第12話「上着と八熊」
――満点の星空の下、沈静な丘の上で、静寂を切り開くように少女の声が響いた。
「――ねえ、人間と私達の違いってなんだと思う?」
「……んー、魔法を使えるかどうか?」
唐突に投げかけられた問いに、少女がやや考えてからそう答えた。
「そうね、でももっと根底的な、前提的な違いがあるの」
「……わかんないや」
あまり抑揚のない声で、少女は首を傾げた。
「『死の概念』よ」
「……死の、概念?」
やはり少女は抑揚のない声で、さっきとは反対方向に首を傾げた。
「そうね、権利と義務の差と言い換えてもいいわ」
「……わたしには、難しいな」
少女は視線を夜空へと向けて、両手を大きく伸ばした。まるで群青に浮かぶ星々を抱きしめるように。
「人間には寿命がある。生を受けた瞬間から、死へ向かっているの」
「……」
少女は答えないが、意識は声の方へ向けているようだ。
「魔女は違う。肉体が最も成熟した段階で成長は止まり、老いることがない。」
「……でも、みんな殺されちゃった」
少女が広げた腕をぱたりと落とした。
「その通り、不老ではあるが不死ではない。魔女も死のうと思えば死ねるってこと」
「死を、選べるって言いたいのね」
だんだん会話の意図を察してきたのか、少女は緩慢とした様子でそう言った。
「そう、それが私たちの『権利』」
「けど人間はどうあがいてもせいぜい百年程で死ぬわ。人間に生まれた以上は、死ななければならないの」
「それが、『義務』ね」
「人間は『百年の内に何を成すか』を考えて生きている。その後のことなんてそもそも念頭にない。だから目先のことに囚われてすぐに争いを起こす。けれど魔女は『百年後に何を成すか』を考えて生きている。これが人間と私たちの決定的な違いよ」
少女は再び群青の空を見上げて、何か考え込んだ後に、振り返って口を開いた。
「……じゃあ、教えてよ。〇〇は何を考えて生きているの?」
「……私が何を考えて生きているかって? そんなの決まってるじゃない――」
【馬場櫻子】
――夢を見ていた。
どこか遠い遠い場所で、星空を見上げながら誰かと話す夢。
見ていた、ということは夢からはもう覚めたわけで、わたしは重いまぶたを何とか持ち上げた。
「……ここ、どこ?」
真っ先にわたしの視界に入ったのは、真っ白な見知らぬ天井だった。
次に私の身体に掛けられた、これまた真っ白な掛け布団、にもたれかかるようにして眠るヒカリちゃん。
――ヒカリちゃん!?
わたしは驚きのあまりベッドから飛び起きた。
その反動で布団が引っ張られて、布団にもたれかかるようにしていたヒカリちゃんにも振動が伝わった。
「……んん、櫻子?」
ヒカリちゃんはのそっとベッドから顔を起こすと、わたしの顔を見るなり目をまん丸に見開いた。
「……櫻子! よかった、目ぇ覚めたんだな!」
「ひ、ヒカリちゃん? ここどこなの? わたし何で寝てたの?」
目が覚めたら見知らぬ場所、傍らにヒカリちゃん。脳の処理が追いつかない。
「落ち着け、ここは病院だ。お前、なんも覚えてねぇのか? 昼に魔獣が出ただろ」
魔獣と聞いた瞬間、様々な光景がフラッシュバックした。
途端に記憶が鮮明に蘇ってくる。
「……魔獣、……そうだ、わたし確か今日ヒカリちゃんと、」
「デートしてる最中に魔獣が出やがったんだよ」
「……いや、で、デートはしてないよ! 何で記憶改竄しようとしたの!?」
「人聞き悪いな、アタシは今日そのつもりだったんだけどな」
ひどく狼狽えながら両手をブンブン振るわたしに、ヒカリちゃんは悪戯っぽく笑った。
そうだった。今日知ったことだけど、ヒカリちゃんはわたしが思っていたよりもお茶目な性格だったんだ。
「もう、からかわないで……」
言いかけた瞬間、二人の子供の顔と、迫りくる炎の映像が脳裏を過よぎった。
「そうだ……子供は? ヒカリちゃん、あの時一緒にいた子供は!?」
「心配すんな、二人とも元気だってよ。 なんか母親もケガしてたらしいけど、命に別状は無いらしいし、お手柄だな櫻子」
わたしはそれを聞いて、安心した。と、同時に胸を過ぎる一抹の不安。
「やっぱり、アレってわたしがやったんだよね」
――眼前に迫る巨大な炎が、わたしと子供達の身を焼こうとした、その直前。突如現れた漆黒の壁。
漆黒の壁は、炎からわたしと子供達を守り、そしてわたしの身体へ戻っていった――
「……その様子だと、まじで自分が魔女だって知らなかったんだな」
「……わたしが、魔女?」
魔獣に襲われている時も、ヒカリちゃんは確かそんなことを言っていた。
なんのことかさっぱり分からなかったが、あの黒い壁が魔法で、それを出したのが本当にわたしなんだとしたら……。
「……でも、わたし今まで普通に生きてきて、そんな、魔女だなんて一度も……」
「――ごく稀に、魔女の遺伝子を受け継いで生まれてくる奴がいる。先祖返りってやつだ」
ベッドの周りをぐるりと囲っているカーテンの隙間から、気怠そうな口調の低い声が滑り込んできた。
わたしが驚いて声の方を見ると同時にカーテンが開いた。
「はじめまして、株式会社VCUの
