第183話「学びの園」

 静謐なる森に建てられた魔法学院アカデメイアは、どこもかしこも清潔で美しかった。

 森の中央にある思慮の女神メーティスを祀った小さな祠を囲むように、白亜の宮殿のように巨大な図書館や様々な研究施設が点在している。

 

 森の木陰では、様々な説を唱える学者達が競うように論を戦わせている。

 それら学者の討論を囲んで見物している学生に至るまで、この学園に迎えられるのは選ばれた智者のみである。


 全ては学生の自主性に委ねられており、自分が学ぶ教師を選ぶのも学生自身であった。

 どこまでも自由な校風に、ケイン達は感心する。


 タレスが一通り魔法学院に案内すると、「それでは、ノワさんはしばらく当学園でお預かりしよう」と、畏まって言う。

 学頭であるタレスがノワを~さんと敬称をつけて呼ぶのは、この学園の学生と認められたからには、たとえ子供であっても一人前の学士であるからだ。


 きちんと学士の身分を示す知恵の木の葉を模した記章や、学士のマントに魔法の杖なども与えられる。


「でも、ノワを一人にして大丈夫かな……」


 そう心配そうに言うケインに、万能の魔女マヤがよっていって耳打ちする。


「ケインさんの気持ちはわかるで。どうせ、自分達だけで旅行を楽しんでいいのかな、なんて思っとるんやろ?」


 ケインがうなずくと、マヤはニッと笑って言った。


「ケインさんがそう思うのはわかるし、アルテナさんがそれに文句言わんのもわかるけど……ちっとは、女心ちゅーもんも考えなあかんで」


 せっかく結婚したんだから、二人っきりでバカンスを楽しむくらいあってもバチは当たらんだろうとマヤは言うのだ。

 ケインに有無を言わせず怒涛の説得は続く。


「そのために最高級のロイヤルスイートを用意したんやし、ノワちゃんを預けるのはたかが数日のことやろ。この学園はうちの実家みたいなもんや。すこしは、うちらのことを信用して任せてや」


 それにきっと、この学園で学ぶのはノワにもきっといい刺激になる。

 そこまで言われては、ケインもうなずかざるを得なかった。


     ※※※


 さて、魔法学院アカデメイアに迎え入れられたノワは、着慣れない学士のマントを翻して学園を歩いて回ってみることにする。

 でも、すぐに途方にくれてしまう。


「どうしたらいいんだろう……」


 この学園は、まごうことなき王国の最高学府だ。

 校風はどこまでも自由で、何かこうしなければならないというカリキュラムが決められているわけでもない。


 周りに行き交う人は、学生といっても年長の者が多く、ノワも物怖じしてしまう。

 中には歳の近い子供もいたが、余所者であるノワを遠巻きに見つめてボソボソと何か話しているだけで誰も近づこうともしてこない。


「あ、図書館……」


 マヤがノワに、学園にはたくさんの本があると言っていた。

 ノワは、本を読むのが好きだ。


 片田舎であるエルンの街の教会で、ノワに広い世界を教えてくれるのは本だけだった。

 綺麗な大理石の階段を上がって、白亜のドームへと向かう。

 

 ノワが、『真理がわれらを自由にする』と書かれた大きな看板がかかったアーチをくぐって、大図書館の中に入っていくと……。

 そこには、夢のような光景が広がっていた。


「これが、全部本……」


 大図書館の棚という棚には、ぎっしりと本が詰まっていた。

 他にも、賢者達が世界から収集してきた物珍しい生物の標本や鉱物、化石なども展示されている。


 魔法学院アカデメイアでは、自然界にあるあらゆるものを収集・分類しようとする大胆な試みがなされている。

 ここは、まさに知恵の殿堂なのだ。


 蔵書数は、なんと五十万冊に届こうかと言うほどである。

 所狭しと並べられている本の一冊一冊に、どれほどの知識や物語が秘められていることだろう。


 まるで宇宙そのものがそこにあるような光景に息を飲み、ノワはここに来てよかったと思いながら歩を進める。

 気になる本を見つけて、足を止める。

 

 その本は、ノワの低い背丈から少し高い位置にあった。


「と、届かない」


 背伸びして本に手を伸ばそうとしたノワの後ろから、すっと白い手が伸びて本を取ってくれる。


「これでいいの?」

「あ……」


 ノワより少し背丈の高い、白銀の雪みたいにサラサラとした髪のお姉さんがそこにいた。


「この本じゃ、なかったの?」

「これです、ありがとう!」


 お姉さんが取ってくれた本を、ノワは大事そうに抱く。


「ふふ。そう、良かったわね」

「あの……」


 ノワが何か言いかける前に、お姉さんはピシャリと言った。


「貴女が、元悪神の娘ね」

「え……」


「噂になってたわよ。タレス学頭は隠そうとしてたみたいだけど、ここの子はみんなさといから」

「そうなんだ……」


 だからみんな、遠巻きに見るだけで声をかけてくれなかったんだ。

 周りに避けられていたと知って、ノワの黒い瞳が曇る。


 そんなノワを興味深げに覗き込むと、お姉さんは微笑んで言う。


「ノワさん。良かったら、私と友達にならない?」

「え……」


「私も貴女と一緒なの。ちょっと変わった出自のせいで、みんなに避けられてるのよね」


 そう少し寂しそうに言って、手を伸ばしてくるお姉さんの瞳は、ノワとは対照的にとても美しい白銀だった。


「あの、よろこんで!」


 お姉さんの手を、ノワは小さな手でギュッと握りしめる。


「それは良かった。私の名前は、エリス。これからよろしくね」

「はい!」


「あっちに、本を読むのにちょうどいいテラスがあるのよ。一緒に行きましょうノワ」


 そう言うエリスは、ノワの手を引いて白亜の大図書館を歩いていく。

 その姿は、白と黒で対照的なのになぜか瓜二つの姉妹のようだ。


 ともかく、こうしてノワに学園で初めての友達ができたのだった。

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