第152話「趣味人の王様」

 ベネルクス低地王国は、北の果てにあるケイン王国の南に位置する。

 ちょうど、ケイン王国と大国アウストリア王国の間に挟まれている小さな国だ。

 

 低地にあるために国土は狭く、キッドの治めるランダル伯爵領よりも小さく耕作地も少ない土地だが、大きな河川と良港がある首都アムステルを有し、海運業が盛んである。

 特に毛織物の生産では並ぶものがなく、高い技術力を持った商業国家である。

 

 その小さな王国の当主であるベルナルトは、ケインの家の前で家臣を引き連れて佇んでいた。

 綺羅びやかなビロードの着物の懐から懐中時計を取り出すと、ちらりと時刻を見た。


「そろそろか……」


 ベルナルトは、一見すると柔和な印象だが、その瞳には鋭さがある。

 大人の風格を備えた、いかにも気位の高そうな王の前に、ケインが慌ててやって来てペコリと挨拶する。

 

「お待たせしました。ベルナルト・ベネルクス三世陛下でいらっしゃいますか」


 ケインの服装は、とても一国の王には見えない。

 いきなり、大きな鍋を抱えた冒険者風の男に声をかけられたのだ。

 

 護衛の家臣たちが、不審な目で見るのは当然である。

 だが、使いの者かもしれないと、警戒する従者を手で止めてベルナルト王は尋ねる。


「いかにも私がベルナルトだ。して、その方は?」

「俺は、ケインといいます」


「ふむ。ケインと……えっ、今、ケインとおっしゃったか?」

「はい、俺がケインですが」


 粗野な身なりの冒険者に王だと名乗られても、ベネルクス低地王国の使節団一行は当惑するばかり。

 一緒に付いてきたキッドが、すぐに説明する。

 

「ベルナルト陛下。俺……いえ、私は当地の領主キッド・ランダルです。この方は、確かにケイン王国の国王ケインであらせられます」


 いかにも貴公子であるキッドの言葉に、ようやくベルナルト王以下、家臣たちは納得して警戒を解いた。

 ケインは、立派になったキッドの立ち居振る舞いを見て、嬉しそうに目を細めている。


「そ、そうでしたか。あなたが世界の危機を救われた英雄、かの善王ケインであらせられましたか。そうとは知らず、大変な失礼をいたしました!」


 王となったケインが、いまだに冒険者として野山を駆け巡っているなどと、ベルナルトは思っても見なかったことだ。

 おかげで虚をつかれて唖然としたが、気を取り直して挽回しようとする。

 

「いや、俺はそんなたいそうな者じゃないですから。それより、隣国の王様をお待たせして本当に申し訳ない、ともかくうちの中へどうぞ」


 ケインにうながされて、使節団一行は屋敷に招かれる。

 こじんまりとした屋敷に見せかけて実は……などと少し期待していたが、中に入っても何の変哲もない古い木造である。


 キッドたちや家臣は、居間や台所の方に控えて、ベルナルト王は一番いい奥の部屋へと通されるのだが、そこもただの応接間に過ぎない。

 これが本当に、ケイン王国の王宮兼大使館なのか。

 

 本国に宮殿があり、こちらは別邸と考えても、一国の王が住むにはあまりに質素すぎるのではないか?

 などとは、口に出しては言えないのだが……。

 

 さっきから、ベルナルトは肩透かしを喰らい続けている。


「ベルナルト・ベネルクス三世陛下」

「善王ケイン殿、ぜひ、私のことはベルトと呼んでいただきたい」


「ベルトですか?」

「はい、親しい者は私をそう呼ぶのです。両国の国交については、大臣から日を改めて詳しい話をさせていただきたいが、まずはベネルクスの国王である私が善王ケイン殿とも親交を深めたいと思ってやってきたのです」


「そうですか。それではベルト殿、俺の方もただのケインでお願いします」


 ベルトの気さくな態度に、ケインもホッとしたようだ。

 どうも善王とか言われるのは慣れなくてと、少し恥ずかしそうに笑う。

 

 様々な噂を聞く善王ケインは、飾りがない素朴な男であった。

 虚飾にまみれた政治の世界に住むベルトにはそれが好ましく思えて、口元に微笑みを浮かべる。

 

 元は庶民であるというケイン。

 それは、ベルトにとっても好都合だ。

 

 慎ましやかな生活をしていたのであれば、持ってきた豪奢な贈り物を使えば、籠絡ろうらくできる可能性が高い。

 いや、この交渉は必ず上手くやる。

 

