第178話「新婚旅行出発」

 魔女マヤが企画してくれた新婚旅行に出発するため、ケイン達一行はケイン王国の港に向かっていた。

 西の商業都市サカイに行くだけなら陸路でも良かったのだが、どうせなら船旅の方が気分がでるだろうと勧められたのだ。


「おお、なんか凄く人が増えて活気があるね」


 ケインの港の手前にあるケイン王国首都ケインヴィルは、訪れるたびに新しい建物が増えて賑やかになっている。

 エルフの森から定期的に輸送されてくるルルドの聖水で土地は実りを取り戻して、郊外には耕作地も増えているようだ。


「ケインさん。王宮にもよってってや」

「そんなものがあるのかい?」


 驚くケインに、マヤは笑う。


「立派なのは名前だけで、まだ村役場程度のもんやけど。質素でええんやろ?」


 ケインは、何事もほどほどにという性格なので、国の施設にもそれが反映されていた。


「そうだね。無駄に豪華な庁舎はどうかと思うから」


 エルンの街の参事会事務所はわりと豪華な建物で、あれに税金が使われてると思うと通りかかるたびに微妙な気持ちになったものだ。

 幸いなことに、通された王宮は普通の木造平屋建てだった。


「ただ小さくても王国の首都や。外交はせなあかんから、迎賓館だけは立派なものを建ててるところや。そっちも後で紹介するけど、まずは王宮の官僚達に挨拶やな。おるかー」


 扉を開けてマヤが入っていくと、中から怒声が聞こえた。


「おるかーって、どんな挨拶やマヤ! 仮にも宰相やろ。もっとちゃんと入ってこんかい!」

「ええやん。うちの国は、ざっくばらんに行こうや」


 マヤにツッコんだのは、灰色の髪を綺麗に撫で付けた立派な口ひげの老紳士だった。


「この爺さんはサカイの七賢者の一人、レフカディオ・ハーンや」

「あの有名な七賢者の!」


 道理で、偉い博士を思わせる知的な風貌だった。

 著名な人物が目の前にいると、ケインは恐縮してしまう。


「いや、ケインさん。向こうはケインさんに官僚として雇われてる身やからそんな緊張せんでええよ」

「七賢者を雇うなんて、そんなの大国の王でもできないことじゃないか!」


 天下に名だたるサカイの七賢者は学問の自由を重んじて、ドラゴニア帝国やアウストリア王国の招聘しょうへいも断ったと聞く。

 マヤの父親である大賢者ダナ・リーンにしても、あくまで友人としてディートリヒ王に協力しているだけで仕えているわけではない。


「ま、そこはうちのコネってやつやね」


 普通に接しているが、魔女マヤも大賢者ダナ・リーンの後継者なのだなと思わされる。

 万能の魔女マヤにとっては、著名な賢者もただの親戚のおじさんのようなものだ。


「マヤ。はようご主君に紹介せんかい。ケイン陛下も困っとるやろ」

「あーそうやった。うっかりうっかり」


 マヤは、いつもはツッコミばっかりさせられてるストレスなのか、ここぞとばかりにボケ倒す。


「もうええわい。ご主君、ワイらのような他所者が押しかけてどうもすんません」


 ペコリと頭を下げる。

 世界でも名だたる賢者の一人レフカディオは、わりと気さくな人だった。


「ど、どうも」


 ケインはどうしたらいいやら、目を白黒させている。

 マヤはあっけらかんと言う。


「レフカディオの爺さんは、適当に内務大臣にしといたけどええやろ」

「も、もちろん。有名な賢者に大臣を務めてもらえるなんて光栄ですよ」


 大臣をそんなに適当に決めていいものなのだろうかとはちょっと思うけど、ケインには見当もつかないのでマヤに任せっきりだ。

 賢者レフカディオは、面白そうにケインに笑いかけて言う。


「アッハッハ、そんな遠慮せんとってください。賢者といっても大したもんやあらへん。こちらこそ、有名な善王に仕えられて光栄やさかいに」


 そうしてケインと軽やかに握手すると、今度は賢者の弟子達を紹介する。


「こっちから、フランク、ロイド、ライトですわ。王国の行政官を担当しますさかいに、どうぞよろしゅう」


 三人の弟子達は、ケインに恭しく頭を下げると握手を求めた。


「フランクです。ご君主様にお初にお目にかかります!」「ロイドです。善者様お仕えできて光栄です!」「ライトです。よろしくおねがいします!」


 みんな賢人といった感じで、とても有能そうだ。


