敦盛草
勿忘草
おかえり
夏独特の生ぬるく、弱い風が頬を撫でる。今日も気温は28℃以上、太陽がギラギラ地球を照らす。夏は嫌いだ、髪や服が肌にベッタリくっついてくる。気持ち悪い。地球温暖化対策、ギャグが酷く寒い人達でも集めればいいのに。それか凄い科学者とか発明家を集めて、巨大クーラーでも作ればいい。
わざわざ立ち入り禁止の札を蹴って、階段を駆け上がり、この屋上に来たのには訳がある。死ぬためだ。
別に親から虐待されたわけじゃない。そこそこ裕福だし、両親からは良くしてもらってる。やりたいことは、大体させてもらえる。でも出来損ないの私に、そんなに興味が無いらしい。死んでも文句は言わないだろう。
別に生きることが嫌になったからではない。この人生はまだ続けてもいいかなぁ、なんて気楽に考えてる。将来の夢は…特にない、わからないのだ。音楽家、花屋、占い師、科学者、どれもピンと来ない。
…私が死ぬ理由は、いじめられたからだ。足を引っ掛けて転ばされたり、靴の中に虫が入れられたり。たくさん。楽しくいじめていた人が死んだら、どんな顔をするんだろう?いじめていた人が死んだら、彼らはどんな人生を歩むことになるんだろう?たぶん、私なりの純粋な好奇心。
「そうだ。いい景色を見て、そこで死のう。」
なんて思っていた、数刻前までは。いざ屋上に来て、地を見ると一気に恐怖が湧き上がったのだ。本の中では、よく主人公達が溜まり場にしている屋上。こんなに高かったのか、怖くなかったのかな。
ふと、柵に止まった花弁に目を惹かれる。紫色の、大きな花びら。なんて種類の花だろう、見た感じ薔薇では無さそうだけど。
「う、わっ」
突然校則通りの長いスカートに吹き込まれる強い風。バタバタ音を立て暴れるスカートを反射的に押さえつけた。本当にやめてくれ、ドライヤーくらいの暑い風を運ぶな。夏なんて終わってしまえ。
一枚の紫がふらふらと危なっかしい様子でどこかへ飛んで行った。…ああ、そうだ。死んだら、ああいう綺麗な花になりたいな。
私はこれでも、死ぬ方法は色々考えた。
包丁は怖い、料理の時に手を切ったからだ。薬はそんなにたくさん買えない、前にこっそり瓶を持ち出してお母さんに怒られた。首吊りは一度試したが、苦しすぎたので縄を切ってやめた。入水(じゅすい)はブヨブヨの醜い死体になりたくないのでやらない、やりたくない。電車や車への飛び込み、大切な用事がある人がいたら可哀想だ。
死んだら新しい本を読めなくなってしまう。お気に入りの本もだ。転生できることを信じても、人間になれるとは限らない。微生物に転生するかもしれないし、深海魚、虫、可能性は低いが石油王の子供に。だけど、同じ趣味嗜好を持てるか分からない。私はずっと、ありったけの本に溺れていたい。食事も睡眠も要らない。そうだそうだ。帰る前に、図書館にでも寄ろうか。下り階段の方へ足を運ぼうと振り返れば、扉にもたれ掛かる人がいる。ふわふわして柔らかそうな黒髪に、つり上がった赤い眼。私より頭一つ分ほど、背丈がある男の子。非現実的な色合わせ、体の色素が面白おかしくなってるのだろうか。一切曇りのない紅玉と目が合う。
「好きなことはあるか?」
その前に誰なんだお前は。真っ白な学ラン、でもうちの制服じゃない。転校生?勝手に入ってきた無関係者?こちらを、私の方をじいっと見つめられ、心臓が跳ね上がった。少女漫画よろしくときめいたわけではない、怖かったからだ。はじめましての人。変質者、不審者だったら?最近噂になってる逃亡中の犯罪者だったら?なんて思うと余計に怖くなる。
「読書です。」
「読書、いいじゃないか。自分で書いたことはあるのか?」
「ないです。」
本当はある。初対面の、名前も知らない奴に教えるのは何か嫌だ。それに私の勘が言っている、コイツに書いていることを教えてはいけないと。
ふと、その人がカバンから取り出したのは一冊の青いノート。一目惚れして買ったお気に入り、アンティークっぽい雰囲気が好きだ。少し大きめで、派手な装飾はない。落ち着いた───
「えータイトル無し、ペンネームは」
「ちょ、返してください」
「扉んとこにカバン置いてる方が悪いだろ。」
確かに、と一旦黙り込みそうになったが勝手に他人のカバン触る方が悪いだろ。この人確実に危ない。殴りかかって無理矢理取り返そうとした時、彼はカバンとノートを私に放り投げた。思いのほか空高く飛んだカバン達を慌てて受け止める。
「いい小説だったな」
「…本当に、誰なんですか。ここで、何してるんですか。…あ、あと…初めまして、ですよね。」
そう言うと彼は少し驚いたように目を見開く。会ったことがあるの?…いや、こんな独特な人を覚えてないわけが無い。忘れているなら私は相当馬鹿だ。
「初めまして、かもね。」
何とも意味深な言い方をする奴だ。嫌いじゃない。
「君こそ、何してたの?」
「えー、あー…死のうと、してましたね。」
いきなりの質問に目を泳がせ、しどろもどろに答える。やっぱり人と話すのは苦手だ、しかも近い。ちらりと横目で見ると、顎に手を当てる男。
「怖かったのか?」
「…」
図星、口をきゅっと一文字に結び頷いた。少し私の顔を覗き込むと軽い身のこなしで柵の上に乗り、こちらに手を差し伸べてくる。
「一緒に飛び降りれば怖くないだろ?」
心を見透かしているような、ずるそうな微笑。手を取れば強く握られ、柵に上がらされる。男性らしい大きな手は、この暑さにも関わらず冷えていた。少し心が軽くなる、救いの手。…救い?
「あ、」
「…はは。」
なんで
「《私を忘れないで》なんて言うくせに、人のことは忘れるのか。」
どうして
「待ちくたびれたよ。」
いつから
「さぁ、迷子はおしまいだ。」
彼のことを忘れていた?
「退屈な毎日にピリオドを打ちに行こう。」
彼に軽く背中を押され、地に一直線。目を開くと辺りは血だらけ、眼鏡は酷い壊れ方をしてしまっている。体の関節は大丈夫そうだ。意識はとてもはっきりしていて、恐怖や痛みなんて一切無かった。高揚感に満ち溢れたせいか?
これは死じゃない、終わりになんてならない。私がやっとこの世へ生まれ落ちた、これが始まりだ。
「ただいま」
私を初めて肯定してくれた人。
敦盛草 勿忘草 @Wasu_Rena_Gusa
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