第180話「女王の酒宴」

 女王の居城には、ケインとその妻のアルテナと娘ノワだけが残る。

 程なく夕刻となりささやかな宴が始まった。


「このパン美味しい」


 ノワが喜んでいるのに、ケインも「美味しいパンですね」とうなずく。

 特に、パンに塗って食べるように置かれている甘い蜂蜜が絶品だ。


 さっきのお菓子もよかったが、子供が喜ぶ味だなと思う。


「あまり、大したもてなしもできませんで」


 女王アリスティリアがそう言うように、出された食事は決して宮廷料理のような豪華なものではない。

 羊の肉のローストにパンに、申し訳ない程度の副菜にパン。


 決して贅沢料理ではない。

 しかし、その味は細やかでどれも美味しい。


 給餌していたメイドが自慢げに言う


「美味しいに決まってます。このパンは女王自ら焼かれたものなのですから」

「そうなんですか?」


 一国の女王が、パンを焼いている姿を想像すると申し訳ないのだがギャップで笑ってしまう。

 女王アリスティリアは、恥ずかしそうに言う。


「まあ、この子はなんで話してしまうのかしら」

「申し訳ありません」


 女王アリスティリアは、苦笑して言う。


「バレてしまってはしょうがありませんね。実は、この蜂蜜も私が作ったものなんです。ぜひパンに塗って召し上がってみてください」


 そう言われて改めて見ると、黄金のように輝く見事な蜂蜜だった。

 一国の女王自らが作ったものと知れば、世界一高価な蜂蜜と言えるかもしれない。


「まさか、蜂蜜まで女王が作られているとは」


 パンを焼くこともそうだが、養蜂はさらに専門的な技術を要する仕事である。


「私は、養蜂が趣味なんです。仕事に疲れると、城の養蜂所にいくのですが、ミツバチちゃんたちがとても可愛くて心を癒してくれるのですよ」


 ケインは養蜂についてはあまり詳しくないが、ミツバチは人間を刺さないとも聞く。


「そうなんですか。興味深いですね」

「変わった女でしょう。どうぞ、お笑いください」


「いえいえ、とても立派なことだと思います。ぜひ養蜂を見せていただきたいです」


 自分も日頃、野山を駆け回って薬草を採取しているので、ケインは女王にすっかり親近感を持った。


「褒めていただいてありがとうございます。ミツバチちゃんたちの巣箱を明日にでもお見せしますわ。今夜は、とっておきのお酒を出しましょう」


 そう言って、女王アリスティリアが出してくれたのは蜂蜜酒ミードだった。


「これは……」


 蜂蜜酒ミードといえば、どちらかといえば庶民的な酒だ。

 しかし、これはどうだろう。


 とても口当たりの良い、蕩けるような上品な甘みをなんと表現していいかわからない。


「黄金酒と呼ばれています。王宮の庭園に咲く野バラの蜜だけで育てた特別な蜂蜜を使って作るんです」

「まさに黄金の輝きですね。もしかして、これも女王自ら作られたんですか」


「はい、メイドの手を借りてですが、私も手伝っています。お客様にお出しできる程度の物には仕上がっていると自負しています」

「いやこれは、どんな高級酒よりも美味しいですよ」


 風味も色合いも天下一品と言ってもいい程の酒だが、なにより女王自らが王宮の庭園で作ったお酒なのだ。

 市場に出せば、どれほどの値が付くかわからない希少酒だ。


 お土産に持って帰ってやったら、ドワーフ達が喜ぶだろうなと思う。


「ノワ様には、子供用の蜂蜜ジュースもありますよ」

「わーい!」


「女王様。なにからなにまで、ありがとうございます。歓待、痛み入ります」


 女王アリスティリアのもてなしに、ケインはすっかり感服してしまった。

 その高い地位にも関わらず、飾らない生活をしている女王アリスティリアの養蜂の話は、野良仕事を趣味としているケインにとってはとても楽しいもので話がはずんだ。


 夜遅くまでたっぷりと食べ、飲み……。

 ほろ酔い気分のケインは、城のあてがわれた部屋へとはいる。


「楽しくて、少し飲みすぎてしまったかな」


 あんまりにも美味しいお酒なので、ついつい過ぎてしまったようだ。

 慣れない船旅の疲れもあるのだろう。

 

