第41話「旅館経営と採用試験」
【馬場櫻子】
――わたしは今、ヴィヴィアン社長の思い付きで決まった温泉合宿、もとい温泉旅行に来ている。
「――わたし温泉って初めてかも……ヒカリちゃんは来たことある?」
「あー、そういやアタシも温泉は初めてだな。バカルタはどうなんだよ」
「……私は温泉とかよく行くよ~良いよね~温泉……女の子達の一糸纏わぬ裸体を見放題だし~」
「……バカルタは部屋に備え付けの風呂で決定だな」
「……うへぇ!? や、やだな~ただのムテキングジョークだし~私も大浴場入ります~」
「皆さん安心してください。カルタは私がしっかり見張っておきますから」
旅館の一室に集まった私たちは、他愛のない話をしながら社長とカノンちゃんを待っていた。
今日はカノンちゃんと社長以外の四人で温泉街まで来たのだけど、いざ旅館に着くとカノンちゃんの姿がなかった。
大勢の旅館の人に出迎えられたわたし達は、あれよあれよと部屋に通され、案内してくれた中居さんから社長は既に到着していて、今はカノンちゃんと女将さんの三人で大切な話をしているから、しばらく部屋で待っていて欲しいと伝えられた。
「……それにしても、大切な話ってなんだろうね」
「さあな、成金のおふくろさんとヴィヴィアン、実は知り合いだったとかじゃねぇのか」
畳の上で寝っ転がっているヒカリちゃんは、実に興味なさげだ。
でもたしかに、社長は魔女の中でもかなり有名人のはずだし、ヒカリちゃんが言っていることも案外当たってたりして――
* * *
【熱川藤乃】
――本来、癒しと寛ぎの空間を提供するはずの温泉旅館で、場違いなほど剣呑な空気が漂う部屋があった。
館内に設けられた女将専用の私室、つまりは私の部屋だ。
「――ふむ、なかなかよい旅館ではないか。人間の子を産んだことも驚きじゃが、まさかお主が旅館経営とはのう」
「……それはどうも、けど貴女こそ久し振りに会ったと思ったら、随分と背が縮んだのではなくて?」
「もう何百年も生きておるからのう、背も縮むわ」
今日はカノンからお友達とお泊まり会をすると聞いていた。カノンが友達を呼ぶなんて初めてのことだったから、張り切って出迎えようと思ったのに、やって来たのはなんとヴィヴィアン・ハーツだった。
しかし、もっと残念なのは、うちの娘とこのクソ女の間に何かしらの関係があるらしいということだ。
「で、説明してもらいたいんですけど、貴女とカノン……いったいどんな関係ですの?」
私は隣に座らせたカノンと、正面でトマトジュースを飲んでいるヴィヴィアンを交互に見据えた。
「……いや、質問を質問で返すようで悪いがのう、なんでお主そんな口調なんじゃ? なんか怖いんじゃが……」
これだ。こいつのこういう空気の読めないところが嫌いなのだ。隣で目を伏せていたカノンが、訝しむような目で私を見てくる。
「……はあ、うるさいわね……ガタガタ言ってないでさっさと答えなさいよチビ、殺すわよ」
カノンには出来るだけ丁寧に聴こえるような声音で、しかし内容は分からないようにドイツ語で話した。
「おお、そうじゃそうじゃ、この感じじゃ……これでしっくりきたわ、あと
幸い、チビトマト女もドイツ語に切り替えて応えた。もし普通に日本語で会話し続けようものなら、首から上を吹き飛ばしてやるところだった。
カノンは急なドイツ語に戸惑っているようだけど、会話に割り込んでくることはしない。大人しく座ってくれている。
「率直に言うと、カノンは此方の部下じゃ」
「……は?」
しばらくドイツ語なんて話していなかったせいか、上手く単語を聞き取れなかった。部下って聞こえたけど、何の聞き間違いだろうか……
「なんじゃ、聞こえんかったか? 部下じゃ部下。此方が経営する会社の社員じゃ」
「……意味が、分からないんだけど」
「カノン、お主の母君は働き過ぎじゃぞ。だいぶまいっておるようじゃ」
ヴィヴィアンが私の娘に何か話しかけている。よく分からないが失礼なことを言っている気がする。
「……お母様、あの、さっきから何を話しているのかは存じませんが、
混乱する私を見かねたのか、隣からカノンのしおらしい声が聞こえた。就職だと、そう聞こえた。カノンが……就職? まだ高校生なのに?
それも、よりにもよって、このろくでなしが経営する会社に……?