突然病室に現れた八熊を名乗る男は、まるで、ブラック企業に勤める吸血鬼が三日連続徹夜で仕事して朝日を浴びたような顔をしている。
何が言いたいかと言うと、ものすごく顔色が悪くて疲れ切った目をしている。
そして、その疲れ切った顔の八熊さんが懐から名刺を取り出し、わたしに差し出した。
かなり怪しいし、あまりお近づきになりたくない感じの人だけど、渡されたらつい受け取ってしまう。
「おい八熊、急に出てくるから櫻子がびっくりしてんだろ!」
「俺は毎度お前にタメ口聞かれてびっくりしてるよ」
わたしもびっくりしている、どうやらこの八熊という男の人とヒカリちゃんは面識があるらしい。目が覚めてから混乱するばかりだ。
「あの、それで先祖返りって何なんですか?」
さっき八熊さんがわたしのことを確かそう言っていた、あまり聴き慣れない言葉だけど。
「あー、簡単に言うと、何代も前の祖先の遺伝子だかなんだかが、子孫に現れることだ」
八熊さんは気怠そうに両手をポケットに突っ込みながら話した。
「はあ、つまり?」
「つまり、君の血筋は過去に魔女と交わっていて、その魔女の遺伝子が君に発現したってことだ。おめでとう、レアパターンだな」
八熊さんがそう言ってパチパチと拍手した。顔のテンションと行動のアンバランスが過ぎる。
「……百歩譲って、わたしが魔女だとしてです。それはそれとして、八熊さんはいったい何の御用でここに来たんでしょうか?」
「あー、まあスカウトだな。うちの会社はこれでも有名な大手プロダクション、になりたいそこそこのプロダクションでな、夕張ヒカリから連絡を受けて君をスカウトしにきた」
「スカウト? それにヒカリちゃんから聞いたってことは、八熊さんはヒカリちゃんの仕事関係の人なんですか?」
わたしは、ベッドの横で畳んだ上着を何やらいじっているヒカリちゃんと、その隣に佇む八熊さんを見比べる。
「直属の上司だな。そこの不良女子高生の」
ジロリ、と上着に顔を埋めるヒカリちゃんを八熊さんが睨んだ。
といか、その上着わたしの上着じゃないの? 何故顔を?
「で、どうだ、是非VCUで働かないか? 君なら高待遇を保証するが」
ずいっと、八熊さんが腰を曲げて死神のような目を近づけてきた。
わたしは思わずベッドの上で後ずさった。
「いや、そんな急に言われても、すぐには決めれません。……母にも相談しないと……」
進路だってまだ決まっていないのに、急に魔女で、急に仕事のスカウトで、もうわけがわからない。
そういえば、お母さんはわたしが今病院に居ることを知っているんだろうか。知らなければ今頃家で夕餉の支度でもしているかもしれない。
「君のお母様は下のフロアで
「え、契約書、ですか?」
とりあえず、どうやらお母さんは夕餉の支度はしていないらしい。
「協会に加入する契約書だ。細かい話は省くが、最悪の場合君は数年間親元を離れ、協会の監視下で隔離される可能性がある。無論、学校にも通えないだろうな」
「そ、そんな、困りま……」
「そこでだ、こちらの契約書に君が、今、サインすると、先ほど説明した不利益を全て回避することができる」
八熊さんはどこから取り出したのか紙の束を取り出し、それをパシパシと叩きながらそう言った。
「な、本当ですか? なんかすごく怪しいんですけど」
わたしは考えた。お母さんが契約書にサインしたら家にも帰れなくて、隔離? されるかもしれない。せっかくハレくんとも友達になれたのに、学校だってまだ一月も通っていない。
けど、八熊さんの契約書にわたしがサインすれば、このままいつも通りに過ごせる?
そんな虫のいい話があるの?
「安心しろ櫻子、八熊は見た目はコレだが信頼できるやつだ。アタシも学校行けてるし」
「で、でも……」
悩んでいるわたしを見かねたのか、上着を抱き枕のように抱きしめていたヒカリちゃんがそう言った。
わたしの上着、何かヤバい薬でもついてるのかな。
「ふむ、そろそろ向こうで母親が書類にサインをする頃合いか……」
「し、しますサイン! どこに書けばいいんですか!?」
もうやけくそだった。わたしは八熊さんに指示されるまま契約書に必要事項を記入していった。
「――よし、不備はないな。ではこれで
「いちいちフルネームで呼ぶんじゃねぇよ八熊ぁ」
わたしが契約書に一通り必要事項を記入すると、八熊さんは書類をまとめてさっさと病室を後にした。
「櫻子、アタシらも行こうぜ。ヴィヴィアンにも電話しねぇとだし、とりあえず病院出よう」
「え、これ勝手に帰っていいの? ていうか下にお母さんいるなら会いたいんだけど」
「今は八熊とセラフの奴らが揉めてるだろうから行かねえ方がいいぜ。母親には後で会えるからとりあえず行くぞ」
ヒカリちゃんはそう言って後生大事に抱え込んでいた上着をわたしに羽織らせると、病院の窓を開け放ち、わたしを抱え上げて窓から飛び出した。
――窓から飛び出したのだ、この女。
「――んんんんん!!」
どうやらわたしは、絶叫マシンの類に乗ると怖すぎで絶叫できないタイプらしい。
その後、無事に地上には降り立ったがヒカリちゃんとはしばらく口を聞かなかった――
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