第162話「勝敗決す」

 旗艦クイーン・アリスティリア号の足が止まった。

 このままでは、敵の目前で立ち往生してしまう。


「ランスロット……」


 女王アリスティリアは嫌な予感がしていたために、心の準備ができていた。

 落ち着いた女王に対して、動揺の色を隠せないランスロットは叫ぶ。


「な、なぜ急に船が止まったのか。今度はどうしたと言うのだ!」


 すぐに甲板にいる二人のもとに、下段の船室から報告が上がってくる。

 

「女王陛下、ランスロット様、大変です!」

「大変はわかっている。早く説明しろ」


「下の船室が、敵に奪取されました。オールの漕ぎ手が襲われたので、船の足が止まったのです!」

「バカな。一体どうやって敵が入ったのだ」


「小型の船で乗り付けたようです。どうやら、この度の戦で雇った傭兵の中に敵の手のものが紛れ込んでいたようでして」

「信じられん。敵は小勢であろう、なんでそんなに簡単に奪取される?」


 女王を乗せる旗艦クイーン・アリスティリア号の乗組員は、漕ぎ手までもが屈強な海軍兵で構成されている。

 非戦闘員を漕ぎ手に使う商船とは違い、ガレーの漕ぎ手も、戦になれば武器を手にとって戦う海軍兵士なのだ。


 小舟に乗れる程度の数に敗れるはずもない。

 女王アリスティリアが重々しく言う。


「通常ならざることが起きたのであれば……」

 

 そうであれば、超常なる力が働いたとしか考えられない。

 女王の言葉にランスロットも納得した。


「そうか、剣姫か! ここで仕掛けてきたのだな」


 それならばたった一人であっても、下層甲板を占拠するのはわかる。

 おそらく、あの五百隻の大艦隊すら、囮であったのだろう。


 女王は、その神剣に溜めていた力を使ってしまった。

 敵はこの瞬間を狙っていたのだ。


 これで敵の狙いはわかった。

 その目的は、剣姫の力を持って旗艦クイーン・アリスティリア号を落として女王を殺すことだ。

 

 地上最強の剣姫アナストレアの伝説は、遠くアルビオンにも轟いている。


「女王陛下ご安心ください。我らロイヤルガードが、命をかけてお守りいたします!」

「ありがとう、ランスロット。そして、皆の者も心して聞きなさい!」


 この時のために、上部甲板には選りすぐりの魔術師団と近衛騎士団が、それぞれ千人ずつ詰めている。

 いくら最大級の重装ガレアス船といっても極端な過剰人員なのだが、これぐらいの戦力がなければあの剣姫の足は止められない。

 

 皆、女王の声に耳を傾ける。

 

「今この時こそ、我が国の命運を分ける決戦です。祖国のため、皆の命を私にください」


 女王の覚悟の言葉に、周りから心を震わせる雄叫びが上がる。


「我らが女王アリスティリア様、バンザイ!」「母なる女王に、我らの命を捧げん!」


 ランスロット以下、近衛騎士たちは覚悟を込めて頷いた。

 なにせ、世界最強の剣士であるあの剣姫を相手にするのだ。

 

 この日のために女王を守る近衛騎士団には、強い剣士であれば身分の貴賤を問わず、聖騎士どころか魔剣や妖刀の使い手までも積極的に登用してきた。

 ここには千人の剣の達人がいるのだ。

 

 だが、それでもあの剣姫を倒すには足りないだろう。

 自身もSランクであり、聖剣アロンダイトを有する聖騎士ランスロットですら、命をかけても足止めにしかならないと理解している。

 

 だが、上部甲板に詰める英雄、勇士たちはその全てが女王に命を捧げる決死隊であった。

 命がけで一瞬の隙を作ってみせる。

 

 その間に、同格の神剣の使い手である女王アリスティリアに剣姫を討滅してもらえばいい。

 近衛騎士団長ランスロットは、騎士たちを代表して心からの歓喜を持って叫んだ。


「諸君、聞いたか! 私は嬉しい、女王が私のために死ねと命じてくださった! 騎士として生まれ、これ以上の誉れと幸せがあろうか! ここで死ぬる者は、我が国の勝利の歴史と共に、永久にその名を刻まれるのだ。指揮官である私もまた、ここで諸君らと一緒に笑って死ぬと誓おう!」


 ランスロットの言葉に、上部甲板の二千人の勇士たちは、魂の雄叫びを上げる。

 もはや老いも若きも、身分の貴賤すらそこにはない。

 

 全ては、我らが女王のために!

 皆の心は、一つとなった。

 

 敵がたとえあの悪鬼、地上最強の剣姫アナストレアであろうと何するものぞ!

