第42話「プレゼントと従順なる僕」



 【馬場櫻子】


「……『ワニノ池』って、そのまんまだね……」


「……しかし、どうして温泉施設にワニが? カルタは知っていますか?」


「ん~皆目見当もつかないかな~」


 社長が温泉に浸かっている間、わたし達は時間を潰すために温泉街に繰り出していた。


 特に当てもなく、石畳を辿って道なりに進んでいると二重のフェンスで囲まれた大きな池にたどり着いた。


 池の側に立っている案内板には『ワニノ池』と表示されている。つまり、これが音に聞こえし伊里江温泉の名物……ワニの池だ。


 うん、そのまんまである。


「――ここにいるワニは、わたくしの誕生日にお母様とお父様がプレゼントして下さった子達ですの」


「ということは、あのワニ達はカノンちゃんのペットってこと?」


「ええ、何か問題が?」


 池に悠々と佇む三匹の巨獣。誕生日にプレゼントを貰う話って、普通もっとほっこりするエピソードの筈だけど、あんな巨大ワニをせがむなんて、カノンちゃんの正気を疑わざるを得ない。


「にしても結構大っきいよね~どれくらいあるん~?」


「確かに、なんとなく大きいのは分かりますが、比較になる物が池に無いので正確なサイズが分かりずらいですね」


 池には面積の三分の一ほどの陸地があるだけで、木や人工物は一切無い。二重のフェンスも相まって距離があるため、今ひとつサイズ感が掴みずらいのだ。


「……確か、二メートル程だったと思いますけど……あと、ちゃんと名前もあるんですのよ? 右からワニ一朗、ワニ次郎、ワニ三郎ですの」


「へえ、何というか……覚えやすい名前だね」


「……本当に二メートルですか? もっと大きいように見えますけど……」


 エミリアちゃんが目を細めて池のワニを凝視している。正直、魔獣ならいざ知らず、あのワニと戦うわけでもあるまいし、大きさなんてどうでもいいけど……。


「飼い主の私が言っているのですから、二メートルで間違いありませんわ」


「……そうかな~ヒカリと比べると八メートルくらいに見えるけど~」


「あ、本当ですね……確実にアレは二メートル以上ありますよカノンさん!」


 皆の視線を辿って池の方を見ると、陸地に上がって日向ぼっこしているワニの背中で、ヒカリちゃんが手を振って立っていた……立っていた!?


「……っひええ!? ひ、ヒカリちゃん……何やってるのそんな所で!! 狂ったの!?」


 さっきからヒカリちゃんの姿が見えないとは思っていたけど、まさかあんな所にいるなんて……正気の沙汰では無い!


 わたしは慌ててフェンスに寄りすがって叫んだ。フェンスの意味……フェンスの意味を知らないのかあの子は!!


