第118話「戦争の危機」

 アナ姫、ついにやってしまった。

 相手は仮にも帝国の皇太子。


 いくら王族のアナ姫でも、いつものように「また私なにかやっちゃいましたか(てへぺろ)」じゃ済まない問題だ。

 これはもう、外交問題どころの騒ぎではなく、ぶっちゃけ戦争である。


「ジークフリート殿下!」「殿下、しっかりなさってください!」「し、死んでる……」


 皇太子のいつもの乱行と、黙ってみていた近衛の竜騎士たちが大慌てで駆け寄っている。

 なにせ、汚い花火である。


 盛大にグチャッとなっており、ジークフリートが無事だとはとても思えなかった。


「うぁあああああ! いつかやるとは思っとったけど、アナ姫がついにやってもうた!」


 この世の終わりのような顔で、魔女マヤが絶叫する。

 さすがに、アナ姫もちょっと悪びれた顔をした。


「……何よ」

「何よやあらへんぞ! 帝国の皇太子を殺ってしもたら、もう戦争やないか! セフィリア、なんとしても蘇生するんや! ああでも大量の肉片が飛び散ってもう、どれがどれやか……」 


 なにせミンチである。

 みんながすでに、皇太子は死んだものと決めつけて駆け寄ったその時だった。


「勝手に殺すなバカモノ……」


 なんと、あの悪魔でも魂を砕かれて消滅する凄まじい打撃をジークは耐え抜いていた。

 爆発四散した肉の塊をかき分けて、血みどろのジークフリート皇太子が奇跡の復活を遂げた。


「殿下、ご無事で!」「ともかく回復ポーションをお飲みください」「なんであれで生きておられたのですか?」


 端っこの側近がちょいちょい酷いことを言うが、ジークは気にせず高笑いした。


「フハハハハハ! これぞ軍神テイワズの与えた神鎧しんがい青金の鎧ヴラウパルツァーの力よ。我が肉体は、まさに不死身である!」


 不死身なのは肉体ではなく、神の与えた鎧の力のような気がするが、皇子バカの言うことは気にしてはいけない。

 アナ姫からの攻撃に耐えぬけるように、軍神も配慮してくれたということなのだろう。


 神鎧しんがい青金の鎧ヴラウパルツァーは、神剣不滅の刃デュランダーナの斬撃すら防ぎ。

 装備した人間がダメージを受けても自己修復する機能まで付いている、凄まじく神ってる鎧なのだ。


「生きててくれてよかった……し、心臓が止まるかと思ったわ!」


 すでにマヤは、心労でボロボロになってる。

 なんで敵国の皇太子の身の上をこんなに案じなければならないのかと思うと、情けなくて涙が出てくるがそれどころではない。


 そもそも真っ当な常識人であるマヤの思考からいくと、百騎もの竜騎士を率いて領空侵犯を仕掛けてくるジークフリート皇太子も、そのジークを躊躇なくぶち殺そうとしたアナ姫も、無茶苦茶なのだ。