「なんじゃカノン、お主ウィスタリアに黙ってうちの会社に入ったのか? なかなかやるのう」
「……なかなかやるのう、じゃないわよこのバカ!! うちの子はまだ子供よ! そんな子に何させようってのよ!!」
高ぶる感情を抑えきれずに、私は目の前の女に怒鳴り散らした。これではドイツ語も何も関係ないが、もうダメだ、とても我慢できない。
「言っておくが、うちの求人に応募してきたのはカノンの方じゃ。此方はただ採用しただけに過ぎん」
「……子供が勝手にしたことでしょ、悪いけど契約は破棄よ!」
「ウィスタリア……魔女の成人は十六じゃ。カノンは十七じゃから既に大人じゃし、こちらからスカウトしていない限りお主の同意も要らんのじゃ。はい論破ぁ」
ヴィヴィアンは舌をべぇっと出して、憎たらしい顔で私に向かってピースした。
ブチリ、と何かが切れる音がした。
「……クソが……さっきから黙って聞いてりゃあ、ぶち殺すぞこのアバズレ……」
「いや、全然黙って聞いておらんかったじゃろ……」
私は冷静だった。たしかに少し熱くなっていたかもしれないけど、子供じゃあるまいしきちんと分別を弁えている。
分別を弁えているから、私はゆっくりと深呼吸をして落ち着いた後、ヴィヴィアン・ハーツの首根っこを掴み上げて、窓の外へ強かに放り投げた。
ヴィヴィアンを殺すなら、お客様の迷惑にならない場所でなければならないからだ。我ながら女将の鏡である。
「……カノン、私は少しヴィヴィアンさんとお話ありますから、そこで待っているように」
青ざめた娘が、首を縦にブンブン振った。
カノン、私の可愛い一人娘……この子を誑かそうなんて、誰であろうと許さない。
窓の外に身体を乗り出すと、ちょうどヴィヴィアンが裏山に落下した所だった。私も文字通り一足飛びに裏山へと跳躍する。
ヴィヴィアンは大きな木の枝に引っ掛かり、地上三メートル程で逆さ吊りになっていた。
「……いたいけな少女をぶん投げるとは、とんだ不良女将じゃのう。だいたい肩良過ぎじゃろ、旅館経営よりもむいておる仕事が他にあったのではないか?」
「アンタをぶっ殺すって仕事があるなら転職考えるけどね……」
「……ではひとつ、此方が採用試験をしてやろうかの」
* * *
「――はあ、はぁ……ったく、ほんっと……化け物ね」
「……お互い様じゃろ、
こいつが殺しても死なない奴なのは、嫌と言うほど知っていたけど……それでも尚、実際にこれだけやってもけろっとしているのを見ていると空恐ろしい。
「……ヴィヴィアン、アンタは何がしたいの? 私の娘を何に巻き込もうとしてるの?」
ヴィヴィアンは昔から奔放で、掴みどころの無い奴だった。
善悪に縛られず、何も考えていないようで、いつも何か企んでいる……そんな女だ。
「……
ヴィヴィアンはさっき私が吹き飛ばした両手と下半身を再生させながら答えた。
しかし、到底信じられるような話ではない。
「……そんな馬鹿な、私はあの子からずっと魔女を遠ざけてるの、自分から魔女の世界に踏み込むはずがないわ」
ヴィヴィアンほどではないけど、私は人間には想像も出来ないような長い時間を生きてきた。その長い人生で学んだことは、魔女なんてクソ喰らえと言うことだ。
自分が魔女に生まれたことを悔やまない日は無かった。
けれど、そんな私の人生にも光はあった。それがカノンだ。深夜と私の可愛い一人娘……この子には絶対に、普通の人生を歩ませてあげたい。
「
「……私のため、ですって……?」
「魔女協会に追放されたお主の汚名を晴らすために、魔女協会に属さず人類を魔獣から救いたいんじゃと、カノンはそう言っておった」
「……カノンが……そんなことを」
――全く知らなかった。
確かに私は魔女協会を追放されたし、その事を恨んでいないかと言えば嘘になるだろう。けれど、そんな素振りをカノンの前で見せたことはない。
――カノンが十歳の時に、魔女協会から招待が来た。しかし、カノンはそれを拒んだ。
当時、私はカノンが魔女の世界に興味がないからそうしたのだと思っていたけど、ヴィヴィアンの話がもし本当なら、カノンは私のために……
「……けど、あの子は何も知らないわ。魔女のことも、魔獣のことだって……」
「魔女の世界のことは此方が責任を持って教えよう……魔獣のことは、カノンは既に知っておる。そのうえでの決断じゃ。ウィスタリア、お主はそれでも尚……娘を引き止めるのか?」
「……毎日、ずっとあの子を見守って来たつもりだったけど……いつの間にか大人になってたのね――」
* * *
【馬場櫻子】
――カノンちゃんと社長が合流したのは、わたし達が部屋に通されてから二十分ほどしてからだった。
「では諸君、これから温泉合宿が始まるわけじゃが、訳あって此方は今魔力がすっからかんじゃ。よって魔力回復のため、一足先に温泉に浸かってくるゆえ、お主らは適当に遊んでくるがよいぞ」
姿を表して早々、ヴィヴィアンさんはそう言って姿を消してしまった。一体全体どんなわけがあって魔力が空になるというのか……もしかして、ただ温泉に浸かりたいだけなのではないだろうか。
真偽は謎に包まれたままだったが、とりあえずわたしは初めての温泉旅行に胸を踊らせていた。翌日にとんでもない波乱が訪れることも知らずに――
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