第176話「ケイン、リンゴ農園を視察する」

 ケインは、領主であるキッドに請われてランダル伯爵の屋敷へと来ていた。

 その近くには、リンゴ農園が広がっている。


 穏やかな光景を見ていると、とてもそうは思えないが実はここ刑務所なのだ。

 リンゴ農園で働いているのは、みんな元盗賊などである。


「どうですかケインさん、うちのリンゴ農園は」


 そう言って、キッドの兄カスターは収穫されたリンゴから一番美味しそうな熟した赤い実を布で磨いてケインに手渡す。

 自身も受刑者であるカスターは、ここで罪を償いながら取りまとめ役として刑務所の運営をやっているのだ。

 

 野良着を着て自身も働いているカスターは、領主の息子というより穏やかなリンゴ農家の青年といった感じで、かつての傲慢で粗暴そうだった印象はまったくない。


「うん、瑞々しくて美味しい」


 しゃりっと噛みしめると、口の中に甘く爽やかな味が広がる。


「そうでしょう。心を込めて育ててやれば、人もリンゴも美味しくなるってものです」

「いいことだね」


 カスターの話では、盗賊と言ってもその殆どは生活に困窮してしかたなく罪を犯した者が多かったのだ。

 囚人の更生に必要なのは、厳罰よりも生きる希望を与えることだ。


 将来に絶望した人が奪う側に回ると、カスターは自身の経験から学んだ。

 こうして生活を立て直すための仕事を覚えさせれば、再び罪を犯すこともなくなるだろうと言うのだ。


 しかし、そこは刑務所。

 素直に更生する者ばかりではない。


「畜生、毎日毎日こんな仕事ちんたらやってられるか!」


 元盗賊の囚人たちが、棍棒を振るって暴れだしている。

 数人で徒党を組んでの暴動らしい。


「まったく、ケインさんがいらしてるのに。ちょっと行ってきます」

「大丈夫なのかカスターくん」


 見れば、自身も囚人であるカスターは武器を帯びていない。


「平気ですよ。俺も昔はやんちゃでしたから、ケンカくらい慣れっこです」


 あれはやんちゃと言えるレベルではなかったけどと、カスターに命まで狙われたケインは思わず笑ってしまう。

 しかし、悪いことに囚人どもはケインのことを知っていたらしい。


「お前がもしかして善者ケインってやつか!」


 暴動を起こしているリーダー格が叫び、五人でケインの周りを囲む。


「おい、よりにもよってケインさんに手を出すとかバカな真似はやめろ! 命が惜しくないのか!」


 落ち着いていたカスターは、慌てて叫ぶ。


「ガハハ、領主の息子を捕まえればと思ったが、俺たちはツイてる! 噂の善者ケインを捕まえれば俺たちは絶対に逃げ延びられるぞ!」

「バカやめろ! ケインさんに武器を向けるんじゃない。死にたいのか!」


 カスターは必死に止める。


「ぐははは! 善者だなんだといってもたかがDランク冒険者だろ。俺たち五人で囲めば余裕で捕まえられるぞ。後々面倒だから怪我はさせるなよ」


 こいつら何もわかっていない。

 カスターは叫ぶ。


「違う! お前らのために言ってるんだ、すぐやめろ!」


 慌てるカスターをあざ笑う元盗賊のリーダーブルーノの支持で、棍棒を持った囚人たちがじわりとケインを囲む。

 しかし、先導された囚人たちのその構えていた棍棒が、シュパンシュパンと鋭い爪で切り裂かれた。


「あるじ。敵意を感じるのだが、こいつらは殺していいのか?」


 護衛であるテトラは、近くのリンゴの木でリンゴを食べていたのだ。

 器用なもので、凶暴な爪を構えながら食べかけのリンゴを尻尾で掴んでいたりする。


「待ってテトラ!」


 囚人たちがあまりに弱いからテトラも手加減をしたのだが、それでもケインが止めなければテトラが殺している。

 なにせ、あるじであるケインに攻撃しようとしたのだ。


 聖獣人であり穏やかな印象になった虎柄のテトラも、戦闘モードになれば恐ろしい。

 テトラの放つ冷たい殺気に当てられた、数人はその場にしゃがみ込んで腰を抜かす。


「ひっ、ひえぇ。化け物!」


 完全に気を呑まれてしまった。

 これでは暴動が成功しないと、囚人を煽ったリーダーのブルーノは地団駄を踏む。


「クソ!」

「ほら、だからやめろって言っただろ。領主の息子だった俺でもどうにもできなかった相手を、お前らがどうにかできわけないだろ。ケインさんに武器を向けて命があっただけありがたいと思って……」