 思い起こせば、以前に帝国との国境沿いの北守砦でモンジュラ将軍が起こした騒動。

 あれは将軍がバカなだけだったが、背後に王国への侵攻を狙っている帝国の影響があるのは事実であった。


 大陸を二分するアウストリア王国とドラゴニア帝国は、これまで何度も小競り合いを繰り返してきた。

 何か事があれば、帝国は王国に侵攻しようと狙っているのだ。


 その両大国の戦争が再び勃発するかもしれない瀬戸際で、綱渡りして遊んでいる剣姫アホ皇子バカの恐ろしさは、マヤの想像を絶するものがあった。


「あんた、まだ死んでなかったの!」

「ぐぁあああ!」


 またアナ姫がおもむろに攻撃を仕掛ける。

 グチャッとなるジークだが、この程度では死なない。


「なんで死なないのよ、ウザい!」

「フハハハ、これでわかったであろう。余の身体は不死身、ぐえっ!」


 モグラたたきのように、ジークを叩くアナ姫を止めようとするマヤ。


「アナ姫、ヤメェや!」

「万能の魔女マヤよ。心配することはない、ぐはぁ! アナストレアの攻撃など、余にとっては愛の囁きに等し、ぐほっ!」


 アナ姫が剣を振るうたびにドッタンバッタンと弾き飛ばされて、確実にダメージを受けているのだが、それを神鎧しんがいが即座に回復させている。

 アナ姫に勝てないとはいえ、その致命的な攻撃に耐えぬける、防御力と回復力を兼ね備えたジークフリート皇太子は、この地上で数少ないアナ姫を止められる存在とはいえる。


 しかし、それを見てヒヤヒヤしているマヤにとってはそんなことはどうでもいい。

 アナ姫にボコられて嬉しそうに叫ぶジークと同じように、マヤも悲鳴を上げていた。


 すぐ復活するジークとは違い、こっちは一撃、一撃、確実に精神的ダメージが蓄積されていく。

 このまま二人が争うと、二国間同士の戦争になると心配するマヤの顔は真っ青であり、流星剣が折れたと嘆いていたアベルを慰めていたケインは、今度はこっちに駆け寄った。


 明らかに、マヤのほうが重症だった。

 ケインが常に携えている薬草でも、ちょっと治りそうにない。


「マヤさん、大丈夫。酷い顔だよ」

「あ、ケインさん……。なんとか、あ、あ……あいつらを止めたって」


 聖女セフィリアの治療は、皇太子よりこっちに必要であろう。

 ケインに支えられたマヤの息が荒くなっている。


 このままでは、もうマヤの心臓が保たない。

 半死半生のマヤに、あれをなんとかしてと指を差されては、ケインも口出しせざるを得ない。


「なんとかしろと、言われても困るけど……とりあえず、アナストレアさんはむやみに人に切りつけちゃダメだよ」


 ケインにそう言われると、アナ姫は頭をかいてテヘっと笑って、剣を振るう手を止めた。

 この至極真っ当な意見を言って聞かせることができるのは、ケインだけであったりする。


「でも、ケイン。元はと言えばあいつが悪いのよ!」

「えっと、そちらはジークフリート殿下でしたか」


 そう言われて、嬉しそうにアナ姫にボコられていたジークは怪訝な顔をした。

 大国の皇太子と姫の間に、突然割ってはいってきた、このおっさんはなんだという顔である。


「何だお前は」

「俺は、しがないDランク冒険者ですが……」


「Dランク冒険者だと!?」


 ジークは、驚きを通り越して唖然とした。

 Sランク同士の会話に、なんでDランク冒険者が関わってくるのだ。


「ジークフリート、聞いて驚きなさい。ケインは、ただのDランク冒険者じゃないわ。ケイン王国の王にして、聖女セフィリアの誓約せいやくを受けし善者にして、ハイエルフの血族にして、新しい四本目の神剣善神剣アルテナ・ソードの持ち主なのよ!」

「えっ、今なんと言った?」


 一度で誰も聞き取れないほどの長い設定を早口で言われては、ジークでなくとも聞き取れない。


「だからケインは、ケイン王国の王にして、聖女セフィリアの誓約せいやくを受けし善者にして、ハイエルフの血族にして、新しい四本目の神剣善神剣アルテナ・ソードの持ち主なのよ!」

