第二章「古の森」
第90話「古の森」
「ケイン様、こっちですよ」
ローリエが、先導してくれる。
「しかし、冬だというのに暑いぐらいだな……」
古の森に入ってすぐに、ケインたちは防寒具を脱いだ。
不思議なことに、森に入った瞬間から春のような気候に変わったのだ。
木々に覆われた薄暗い森の中なのに、歩いていると汗ばむ程に暖かい。
「精霊神ルルド様の恵みで、古の森はとても暖かいの。森の奥にある『常春の聖地』に近づく程、気温は上がるわよ」
シスターシルヴィアがそう教えてくれる。
「精霊神ルルド様のおわす聖地は、いつも初夏の陽気ですよ。常春じゃなくて、常夏の聖地って言ったほうがいいっていつも言ってるんですけどねー」
ローリエがそんな冗談を言う。
いや、これは冗談でなく本当かもしれない。
冬でも森の植物が枯れずにいることや、本来は南方が原産である香辛料がこの森で採れる理由がわかった。
いちいち拾っていくわけにはいかないが、本業が『薬草狩り』であるケインがパッと見ただけでも、食べられる美味しい山菜や有用な薬草などがそこらに生えているのがわかる。
実はさっきから、ケインは採取したいのを我慢している。
これだけの資源を利用してないとは……。
「よっぽど豊かな森なんだな」
これなら、獣人への食糧支援も期待できるだろう。
「住んでる人の心は、あまり豊かではありませんけどねー」
ケインを先導するローリエの言葉が、すぐに冗談ではないとわかった。
ガサッと、音を立てて草むらから現れたのは、弓を引き絞って臨戦態勢に入っている多数のエルフたちだったからだ。
ケインは、とっさにノワをかばう。テトラはそのケインの前に立って構えた。
「何よこいつら!」
剣姫アナストレアが、警戒して前に出る。
森の保護色でもある緑の軽装鎧を着た、完全武装のエルフの弓兵たちが、用心深くこちらをロックオンしている。
「アナ姫、手を出したらアカンで」
魔女マヤが慌てて、アナ姫を止める。
「テトラも、ダメだよ」
「グルルルル……」
ケインも、白いたてがみを逆立てて牙を剥こうとするテトラを止めた。
「女王が帰還したというのに、たいそう手荒い歓迎ですねー」
ケインたち一行を完全に囲むほどの多数の弓兵の冷たい敵意を相手にしても、ローリエはいつもと変わらずのんびりした口調で言う。
こういうのをいちいち気にしていると、エルフとはやっていけないのだ。
「女王陛下、勝手に森を出た挙句に、我らが古の森に獣人や汚らわしい人族を入れるなど、何を考えておられるのですか?」
そう口を開いたのは、先頭に立ったキラキラと光り輝く金髪の男だ。
容姿の整ったエルフたちのなかでも、一際目立つ美男子であり、身につけている鎧の胸当てや腰のレイピアは黄金の装飾をあしらった高価なものだ。
まるで貴公子のようなエルフの若者だが、その
それに対し、ローリエに任せていられないと、シスターシルヴィアが前に立ってピシャリと言った。
「アーヴィン! いつまで弓を向けているのです。敵ではないとわかっているでしょう」
「これは、先の女王シルヴィア様。お会いするのは二百年ぶりですかな……失礼しました。今は多数のモンスターが古の森に攻めてきている非常時でしてね」
アーヴィンと呼ばれた金髪エルフが手を振ると、エルフの弓兵たちはようやく弓を下ろした。
どうやら、この男がエルフの代表者のようだ。
傲慢なエルフたちにほとほと愛想が尽きているシスターシルヴィアは、怒りを露わにして言う。
「不本意ですが、私たちは女王ローリエの要請を受けて、あなた方エルフを助けに来たのです。それを、こんな態度がありますか!」
「余計なお世話ですよ、元女王……。我々の問題は、我々で解決します」
アーヴィンは不愉快そうに言う。
「それができないから、ローリエが私のところに来たのでしょう」
シルヴィアとしては、迷惑をかけられただけなのだ。
自分たちでなんとかできるというなら、さっさとやれといいたい。
