第119話「二国間交渉」

 エルンの街の前に、図々しくも陣取った竜騎士団を忌々しげに眺めて、剣姫アナストレアが吠える。


「あんなやつ、竜騎士団ごと帝国の国境線まで叩き出してやればいいじゃない!」


 確かに、アナ姫ならば精鋭の竜騎士団とはいえ、単騎で叩き返すのも容易だろう。


「アナ姫ェ……それをやったら戦争になってしまうからあかんって言うとるやろが! 大陸全土で王国と帝国の戦争になったら、アナ姫かてその全てを止められんやろ。なあ、ケインさんも戦争は困るやんな?」


 アナ姫の暴発を止めるには、もうケインに頼るしかない。

 戦争を回避するため、魔女マヤはもう何だって使うつもりだった。


「そうだね。戦争になったら無辜の民までもが巻き込まれることになる」


 ケインが憂い顔でそう言うと、ようやく「ムムムッ!」と妙な唸り声を上げて、アナ姫が止まった。

 ともかく、この間にマヤは急ぎ王都とアルミリオン大公爵家に文を送った。


 王国領内に帝国の竜騎士団が来て居座っているという緊急の連絡を受けて、王国軍を引き連れて国王ディートリヒ・アウストリア・アリオスとその家臣たちがやってきた。

 そして剣姫アナストレアの両親である、アルミリオン大公爵夫妻も軍勢を引き連れてやってくる。


 いよいよ、きな臭くなってきた。

 このエルンの街で、王国と帝国が二国間交渉を始めるというところで、Sランクパーティー『高所に咲く薔薇乙女団』の三人に引っ張ってこられて、ケインは不思議そうに尋ねる。