 そうでなければケイン王国の宰相になった、あの切れ者、万能の魔女マヤとの交渉を避けて、わざわざケインのところに先に押しかけた意味がない。


「それでは、遠慮なくケイン殿と呼ばせていただこう」

「はいベルト殿。粗餐ですが、夕食を用意したのですが……王族の方のお口に合いますかどうか」


「ありがたいですな。ちょうどお腹が空いていたところですが」


 もしかしたら、さっきの鍋かなと思ったが、やはり粗末な木の器にたっぷりと注がれた熊肉とキノコのスープが出てきた。

 付け合せには、素朴なパンがあるだけだ。

 

「どうぞ、とても美味しいですよ」

「こ、これはなんとも野趣あふれるといいますか……」


 そう勧められても、ベルトは苦笑するばかりだ。

 ベルトは、富裕で知られるベネルクス王国の国王なのだ。

 

 王の食卓に並ぶのは、世界各国の山海の珍味である。

 言葉どおりの粗餐だなと内心で少し失礼なことを思いつつ、礼儀として口をつけるかと食べてみると、途端に驚きに目を見張った。


「美味い!!」

「でしょう。今年は特に出来がよかったんですよ」


 あまりの美味さに、一口だけと思っていたベルトは、マナーも忘れて一心不乱に食べ始めた。

 しばらく食べてようやく満足のため息をつく。


「ふう、熊肉は舌でとろけるようだ。ヒラタケ一つにしても、こんな肉厚で味わいの深い物を私は食べたことがありません。これほどの食材をどこで手に入れられたか」

「近くの山で採れた素材を使った、ただの田舎料理ですよ」


「そんなわけはないでしょう」

「調理したマスターの腕が良かったのかな……」


 ケインのつぶやきに、ベルトはまたギョッとした。

 ケインは酒場『バッカス』のマスターが作ったと言っているだけなのだが、それを聞かされたベルトの方は「マスタークラスの専属料理人がいるのか!」と盛大に勘違いしてしまった。

 

 そうだとすれば、ケインの素朴な身なりや、この屋敷の質素さは見せかけだけなのかという疑念が湧いてくる。

 そうか!

 

 貧しい田舎料理と見せかけて、一流の食材を使った美味い料理を出して驚かせる趣向か。

 

「なるほど、してやられた」

 

 この眼の前にいる地味で素朴に見える男は、仮にも世界を救った善者であり、一代で一国を築いた英雄王だった。

 まさにこの熊汁のごとく、見せかけだけで油断してしまったのは、誤りだったとベルトは反省する。

 

 これは、一筋縄ではいかないようだ。

 だがベルトとて、外交力で小国を守り抜いてきた海千山千の国王だ。

 

 さっと居住まいを正すと、この程度では負けないと、勧められるままに美味しい熊汁を何杯も平らげてみせた。

 

「気に入られたようでなによりです。食後のお茶を頼みましたので」


 エレナたちが、台所で茶を入れて持って来てくれた。

 どうぞと差し出された器に、ベルトは開いた口が塞がらなくなる。

 

「こ、これは……」

緑茶グリーンティーというそうですね。お客さん用に高級茶葉の在庫があってよかった」


 確かに、緑茶グリーンティーだ。

 はるばる東方セリカンより輸入された茶葉で、薬としても珍重されている。

 

 しかし、豊かな貿易国家ベネルクスを治める王であるベルトにとって、緑茶グリーンティーは、さほど珍しいものではない。


「そ、そうではなくて……」


 ベルトが驚いたのは器の方だ。

 

「あ、すみません。ひび割れの入った器などを出してしまって、お気に障りましたか」

「いえ、気に障るどころか、これは素晴らしい名物ではありませんか!」


 名物とは、特に価値の高い茶器である。

 海外の事情に詳しいベルトは、この東方セリカンの陶磁器の価値を知っている。


「はあ?」

「そうか、ケイン王は私を試しておいでなのか。この渋い風合い、まさに極東の茶人ソウエキが作らせた黒茶碗でしょう!」


「……」


 なんのことやらと、茶器にまったく詳しくないケインは黙り込むしか無い。


「そして、ケイン殿がひび割れといったこの修復は金継ぎですな。枯淡とした漆黒に、まるで黄金の連枝のごとき景色を見せて、目の覚めるような鮮やかさを生んでいる。なんと美しい!」


