第五部 第一章「善者ケイン」

第147話「神殿の掃除」

 ケインが故郷に帰ってきてまず始めたのは、クコ村にあるアルテナ神殿の掃除であった。

 この地域一帯にアルテナの神殿はたくさん出来たので、祈るだけならこの神殿にこだわる必要はないかもしれない。

 

 それでもケインにとって、やはりここが一番大事な場所であった。

 アルテナの魂は、ここに眠っているとそう感じる。

 

「村のみんながきちんと管理してくれているのか、ありがたいことだな」


 久しぶりに帰って来たので、張り切って夜も明けきらぬうちからやってきたが、綺麗すぎて張り合いがないぐらいだ。

 備え付けてある箒でさっと掃き清めると、すぐに手持ち無沙汰になってしまう。


 みんなの安全でも祈ろうかと拝殿に入ろうとしたとき、聖女セフィリアがやってきた。

 

「やあ、聖女様もきてくれたのかい」

「……ケイン様」


 あれっと、ケインは思う。

 セフィリアは、よくよく観察しないとわからないぐらいわずかに、ちょっとムスッとしている。

 

 付き合いもそろそろ一年になるので、ケインにもそういう微妙な反応がわかるようになってきた。

 

「えっと、何か気に触るようなことをしちゃったかな」

「名前……です」


「ああ、そうかごめん。セフィリアさん」

「……セフィリア」


「いや、どうも呼び捨ては慣れなくてね」

「……」


 セフィリアは、オーディア教会で高い尊崇を受ける聖女様なのだ。

 ケインの母親代わりのシスターシルヴィアなど、いまだに丁重な扱いをしている。

 

 それを見てるので、どうも遠慮があるのだ。

 

「セフィリア」

「はい!」


 無言の圧力に負けたケインが、名前を呼ぶと満足したのか、嬉しそうに飛びついてきた。

 ケインはセフィリアを軽く抱きとめると、おやっと思った。

 

「ちょっと背が伸びたかな」

「そう、ですか」


 セフィリアの頭の位置が肩あたりまできているので、ケインは少し驚く。

 背伸びしたい年頃のセフィリアは、そう言われて嬉しかったのかケインの肩に顔を押し付けた。


 おっさんの一年はほとんど変わらないが、思春期の子供の一年は驚くほど成長するものだ。

 いつまでも子供だと思っていたら、そのうち追い抜かされるかもしれない。


 押し付けられるセフィリアの大きな胸の感触にもだいぶ慣れたとはいえ、平静を保つのに苦労させられる。


「お参りしようか」

「はい」


 いつまでも離れないセフィリアの肩を苦笑しながら押し戻すと、二人でお参りすることにした。

 聖女であるセフィリアはもちろんのこと、久しぶりに参拝したケインもじっくり瞑目して手を合わせる。


 こうしていると、ケインはアルテナを近くに感じる。

 姿は見えず声は聞こえなくても、確かにそこで自分を見守ってくれていると感じられる。


 だからケインは、この地から離れられなかったのだろう。

 昔はぼんやりと思っていたことが、近頃ではハッキリとしてきた。


「ケイン様は、寂しくない、ですか」


 またその話かと、ケインは困ったように微笑む。

 寂しくないといえば嘘になってしまうから、何も言えない。

 

「私なら、アルテナ様を呼び出せます」


 そう碧い瞳に力を込めて言うセフィリアに、ケインは肩をすくめた。


「ありがとう。セフィリアの気持ちは嬉しいけど、俺もアルテナも誰かを犠牲にして会いたいとは思ってないよ」

「私が、そう望んでるんです」


「それは嬉しいけど」

「ちが、違います。そ、そうじゃなくて!」


 白い頬を紅潮させて、手をあたふたさせるセフィリアをケインは落ち着かせる。

 何か言いたいことがあるようだ。


「大丈夫。ちゃんと聞くから、ゆっくり話して」


 まだ一日が始まるまでに少し時間がある。

 たまにはゆっくり二人で話すのもいいだろうと、神殿のベンチに腰掛ける。


「私は、ここでケイン様に、命を救われました」

「アナストレアさんなら、俺の手を借りなくても『蘇生の実』を見つけてたと思うよ」


「アナの話は、してないです!」


 怒られてしまった。

 どうも最近のセフィリアは、情緒不安定なところがある。


「いや、でもその御礼だって言うなら」

「そうじゃなくて、ケイン様が望んでくれないと、アルテナ様が降ろせないんです。もう、なんで、私じゃダメなんですか」


 セフィリアは瞳に涙を浮かべて、ケインの膝にすがりついた。


「え、えっと……ダメとかそういうことじゃなくてね」


 息を荒げて、興奮しているらしいセフィリアの髪を、落ち着かせるように撫でてやった。

 セフィリアは、しばらく呼吸を整えてからケインに尋ねる。


「……ケイン様は、私が、アルテナ様を呼び出さなくても、必要としてくださいますか」

「もちろんだよ」


 どうやらセフィリアは、アルテナを呼び出さないと自分の存在価値がないと思ったようだとケインは察した。

 セフィリアは一人で思いつめて暴走するときがある。

 

 近頃、何か不安そうにしていたのはそれかと、原因がわかってケインはホッとした。

 

「セフィリアがいてくれないと、俺は困るよ」


 ケインは、セフィリアの柔らかい金髪を撫でながら安心させるように優しく言ってやる。

 しばらくそうしてると、鼻をくすんとすすりあげて、セフィリアが上体を起こす。

 

「ぐず……じゃあ、わかりました。ケイン様」

「うん」


「アルテナ様を、現世に蘇らせることができるかもしれません」

「本当に?」


 それができたら、何よりもありがたい。

 

「はい。主神オーディア様にお願いすれば、今ならもしかしたら……」


 主神オーディアの神力ならばできるかもしれないとは、エルフたちがまつっている精霊神ルルドも言っていたことだ。

 そして、セフィリアは他ならぬ主神オーディアの加護を一身に受ける聖女でもある。

 

 セフィリアが言うには、近頃アルテナが姿を現さなくなったのは、復活のための力を溜めているのかもしれないというのだ。

 ケインの善行がこのまま積み重なっていけば、やがて天にも祈りが届くのではないかと感じたという。

 

「アルテナ様の力は、集まった信仰心と、ケイン様の善行です」

「そうか、じゃあアルテナの復活を目指して、俺もより一層がんばらないとな。セフィリアも手伝ってくれるか」


 ベンチから立ち上がると、手を差し伸べたケインに、セフィリアは手を重ねる。

 

「はい!」

「えっと、それで善行と言っても、さしあたり何をしたらいいんだろ」


 セフィリアは両手でケインの手を包み込むと、豊かな胸に押し抱いて、満面の笑みを浮かべて答えた。

 

「ケイン様は、いつものようになされば、良いかと思います!」

「そ、そうかあ」


 何時になく張り切ってみせたケインであったが、なにか劇的な神の試練みたいなものがあるわけじゃないのかと拍子抜けしてしまった。

 セフィリアが言うには、善行とは派手なものではなく日々の積み重ねだという。

 

 そう言われたらそんな気もするし、そっちのほうが自分らしいかとケインは笑う。

 その後、いつものように子供たちに朝ご飯を食べさせてから、薬草を採りに出かけることにした。

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