 陸の上ならばともかく、ここは海神ティティスの加護ある海の上だ。


 命がけの二千人の祈りは必ず届く。

 天佑神助は、必ずやこちらに傾く。

 

 もはや、何が起ころうとこの勝利の確信は揺らぐことはない。

 そうランスロットが思った、その時であった。

 

 誰かが、呆然と空を見上げて叫んだ。

 

「あれはなんだ!?」


 空から輝く巨大な何かが近づいてくる。


「空飛ぶ船?」

「いや、あれは天馬ペガサスだぞ!」


 伝説上の生き物である白く輝く天馬ペガサスがバッサバッサと巨大な翼を羽ばたかせながら、こちらにやってきたのだ。


 そうしてそのまま、空駆ける巨大な天馬は、旗艦クイーン・アリスティリア号のマストを二本薙ぎ倒して着地した。

 船に満載されていた騎士や魔術師たちは、慌てふためいて逃げ惑い船から落ちる者も出る始末である。


 まさに空前絶後。

 もはや、誰もが口を開けて呆然とするしかなかった。

 

 あまりの光景に、決死の覚悟を決めていたはずのアルビオン近衛騎士団ですら、一瞬にして戦意を喪失したほどだ。

 冷静沈着で知られた女王アリスティリアですら、その光景に目を奪われて呆然となったその時。

 

 巨大な天馬ペガサスの上から、紅い髪をなびかせた女剣士が飛来する。


「まさか、空から!」


 最初の一撃は、ミシミシと足を床に沈み込ませながらもなんとか受けた。


「たぁあああ!」


 だが、返す剣で女王の神剣は弾き飛ばされてしまう。


「なんで!」


 空の上からの攻撃では、海神ティティスの加護は通用しなかったのか。

 それにしたって、どうしてこうも剣姫アナストレアの剣は重いのか。

 

 祖国の栄光を、民の命運を背負っている女王の神剣よりも、その斬撃は重く鋭かった。

 一体どれほどの思いが、その剣に込められているというのか。


 剣姫アナストレアは、口惜しそうに立ち尽くす女王の喉元に神剣を突きつけると、高らかに宣言する。


「悪の侵略者、女王アリスティリア! ここで成敗したいところだけど、ケインの頼みだから命だけは助けてあげるから降参しなさい!」


 護衛のランスロットたちは、女王を救おうと駆け寄るが、そこに黒尽くめの男たちが立ちはだかる。

 ケイン配下の黒鋼衆である。


 何を隠そう、旗艦クイーン・アリスティリア号の下層船室を占拠して船を止めたのは、全て彼らの働きであった。


「どけぇ!」

「強いが、まだ小僧だな」


 クロガネの持っている短剣は、オリハルコンにも匹敵する硬度を持つ、東方セリカンの魔法金属ヒヒイロカネ。

 ランスロットの聖剣アロンダイトの一撃も受け止めることができる。


 実力は同じSランク。

 いや、純粋に剣技でいえば、剣士としての才能に勝る騎士ランスロットの方がほんの少し上だったかもしれない。

 

 だが、戦士としての経験が、覚悟が、何よりもスピードが違いすぎる――

 つばぜり合いになったかと思えば、ランスロットはしたたかに腹を蹴られて倒れ込んだ。


 暗器として、靴のつま先にもヒヒイロカネの刃を仕込んでいるクロガネである。

 刃を立てずに蹴るだけで済ませたのは、殺すつもりがないからだ。


「蹴り技とは、卑怯な!」

「卑怯だと? フハハハ」


 高らかに嘲笑するクロガネ。


「何がおかしい」

「これが笑わずにいられようか。主君の危機を前にして、卑怯だの何だのと言っておるのが愚かでなくてなんなのだ! ワシがお前なら、手を出し足を出し、それでも叶わぬならせめて腕に噛み付いておるわ」


 騎士の誇りにこだわりすぎるのが不忠であると罵られて、二の句も継げぬランスロット。

 口先だけではない。


 この眼の前の老人は、柳のように痩せた身体でありながら、ランスロットの剛剣を撥ね返して見せたのだ。

 自分と互角、いやそれ以上の練達であることが身にしみてわかってしまう。


「ランスロット。もういいです。下がりなさい」


 女王アリスティリアは観念した。

 脅威は剣姫だけではない。

 

 この混乱した状況で、忍法に長けた黒鋼衆の力は圧倒的だった。

 次々に、周りの騎士たちが縄目にかけられていく。

 

 圧倒的な力を見せつけたあげくに、敵はこちらを殺さずに拘束するほどの余裕を見せているのだ。

 

「しかし、まだ!」

「ランスロット! 私の命令です、剣を引きなさい。我々は、負けたのです……」


 口惜しげに空を見上げる女王アリスティリア。

 そこには、輝く天馬ペガサスにまたがった男がゆっくりと天空を飛翔していた。


 見た目こそ凡庸なれど、聖女を背負い黒髪の少女を抱いたまま悠然と降下してくる男は、強者のみがわかる空恐ろしいオーラを発している。

 あれこそが、善王ケインであろうと誰もがわかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る