第161話「白い木馬」
アルビオンの無敵艦隊が迫りつつある頃、ケインはアムステルの海岸に立てられた巨大な木馬の中にいた。
敵の旗艦クイーン・アリスティリア号に比べれば一回り小さいが、丈夫な木材で作られた白い木馬である。
今日の主役は、ケイン……ではなく。
「ヒーホー! ヒーホー!」
「それでは、これより
最高司祭レギウスが高らかに呪文を唱えると、周りの司教たちも一斉に祈りを唱和する。
女神アルテナがヒーホーに与えた
王都のオーディア教総本山の完全バックアップによる空前絶後の大儀式であった。
今回のことは、ケインのために気を利かせたセフィリアが、アルテナ復活を祈願するために王都にあるオーディア教の総本山に協力を依頼したのがきっかけであった。
たとえ国のためといえども、オーディア教は世界宗教。
一国の戦争に加担することをよしとはしない立場だったのだが、ケインの目的が戦争を止めるためであると説得されて、こうして協力が実現したのだ。
独立性を重んじるオーディア教会としては、かなりギリギリの判断だった。
そこは、最高司祭レギウス・クレメンスが娘である聖女セフィリアにどこまでも甘いからという理由もあった。
それなのに、十四歳の今になるまで大事に育ててきた可愛い娘が今、見知らぬおっさんの背中にローブ一枚越しに胸をすりつけているのを目前としているのだ。
「ぐぬぬぬぬぬぬう!」
その光景は、厳格な宗教家である父親が見るには耐え難いものがあった。
これには、宗教界の最高権力者であるレギウスの普段から威厳のありすぎる顔が、さらに険しく悪鬼のような形相になるのも仕方がない。
なんだかレギウスの身体から白銀の神聖力ではなく、ゆらゆらと別の力が湧き上がっている感じすらする。
「あ、あの聖女様」
「ケイン様。私のことは、セフィリアとお呼びくださいと……」
恋人が甘えるような声で、ケインの耳元に呼びかけるセフィリア。
「ああごめん。えっと、セフィリア」
「ぐぬぅ!」
呼び捨てか!
純真の聖女とまで讃えられた、我が最愛の娘を呼び捨てにする仲なのか!
そう言わんばかりに、手に力を込めたレギウスの硬い樫の杖が、ピキッ! と破裂音を立てた。
「な、なんというか、君のお父さんが、凄い形相でこっちを睨んでるんだけど……」
「ご安心ください。聖女の誓約は、主神オーディア様が定められた神聖なる儀式。たとえ最高司祭といえど、止めることはできません」
とてもじゃないが、ケインはまったく安心できない。
今度は、最高司祭レギウスの掴んでいる樫の杖が、ミシミシと音を立てて床にめり込んでいっている。
「これって私も参加していいんですかー」
この緊迫した空気を無視して、遊び気分で今回の作戦に従軍してきて、この木馬にまで乗り込んでいるハイエルフの女王ローリエが割って入ってきた。
ケインの背中に胸を押し付ける作業を続けながら、セフィリアが少し考えて言う。
「いいですよ」
「やった!」
ローリエが、前からケインに抱きつく。
こう見えてローリエは着痩せするタイプなのだ。
前から後ろから、柔らかいお肉に挟まれて感極まったケインは、慌てふためく。
「セフィリアさん!? これは一体どういう意味があるの?」
「ハイエルフのローリエ様は、精霊神ルルドの血を引く半神です。儀式にいい影響があると判断しました」
「ちょっとローリエ、大事な儀式なのよ。ふざけるのもいい加減になさい!」
ローリエを止めるために、姉のシスターシルヴィアが割って入ろうとするのだが、セフィリアが言う。
「シルヴィアさんもハイエルフだから、参加していいですよ」
「本当ですか猊下! そ、それじゃあケイン。これは、儀式だから仕方がないんだからね」
なんだかんだでいたずら好きの似たもの姉妹である。
ローリエとシルヴィアは、押し合いながらケインに前から抱きついた。
じっと見ているケインの娘ノワにも、セフィリアは声をかける。
