第16話 幽霊なんていない!

 明智君は渡り廊下の手前にある自動販売機の隣に立っていた。

 何やら考え込んでいる様子。

「どうしたの?」

 私が声をかけると、「奈前さん」と言って顔を上げる。

「ポルターガイスト事件、解決しちゃったよ」

「そうか」

 あまり興味がなさそうに明智君は答えた。

「ああ、そうだ」

 明智君はこちらに何かを差し出す。

 ミルクティーの缶。

「アイスでよかったかな」

「うん。ええっとじゃあお金を……」

 私が財布を取り出すと、「いらないよ」と笑った。

 そして、また何かを考え込んでしまう。


「どうかしたの? ポルターガイストなら解決したよ。幽霊じゃなかった」

 明智君は顎に手を当てたままうなずくだけ。

 私はミルクティーの缶のプルタブを引いて、一口飲む。

 ぬるいな。

 明智君がずっと買って持っていたのか。

 これが九重先生の温もりだったらな。

 だけど、そんなふうに考えても、なぜか前よりもドキドキしない。

 私はふと明智君は見る。

 何やら考え込んでいる様子の彼は、とても絵になった。

 見た目なのか、それとも雰囲気なのか、同じ年の男子よりも大人びているせいか色気を感じる。

 ……って、なに考えてんの私!


 変な考えを吹き飛ばすかのように、私はこう言う。

「ってゆーか、この学校には七不思議どころか幽霊もいないって」

「そうか」

「だってサイコメトリーの能力のある私が言うんだよ?」

 明智君は無言。

 心ここにあらず、という雰囲気。

 私は「もうなんなのよ」とつぶやき、ミルクティーを一気に飲み干す。

 それから缶をくずかごに捨てて、歩き出す。


 すると、足首を誰かにつかまれて転びそうになる。

 転ばなかったのは、明智君がとっさに私の腕をつかんでくれたからだ。

「大丈夫?」

「うん」

 明智君の顔がやけに近くあって、心臓が飛び上がる。

 私は視線をそらしてこう言う。

「足首を掴むだなんて、そういうイタズラやめてよね」

「えっ? 僕は何もしていないよ」

「だって」

 私はそう言ってふと自分の足首に視線を落とす。


 そこには私のものでも明智君のものでもない手がぼやっと見えた。

 驚きと恐怖で悲鳴も出ず、周囲を見回すが誰もいない。

 そしてまた足首を見ると、手は消えていた。

 目をごしごしとこする。

 さっきは確かに、手が、人間の手だけが私の足首をつかんでいたように見えたのに。


「疲れてるのかな」

 私はそう言って、歩き出す。

「僕も帰ろうかな」

 明智君が慌ててついてくる。

「やっぱ、この学校って幽霊いるかも」

 私がポツリと呟くと、明智君が私にぴったりとくっつてくる。

「ちょ、なんか近い!」

「怖い話はやめてくれ!」

「しないから離れて!」

 私が明智君を押すと、「すまない」と言ったきりうつむいた。

 胸がドキドキしているのは、先ほどの手を見てしまった恐怖心から。

 それ以外の感情なんてない。

  

 次の日の五時限目の休み時間。

 トイレの洗面所で手を洗っていると、嫌な声が聞こえた。

 井時目杉カナたち三人がタイミング悪く入ってきたのだ。

 クラスは違うものの、学年が同じだから遭遇率は高い。

「うっわ、変人いるじゃん」

 井時目杉たちは大げさに驚き、そして嫌な顔をして見せた。

 私は何も言えずに、拳をぐっと握る。

 こいつらに悪口を言われているのも嫌なのだけど。

 自分が去年までこいつらと仲良くしていたことが嫌なのだ。


 去年の春、つまり入学式の直後。

 井時目杉カナ率いる三人組に声をかけられ、話すようになった。

 彼女たちとはお弁当を食べたり、放課後にファミレスへ行ったり、休日にカラオケに行ったりした。

 その時は、井時目杉カナたちのことも、良い子なのだと信じていた。

 この能力が備わると、彼女たちの物にこっそり話を聞いてみたのだ。

 それが良くなかった。

 いや、今思えば聞いておいてよかったとは思う。

 簡単に言えば、私は三人から嫌われていた。

 彼氏がいないから話が合わない、地味だから合コンに連れていけない、趣味が合わないからつまんない。

 物たちは、私がいない間に三人がそう愚痴を言っていたと教えてくれた。

 井時目杉たちの本音は、私の不満だけではなかった。

 一人のシュシュがこう言ったのだ。

【最近、退屈だから小鞠のこと無視しよっかとか言ってたわよ】

 井時目杉たちとは、小学校は別だったが、聞くところによれば小学校ではいじめをしていたらしい。

 私はすぐに井時目杉たちから離れた。

 後悔はしていない。

 だけど、私はそれ以来、もうぼっちでいいやと開き直るようになってしまった。

 私には、物たちがいるからいい。

 そう思った時に、明智君や雲母さん、倉田君の顔が頭にちらついた。


「あんたさあ。最近、残念イケメンの明智とか、あとキラキラ(笑)さんとかとよく一緒にいるんだね」

 井時目杉が突然、話しかけてきた。

 その場を立ち去ろうと思った私は、思わず足を止める。

「でもさー、お昼休みとか、あんた結局ぼっちじゃん。友達じゃないの?」

 井時目杉の仲間A(名前わすれた)が嫌味っぽく言う。

「変人同士、仲良く固まってればいいのに」と仲間B(同じく名前忘れた)