「俺もいなきゃいけないのかい?」


 帝国の皇太子と、王国政府のお偉いさん方の外交交渉なのだろう。

 なんで一介の冒険者であるケインまで行かなきゃならないのかと、少し不思議に思う。


「ケインは絶対いてよ! あのバカにビシッと言ってあげて、その後は全部私がやるから」


 アナ姫はそう言う。

 何をやらかすつもりかとビビるマヤだが、ケインに来てほしいのは同じだった。


「ケインさんは、新しくできた王国の件もあるやんか。こんなことがあったのでついでになってしもうたけど、一度ディートリヒ陛下と会って話をしてほしいと思ってたんや」


 ケインが傍らの聖女セフィリアを見ると、何も言わないがケインの腕をしっかりと掴んで、うんうんと頷いている。

 三人には世話になってもいるので、堅苦しい場は嫌だとも言えない。


「……そういうことなら、わかったよ」

「ほらケインさん。ディートリヒ陛下がいらっしゃったで」


 交渉が行われる陣地の前に、マゼラン宰相やモンド伯爵などの錚々たる重臣を引き連れて、端正な顔立ちの王が馬に乗って颯爽とやってきた。

 金糸刺繍で彩られたエレガントな装いで現れたディートリヒは、大国の王としての堂々たる威厳を放っている。


 眼の前で下馬する王に、ケインは慌てて頭を下げる。

 ディートリヒ陛下は、ケインにとって雲の上の人である。


「皆の者、どうか頭をあげて楽にしてくれ」


 そう言われても楽にできるはずなどなく、ケインは平伏していたのだが、「ケインさん、陛下もそう言ってらっしゃるから」とマヤが顔を上げるように言う。


「いや、でも相手は国王陛下だから……」

「ケインさんも今は、小なりとは言え国王やんか。それに、この前は王様より偉い神さんにも会ってきたんやろ」


 マヤがそう言うと、ディートリヒ陛下が愉快そうに笑った。


「ほほう。神様に会ったとは、実に興味深い話だな。ぜひ後で詳しく聞かせてほしいものだ」


 そう言いながら、ディートリヒ陛下はその場にかがむとケインの手を取った。


「最近は、なぜかそういう機会がありまして……」


 ケインは頭をかいて愛想笑いを浮かべる。

 ディートリヒは、ケインの目をマジマジと見つめ、心底からの敬意を込めて言う。


「……そうか、そなたが噂のケインくんか。ずっと会いたいと思っていたのだ。我が国を二度も救っていただき、改めて感謝する」

「俺は大したことはしてません」


「ハハ、大変慎み深い人だとも聞いている。数々の英雄的な働きに、報いねばならないと思っているうちにヘザー廃地を治める王になられたと、そこの魔女マヤより聞いた」

「いやそれは、名前だけのことでして」


「そう謙遜しなくてもいい。いわば我らは対等な立場ではないか」

「そうおっしゃられましても……」


 大国の王と、対等の立場などととんでもない。

 ケインは、アウストリア王国の片田舎の街に住んでいる一市民でもあるのだ。


「ケインくんは獣人の戦士団を従え、ドワーフ王国のバルカン大王より王の位を賜ったそうだな。しかも、エルフの国からも、ハイエルフの血筋として認められているとか……」

「なんか成り行きでそんなことになりまして」


 そのあたりは、マヤより詳しく報告を受けているところである。

 期せずしてケインの存在は、二国間の外交にとって重要なファクターになりつつある。


「我が国も、ドワーフやエルフとはえにしを深めたいところだ。ケインくんには、その辺りの仲立ちもお願いしたいところだが、今日のところはぜひ帝国との交渉に協力していただきたい」

「協力ですか?」


「うむ。ケインくんは、会談の場にいてくれるだけでいいのだ。それだけで、帝国にプレッシャーをかけることもできよう」


 なにせ、ケインは新しい神剣の持ち主で人間でありながらエルフと深い縁を持ち、獣人を従えて、ドワーフの民を抱える国主ともなった男だ。

 帝国とて無能ばかりではないので、とっくに調べてきているだろう。


 万が一、王国と帝国が戦争になったときに、エルフやドワーフの国がどう動くか。

 いつものように人間同士の争いには関与しないと局外中立を保つであろうとは思うが、ケインを軸にもしかしたら王国側に味方するかもしれないと帝国に思わせることができれば、それだけで交渉を有利に運べる。


 ディートリヒ陛下は思慮深い政治家の顔をした。

 感謝しているという言葉も本当だが、ここでケインを引き立てて、王の隣に座らせることも政治なのだ。


「わかりました。居るだけでよければ、そうさせていただきます」

「感謝する! 偉大なる善者であるケインくんに側にいていただければ安心だ。余のことは、ぜひディートリヒと呼んでくれ」


「陛下を呼び捨てになどできません」

「そうか。ケインくんは、長らく冒険者暮らしをしていたと聞いていたが、とても礼儀正しいのだな」


 姪っ子のアナ姫とはえらい違いだと、王は横目でちらっと見る。

 剣姫アナストレアと、その両親であるアルミリオン大公爵夫妻も、久しぶりの再会を喜び合っている。


「何よ、お父様まで来なくてよかったのに」

「アナ! そんなわけにはいかんだろう! お前の結婚の話だと聞いて、領地から飛んできたのだぞ!」


 五十絡みの大柄の厳つい男が、でかい声で叫んでいる。

 威厳のある口髭はいかにも大貴族だが、燃えるような赤髪で大剣を背負い漆黒の鎧を身にまとったその姿は、なるほどこれがアナ姫の父親かと言った感じである。


 クロヴィス・アルミリオン大公爵。

 王国の烈将と謳われる大英雄で、今も国王の右腕として大公爵家の軍勢を率いて活躍している。


「私は結婚なんてしないから!」

「まあまあ、二人とも。とりあえず、相手の話を聞いてみようではありませんか」


 激高する父娘を鷹揚にいなす余裕のある女性こそ、アナ姫の母親オリヴィア・アルミリオン大公爵夫人である。

 どうやら、アナ姫の赤髪は父親譲りのようで、オリヴィアは金髪の長い髪を動きやすいように後ろでくくっている。


 十五歳のアナ姫の母親なので、どんなに若くても三十代中頃のはずだが、まるで姉のように若く見える。

 ちなみに、アナ姫の父親は婿養子で王族の血を引いているのはオリヴィアのほうだ。


 オリヴィアは、ディートリヒ王の妹にあたる。

 ともかく、これでジークフリート皇太子の要求通りのメンバーが揃った。


 王国側は、ディートリヒ王自らが来ているのだ。


「おお、これはディートリヒ陛下。遠路はるばるとご足労いただいてかたじけない」


 さすがに無遠慮極まりない皇太子も少しは配慮したのか、エルンの街の前に張られた竜騎士団の天幕より皇太子の方から出迎えた。

 自分で呼んで置いて遠路はるばるもないものだが、王も言い返す。


「なあに、最近は遠乗りをする機会も少なくて、これでも走り足りないぐらいだ。できれば、次は場所をもう少し帝国寄りにしてくれたほうがありがたく存じるぞジークフリート殿下」


 王の皮肉に、皇太子は嬉しそうにニヤッと笑って返すと。


「うむ、交渉はこうでないとな。これで役者はそろったというわけだ」


 そんな言葉で会談が始まった。

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