第163話「平和の海」

 アルビオン海洋王国の女王アリスティリアは、慌てて言う。


「神速の剣姫アナストレア。剣をおろしてください」

「ケインに降伏する?」


「します!」

「そう、残念ね」


 アナ姫は、笑って剣を引いた。

 降伏するという女王の言葉に、騎士ランスロットたちが抗議の声をあげるが、女王は意に介さず命令する。


「ランスロット! これ以上の犠牲は必要ありません。ただちに停戦命令を出しなさい!」

「しかし!」


「上を見なさい! あそこにいる善王ケインは、四本目の神剣善神剣アルテナソードをまだ抜いていないのですよ!」


 Aランク以上の強者であれば、ケインの怖気すら感じさせるオーラを無視できない(これは、本当は抱いているノワちゃんのオーラなのだが)。

 善王ケインが、ゆっくりとこちらに向かっているのは、それまでに降伏せよという脅しである。


 降伏しなければ、帝国の神鎧しんがい青金の鎧ヴラウパルツァーをも打ち砕いたと言われるケインの神剣善神剣アルテナ・ソードが振るわれることになる。

 世界最強の剣姫すら従える、王者の剣だ。


 そのときはおそらく、この船にいる全てのアルビオン騎士の命はない。


「くっ……かしこまりました」


 ランスロットは、停止命令を発した。

 戦が終わった甲板に、ゆっくりとケインを乗せたヒーホーが降り立つ。


 すぐさま、周りを護衛の黒鋼衆が囲み、黒鋼衆の長クロガネが恭しくケインの前にひざまずく。


「あなたが、善王ケインですね」

「女王アリスティリアさんですね。素直に戦を止めていただいてありがとうございました」


 勝者はケイン軍の方であり、アルビオン海軍は降伏したのだ。

 それを、いきなり腰を低くしてお礼を言われるとは、女王は思ってもみなかった。


 そうして敵対国の女王であるアリスティリアを、まるで親しい友人のようにさん・・と呼ぶのには、面食らった。

 その素朴な物言いが、失礼と思うより不思議と温かく感じるのだ。


 戦闘が終われば、先程感じさせたまるで魔神のような戦慄のオーラは鳴りを潜めている。

 なるほど、善王ケインとはこういう男かと女王は目を見張って言う。


「それで、勝者であるあなたは、我が国に何を望みますか」

「とりあえず、俺としては戦を止めて欲しいということだったんだけど……」


 そこに、海水でビショビショになったマヤとテトラが飛行魔法でやってきた。


「うわー、まったく酷い目にあったのだ!」


 女王の黒風の騎士剣ハリバーンによる極大斬撃によって沈められたケイン艦隊は、見せかけのハリボテに過ぎなかったのだが、なんだかんだでそれを牽引するのに数十隻の船は犠牲になってしまった。

 その船を操る船員たちは海に投げ出されたので、マヤとテトラは今までその救命作業をやっていたのだ。


「うちの作戦どおり上手くいったようやな」

「マヤさん、無事でなによりだよ」


 ケインが声を掛けると、マヤは機嫌が良さそうに手を振る。


「ケインさん。女王には、まず沈めた船への賠償はやってもらわんといかんやろ」


 囮艦隊を上手く動かすために、マヤも魔力が枯渇寸前なほど働かされたわけだが、これからの大儲けを考えると笑いが止まらない。

 もちろん数十隻ではなく、五百隻分の賠償をしてもらうつもりだ。


「賠償はします」

「もちろん分割払いでええで。あとは、二度と戦争を起さないようにアルテナ同盟に加わってもらうことやなあ」


「そ、それは!」


 女王が答える前に、ランスロットが怒りだす。


「それでは、ケイン王国の属国になれというのも同じではないか!」


 ケイン王国主導するアルテナ同盟諸国内では、関税が安く抑えられると聞く。

 重商主義政策をとるアルビオン海洋王国が関税自主権を失えば、もはや属国も同じである。


「そりゃ、侵略戦争を仕掛けといて負けたんやから、それぐらいはしてもらわんとなあ」

「こちらにも言い分はあります。ケイン王国は、海賊やモンスターをこちらに差し向けてきたでしょう!」


 女王はマヤと睨み合い、必死で反論する。

 ケインもマヤの方に向いた。


「マヤさん、その話は本当なのかい?」

「差し向けたりはしてへんよ。ただ、こっちが退治しきれへん海賊やモンスターが、アルビオンの方に流れていったりはしたかもしれへんなあ。あくまで不可抗力や」


 やれやれと、ケインは頭をかかえた。


「アリスティリアさん。こちらにも非があったように思う。こっちのせいで海賊やモンスターから受けた被害はこちらが保証した上で、今後は被害がでないようにみんなで海の安全を守ることにしよう」


