア、絶対にツッコまなくてよかっただろ。しなくていいケガだったぞ今のは……。
数秒間凍てついた空気に我に返ったのか、バンブルビーはほんの少しだけハッとして、ワインを口に流し込んだ。
「ま、イースのことは辰守君に一任してるから。俺の頼れる補佐官にね」
「……わー、この流れで俺に回ってくるんですね」
すっかり油断していたから、危うく手に持っていたグラスが滑り落ちるところだった。
「いい機会だ。頑張って末の弟としての有用性を示すんだね」
アビスが古傷の走った口元をナフキンで拭きながらそう言った。
むべなるかな。あの生ける爆弾みたいなイースの御機嫌とりなんて……ましてや睡眠を妨げるような真似をするなんて、誰だってごめんの筈だ。
けど、ナンバー1がナンバー2に押し付けた仕事が俺に回ってくるのは今回が初めてじゃない。
──スカーレットは言っていた。ジューダスにコテンパンにされた件については、負けたことよりも俺に会えなくなる怖さに気が付いて、それがすごく不安だったのだと。
内緒でラムやルーを
イースだってスカーレットと同様、俺のせいで怒ったり落ち込んだりしてるはずだ。つまり、バンブルビーに言われるまでもなく、イースが機嫌を直してくれるように取りはからうのは、
「──タツモリ、アビス様の命令よ。返事をしなさい」
アビスに怒られてシュンとしながら料理を食っていたマリアが、俺を睨みつけながらそう言った。こいつめ、美味いの一言もないくせにこういう時だけ生き生きとしやがって……。
「夕食の後片付けが済んだら、イースの部屋に様子を見に行ってきます。有用性をきっちり示して見せますよ」
……と、息巻いた俺だったが、結論から言ってこの後イースの部屋で彼女に会うことはなかった。
理由は至極単純で、イースは部屋でふて寝なんてしちゃいなかったからだ──
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