「えっと、皆さん。この国をよろしくおねがいします」


 ケインは、深々と頭を下げる。


「うーむ、なんと謙虚な態度だ。噂通りの立派な方だ!」「こんな飾りのない王の挨拶は聞いたことがない!」「簡潔にして無駄がなくていいですね!」


 どうも、こういう時はありきたりなことしか言えないケインだが、それが何故かやたらと受けて賢者の弟子たちはドッと湧いている。

 マヤに「ほら、散った散った」と追い払われて、ようやくみんな机について仕事に戻った。


 ケインは緊張して襟元を緩めて、ふうと深い息を付いているとマヤが笑いながら言った。


「サカイの賢者は変わり者ばっかりやけど、仕事は心配せんでええよ。サカイでも指折りの賢者の師弟やからね」

「そんな偉い人達が働いてくれているのか」


「うちのコネもあるけど、これほど有能な人材が集まったのはケインさんのおかげやね」

「え、俺の?」


「みんな傲慢な貴族や王族に仕えるのは絶対嫌やって、くすぶってた在野の士やからなあ。善王の評判を聞いて、そんな国やったら働こうかって気になったんやで」

「俺は、そんなに大した人間ではないんだけどな」


 恥ずかしそうに頭をかくケインに、マヤは言う。


「何言っとるんや。そもそも、うちが宰相引き受けたんもケインさんがおるからやろ?」

「なるほど、そういうものか」


「国の代表がそんなこと言っとったら示しがつかん。ケインさんは、王としてドンと構えてればええんやで」

「そうか。みんなが協力してるのに、俺がしっかりしてないと却って失礼になってしまうのか」


 それでも、自分などのために集まってくれてありがとうと、ケインは仕事をしているみんなに今一度皆に頭を下げるのだった。

 そんなケインに、マヤは小声で耳打ちする。


「ケインさん、ほんまにそんな気にせんでええで。賢者にとって国を一から作れるチャンスなんてなかなかないから楽しい仕事や」


 世俗の権力にまみれないと言いながら、賢者が王と親しくなったり王子の家庭教師をしたりするのは、やはり理想の国を作ってみたいという欲求が抑えきれないのだろう。


「そうなのか」

「それにな。ああ見えてレフカディオの爺さんも相当がめついで、自分とこのハーン商会をケイン王国との貿易にしっかり絡めてきて、大きな商いにしようと企んどるんや」


 サカイの賢者は、みんな大商会の主でもあるのだ。

 真理の探求のための資金稼ぎなど片手間でこなせなければ賢者とは言えないというのが、サカイの七賢者たちの実践哲学である。


 彼らが金にがめついのは当たり前とも言える。

 なぜなら、洋の東西を問わず珍しい文物を集めて研究するために、賢者の活動にはやたら金がかかるのだ。


「聞こえとるぞ、マヤ!」

「なんで聞こえてんねん。レフカディオの爺さん、ほんま地獄耳やな」


 まあ、国の手助けをしてくれるレフカディオ達の利益になることならそれもよいのだろう。

 賢者のことも商売のこともわからないケインは、肩をすくめて笑うしかなかった。


     ※※※


「さて、次は迎賓館や。こっちの建築は……」


 迎賓館の美しい庭で木を手入れをしていたのは、暗殺集団黒鋼衆の首領であり今やケイン王国の侯爵となったクロガネだ。

 黒頭巾を脱いで黒鋼の装備を外した彼は、温和そうな庭師の老人にしか見えない。


 マヤが言い終わる前に、クロガネに気がついてケインは手を振って歩いていく。


「クロガネさん!」

「おお、これはケイン王。よくぞおいでいただきました」


 初めて見る樹木に、ケインは眼を見張る。


「この木は、前に聞いた桜の木じゃないのかな」

「これは我々の故郷より取り寄せた梅の木です。これも桜と同じく、春には綺麗で良い香りのする花を咲かせます」


 梅の木を見て回っているクロガネは、歳に似合わぬ俊敏な動きでギコギコとのこぎりで梅の木を剪定せんていしている。


「この木は、桜と違って枝を切るんだね」

「桜切るバカ、梅切らぬバカと申しましてな。梅の木は、余分な枝を切った方が良いのです」


「なるほど、これは勉強になるな」


 植物に興味のあるケインは、遠く東方セリカンより渡来した樹木の話を熱心に聞いてメモしている。


「ケイン王、お嬢様方には庭いじりは退屈のようですよ」

「ああ、これはいけない」


