第182話「タレス魔法学園」

 サカイの賑やかな商業地域からは少し離れて、北西部郊外にある静謐なる森の中。

 ここに、王国の知恵の殿堂たる魔法学園アカデメイアが建てられている。


 もともと思慮の女神メーティスを祀った小さな祠のある聖地であった。

 この地に集って森の中で静かに瞑想し、また時には論を戦わせる七賢者。

 

 彼らの教えを受けるために学生達が、あるいは彼らに挑戦するために智者達が大陸中から集まり、自然発生的に出来たのがこの魔法学園アカデメイアである。

 かつては小さかった学び舎も、いまでは白亜の塔が連なる王国一の巨大教育施設となっている。


「ご苦労さん」


 先頭を足早に歩いてよっと手をあげるマヤに、門番に立っている魔術衛視が声を上げる。


「これは万能の魔女マヤ様、おかえりなさい!」

「今日はウチの弟子を連れてきたんよ」


 それに喜ぶ魔術衛視。


「なんと、ついに弟子を取られたのですか! それは、すぐにタレス学頭をお呼びします!」


 魔法学園アカデメイアでは、大賢者の娘であるマヤが言った通り顔パスだった。

 いきなり、学頭タレスが出てくる。


「ようタレスの爺さん。ノワちゃんはウチの弟子だからよろしく頼むわ」


 七賢者の一人にして魔法学園アカデメイア学頭といえば、王国でもかなりの地位なのだが、大賢者の愛娘マヤからすれば親戚の爺さんでしかない。

 学頭のタレスは、しょうがない孫を見るような目でマヤを眺めると、賢者のローブの埃を払って言う。


「学頭のタレスだ。善者ケイン殿であったな、ようこそいらっしゃった」

「はい。今日はよろしくおねがいします」


 いそいそとマヤが、ノワが解いたテストの束を抱えて言う。


「タレス学頭。このノワちゃんは、ウチが教えた弟子やで! ほれ、成績優秀やろ!」

「ああ、わかったわかった。まったく、毎度マヤはせわしなくて話もできぬ」


 タレスは、白い顎髭を手でさすって苦笑する。

 ケインがこの地にいる間、娘のノワに学園に短期留学させたい話を聞くと厳かに頷いてこう言った。


「では、せっかく善者とも善王とも呼ばれているケイン殿が来ているのだから、ここは一つ私から質問をさせてもらおう」

「なんや質問って、タレスの爺さんの話はまどろっこしくていかんわ」


 性急なマヤのツッコミにも素知らぬ顔で、タレスは言う。


「私からの質問は、『善とはなにか?』だ。まず子供の前に、大人が手本を見せるべきだな。マヤ、お前達Sランクパーティー『高所に咲く薔薇乙女団』がどう答えるかも聞いてみたい。心して答えよ」


 私も? と困惑しながらアナ姫に、タレスは優しく頷く。


「それはもちろん、悪いやつをやっつけることよ!」


 なんともアナ姫らしい答えだった。

 続けてセフィリアがためらいがちに、それでも力強く答える。


「……弱き者を守ること」


 マヤは「いまさら試験か」とぶつくさ言いながらも、少し考えて慎重に答える。


「農民なら作物を育てること。商人ならば儲けること。冒険者ならばモンスターを倒すこと。みんな、それぞれの役割をまっとうすることや」


 それぞれ、いかにもらしい答えだ。

 タレスは面白そうに微笑むと、ケインに尋ねる。


「では、善者と名高きケイン殿。善とはなにか、この老人にぜひお聞かせ願いたい」


 そう大賢者に聞かれても、ケインにわかるわけがない。

 しかし、答えないわけにも行かない。


「それは、正直わかりません。何が善いことなのか、自分でも悩むこともあります」


 率直に言うケインに、タレスは頷いて言う。


「素直で結構。謙虚さも大事な徳ではある。自らの無知を知ることもだ。だが、ここはあえて答えて欲しい。それが、娘さんにも道を示すことになるのではないかね」


 タレスの言う通りだ。

 ケインが手を引いているノワがじっと見上げている。

 

 大人が、まずちゃんと自分で考えて、手本となるべきなのだ。


「……では、答えになっているかどうかはわからないのですが、普段山で薬草を採って生活しているなかで感じたことを話してみます」

「ふむ、興味深い」


「山での暮らしで感じることは、野にいる動物や植物はみんな生きることに必死だということです。自分も冒険者ですから、他の動物をあやめる時もあります」

「人は動植物を食らって生きているからね。それが、生き物の業というものだ。宿命と言ってもいい」


 タレスは賢者らしく言う。


「その通りです。自分はなるべく殺めたくはないとは思っているけれども、人は生き物を殺さずには生きていけない」

「ならば、どうする」


「だからこそ、殺めた命を無駄にせずに生かすこと。命を慈しみ、自らが生かされていることに感謝することが、善きことなのではないかと思います」


 タレスは深くうなずいた。


「さて、ノワちゃんと言ったね」

「はい」


「善者の娘よ。お前にとって、善きこととはなんだね」

「お父さんと一緒!」


 ノワが迷わずにそう答えたので、タレスは破顔した。


「なるほど、なるほど。よろしい、それで合格としよう。善者の娘ノワよ。善き父の背中を追っていけば、道を誤ることはあるまいて。我が学園にようこそ。歓迎するぞ」


 小首をかしげて、マヤが小声で聞く。


「なあ、タレス学頭。さっきの正解って結局なんなんや」

「善きことなど人によって違うから、正しい答えなどあるわけがない」


 そう言ってうそぶくタレスに、マヤは「なんやそれは!」と、つぶやいて舌を巻く。

 タレスに言わせれば、問いに対して必ずや答えがあるなどと考えるほうが間違いなのだ。


 答えのない問題など、世の中にはいくらでもある。


「ただなマヤ。我々はどうしようもなく生き物なのだ。生き物の目的は生存にある。それを助けることが善きことであることに間違いはない。だから、お前達はみなそれぞれ正解ということだな」


 言外に、ケインの答えが一番正解に近いと言っているようにマヤには感じられた。

 それを素直に言わないのが、タレス学頭のまどろっこしいところなのだ。


「ふーん、なるほど。ウチらの色んな答えを聞かせて、ノワちゃんに自分で考えさせようってことか」


 ノワは、元は悪神だったという経歴のある娘だ。

 ケインの願いが起こした奇跡により今は人間らしくなっているが、どうなるかは今後次第である。


 マヤ自身、その危険性を主張して封印しようとしたことすらある。

 だからこそ、賢者タレスはノワが道を違わぬように、ケイン達の答えを通して教えてみせた。


 そうマヤが考えるのは、穿ち過ぎであろうか。


「さて、どうかな」


 タレス学長は、どれどれと腰を上げて自ら学園を案内するのだった。

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