「――櫻子! このワニ馬鹿みてぇにでけえぞ!」


 しかし、必死なわたしとは裏腹に、ヒカリちゃんはこちらの声が聞こえていないのか、それとも無視しているのか無邪気な笑顔で手を振り続けている。馬鹿はお前である。


「み、皆も見てないで何とか言ってよ……!」


「ほら、やっぱり二メートルよりも大きいじゃないですか。カノンさん、適当言ってはダメですよ」


「あ~それにこの案内板には、ワニの名前『ワ一』『ワニ』『ワ三』って書いてあるし~飼い主名前くらい覚えろし~」


「あら、おかしいですわね……いつの間にそんなに大きく、まあ些細なことですの。名前もぶっちゃけどれがどの子なのかさっぱり分かりませんし」


 フェンスの内でも外でも、わたし以外にまともな人は居ないのか、だんだん一人で騒いでいる自分がおかしいのかと思えて来た。


「おーい櫻子ー! 写真撮ってくれぇー!」


 わたしは大きく深呼吸をして、スマートフォンでカメラを起動した。ピントをワニの上でピースするヒカリちゃんに合わせる。


 確かにめちゃくちゃな状況だけど、最近の出来事に比べてみればまだまだ易しい方だ。


 とにかく深く考えることをやめて、わたしは投げやりにシャッターを切った。


 ちょうど暴れ出したワニが、ヒカリちゃんを丸呑みにしようと襲いかかった決定的な瞬間をカメラに収めることができた。


 ヒカリちゃんが池で何か叫んでいるけど、少しハードな旅の記念が撮れたからよしとしよう――




* * *





「――改めまして、カノンの母の藤乃です。いつもうちの娘がお世話になっていますわね」


 温泉街をひとしきり周り、そろそろ昼にしようかと旅館に帰ると、カノンちゃんのお母さんが現れた。


 カノンちゃんと同じ髪色に、ギザギザの歯、眼帯まで、本当にそっくりな親子だった。


 歳を取らないせいで、二十代前後に見えるお母さんはもはや、カノンちゃんの母親というよりは姉妹にしか見えない。


 考えてみれば仮に祖母、母、娘と三世代が揃ったとしても、全員二十代前後の見た目で成長が止まるんだから、魔女の家族関係ってかなり不思議である。


 初めは親子のような間柄でも、成長すれば、やがては姉妹のような関係になっていくのだろうか。


「皆さんヴィヴィアンの元で仕事をしているんですって? 本人がいないから言ってしまいますけれど、彼女なんていうか頭がおかしい、じゃなかった……かなりな魔女だからいろいろ大変でしょう?」