「それも、私のあずかり知らぬところでして……久々にシルヴィア様にご叱責をいただくのは、嬉しくもあり悲しくもありと言ったところですね。まったく、ローリエ陛下にも困ったものです」
アーヴィンは、やれやれと嘆息する。
シルヴィアの言葉はかなり痛いところをついているのだが、エルフの高いプライドはそれを認めない。
これがエルフの厄介さだ。
傲慢なのは、この眼の前にいる金髪エルフの貴公子だけではない。
人族よりずっと古い歴史を持つエルフの民は、誰もが自分たちを高潔にして最良の種族と信じ切っている。
「シルヴィアさん。この人は、誰なんですか?」
「アーヴィンは、エルフ最大部族ラスター族の族長よ。七部族会議の取りまとめ役で、実質的なエルフの国の統括者だわ」
ケインが尋ねるのに、シルヴィアが忌々しげにそう答えた。
一方、この緊迫した空気でも妹のローリエは、のほほんとした口調で言う。
「頑強な獣人の戦士隊が百人ですよ。古の森の近くに住む獣人たちの村々に、物資や食糧を支援するだけでこれだけの戦力が借りれるんだから、いい話でしょう」
「なるほど、それが条件ですか。確かに悪い話ではないですが……」
森の西部を魔王軍残党に侵略されているエルフは、たった百の兵でも喉から手が出るほど欲しい。
精霊神ルルドの加護により、豊かな
物資と戦力の交換は、悪くない取引ではある。
一方的な救援ならば受けられないが、取引ということならばエルフの面目も保たれる。
間が抜けてるように見えて、ローリエも長年女王をやっているので、エルフが受け入れられるように落としどころは考えている。
「アーヴィン。わかったなら、援軍に来てくださった皆さんを森の都に案内なさい」
「恐れながら女王陛下。元々古の森の住人でもある獣人たちの助けは良いとしても、そこの汚らしい人族どもを神聖なる森に入れるわけには……グッ、なんだ!?」
アーヴィンは、人族など信用できないし、助けなどいらないと言おうとしたのだ。
しかし、そんなアーヴィンの身体に強烈な悪寒が走る。
エルフ七部族会議の族長アーヴィン・ラスターは、なまじ優れた戦士でもあったために、殺気を肌で感じられてしまう。
地上最強の剣士であるアナストレアのすべてを焼き尽くす業火の赤。
ケインの隣にいる聖獣人のテトラの冷徹な青、そしてその後ろの白ロバに乗っている元悪神のノワのどこまでも
色が見えると錯覚するほどの猛烈な殺気が、アーヴィンの全身を貫いていた。
本能が感じる死の恐怖には抗えない。
アーヴィンの形の良い歯はガタガタと震えて、すぐさま全身が脂汗でびっしょりと濡れる。
まるで、蛇に睨まれた蛙。
圧倒的な捕食種を前にしたとき、恐れを感じるのは生物として当たり前の反応だ。
野生の獣や弱いモンスターであれば、そのままショック死してしまう程の強烈な殺気を全身に浴びて、息を乱したアーヴィンは、足の震えを止められない。
「ふぅ、ふぅ……。まさか、この私が恐れているのか。なんなんだ、こいつらは!」
アーヴィンの後ろにいたエルフの弓兵たちなどは、みんな悲鳴を上げてその場に倒れ伏していた。
そして、その絶対的な威圧になんとか耐えようとしていた傲慢不遜なるエルフ族の
「ふふ、ようやく私の連れてきた援軍の凄さがわかったようですねー。この人たちは、ただの人間ではありませんよ。人族でも最強の冒険者たちです」
「その、ようで……」
剣姫たちのやりようにもすっかり慣れてしまったローリエは、無様にも地に跪いたアーヴィンにえっへんと命じる。
「その偉い御方たちが、私たちエルフを助けに来てくれたのですよ。さっさと案内しなさい!」
「かしこまりました……」
片手で肩を抱きながら屈辱に震えるアーヴィンは、悔しそうに端正な口元を歪めながらも、ケインたちを客人として招くことになった。
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