第13話「熱川カノンと鳳カルタ」


 【馬場櫻子】


「――ここ、だよね」


 わたしは手に持った名刺と、目の前の建物を交互に見た。


 『4F(株)VCU』六階建てのビルの案内板には、確かにそう表記されている。


 思っていたより普通のビルで、なんだか少し拍子抜けしたような、安心したような気分になった。わたしは大きく深呼吸をしてから、名刺を鞄にしまってビルの入り口へと進んだ。   


 チーン、という音と共にエレベーターの扉が開くと、すぐに『(株)VCU』の表札が付いた扉が目に入った。


 コン、コン、コン、と扉を三回ノックすると、すぐに「入っていいぞ」とおそらく八熊さんの声であろう返事。わたしは扉を開けて部屋の中へ入った。


「おはようございます八熊さん」


 扉を開けるとすぐ目の前に、案の定くたびれた顔でスーツを着た八熊さんが立っていた。


「おはよう馬場櫻子。十分前きっかりだな、優秀だ」


 なんでフルネームなのか、と思ったがこんな疲れた顔の人にツッコむのも気が引けたので、とりあえずありがとうございます、とだけ返事をしておいた。


「うちで働くこと、母親が了承してくれてよかったな」


「……はあ、よかったんでしょうか」


 八熊さんから、わたしが魔女であることや、VCUで働く旨の契約書のことを聞かされたお母さんは、驚くほどあっさりと契約書にハンコを押した。


「櫻子がやりたいことならぁ、お母さんはなんでも応援するわよぉ。それにしてもうちの子が魔女だったなんてねぇ」


 という具合に、いつものおっとりした口調で、まるで習い事をしたいと言い出した子供に返事をするようなテンションでそう言った。


「昨日も言ったが、普通、先祖返りの魔女は魔法を制御出来るようにまで協会で隔離、監視される。うちの会社に入るのはそれを回避する唯一と言ってもいい抜け道だ」


「……抜け道、ですか」


 八熊さんは懐から取り出したタバコを口に咥え、ガスの切れかけたライターを何度かカチカチとやって火をつけた。


 未だに隔離だの監視だのという話は半信半疑だけど、もし八熊さんが言っていることが本当だったなら、断固として受け入れがたい話だ。


「立ち話もなんだ、そっちのソファにでも適当に座っておけ馬場櫻子。三人もそろそろ来るだろう」


「はい、ではお言葉に甘えて」


 タバコの煙をくゆらせる八熊さんに促されるまま、わたしは部屋の中央からやや窓寄りに設置された黒い革張りのソファに腰を下ろした。


 頬に冷たい風を感じて気づいたが、ガラス窓が一つ全開になっている。

 八熊さんがタバコを吸うからだろうか、それにしては八熊さんは窓がある方から反対側のデスクにもたれかかってタバコを吸っている。


――十分ほどして、タンッと、開け放たれた窓の方から音がした。


「おはざーす。って、櫻子。なんだよもう来てたのか早ぇな!」


 振り返ると、さっきまで誰もいなかった窓辺にヒカリちゃんが現れた。


「……ヒカリちゃん、今窓から入って来なかった?」


「入ってきたけど?」


 ヒカリちゃんは心底不思議そうな顔で『何か問題が?』と言いたげな表情で首を傾げた。


 ここ四階なんだけど……。というか、何階だろうが窓から人が入ってくるのがそもそもおかしい話だけど。


「おい夕張ヒカリ、遅刻だぞ」


 八熊さんがタバコを灰皿に押し付けながら、今際いまわきわのような声音でそう言った。何故か窓から登場したことには触れない。


「フルネームで呼ぶんじゃねぇよ八熊ぁ。てか遅刻じゃねぇし十時二分ジャストだし」


「勝手に二分延長するな。あと八熊さんだ」


「あれ、なんだあのバカ二人も来てねぇじゃん。櫻子の顔合わせに遅刻してくるとはいい度胸だな」


 八熊さんを完全にスルーして、ヒカリちゃんはわたしの隣に腰を下ろした。


「ヒカリちゃん、あとの二人ってどんな人なの? もしかして怖い人、とかじゃないよね?」


 今日わたしがここに来た目的は色々あるが、一番はメンバーとの顔合わせだと聞かされていた。


 わたしと同じく、同年代の若い魔女だとは聞かされている。さっきまで不安はなかったのに、ヒカリちゃんを見ているとそこはかとなく不安な気持ちになってきた。


「別に普通の奴だぞ。アタシより弱ぇしバカだけどな」


「はあ、普通ですか」


 全然何も伝わって来ない。わたしはどんな人が現れるのだろうかと、入り口のドアをじっと見つめた。


「――ごきげんよう、ヒカリに八熊。それと、もしかしてそちらの方が例の?」


 突然だった。彼女は音もなくいつの間にかそこに立っていた。開け放たれた窓辺に。


熱川あたがわカノン、遅刻だぞお前」


八熊さんが二本目のタバコに火を付けながら、突然現れた少女に向かってそう言った。


「八熊、一々フルーネームで呼ばなくてもよろしくってよ? それに遅刻だなんて言いがかりですわ。今は十時三分ジャストですの」


 薄紫のボブヘアーで、右目に眼帯を付けた少女は、そう言って髪をかき上げた。


「勝手に三分延長するな。あと八熊さんだ」


 そう言ってタバコを深く吸い込む八熊さんは、やはり窓から入ってきたことについてはノータッチでいくらしい。なんで?