「ノワちゃんもいいですよ」
ノワは、元悪神で現在は子供を守る神として
「わーい! お父さん!」
ノワもピタッとくっつく。
それを見た最高司祭レギウスは、ついに樫の杖をへし折ってしまった。
「あ、あいつは子持ちなのか!」
「レギウス聖下、いい加減にしてください。儀式が失敗しますから、変な念を混ぜないでください!」
部下の高位聖職者の注意に、レギウスは折れた杖を握って叫ぶ。
「そんなことはわかっておるわ! 一刻も早く儀式を終わらせるのだ! ぬおおおぅうううう!」
銀髪の美しいハイエルフのお胸がむっちりと左右からケインを挟み、後ろからは金髪碧眼の聖女セフィリアが抱きついている。
知らない人が見たら、なんだこのハーレムという感じである。
主神オーディアへの祈りを唱和する高位聖職者たちの声も、なんだかかすれて崩れてきている。
普段から禁欲生活を強いられている男性聖職者に、この光景はちょっと堪らない。
腹立ち紛れに、最高司祭レギウスが部下に声を荒げた。
「バカモノ! 祈りに集中せんか!」
「せ、聖下こそ、お顔の色が優れぬようですが!」
「私は大丈夫だ! わかっている、わかっているとも。これが世界の平和を守るために必要な儀式だということは……だが、ケインくん。事が終わった後で、最高司祭としてではなく一人の娘を持つ父親として、君の私生活上の問題について、じっくりと話がしたいのだがよろしいか」
「あんまりよろしくないです!」
これまでのケインの善行が報われた、せっかくの美味しいハーレム展開と言えるかもしれないのだが。
セフィリアの父親が、怒りで顔を真っ赤にして睨みつけている状況で、これを役得だと楽しむゆとりは、ケインにはこれっぽっちもなかった。
そしてもう一人、このあられもない光景に、赤髪を逆立てて憤怒の形相で睨んでいる悪鬼がいる。
顔を真っ赤にしているアナ姫に向かって、セフィリアが言う。
「アナも、来ていいですけど……」
「どうせ私には押し当てる胸なんてないから、力の足しにならないんでしょ!」
ノワもいるから胸の大きさが問題ではないのだ、確かにアナ姫は神聖力の足しにならないかもしれない。
だけど、ケインの幼馴染であった昔のアルテナは、アナ姫に似ていたという話も聞いた。
勇気を出して来ればいいのにと、セフィリアは素直になれない幼馴染に苦笑した。
アナ姫は苛立たしげに尋ねる。
「セフィリア、ほんとにこんなアホみたいな儀式でアルビオン海軍を打ち破れるの?」
「はい、主神オーディア様の御力は絶対です」
これでちゃんと光り輝く神聖力が集まってきて、白い木馬に白銀の翼が生えて海岸から浮き上がりつつあるのだ。
天空から外界を眺める神々は人々の無益な争いを嘆いているかもしれないが、こうして争いを止めようとバタバタ騒いでいる姿は、意外と楽しんで見ているのかもしれない。
聖女の誓約などがいろんな方面で差し障りがある形になっているのは、主神である光の神オーディアの、ちょっとしたイタズラ心かもしれなかった。
「まあいいわ。囮作戦はマヤに任せたし、神聖力はセフィリアの担当だもんね。私は私で、敵を打ち砕くだけだわ。こうなったら、この怒りは全部、アルビオン海軍の奴らにぶつけてやるんだから!」
神剣をシャキンと引き抜いて、完全にやる気になってるアナ姫に、ローリエたちにしっちゃかめっちゃかにされているケインが注意を飛ばす。
「アナストレアさん、今回は戦争を止めるのが目的なんだから、相手を殺してしまわないようにね!」
「も、もちろん、わかってるわよ」
絶対わかってなかった顔だ。
アナ姫にいわれのない怒りをぶつけられるアルビオン海軍も、いい迷惑だ。
こうして、色んな意味で敵を打倒する力を溜めた巨大な白い
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