「どーせ、変人同士で仲良くなれないんでしょ。所詮、一生ぼっちなのよ。かわいそー」

 井時目杉はそう言うと、リップクリームを塗り直してさっとトイレから出て行った。


 何も言い返せなかった。

 あいつらの言う通り、私は今でもお昼休みは一人だし、休日も家にばかりいる。

 明智君や倉田君はともかく、雲母さんとは教室ではあまり話さない。

 彼女は教室では黙々と本を読んでいて話しかけにくいのだ。

 私は、新聞部の三人と仲間ではないんだ。

 そう思うと、なんだか急に自分が一人ぼっちになったような気がした。

  

 結局、ポルターガイストの件を、明智君は新聞にしなかった。

『この事件の真相を書いてしまえば、奈前さんの能力を明かさなくてはならない。かと言って心霊現象だったと嘘もつけない』

 ……という理由だそうだ。

 でも、そう話した時の明智君が、何かをごまかしているように感じた。

 少し気になったものの、あまり深く聞くのはやめておいた。

 私はあまり新聞部には深入りしないようにしようと思うようになっていたから。

 そうしていくうちに、いつしかポルターガイストの事件も、記憶の隅に追いやられていった。


 倉田君が正式な新聞部員になって、これで九重先生が顧問になってくれる。

 それもあまり喜べなかった。

 もういいや、幽霊部員になろう。

 そう思って放課後は家に帰ろうとすると、明智君に引き留められる。

「さ、活動をするよ」と。

 私はそのペースに乗せられてしまう。

 だけど、好きで明智君と校舎を見回りして事件を探しているのではない。

 どうしたらいいのか、もうわからなくなっていた。


 部室に戻れば、雲母さんは聞いてきた噂話をメモしたり整理したり、倉田君は相変わらずビーズでアクセサリーを制作している。

「ただいま」と明智君と戻れば、雲母さんと倉田君は何やら二人でこそこそとやっていた。

 そして私を見るなり、「おかえり」と二人してひきつった笑顔を見せる。

 なんだか嫌な予感しかしない。


「とうとう明日は文化祭かあ」

 カフェオレのパックを持ちつつ、明智君がポツリと呟いた。

 私と明智君は、今日も校舎を歩いて平和なのを確認するだけだった。

 そして見回りが終われば、自動販売機で飲み物を買って休憩して、部室へ戻る。

 これがいつものルート。

 静かな廊下には、文化祭直前の熱気とは隔離されているようだ。

 カンカン、という金づちで何かを作る音や、指示をする大きな声なんかが遠くで響いているだけ。


「紙パックのミルクティーがほしいな」

 明智君は自動販売機を見てポツリと呟いた。

「コーヒーが好きなんじゃないの?」

「あれは事件を調査する前にコロンダ刑事の真似をして飲むだけだよ」

 明智君はそう言うと、カフェオレを一口飲んでから続ける。

「本当はミルクティーのほうが好きなんだ」

「今、カフェオレ飲んでるじゃん」

「カフェオレは二番目に好き」

「ふーん」

 私はそう言いながらイチゴミルクを飲む。

「安心していいよ。奈前さんは一番だから」

「なにが?!」

「なにがだろうね」

 にっこりと笑って明智君は、廊下のほうへ視線を向けた。

 相変わらず、こういう意味深な発言をするんだよね。

 以前までは腹が立ったけれど。

 今はもうそもそもその言葉を信用していいのかわからない。

 だけど一方で、ドキドキしている自分もいる。

「一番とか、二番とか、順番がある時点でそれは本当の一番じゃないよね」

「ははっ。確かに」

 明智君はそう言って笑うと、私を見てこう言う。

「明日は朝から校舎で事件がないかを調べよう」

「えっ。明日って文化祭だよ」

「そうだよ」


 これはもしや、二人で文化祭を回ろうっていうお誘い?

 でも、こんな心境で文化祭を楽しめるのかな……。

 断ろう、と思ったのに、言葉が見つからない。


 すると、明智君がこう付け加えた。

「文化祭のようなお祭りにこそ、事件は潜んでいるものだ!」

 明智君はそう言うと、拳をぐっと握る。

 ああ、そういうことか。

 ホッとしたような、残念のような気持ち。

 私はその気持ちをカフェオレと一緒に飲み込んだ。

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