「おう成金、紹介しとくぞ。こいつは櫻子、アタシの嫁だ」


 ソファに足を組んだヒカリちゃんが、わたしの肩に腕を回してそう言った。


「ヒカリちゃん、息をするように嘘をつくのはやめようね?」 


 わたしはヒカリちゃんの腕を肩から外してボブヘアーの少女に「はじめまして。馬場櫻子です」と、挨拶をした。


「あら、申し遅れましたわ。わたくし熱川あたがわカノンですの。以後お見知り置きを」


 熱川カノンを名乗る少女は、スカートの裾を摘んでお辞儀し、ニコリと笑った。

 その時、彼女の口元に違和感を感じた。


――だ。違和感の正体は彼女のギザギザに並んだ歯だ。


 歯並びが悪いとかそういうことではない。口元から覗いた、目に見えた限りの彼女の歯全てがまるで、肉食獣の牙ように鋭利に尖っていたのだ。


「ああ、コレが気になりますの? 小さい頃魔法が暴走した名残りですの。心配しなくても噛み付いたりしませんわ」


 あまりジロジロと見たつもりはなかったのだが、わたしの視線を感じたのか熱川さんはそう言って歯をカチカチと鳴らして悪戯っぽく微笑んだ。


「ご、ごめんなさいわたし、初対面なのにジロジロ見て……」


「いえいえ、謝ることありませんわ。もう慣れてますの……というか、まだカルタが見当たりませんね、新メンバーの顔合わせに遅刻とは育ちが知れますの」


 なんだか先ほどから、既視感を感じているのは気のせいだろうか。

 行動にしても、言動にしてもである。

 ヒカリちゃんの言っていたが段々不安になってくる。



「――到着~うん、十時四分ジャスト~」


 不安になっているそばから、三度みたび窓辺に少女が出現した。


おおとりカルタ。遅刻だぞ」


「八熊~、フルネームで呼ぶなし~てか遅刻じゃないし、ジャストだし~」


「勝手に四分延長するな。あと八熊さんだ」


 是が非でも窓から入ってきたことには触れない八熊さんは、ため息と一緒にタバコの煙を口から漏らした。なんだろう、もしかしてわたしがおかしいのかな?


 横でヒカリちゃんが咳き込みながら『こっちに煙やるんじゃねぇよ八熊ぁ』と、お怒りの様子だ。


 三人目の少女は鳳カルタさんというらしい。


 艶のある黒いロングヘアーがとても似合う、和風美人という感じだ。喋り方とトロンとした目が相まって、なんだか眠そうに感じるけどコレがデフォルトなのだろうか。


「ん~? 知らない顔だな~どちら様~?」


 煙で咳き込むヒカリちゃんの背中をさすっていたら、鳳さんがわたしの腰掛けるソファにもたれかかってそう言った。


「カルタ、紹介しておきますわ。こちら馬場櫻子、私のメイドですの」


「熱川さん、脊髄反射で嘘つくのやめましょうか」


「お~、つまりようやく私たちのメンバーにツッコミ担当が配属されたわけだね~よろしく櫻子~」


「よ、よろしくお願いします。鳳さん」


 わたしってツッコミ要員でスカウトされたの?


「よし、遅刻魔も全員揃ったところで改めて紹介するぞ。今日からVCUうちで働くことになった馬場櫻子だ。先祖返りの魔女だから、色々教えてやってくれ」


「八熊ぁ、それってお前の仕事じゃねぇの?」


「俺はバカに呼び出されてるから、今から会社を離れる。仕事が入ったら連絡するから、全員事務所で親睦会でもしてろ。あと八熊さんだ」


 そう言って八熊さんはデスクから新しいタバコを取り出してシガーケースに移すと、壁に掛けられていた黒いコートを一枚羽織って、さっさと窓から飛び出して行ってしまった。


「あらあら、執事長が消えてしまいましたの」


「社長は八熊呼び出してなにすんの~?」


「今世紀一番どうでもいいわ、つーか櫻子、なんかわかんねぇ事とかあったら今のうちになんでも聞いてくれよ。アタシが手取り足取り教えてやるから」


 たった今四階の窓から、人生に疲れた悲壮なオーラを纏った男性が飛び降りたのに、ヒカリちゃんはスケベなおじさんのような手つきでわたしの肩をわしわしと触るだけだった。


「……えっと、あのさ、聞いていいのかなこれ……何でみんな当然のように窓から出入りしてるの?」


「……? なぞなぞか?」


「哲学的な質問ですの」


「あ、朝のソシャゲログイン回さんと~」


 どうやらこの話題については、気にした方が負けらしい。

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