 ケインの言葉に、周りの皆が驚いた。

 勝利した側が謝って、大きく譲歩したのだ。

 

 さすがに、マヤが反論する。

 マヤとしては、取れるだけ金をふんだくってやろうと思っているのだから、賠償金を差し引かれるなんて冗談ではない。


「ちょっと、ケインさん!」

「俺はさっきの話、俺は聞いてなかったよ」


 そう言われると、ほんの少しだけ勝手にやりすぎたかなとマヤも思わなくもない。


「うちは、ケイン王国の利益の最大化を考えてやなあ」

「マヤさん。気持ちは嬉しいが、俺は同盟に参加するみんなが幸せになってほしいんだ。みんなとは、もちろんアルビオン海洋王国も含む。俺を盟主だと認めてくれるなら、そうして欲しい」


 ケインの言葉に、女王アリスティリアは感銘を受けた。

 道理で誰も殺さぬはずだ。

 

 アルビオンが躍起になってケインの軍を討とうとしていたときに、善王ケインは戦争を止めようとしていた。

 味方だけではなく、敵であるアルビオンまで救おうとしていたのだ。


 これは、勝てないはずだ。

 その大海のような器の大きさだけで、女王はもう負けている。


 そして、ケイン王国の宰相であるマヤと、王であるケインの主張を聴き比べて、方針の行き違いがあったのだなと女王アリスティリアは察する。

 すでに敗北したアルビオンに選べる選択肢は少ない。


 ここでマヤが高圧的にアルテナ同盟の傘下に入るように言ってくるのにも理由があるのだ。

 単純に戦力だけみれば、まだ無敵艦隊は残ってはいるが、アルビオン海軍は女王への崇拝が度を越している。


 このまま、女王アリスティリアが捕らわれたままでは、無敵艦隊はここから一歩も退くことができない。

 動けない艦隊など、敵の攻撃の的になるだけだ。

 

 無敵艦隊が打ち砕かれて制海権が失われれば、もはや陸戦力に劣るアルビオンは、アウストリア王国とケイン王国に襲われて滅びるだけ。

 そして、それをしないということは、少なくともケインに領土的野心はない証拠になる。

 

 今ここで、無敵艦隊がまだ残っている間に、女王は決断をくださなければならない。

 迷う女王は救いを求めるように周りを見回して、そうして最後にケインを見た。


「アリスティリアさんが、戦争をやめて同盟に入ってくれるというなら、公平な待遇をすると約束しよう」


 相手の善意など、冷徹な国際政治では、絶対に信じてはいけない。

 それでも……。


「……わかりました!」

「女王陛下!」


 忠勇なる騎士ランスロットは不服そうに叫ぶが、女王の腹はすでに決まった。

 合理的に考えても、この選択しかない。


「ケイン様。みんなで幸せになるという、あなたの言葉を私は信じます。アルテナ同盟に加盟しましょう」


 女王が手を差し出すと、ケインは喜んでその手を握った。


「ありがとう、アリスティリアさん。歓迎します!」

「しかし、我が国には我が国の事情があります。ケイン様におかれましては、どうかそのことにご留意いただければと思います」


 寄る辺ない哀れな女のように、そのままケインの手を両手で握りしめて、その場にひざまずく女王アリスティリア。


「もちろんです。同盟は対等なものです。アルビオンの事情にもきちんと配慮しますから、一緒に北海を平和の海としましょう」


 よろめいた女王を支えながら、だからそろそろ手を離して欲しいなあと苦笑いするケイン。

 しかし、女王アリスティリアはそのまま、よろよろともたれかかるようにする。

 

「お気遣いありがとうございます。もはや、か弱き私はケイン様の優しさにすがる他ありません」


 そう言いながら、その背中越しに後ろにいるマヤを、ニヤリと冷笑してめつける女王アリスティリア。

 さっきまで戦場で神剣を振り回して大暴れしておいて、「何がか弱いや」とマヤはぎょっとする。

 

 だが、これで正しいのだ。

 これからはおそらく、ほこを交えぬ戦争となるのだから。


 すでに、女王アリスティリアの次の戦いは始まっているのだ。

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