 ケインは、ベッドの上に座り込んで少しまどろんでしまう。

 でも何故か不思議と身体がポカポカとしてなかなか眠りにつけない、とても心地が良いのだが、どうしたことだろう。


「あれ……」


 部屋に飾られている、歴代の王を描いた肖像画の額縁が少し歪んでいることに気がつく。

 こういうのを見るとケインは放っておけないタイプなので、そっと手にとって絵の角度を正そうとする。


「おっと……」


 触れたら、絵を固定していた紐がずるっとずり落ちてしまった。


「ん? なんだろこれ」


 絵のかかっていた壁に、謎のボタンが有る。

 好奇心に駆られたケインは、誘われるようにボタンを押すと、ズシンズシンと音がなって大きな本棚がずれて隠し通路が出てきた。


「これは、一体……」


 ケインは、誘われるようにそこに入って行き、ゆっくりと隠し通路を進む。

 向こう側の明かりが見えたと思ったら、何者かにそっと手を掴まれた。


「いらっしゃいケイン様」

「あなたは……」


 女王アリスティリア!

 ケインがそう思うまもなく、さっとベッドに押し倒される。


 寝る前だったのだろうか、女王は薄絹一枚のあられもない姿だった。

 肌が透き通る程で、しかも女王は寝る時は下着を付けない派のようだ。


 見てはいけないと、ケインは目をそらす。


「いらしてくださると思ってましたわ」

「いや、これはとんだ失礼をいたしました。女王様の部屋につながっていたとは知らなくて、すぐ出ていきますので……」


 この期に及んでも、隠し部屋に誘い込まれたのは女王アリスティリアの甘い罠だと気が付かないケインは、まだのんびりしたことを言っている。


「あら、いいじゃないですか。今夜は寝付けなくて、もう少しケイン様と二人っきりでお話がしたかったんです」

「いやあ。しかし、これは……」


「ねえ、面白い仕掛けの部屋でしょう。先代の王は、愛人との逢い引きのために使ったそうですよ」

「逢い引きですか?」


 さすがのケインも、女王が放つ蜂蜜のように濃厚な甘い雰囲気に、ようやく自分が誘惑されているのだと気がつく。

 逃げようとしても、女王アリスティリアの手足がたくみに絡みついて、ベッドから抜け出せない。


 見た目は、美しく気品のある女王だが、その実は神剣を操る世界でも有数の剣士なのだ。

 それは、養蜂も野良仕事も軽々とできるはずである。


 こうもキツく組み伏せられてはDランク冒険者のケインに抗うすべはないが、そうでなくともしたたかに酔ってしまってもいる。


「ふふ、かなり飲まれましたから抵抗できないでしょう。あのお酒飲みやすくて、そのわりに度数が強いんです」

「そ、そうか」


 あまりに美味しいから、調子に乗ってガバガバ飲んでしまった。

 やはり飲み過ぎはよくないなあと後悔するケイン。


「そして、媚薬のような効果もあるんです。こうされるともう我慢できないのではないですか」


 媚薬か。

 確かに、この感じはとても堪える。

 