 そうカスターが言いかけた時。

 空から何かがヒューンと落ちてきた。


 それはすぐに地中に突き刺さって、ボーンと爆発して凄まじい土煙が上がる。

 のどかなリンゴ農園に、嘘みたいな大穴が空いている。


「ケインに殺気を向けたやつがいたわね。どこの魔王よ!」


 穴から飛び出してきたのは神剣不滅の刃デュランダーナを引き抜いたアナストレアであった。


「ぎゃああああ! アナストレア殿下ァァ!」


 アナ姫に昔切られた右腕のトラウマで恐怖に顔を歪めてカスターは、神剣を見ると肩を押さえてブルブルと震えだす。

 もうめちゃくちゃだった。


「テトラ。敵はどこよ」

「そこの囚人どもが、不遜にもあるじに武器を向けたのだ」


 ギラッと視線を向けられると、囚人たちは棍棒を落としてその場にしゃがみ込んだ。


「ひぇぇ、かかか勘弁してください!」

「そうだ、ブルーノのやつが悪いんだ! ブルーノがやれって言ったから!」


 さっきまでリーダーだった男を裏切って差し出す囚人たち。


「ふーん。こいつが首謀者ね。まだケインに逆らうゴミがいるとは思わなかったわ」


 いかにも山賊という風体の、黒い髭面のブルーノを冷酷な目で見下ろすアナ姫。


「な、なんだ畜生め! 俺は棒切れを向けただけでまだ何もやってねえぞ」

「この棒切れを向けただけね」


 棍棒を拾い上げたアナ姫が近くの岩にそれを向けると、岩がパカッと音を立てて綺麗に割れてしまった。


「ひぃ!」


 強情な元盗賊ブルーノもこれには腰を抜かせて、ジョロジョロと音を立てて情けなくズボンを濡らした。

 哀れにもアナ姫に敵対してしまった人間には、自分の死に様が見えるという。


 走馬灯である。

 どんなに強情な人間でも命乞いをせずにいられない、生物の本能がアナ姫にだけは逆らってはいけないと警告を発するのだ。


「ケインさん。なんとかアナストレア殿下を止めてください!」


 トラウマから恐慌状態に陥っていたカスターだが、自分がなんとかしなければと気を取り直して、右腕の幻痛にダラダラ脂汗を流しつつケインに願い出る。


「わかったけど、大丈夫なのか?」

「この場は、俺が収めてみせます」


「わかった! アナストレアさん。ここは、これぐらいにしてやってくれ」


 棍棒をシュンシュン振り回して、囚人たちに死のプレッシャーを与え続けるアナ姫を、ケインは後ろから羽交い締めにする。


「や、やだケイン。私は別になんにもしてないんだから」


 ケインに後ろから抱かれると、まんざらでもないアナ姫は頬を赤く染めてポロッと棍棒を落とした。


「もちろんわかってるよ。彼らももう十分に反省してるようだから」


 よくアレを止められるなケインさんと横目で見つつ、カスターはブルーノを説得にかかる。

 首謀者であるブルーノ以外の囚人は、もう完全に地面に這いつくばって逃げ出しているが、ブルーノだけはまだ強情に反抗的な言葉を吐いている。


「こ、殺すなら殺せええ! 俺が首謀者だ! 最強の冒険者に殺されるなら本望ってもんよ!」


 まだ強情を張るブルーノに、カスターはため息を吐いて言う。


「ブルーノ。何が不満なんだ」


 カスターが改革する前は、まだ人を殺めていない罪の軽い囚人たちでも犯罪奴隷に落とされて、過酷な環境で死ぬような労役をさせられていたのだ。

 それに比べれば、リンゴ農園で働けるブルーノたちは恵まれているはずだ。


「俺だって、わかんねえよ」

「イライラするのはわかる。俺だってそうだったからな。聞いてやるから話してみろよ」


「お前みたいな恵まれてるボンボンにはわからねえよ! これでも俺は、盗賊十数人を束ねるかしらだったんだぞ。こんなとこで! こんなとこで草いじりなんかやってられっかよ」