「四本目の神剣だと!?」


 聞いたこともない王国の名前とか、善者とかいうわけのわからないものはスルーした。

 ジークが気にかかったのは、四本目の神剣という部分。


 神剣は、世界に三本しか存在しないはず。

 そう言われてマジマジと見てみれば、ケインの腰に差している星のようにキラキラと光り輝いている剣は、まさしく神剣の装いがあった。


「なるほど、まさしくバルカン大王のあつらえだな」


 その凡庸な面持ちに、一度は目を曇らされたものの、剣に関してならジークも目利きである。

 まさしくその剣は、先程倒した青髪の剣士を超える一品。


「ようやくわかったみたいね!」

「ああ……」


 どうやら、自分は謀られていたとジークは理解した。

 こうみえて、ジークの感覚は無駄に鋭い。


 アナ姫が、こんな片田舎にずっと居座っているのも、この男が目当てだとすぐに悟った。

 ケインとか言う、見たところ平凡なおっさん冒険者。


 アナ姫の言が正しければ、目の前の黒髪の男は見知らぬ国の王であり、聖女に誓約せいやくを受けし善者であり、なによりもジークと同じく神剣を授けられているという。

 Dランクとは、相手を油断させるための嘘偽りなのであろう。


 しかし、そう考えてみると計り知れない相手だ。

 ここまで剣士が殺気を殺せるものか。


 いわゆる、力みの抜けた達人の気配の殺し方とも違う。

 その物腰は、まったくもって無防備である。


 油断なく剣を構えてじわりと近づくジークを前にして、ケインはいまだソワソワとマヤの容態を気にしているのだ。

 取るに足らない、まったくの凡人の気配だ。


 それが故に、ジークは相手の器を読み取れずに、大振りで攻撃を仕掛けることはできなかった。


「チェェイ!」


 わざと相手の反撃を誘うように、軽く斬り込んでみる。

 すると、キィンと音を立てて剣が弾かれた。


 ケインの持つ謎の神剣ではない。

 そもそも、ケインはそんなスピードで抜剣することができないのだが、それはともかく。


「あるじに何する!」


 ジークの斬撃を受け止めたのは、聖獣人のテトラの裂爪れっそうだった。

 アナ姫が、自分の手柄みたいに自慢げに叫ぶ。


「善者ケインの使い魔テトラよ!」

白虎びゃっこの聖獣人を使い魔にしているのか!」


 ケインと決闘して、使い魔テトラに一撃でしてやられたモンジュラ将軍のような愚を、神剣の使い手ジークは冒さなかった。

 ケインが使い魔を使うのも、意外とも卑怯とも思わぬ。


 なぜなら、ジークもワイバーンを手懐けている竜騎士の皇子であるからだ。

 これほどの猛々しい聖獣人が、弱い者に従うわけがないとも思った。


 テトラの裂爪れっそうの攻撃を、やすやすと受け止めて一歩下がる。


「ケイン、底が読めぬ男だ。ぬぅ、なんだこれは!」


 次にジークが感じたのは、肌が粟立つようなプレッシャーであった。

 先程までなんの殺気もなかったのに、今この瞬間は、魔王……いや、それ以上の敵に相対したようなおぞましい気配を感じる。


「ノワ、どうしたの?」

「お父さん。あいつ嫌い!」


 ケインの背中に張り付いていたのは、ノワだった。

 悪意に鋭いノワは、お父さんをあの金髪の男が殺そうとしていると、すぐに察知してやってきたのだ。


 元悪神のノワが怒りを発したときに出る瘴気しょうきは、Aランク以上の英雄の資質の持ち主には感じられる。

 ジークは、その瘴気をケインが発したものと勘違いした。


 あとあんまり関係はないが、流星の英雄(自称)のアベルも、近くで瘴気にあてられて「ぎゃぁあああ」と転がりまわって、周りにいる仲間に呆れられたりしている。


「バカな、余がされているだと……」


 ジークはべっとりと冷や汗をかいていた。

 剣姫にぶっ飛ばされたときすら、ここまでのプレッシャーは感じなかった。


 神鎧しんがい青金の鎧ヴラウパルツァーの力を軍神テイワズより授かり、剣姫アナストレアの攻撃ですら平然と受けられるようになったジークを、まだ恐れさせる男がいる。

 思えば、先程の青髪の男もなかなかであった。


 こんな見知らぬ片田舎に、これほどの男たちがいたとは。

 いっそ小気味よいとジークは笑う。


「今日は、このあたりにしておくか」


 ジークは、青金の剣バルムンクを鞘に収めた。

 同じ神剣の使い手でもアナ姫とは違い、引くことを知っている。


 まだ本格的な修行を始めて一年も経たぬジークは、まだ強くなれると思っているのだ。

 負けるとは思わないが、万が一にも剣姫アナストレアの前で無様を晒したくはない。


 いずれ、ケインをやすやすと討ち倒せる剣士になってやろうとも思うからこそ、ジークは勝負を焦らない。


 一方で、ヒッヒッフーと深呼吸を繰り返して呼吸を整えていたマヤは、これだけは言っておかねばと言い放った。


「ジークフリート皇太子!」

「なんだ」


大邪竜グレーターデーモンドラゴンの討伐があったからしゃーないけど、すぐに帝国まで戻ってくれるか」

「嫌だと言ったら?」


「皇太子だけならともかく、竜騎士を百騎も連れて王国の領内に入られたら、これはもう戦争になってもおかしくないやろ」

「ふーん」


 ジークは良いことを思いついたと、酷薄な笑みを浮かべる。


「こっちかて、事をおおきゅうはしたくないんや。そっちの要求は、うちが必ず国王陛下にお伝えするから、ここは一つ穏便に」

「……なるほど、戦争も良いな」


「なんやて!」

「聞こえなかったか。戦争も良いなと言ったのだ。今日は挨拶だけにしようかと思ったが、そちの話を聞いて気が変わった」


「そ、そんな……」


 まさかマヤの交渉が裏目に出て、ジークフリート皇太子を刺激してしまうことになるとは。

 可哀想に、この手の皇子バカと心底相性の悪いマヤである。


「帝国で返事を待つなど余の性に合わぬわ。そちらから色良い返答があるまで、竜騎士団はここに駐留する」

「それは困る。後生やから、ここは穏便に!」


「余に穏便に帰ってほしくば、アナストレアの両親の大公爵夫妻。いや、王族の婚約にはそれだけでは足りぬか、国王も連れてくるが良いぞ」


 言いたい放題の無茶苦茶な要求に、マヤは泡を吹いた。


「うぐぐぐ……」


 マヤの顔が青さを通り越して、白くなっているのに気がついて、気をつけて見ていたケインが慌てて抱きかかえる。

 ダメだ、もう意識がない! メディーッック!


「マヤさんしっかり、聖女様!」

「はい!」


 ケインの腕で卒倒したマヤに、必死に回復魔法をかけるセフィリア。


「では、伝えたぞ。返答はしばらく待ってやる」


 個人戦でうまくいかないなら、今度は竜騎士団を使っての脅しめいた交渉に切り替えていく。

 この皇太子、バカに見えて、実は意外と切れ者なのかもしれなかった。

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