第177話「マヤの提案」

 ケインの家の庭で、シスターシルヴィアとケインが子供が遊ぶのを見ながら話している。


「そういうわけで、カスターくんもすっかり更生してたんですよ」

「ふーん。あの時、助けてよかったわね」


 リンゴの果実酒シードルを飲んで、これ美味しいわねと笑うシスターシルヴィア。

 ちょっとほろ酔い気分で、頬がほんのりと朱に染まっているのが色っぽい。


「シルヴィアさん。昼間っからお酒なんていいんですか」


 教会のシスターは、飲酒厳禁ではなかったか。

 真っ昼間から飲むのもどうかとケインは思う。


「あら、私は還俗げんぞくしてるんだからいいのよ。ケインも一杯くらい付き合わない?」

「あとでいただきますね」


 シスターシルヴィアはそう言う割に、全然養護施設の仕事は辞めてないんだが。

 こういう時だけ還俗しているというシスターシルヴィアは、本気で言ってるんだか冗談で言ってるのだかわからない。


 ケインがみるところシスターシルヴィアは、以前より人柄が柔らかくなった。何かしら彼女にも、吹っ切れるようなことがあったのだろうか。

 お酒もそうだが、リンゴも美味しそうだ。


 ケインは、籠いっぱいに盛られているリンゴを一つ手にとって香りを嗅ぐ。

 甘い香りが鼻腔に広がる。これは良いリンゴだ。


「そのまま食べても美味しそうですが、せっかくだから焼きリンゴでも作りましょうか」


 子どもたちのおやつにするのにちょうどいいかもしれない。

 リンゴの籠を抱えるとシスターシルヴィアは言った。


「それなら、私がアップルパイでも作るわ」

「手伝いますよ」


「ケインはいいわよ。料理を手伝ってくれる人はたくさんいるみたいだから」


 厨房に続く裏口を見ると、メイド服姿のエレナとエプロンをつけているアルテナがこっちを見ている。

 どうやら料理の作り手は必要ないらしい。


 じゃあ自分はこっちをやるかと、ケインは木の板とロープを組み合わせて新しいブランコを作る作業に移る。

 子どもたちは、ブランコに取り付いて「わー!」と歓声をあげている。


 みんなにブランコを取られそうになって、ノワが叫ぶ。


「私がお父さんにご褒美で作ってもらったんだから!」

「さっきからノワちゃんばっかり、ちょっとぐらい貸してくれてもいいじゃない!」


 猫耳娘のミーヤが、ノワにそう食ってかかっている。

 みんなにズルいと言われて抗しきれなかったらしく、ノワがブランコから降りたので子どもたちが交代で遊んでいる。


 シルヴィアさんにノワが教会の学校で成績優秀だと聞いて、このブランコはご褒美だと言ってしまったのが良くなかったのかとケインは思う。

 このブランコは自分の物だとノワが主張しだしているので、今慌ててケインが新しいブランコを作っているところだ。


 子供というものは難しい。

 ブランコ争奪戦に負けたノワは、ほっぺたをプクッとさせてむくれている。それを、ノワと仲がいい白ロバのヒーホーが鼻を擦り付けて慰めているようだ。


「ヒーホーヒーホー」

「ちぇ」


 ケインも、むくれているノワを慰めに行く。


「ブランコを譲ってやったのか。優しいなノワは」

「お父さんにもらったブランコなのにー」


「すぐみんなで乗れるように、新しいのを作ってやるから」

「はーい」


 ノワはとても聞き分けが良くて優しい子だ。

 しかし、こうして他の子と普通に喧嘩しているのをみると、かつて悪神だったとはとても思えない。


「ノワは、勉強好きか?」

「うん。新しいことを知るのは好き」


「そうか……」


 ノワの成績がいいのは嬉しいのだが、ケインにはそれが少し悩ましいところもある。

 シルヴィアさんから、ノワは頭が良すぎて教会の本を全部読んでしまってもう教えることがないと聞かされたのだ。


 たくさんの子供がいる教会の養護施設には、たまにかつてのキッドのように飛び抜けて優秀な生徒が出ることがある。