 あと十歳若ければ、たまらずに女王の術中にハマったであろうが、おっさんであることが功を奏してなんとか理性を保ってケインはこう言うことができた。


「女王様。なぜですか、こういう冗談はよくないですよ」

「あら、一国の女王である私がこれほどまでしてるのに、なかなか手ごわいですね」


 誘惑しているのに応えないケインにプライドを刺激されたのか、女王はギュッと締め付けを強める。


「ご厚意はありがたいのですが、俺には愛する妻がいますから……」


 誘惑しても、そう言ってきっぱりと拒むケインに感心した女王アリスティリアは言う。


「ケイン様はとても誠実でらっしゃいますね。だからこそです」

「なにが、だからこそなのですか?」


「こうして身体のつながりができましたら、私もあなたの身内と認めてくださるでしょう。ケイン様にそう思っていただければ、我が国も助かるのです」

「ああ、もしかして昼間の貿易のことを言ってます?」


 女王アリスティリアがケインを籠絡しようとする理由が、それでわかった。

 いまさらなので女王も否定しない。


「そうですよ。おたくの宰相のマヤさんは、少し容赦がなさすぎじゃないですかね」


 だから、あんまり上品な手段ではないと思いつつも、こういう策を弄しなければならないのだと女王アリスティリアは言うのだ。


「女王様、早まらないでください。貿易の件なら、ちゃんと貴国にも損がないようにしますから」

「あら、どういうことでしょう」


 ケインは、慌てて説明する。

 あの時の話し合いで、ケインはアルビオン海洋王国にも取り引きで損が出ないようにしてくれとマヤに頼んだのだ。


 そこでマヤは「お人好しやな」と呆れつつ、お互いの貿易が均衡できる策を考えてくれた。


「あの場では、まだ確約が取れなかったので言わなかったんですが、いずれアルビオンで取れる羊毛や亜麻で洋服を作る生産工場への出資をサカイの商人達が行います」


 そうしても、別にサカイの商人たちの商会に損はない。

 むしろ、生産工場を作るなら現地で作ったほうが利益が多いはずだ。


「まあ、でもそれではケイン王国の側に得がないじゃありませんか! 王族としてはそれは、褒められた行為ではありませんよ……」


 取れる国益を根こそぎ取らないのは、王族としてはむしろ背任である。

 自分でこうしてケインを籠絡して有利な条件を引き出そうとしているくせに、根は真面目な女王アリスティリアは、ケインの行いを王族にあるまじき行為と思って、つい詰ってしまう。


 しかし、ケインは決然と言う。


「それは、短期的にはそうでしょう。でも、長い目でみれば、そうしたほうがお互いに得なんだと俺は思います。だから、そうしてもらったんです」


 また生えてくる薬草を根っこまで根こそぎ引き抜いてしまえば、もう二度と採ることができない。

 偏りのある取り引きは、いずれ成り立たなくなることをケインは知っていた。


 だから、お人好しと言われようとケインはそうするのだ。


「お互いに得ですか?」

「そうです。金なんかいくら溜めておいたってなんの役にも立たないじゃないですか。でも、アルビオンの立派な羊毛で温かい洋服を作ってもらえれば、うちの国のみんなは寒い冬を暖かく過ごすことができる」