 たった十数人かと思うが、それがブルーノの誇りだったのだろう。

 カスターは尋ねる。


「そうか。草いじりは嫌か。じゃあお前は、なにがやりたかったんだ。全部ぶちまけてみろよ」

「何がって、俺のあこがれはあれだよ……」


 アナ姫を指差すので、ちょっとカスターはビビる。


「お、お前。ええ!? アナストレア殿下か?」

「俺はあんな風に強い戦士になりたかったんだ。冒険者になりてえと思ったこともあった。でも貧しい村を出てやれることが盗賊しかなかったんだよ」


 絞り出すように言うブルーノの言葉に嘘はないだろう。

 カスターは言う。


「わかった。じゃあお前は兵士にしてやるよ」

「へ、何をいいやがるんだ。俺みたいな身分卑しい盗賊上がりが、兵士になんかなれるわけがねえだろ!」


 これまでの身分制度は、そうだった。


「まだこの話をするのは早いと思ったんだが、俺は罪を償った囚人から見どころのあるやつを兵士見習いに採用するルートを作ろうと思ってたんだ。見習いから始めて、手柄を立てれば兵士長や刑務所長にだってしてやるぞ」

「う、嘘だ!」


「嘘じゃねえ。俺は廃嫡はいちゃくされたとはいえ、領主の長子だぞ。それくらいのことができる権限はある」

「……」


「お前らみたいな罪を犯した人間のことを一番わかってるのは俺たち囚人だろ。だから、それを取り締まって更生させるのも囚人がやったほうがいいんだよ」

「そんなことができるわけねえよ」


「できる。命懸けでやればな。他の連中はみんな尻尾を巻いて逃げてるじゃねえか。あの殿下を目の前に、殺せって言える度胸は大したもんじゃないか。ブルーノ、お前ならできると俺は思った。どうだやりたいか?」


「そりゃ、俺だって兵士になりゃ里に自慢できる。けどよ……」

「だったら仕事に励んで更生してる姿を見せろよ。元山賊のかしらか、立派なもんじゃねえか。囚人どもを扇動できるくらいなんだ、仕事を頑張らせることもできるよな」


「それは、できる」

「じゃあやれよ。自分が取り締まる側になった時の練習だと思って頑張れ。お前が約束を果たしたら、俺もちゃんと約束を果たす。ランダル伯爵家の長子カスターが言ってんだぞ、信じろ」


 しおらしくなった元盗賊のかしらブルーノは、囚人仲間に助け起こされて収穫小屋の方へと戻っていった。


「ケインさん。他の方々にも、ご迷惑をおかけしましました」


 カスターは、ケインたちに頭を下げる。


「カスターくん。よくあんな風に説得できたね。凄いじゃないか!」


 ケインがそう言うと、カスターはおかしそうに笑う。


「ハハ、何をおっしゃってるんですか。俺の説得なんて、ケインさんの真似をしてるだけですよ。ケインさんだったらどうするだろうなと思って、毎日必死にやってるだけです」

「そ、そうか。俺はあんなに立派じゃなかったと思うけどな」


 カスターにそう言われると、ケインも恥ずかしそうに頭をかくしかなかった。


「ここではリンゴのお酒も作ってるので酒蔵も案内しますね。せっかくいらしたのですから、ぜひお土産にたくさん持って帰ってください」


 カスターが、いまだに機嫌が悪そうなアナ姫にビビりながらなんとか言う。

 そこで、ようやくアナ姫を追っかけて飛んできた魔女マヤと聖女セフィリアがやってくる。


「またやっとんのかアナ姫。まあ惨状をみて、だいたいの事情は察したけど」

「まだケインに逆らうバカがいたのよ!」


 はいはいと答えつつ、マヤはリンゴ農園に空けた大穴を万能魔法で埋めてやる。


「アナ、無体はダメ」


 セフィリアにまで突っ込まれてムスッとしているアナ姫に、マヤがとりなすように言う。


「ほらアナ姫、せっかく来たんやしリンゴをもらって帰ろうやいか。なあケインさん!」

「そうだね。お土産に持ってかえったら、みんな喜ぶよ。ほら、アナストレアさんもリンゴ食べないかな」


 ケインがそう言うならと、ようやくアナ姫も機嫌を直してもらったリンゴを齧るのだった。

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