 そういう子供のために、もっと大きな街の大学校に行けるように領主となったキッドが留学の支援を始めているのだ。


 ノワの将来を考えると、もっとたくさんのことを学べるようにした方がいいのかもしれない。

 しかし、そうなるとノワはケインの元からいなくなる。


「どうしたのお父さん」

「いや、なんでもない。ほら、みんなと一緒にアップルパイを食べておいで」


「はーい」


 ちょうどおやつのアップルパイができたらしく、家の厨房から甘いアップルパイの匂いがしてきた。

 さっきまでブランコを取り合っていた子どもたちは、もう厨房に殺到している。


「どうしたもんかな」


 新しいブランコを、庭木に設置しながらケインが考え込んでいると遊びに来ていたSランクパーティー『高所に咲く薔薇乙女団』の魔女マヤが不思議そうに聞いてくる。


「どうしたんやケインさん。湿気しけた顔して」


 湿気たって、相変わらずマヤの言い回しは面白いなとケインは笑って答える。


「うーん、ノワちゃんの勉強ができすぎて教会の本を全部読んじゃったらしいんだよ。どうしたもんかなと」

「そりゃ元神様やもんね」


「俺は、ノワには普通の人間として生きて欲しいと思うけどね」

「なるほど、王都の大学とかに行かせないといけないかと悩んでるんやね。かといって、離れ離れになるのはケインさんも心配やしな」


 ケインはそこまでは言ってないのだが、相変わらずマヤは頭の回転が早いので先回しして答えしまう。


「アナ姫、それは止めとき!」


 急にマヤが鋭い声で言ったので何かと思えば、アナ姫がブランコに乗ろうとしていたところだった。


「いいじゃないか。ブランコくらい乗せてやっても」


 ケインがそう言うと、アナ姫はドヤ顔をした。


「ほらケインも良いって言ってるじゃない。私、子供の頃こういう遊具に乗ったことがないのよ」


 それは乗ってみたくなるのもわかる。

 子どもたちは今アップルパイに夢中なので、ちょっと乗るくらいいいだろうとケインは思うのだが、マヤは青い顔で止める。


「いやあかんって、ケインさん。このパターンで、アナ姫が何回壊したと思うんや」

「ああ、なるほど」


 破壊フラグが立つってことかと、鈍いケインもさすがに納得する。

 しかも、おそらく壊れるのはブランコだけじゃなくて、庭木を根こそぎおしゃかにするパターンだろう。


「なあアナ姫。それは子供のための遊具やから止めとき。ブランコで遊びたかったらあとでうちが丈夫なのを作ったるから」

「そ、そう……」


 近頃やけにしおらしいアナ姫が素直に引いてくれたので、マヤはホッとして話に戻る。


「ケインさん、さっきの話やけど。本人に直接聞いてみたらいいやん。ほら、ちょうどノワちゃんが来たで」


 ノワは、皿に美味しそうなアップルパイが乗っている。


「シルヴィアお母さんが、お父さんのアップルパイもってけって」

「ああ、ノワはおつかいできて偉いな」


 ノワにお母さんと呼ばせてるとか、「まだシルヴィアさんそのポジション諦めてへんのか。しつこすぎやろ……」とマヤは横で聞いてて背筋がゾクッとしている。

 それはマヤも、「ケインの後宮にシルヴィアさんも入れる」とか冗談で言うことはあるが、マジで考えるとケインの母親であるシルヴィアがハーレム入りというのは冗談キツい。


 シスターシルヴィアは、どこまで本気で言ってるかわからないから怖い。「やっぱ二百歳超えてるロリBBAはなしやな」と、マヤは手帳を見ながらブツブツつぶやいている。


 ノワとケインの二人は、ベンチに座ってアップルパイを食べている。


「はい、お父さん。あーん」


 アップルパイは甘くて幸せな味がした。


「もぐもぐ……美味しいね。ほら、お駄賃にお父さんのもわけてやろう」

「美味しい」


 ケインがアップルパイを一切れ口に放り込んでやると、ノワも幸せそうな顔をした。