 すっかり話し込んでしまった。

 好きな植物の話になると夢中になるケインに、マヤも少し呆れている。


「説明の途中やったんやけどな。迎賓館は外国の賓客ひんきゃくを迎えるから、今サカイでも大流行しとる東方セリカン風の庭をクロガネさん達に作ってもらってたんや」


 マヤの後を引き継いで、クロガネが言う。


東方セリカン風というよりは我らが故郷である極東風なのですが、それはさておき……お座敷にお菓子を用意させておきました。庭園を見ながらゆっくりとお茶にされてはいかがでしょうか」


 いつの間にと言いたくなるような手回しの良さに、ケインは驚く。


「何から何まで済まないね。しかし、庭仕事までさせてクロガネさん達に苦労をかけてないといいんだけど」


 ケインは、少し申し訳無さそうな顔をする。


「いえいえ、御屋形様の留守を守るのは我々の役目です。それに、この歳になってのんびり庭いじりができるなどと思ってもおりませんでした。再び生きて見ることなどないと思っていた懐かしい故郷の木々を目にして、みんなして喜んでおります」


「それならよかった」


 通された座敷には、すでに先客がいた。


「ケインさーん」


 手を振りながらも、バクバク桜餅を頬張っているハイエルフがいる。

 精緻な人形のような顔立ちに、白銀の長い髪、特徴的な長い耳。


「やあ、久しぶりだね」


 人間離れした美形なのに、ほっぺたが桜餅でいっぱいに膨れているせいで台無しの妹系ハイエルフ、ローリエだ。

 内政の話や植物の話で、なかなか話に割り込めなかった剣姫アナストレアが、ここぞとばかりに飛び込む。


「あんた、なに勝手に人の国に上がりこんで、我が物顔で食ってるのよ!」

「え、もぐもぐ、ゔぁだしも」


「しゃべるなら、食べるのやめなさいよ!」


 ローリエは、もきゅもきゅごきゅりと、お茶で桜餅を呑み込んでから答える。


「ぷふぁ……私も一応来賓なんですけど。お忘れですか、これでもエルフの国の女王ですよ?」


 もはや、ローリエがエルフの女王だったという設定をみんな忘れかけている。

 単なる大食いハイエルフにしかみえない。


「女王だったら、さっさと自分の国に戻りなさいよ」


 マヤが呆れて、二人の会話に入る。


「いや、うちはアナ姫たちにもそれを言いたいわ」


 ローリエがマヤに尋ねる。


「ねえマヤさん。今回は、一体何の騒ぎなんですか」

「それがなあ……」


 マヤが、アナ姫達がケインとアルテナの新婚旅行に付いていこうとしているのだと話す。


「うわー! ケインさんの新婚旅行に着いていくとか、私でも若干引きますよ!」


 ジト目で、アナ姫達を見るローリエ。

 常識人のエレナさんは付いてきてないし、結局のところローリエも常識があるから出番が少なくなるのかもしれない。


「本当や、もっと言ったってや! アナ姫にテトラまで付いてくるとか、何を考えてるんや!」


 アルテナとケインの新婚旅行なのに。

 しかし、付いてくるなと言われてはこまるので黙って気配を殺していた聖獣人テトラは、自分に矛先が来たので仕方なく言う。


「あるじの護衛は必要だ」


 こんな時ばかりテトラと意見が一致するアナ姫も、えっへんと薄い胸を張って言う。


「そうよ護衛よ! ケイン王国の将軍として、私がケインを守らなきゃいけないから!」

「それ将軍の仕事やないやろ!」


 二人を見て、ノワちゃんがソワソワする。


「あの、私はついて行っていいの?」


 慌てて、マヤとケインがフォローする。


「ノワちゃんはええんやで!」

「そうだよ。ノワは何も気にしなくていいんだよ。まあ、アルテナはみんなでにぎやかな旅行でもいいと言ってるからね」


 ケインの言葉に、アルテナは笑顔で頷く。

 それをマヤが見て、ハァとため息ついてケインを座敷の隅に引っ張っていって耳打ちする。


「ケインさん。そんなん言ってるだけや。仮にアルテナさんがそう思ってたとしても、せっかくの旅行なんやから新婚夫婦だけで遊びたいにきまってるやん!」

「そ、そうか」


「まあ任せとき。現地についたら、ちゃんとアナ姫たちを引き離す策を考えておく。ノワちゃんも大図書館や賢者学院につれてくって名目で引き離すし、ちゃんと夫婦水入らずにするから安心してや」