 そんな発想は、女王アリスティリアにはなかった。

 国家間の平和な交易といえど、詰まるところ需要の奪い合い。


 弱肉強食の経済戦争だと思っていた女王アリスティリアは、その言葉に目から鱗が落ちる思いがした。


「……ケイン様のお考えは、了解しましたわ」

「それは、良かったです」


「ご厚意お受けします。うちで出来た最高級の品は、ケイン王国に送ることをお約束します」

「そうしていただけると助かります」


「ケイン様は、本当に不思議なお方ですね」


 これで女王アリスティリアは、ケインを色仕掛けで誘惑する必要はないはずだ。

 それなのに、ケインの上から一向にどいてくれないのでケインは訝しげに尋ねる。


「あ、あの女王?」

「それを聞いて、ますます抱いてほしくなりました!」


 なぜか、女王アリスティリアに火が付いてしまっている。

 艶かしく柔に軟に手足を絡みつかせる女王アリスティリアに、ケインは悲鳴を上げる。


「ええー! なんでそうなるんですか! 女王様、早まらないでください!」

「女王ではなく、アリスと呼んでください。ケイン様のお考えはとても素敵です。私は、心の底から感じ入りました」


「それは、ありがとうございます。ですから、もう色仕掛けは必要ないんですって!」

「ご心配なさらず。ここから先は女王としてではなく、プライベートな私の気持ちですから」


「いや、余計に心配しますよ! 困りますから!」

「安心してください。奥様には内緒にしておきます。ここは隠し部屋です、誰にも邪魔は……」


 そう、女王アリスティリアが言いかけたその時だった。

 ドゴオオオオオオォオンと、大きな音を立てて部屋の壁がめちゃくちゃに砕け散った。


「うわ!」


 城の一面をもぎ取るようにしてベッドでもつれ合うケイン達の目の前に現れたのは、赤竜の巨大な頭である。

 そして……。


「あらーごめんなさい! 赤竜を倒そうとしてたら、城を壊しちゃった!」


 そう棒読みで言いながら、赤竜の頭の上を歩いて現れたのは、アナ姫だ。

 明らかにわざとである。


 一瞬呆然としていた女王アリスティリアであるが、こちらも大陸有数の剣士である。

 すぐに気を取り直して、アナ姫に詰問する。


「……アナストレア姫、これは一体どういう」

「ちょっと、おばさんはどいてね」


 女王の言葉に応えず、その身体をドンッと乱暴に突き飛ばして、ケインをベッドから救出するアナ姫。


「アナストレアさん……」

「ケイン。この赤竜、手強くて、私じゃ倒せなくて困ってたのよ」


 そう言われても、どう見てもボロボロでぐったりとしている。


「いや、もう死んでると思うんだけど」


 死んでなかったとしても、気絶くらいはしているだろう。

 当惑するケインに、アナ姫に続いてやってきたマヤは呆れた口調で言う。


「ケインさん、毎回悪いんやけど……その赤竜、サクッとやったって。そしたらアナ姫の気が済むやろから」

「いや、そう言われても、剣すらないんだけど……」


「じゃあ、素手でええよ。チョップでええから、ほらほら、やらんとこの話が終わらへんから」


 チョップって……。

 しょうがないのでケインがチョップを叩き込むと、赤竜の頭がパカッと真っ二つになった。


「やったわ! ケインが伝説の赤竜を倒したわ!」


 アナ姫がわざとらしく言う。

 もちろん赤竜の頭は、誰にも見えないほどの神速で、アナ姫が神剣を振るって叩き斬ったにすぎない。


 一足遅れてやってきたセフィリアも、外れた調子で言う。


「……ケイン様、すごい!」


 あたりにしらっとした空気が流れる。

 女王アリスティリアは、ため息をついてアナ姫達と一緒にやってきた忠臣ランスロットに言う。


「ランスロット、貴方がアナストレア姫に話したのね」


 女王アリスティリアの言葉に、若き騎士ランスロットは頭を深々と下げる。


「申し訳ございません。いかなる罰もお受けします」

「はぁ、もう良いわ。当初の目的は達したのだから……少し惜しかったですけど、また機会はあるでしょう」


 そう言う女王アリスティリアに、ホッとした顔をするランスロット。

 そこに後ろから、ケインの妻アルテナの声が響く。


「それじゃ、そろそろケインを返してもらっていいかしら」


 女王アリスティリアは、飛び上がるほど驚く。


「あああ、アルテナ様ぁ! 一体どこからいらしゃったのですか!」


 ここは、城の離れの隠し部屋だ。

 扉は完全に閉じられて、誰も近づけないように見張りの兵士もいるはずなのに……。


「あら、私はそこのカーテンの隙間からずっと見てたわよ」

「えええ……いつから見てたんです!」


「最初から。一応私、こう見えても女神ですからね。見張りの兵士さんは、もうしばらくしたら正気に戻るわよ」


 女王アリスティリアが慌てて調べると、隠し部屋の扉はいつの間にか開け放たれており、外に立っていた見張りの兵士はぼんやりと呆けた状態になっていた。

 なんだこれ、怖い。


「アルテナ、違うんだ」


 何もしてないのだが、浮気男のいいわけみたいになっちゃうケイン。


「最初から見てたって言ってるでしょう。そうでなくてもケインのことは信じてるし、不可抗力だってわかってるから」


 アルテナは、何気ない様子でそう言って笑う。

 最初から自分の夫のケインを、女王アリスティリアが誘惑しているところをずっと黙って観察していたというのか。


 何だこの人、めちゃくちゃ怖いと女王アリスティリアはゾッとする。


「……」


 もう何も言えない女王アリスティリアは、恐怖に肩を震わせてその場に座り込んだ。


「女王様」

「は、はい!」


「私達が新婚旅行で来てるって知ってます?」

「申し訳ございません!」


 これはもう、平謝りするしかない。


「この城はどうも誘惑が多いみたいだから、夫婦二人で眠れる部屋を用意していただけるかしら」

「た、ただちに用意させます!」


 こうして女王アリスティリアは、アルテナに二度と頭が上がらなくなったのだった。

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