 こうして食べ終わると、ケインはノワに尋ねる。


「なあノワ、お前は王都の大学とかに行って勉強したいと思うか」

「嫌、ノワはお父さんとずっと一緒にいる」


 ノワは悩むそぶりも見せずに、そう言ってケインに抱きついてくる。

 ケインは、ノワの黒絹のような髪を優しく撫でてやった。


「そうか……」


 それを見ていたマヤは、笑って言う。


「な、ケインさんの取り越し苦労やろ」

「そのようだね。マヤさんは、まだ若いのによくわかってるんだな」


「そりゃまあ、うちも長いこと娘をやっとるからね」

「マヤさんもお父さんが大好きだもんな」


 ケインがそう言うと、マヤのほっぺが真っ赤になる。


「な、なんやその言い方! うちは別にお父さんなんて……」

「親子仲がいいならそれに越したことはないじゃないか」


「ま、せやね。うちは大賢者の娘やからな。なんやったら、ノワちゃんの家庭教師をしてやってもええで」

「え、マヤさんが教えてくれるのか。それは願ってもないことだが、でも時間はいいのかい?」


 マヤはこう見えても忙しいのだ。

 ケイン王国の宰相もやっているし、Sランクパーティー『高所に咲く薔薇乙女団』のリーダーとしての活動もある。


「この前まで死ぬほど忙しかったんやけど、王国の方もようやくうちがおらんでも行政が動くように官僚組織をきちんと作ったし、時間はあるで」

「それなら、少しだけお願いしようかな。ノワもそれでいいか」


「うん、魔女のお姉ちゃんに教えてもらう」


 将来は大賢者になるのが確実と言われているマヤに教えてもらうことになるとは、ノワはきっと凄い人物になるだろうとケインが思うのは、親バカすぎるだろうか。


「そう言えばケインさんに新婚旅行をプレゼントしようと思ってたんやけど」

「え、それは初耳だな。新婚旅行?」


 なんでも、貴族や豊かな商家では結婚した新婚のカップルが一緒に旅行に行く風習があるそうだ。

 庶民出身のケインは、そんなこと考えても見なかった。


「行き先は、うちの故郷のサカイなんかどうや。うちのコネで、高級ホテルに特別スイートルームに招待するで。サカイは観光地やし、海でバカンスもええやろ。そのついでにノワちゃんにサカイの大図書館を利用できるようにはからってもええで」

「それはありがたい話だね」


 アルテナとのんびり船で旅行というのも楽しそうだし、ノワの見識を広げることにもなる。


「ケインさんも一国の王様なんやから、こういうときぐらい豪勢にいこうや。ま、ちょっとそのついでに外交の方もあんばいようやってほしいっちゅうのもあるけどな」

「アハハ、そういうのは苦手だけどしょうがないかな」


 マヤのことだから、ただ旅行に行くというだけの話ではないと思っていた。

 ついでというのがむしろ本題なのだろう。

 

 しかし、ありがたいご厚意にはかわりないので、ケインは喜んで受けることにした。


「それじゃ決まりやな。サカイの方にも連絡しとかんといかんし、日程は後日」


 マヤがそう言いかけた時、ボキッ! と枝の折れる音とズサー! という凄まじい地すべり音が聞こえた。


「剣姫のお姉ちゃんがブランコ壊したぁぁ!」

「うわーん!」


 子どもたちの泣き声が聞こえて、マヤは慌てて駆けてくる。


「アナ姫ェ! やるなっちゅーとるやろうが!」

「この枝が悪いのよ、軽く乗ったつもりだったのに!」


 ケインは苦笑すると、ブランコを直すべく材料を持って追いかけていく。

 庭木の枝が一本と、あとブランコが割れるぐらいで済んでよかったと思うべきだろう。


 その後、ブランコに乗りたがるアナ姫のためにマヤが仕方なく万能魔法で壊れないブランコを作って設置したが、今度は三回転半回りなど危険な遊びを養護施設の子どもたちに教えたため、結局マヤよりブランコ禁止令が言い渡されるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る