「ああ。頼むよ」


 結局、マヤの仕切りで物事が進みそうだった。


「その代わり、ケインさんはその前のアルビオン海洋王国との外交はしっかりしてや。相手も女王がくるんやから、さすがに一回は国王のケインさんが行かなあかんやろ」

「わかった、がんばってみるよ」


「ケインさんはがんばらんでも挨拶するだけでええよ。交渉は全部うちら官僚に任せてドンとしてればええんや」


 いつまでもゴニョゴニョとケインとマヤが相談してるので、ついにアナ姫が切れる。


「何をいつまでもマヤばっかりケインと仲良くしてるのよ!」

「そうですよ。こうなったら、私もやってやりますよ!」


 ここで何故か強引に割り込んできたローリエが、ケインに抱きつきに行く。


「あ、いきなり何やってんのよローリエ!」

「うわわ!」


 これにはケインもびっくりだ。


「私は今回ここしか出番ない気がします、だからなるべく目立つんです!」

「何言ってんのよあんた、意味分かんないんだけど!」「あるじから離れろ!」


 ケインに抱きつきにいったローリエを引き剥がそうとするアナ姫とテトラ。

 もみくちゃになってしまう。


 そこで、好々爺の笑みでお茶とお菓子のおかわりを持ってきたクロガネが、静かにつぶやく。


「しかし、ケイン王には確かに護衛が必要だと思いますね。旅先で無粋とは思いますが、お乗りになる船にも私の部下を付けさせてもらいました」

「護衛が必要、ですか?」


 みんなにもみくちゃにされていたケインが、なんとか抜け出して尋ねる。

 ケインも、とにかく話を変えたくて必死だ。


「アウストリア王国貴族の一部が、ケイン王を好ましく思ってないようなのです。サカイのある領主がそっちの派閥ですので心配しております」


 マヤは、それに答えて言う。


「サカイは、エルンの街と同じくアウストリア王国の自治都市で、領主の兵は入れんからそこまで心配せんでもええけどね」

「万が一ということを考えてしまうのが、元暗殺者の悪い癖でしてな」


 好々爺の仮面を脱ぎ捨てたクロガネが、見ているものが背筋の凍るような鋭い表情を見せる。

 マヤはそれに全く動じず、小さく笑う。


「そりゃまあ、そっち関しては黒鋼衆の領分やろうからお願いするわ」


 マヤが護衛のテトラやアナ姫を引き剥がすつもりだから、その間にもさりげないボディーガードは必要だろう。

 しかし、元とはいえ女神であるアルテナがついているのだから、心配いらないような気がするのだが警戒はするに越したことはないかとマヤは思う。


 しかし、マヤの思考がローリエのすっとんきょうな声でさえぎられた。


「やっぱり私も外交使節団の一員として付いていくってダメですかね!」

「ダメに決まってるでしょ。あんたさっきからなんなのよ!」


 アナ姫がそう言ったので、ローリエは今度はアナ姫にしがみついていく。

 このハイエルフの女王様は、結構恐れ知らずなところがある。


「だったら、アナストレアさんかテトラさんを道連れにして一緒にお留守番させてやりますよ!」


 それにテトラが嬉しそうに答える。


「それはいい、あるじの護衛は我だけでいいからな」

「裏切ったわねこのダメ虎!」


 今度は女同士でもみくちゃになる。


「テトラだ!」

「私も一緒に遊ぶ!」


 そこに何故かノワが座布団を抱えて飛び込んでいって、お座敷でワーワーキャーキャー大騒ぎしている。


「ま、まあ……楽しい旅になりそうだねアルテナ」

「そ、そうねケイン」


 冷や汗をかいてる新郎新婦に、マヤは「うちがなんとかするからな」と手を合わせるのだった。

 そこにクイクイッと、マヤの服の袖が引かれる。


「……しくしく」

「あ、ごめんやでセフィリア! 居るの忘れてたわけやないからな! うちら三人で『高所に咲く薔薇乙女団』やん!」


 こういう多人数でワーワーやってる時、大人しいセフィリアは会話に入れず埋もれてしまうのだ。

 ……と言うか、マヤもセフィリアがずっと一緒に付いてきているのを、一瞬だけ忘れていたのだった。

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