 金継ぎとは、割れた茶器を漆と金粉で修復する技術だ。

 極東の茶人ソウエキの弟子もまた名人であり、こうして名物の茶碗をわざと割り、金継ぎで修復して新たな価値を与えたと伝えられている。


 西方世界で、その逸話を知る趣味人はそう多くない。

 つまりケインは、ベルトと同じく最新流行の極東文化、わび茶を理解する文化人でもあるということだ。


 そう考えると、ケインの住む古い屋敷も、わびた住まいに思えてくるから不思議だ。

 極東の美は、一切の虚飾を省いたところにその真髄がある。

 

 簡素な生活をするケインが、客に出す器のみに最良の物を使う。

 なんと美しいもてなしであろう。

 

 自らも一端の趣味人を自称するベルトであるのに、富貴なビロードに身を包んだ自分が、ここでは虚飾にまみれている俗人丸出しで恥ずかしささえ感じる。

 それにしても見事な茶器だ。

 

 極東の文化はいま西方でも大流行しており、ベルトも金にあかして極東の茶器をいくつも買い入れているが、黒茶碗は王族でもおいそれとは手に入らない希少な名物だった。

 実際のところ、確かにこの黒茶器はアルミリオン大公爵のコレクションを、娘であるアナ姫が勝手に持って来た本物だった。

 

 しかし、細かい事情を知らぬベルトは、ケインがその黒茶碗を価値もわからずに普段遣いしていることも。

 その補修された黒茶碗が、アナ姫が盛大に割ったあげく、それに驚いたマヤが素人ながら懸命に万能魔法でなんとか直した物だとまでは知る由もない。


「あの、お茶が冷めちゃうと思うんですが」

「おっと、これは度々失礼を……ふう」


 美味しそうに茶を飲む、ベルト。


「いかがですか」

「良い器でいただくと、茶の味もまた格別です」


「それはよかった」


 もてなしに感じ入ったベルトの気持ちが、ケインにも切々と伝わってくる。

 他国の王様相手にちゃんと接客ができるかどうか、不安だったケインも笑顔を見せた。


「それにしても、惚れ惚れするほどの美しい器です。地肌がまるで手に吸い付くようで、一度手にしたら手放したくなくなる。私もいつか、このような名物を手に入れたいものだ」

「それほど気に入られたのなら、差し上げますよ」


「はっ、いまなんとおおせられたか」

「俺にはその器の価値がわからないので、もし失礼でなければ差し上げようと思うんですが」


 ベルトは震え上がった。

 もちろん、趣味人であり東方セリカンの文化を理解するケインが、この器の価値を知らぬわけがないと思ったからだ。


 では、この謎掛けはいったいどういう意味か。

 そうだ、そもそもベルトは運んできた金銀財宝や高価なビロードの布地でケインを籠絡し、援軍を引き出させるために来たのだ。


 王に成り上がったばかりの田舎者ならば、お世辞の一つでも言っておだててやり、贅を尽くした品をちらつかせれば、たやすく利用できるだろうという浅ましい考え。

 自らを凌駕する粋人を相手に、なんと愚かな!

 

 思い上がりも甚だしかった。

 ベルトは激しい羞恥を感じて、目を覆いたくなるような気分だった。

 

 馬車に満載した宝物をすべてを合わせても、ケインが差し出したこの茶器の価値にはかなわない。

 ここに来たときからそうではないかと薄々感じていたが、やはりそうだったのかとベルトは得心がいった。

 

 世界を救いし大英雄ケインは、ベルトの思惑など最初からお見通しだったのだ。

 ケインが、ベルトに向けて高い茶器を贈ると言った謎掛けの意味。

 

 つまり、王としての『器』を問われているのだ。

 完全にベルトの敗北だった。

 

 善王ケインは、これほどの大器であったか。

 ベルトは、ゆっくりと床に崩れ落ちた。

 

 突然顔を青くして倒れ伏したベルトに、ケインは驚いて手を差し伸べる。


「ベルト殿、突然どうされたんですか!」

「善王ケイン殿のもてなしに感服つかまつりました。数々のご無礼、どうかお許しいただきたい」


「いえ、無礼だなんて」

「この期に及んで、無粋な巧言令色こうげんれいしょくなどもちいますまい」


「は、はあ……」

「か弱き小国の王として、ケイン殿に乞い願います」


「なんでしょう」

「我が国は、危機にあるのです。どうか、このとおりです。あなたのお力を貸していただきたい」


 すっかり打ちのめされたベルトは、その場で身を縮こまらせるよう土下座してみせた。

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