「ウィスタリアよ、此方こなたここにおるんじゃが……」


「あら、小さくて目に入りませんでしたわ。これはごめんあそばせ」


 藤乃さんはじろっと社長を睨め付け、『皆さんはごゆっくり温泉を堪能して下さいまし』と言い残して、部屋を出て行った。


 わたし達が待たされている間に社長と何の話をしていたかは知らないけど、この感じだと仲が良いわけではないらしい。むしろ悪そうである。


「おいヴィヴィアン、何でカノンの母ちゃんのことウィスタリアって呼んでんだ?」


 藤乃さんが去って、妙に気まずくなった室内だったが、ヒカリちゃんは気にする様子もない。こういう所は素直に凄いと思う。良いか悪いかは状況に左右されるけど……。


「昔はそう名乗っておったからのう……今の名前は此方的にしっくりこんのじゃ」


「お母様の熱川藤乃という名前は、お父様が結婚した後に付けた通名ですの。ですから、間違えているわけではありませんし構いませんわ」


 普通の会話のはずなのに、なんだか妙に違和感を感じた。どうしてだろうか、心なしかカノンちゃんが社長をフォローするような言い方に聞こえたせいだろうか。


 もしかして、三人で話し合っている時に何か会ったとか……まあ、流石にそれは考え過ぎだろう。


「そういえば、お主らにはまだ魔女の世界のことをきちんと話しておらんかったからのう、良い機会じゃし今日は此方が色々と教えてやろうではないか」


 三段重ねの座布団に座った社長が、思い付いたように不意にそう言った。いい加減このノリにもだんだんと慣れて来た。


「……櫻子さん、社長はいつもこんな感じで大事な話を始めるんですか?」


 エミリアちゃんは怪訝な顔だ。普段から社長とは余り話さないようにしているせいか、まだが付いていないのだろう。


「今日はまだマシな方だよ、全員揃ってる時に始まったからね。バラバラに話されると、本人も誰に何の話をしたかチグハグになるみたいで……」


「なるほど……想像以上に酷いですね」


「はいそこ此方の悪口言わない。もっとなんかあるじゃろ、聞きたいこととか……此方の好きな食べ物とか」


「じゃあ、ヴィヴィアンはいくつ魔法使えんだよ」


 真っ先に手を挙げたのはやはりヒカリちゃんだ。しかし、わたしは昨日この話を聞いたから既に知っているけど。


「三つじゃ、ヤバいじゃろう」


「マジかよ、ヤベェなそれは」


 恐ろしいほど呆気なく終わる質疑応答。心なしかヴィヴィアンさんも寂しそうな顔をしている。


「八熊とは~どんな関係なの~?」


 続いてスマホを弄っていたカルタちゃんが手を挙げた。女子高生のような甘酸っぱい質問である。まあ女子高生なんだけれども。


「八熊は此方の眷属けんぞくじゃ。まあ従順なるしもべというやつじゃな」


「……あの、眷属って何なんですか?」


 さっきのヒカリちゃんの質問よろしく、速攻で打ち切られそうな気配を感じてわたしも手を挙げた。


「おお、眷属を知らんのか……まあ、それもそうか。眷属というのはじゃな、魔女に血を与えられ、契約した人間の事じゃ」


「……契約した、人間?」


「うむ、人間が魔女の血を摂取すると、拒絶反応を起こして大概の場合は死んだり風邪ひいたりするんじゃが……」


「なんか振り幅大きくないですか……」


「……最後まで聞けツッコミ担当」


 妙に間の抜けた話につい口を挟んで、社長に嗜められてしまった。というか、いつからわたしはツッコミ担当になったんだ。


「魔女の血を飲んで、稀に適合する人間がおるのじゃ。大まかに血を飲ませる事を契約と言い、適合した人間のことを眷属と言う」


「そして、魔女と眷属には特別な繋がりが生まれるのじゃ。まず、眷属は元になった魔女の魔法を扱えるようになる。もちろん魔女には劣るが、訓練次第ではある程度魔法を使いこなせるじゃろう」


 つまり、八熊さんはヴィヴィアン社長の血を飲んで、死ぬことも風邪を引くこともなく適合した人間……だということ。


 ずっとスルーしていたけど、確かに窓から飛び出したり人間技では無い事をしていたな。見た目がヴァンパイアみたいだから、もはやそうなのかと思っていた。


「あと、眷属は眷属になった段階で不老になる。ここは少し魔女とは違うのう、八熊も三十手前で眷属にしたから若干オッサンじゃし……」


 眷属になった段階で不老になる、ということは……極端な話、十歳で眷属になれば子供のまま歳を取らず、八十歳で眷属になれば、老人のままずっと過ごすということか。


 というか、八熊さんって肉体的にはまだ二十代だったのか。いつも疲れた顔しているから老けて見えていた。


「で、契約主の魔女が死ぬと、眷属も道連れで死ぬのじゃ。別に眷属が死んでも契約主は死んだりせんがの」


「つまり、半一心同体……みたいなものですか?」


「……まあそんな感じじゃ。あと魔女は常に眷属を一人しか作れん。既に眷属がおる魔女がいくら人間に血を飲ませまくったところで、それ以上は増えんということじゃの。これについての原因は不明じゃから、神様にでも聞くがよい」


 実に興味深い話だった。つまり、わたしも誰かに血を飲ませたらその相手を眷属にできるかもしれないということだ。風邪をひいたり、死んだりしなければだけれど。


「……まあ、基本的に眷属を作るのは魔女の世界では禁忌タブーじゃから、此方こなたみたいに悪戯心いたずらごころで作らんようにの」


「……八熊さん、悪戯心で眷属にされたんですか?」


「うむ、バンビは此方が昔ほろぼした国の生き残りの子孫らしくてのう、無謀にも此方こなたを殺しに来たゆえ、逆に半死半生にして眷属にしてやったのじゃ。殺したい相手がご主人様になるとかウケるじゃろ?」


「……待ってください、情報が多くて全然話についていけてません」


 この人今サラッと国を滅ぼしたとか言わなかっただろうか、それに眷属にした理由も悪戯心というか、嗜虐心の塊みたいなんだけど……。


「まあバンビとは百年余りで色々あったが、今は相思相愛じゃから結果オーライじゃな。はい次の質問」


「……!? いや、そこもっと詳しく!!」


 この前学校の屋上で話していたけど、まさか……まさか八熊さん、本当にロリコンなの!?


 この後五人がかりで社長を問い詰めたけど、冗談だと言ってけんもほろろに一蹴された。


 本当に冗談だったのかどうかは分からないが、八熊さんを見る目が変わることは間違いないだろう――

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