第74話「魔王の誤算」

 魔王ダスタードと、ケインの使い魔テトラ。

 元のあるじと相対することとなり、それでもケインを守るためには引けないテトラは、苦しげに言う。


「魔王ダスタードよ。申し訳ないが、あるじを殺させるわけにはいかない」

「獣魔将テトラよ、お前を殺すのは容易い。だが、いま一度私のところに戻ってくるつもりはないか?」


 魔王ダスタードは、魔王軍を再編させるために、テトラの力が欲しかった。


「それは、できない……」

「テトラよ。お前はいまだに我が臣だ。今戻ってくれば、裏切りの罪は問わぬ。第一、獣魔が人間と上手くやれるわけがあるまい」


「私のあるじは、もうケインだ!」


 テトラは絶叫とともに、魔王ダスタードに烈爪裂破れっそうれっぱを仕掛ける。

 守るものができたテトラの烈爪は、以前よりもさらに鋭さを増し、音速をはるかに上回るスピードで迫った。


 だが、余裕の笑みを浮かべたままの魔王は、身体を少し後ろに倒しただけで軽々と避けてみせた。

 超音速によるソニックブームも、漆黒の瘴気に守られた魔王の身体を傷つけることはできない。


「無駄だ。いやそれどころか、ここで私に歯向かうことは害悪ですらある。この悪神の神像は、魔族の怨念ねがいを聞き届けるもの。獣魔であるお前がここで怨念を抱いて死ねば、悪神の力をさらに強めることとなるのだぞ」

「悪神は……いや、その子はもうあるじの子なのだ。それを奪わせるわけには!」


 気に入らぬなと、魔王は唇を歪めた。


「我らの神に勝手に名前を付けたあげく、言うに事欠いて子供扱いとは。よかろう、では悪神よ。善者ケインを殺すのだ!」

「なんだと!」


 魔王は、嫌がるノワにケインを殺させようというのだ。


「フハハハ! ただの人間風情が、神の親を気取るとは面白いではないか。悪神が、悪神であることを見せてやろう。テトラよ、そこで悪神がケインを殺すのを見ているがよい」


 魔王ダスタードの冷酷なる命令。

 ノワは、かろうじて残った意識で拒絶しようとした。


「いや……」


 だが、幾万の魔物の怨念が作りし瘴気に囚われた悪神ノワは、その手からおぞましき瘴気を放ってしまう。

 放たれた瘴気の波動は、ケインへと迫る。


「ケインは殺させない!」


 もはやここまでと、善神アルテナは身を捨てる覚悟をした。

 ケインを守るために、神としての全ての力を振り絞って、善神アルテナがケインの前に顕現して両手を広げた。


 見事に上手くいったと、魔王はほくそ笑む。

 これこそが、魔王ダスタードの狙い。


 善者ケインを善神アルテナもろとも、一網打尽に滅ぼすときがきたのだ。

 だが、それを遮る者がいた。


「なんだとテトラ、貴様は何をするつもりだ!」


 魔王ダスタードを無視して飛び込んだテトラが、瘴気の波動へと身を投げ出していた。

 ケインの元へ駆けつけるテトラの背中は無防備で、魔王にはいつでも切り殺せて止められたのだが、再び味方に引き入れたいと思っていたのでとっさに手が出せなかった。


「ぐは……」


 ケインをかばって、悪神の放つ瘴気をまともに受けてしまったテトラ。

 その身は黒く染まり、吐き出した血は真っ黒に染まっていた。


「テトラ、しっかりしろテトラ!」


 ケインは、自らをかばって倒れたテトラを抱き起こす。

 しかし、いかに強靭な肉体を持つ獣魔であろうとも、悪神の瘴気を受けては生きていられない。


 魔王ダスタードは舌打ちして、死んだテトラを罵倒する。


「愚か者めが! 無駄死にだと言っただろう。ハッ、それどころか、八魔将たるお前が死ねば、悪神の力が増すだけだ!」

「……はたして、そうでしょうか」


 魔王の罵りに対して、そう声をあげたのは聖女セフィリアだ。


「何が言いたい聖女」

「ケイン様の使い魔テトラは、確かに今、息を引き取りました。ですが、あなたの言うように怨念を抱いてではありませんでした!」


 ケインの胸の中で死んだテトラは、大切なものを守りきった微笑みすら浮かべていた。

 これは、決して無駄死になどではない。


「ケイン、ケイン……」


 そのとき、悪神ノワに異変が起こる。

 ノワの身体を取り巻く瘴気の一部が、ゆっくりと薄れていく。


 それは、悪神の神像を使った魔王のコントロールが崩れることを意味していた。


「なんだ、一体何が起こっている。テトラが死ねば、より悪神の力が強まるはずだろう。ええい悪神よ、善者ケインを殺すのだ。速くしろ!」


 聖女セフィリアは、自らの命を犠牲にしたテトラに祈りを捧げ、厳かに言った。


「テトラの魂は、確かに悪神の儀式に取り込まれました。ですが、その尊き魂は献身をもって罪を償い、清められたもの!」

「清められただと、ふざけるな。呪われし獣魔に何を言って……」


「たとえ生まれが呪われた獣魔であっても、その者の生き方によって魂は磨かれます。あなたにもわかるでしょう。悪神の儀式に、テトラの心があらがっているのです」

「全魔族の悲願である儀式が、たかが獣魔の女一人のせいで歪められたというのか?」


 悪神復活の儀式は、極めて複雑な術式で構成されている。

 そこに、テトラの魂という不純物が混じり、狂いが生じてしまったことに、魔王はようやく気がついた。


「テトラは、命をかけた献身によって、邪悪なる企みを打ち砕いたのです」

「バカな、なぜ魔族が魔族の悲願を否定する! 善者ケイン、貴様だ! テトラや悪神を狂わせる、貴様さえいなければ!」


 魔王ダスタードは、ケインに漆黒の剣で切りかかった。

 悪神のコントロールは崩れたが、まだ魔王ダスタードは瘴気の力に満ち溢れていた。


 悪神復活の儀式は、時間さえかければまたやり直せる。

 ここで邪魔な善者ケインさえ殺してしまえば、まだいくらでも手の打ちようはあった。


「ケイン、剣を!」


 アルテナの声に誘われるように、ケインはミスリルの剣を構えた。

 これまで無敵を誇っていた魔王の漆黒の剣だが、瘴気の供給が消えたことでアルテナの加護のあるケインならば受け止められるはず。


 だが、ここで予想外のことが起きる。

 魔王ダスタードの鋭い斬撃を受け止めてはみたものの、ケインの剣の腕はたかだかDランクの冒険者。


「あっ」


 ツルッとケインの手が滑って、ミスリルの剣がすっぽ抜けてしまう。


「なんとぉ!?」


 まさかここで、ケインがしっかり受け止めずに剣を落としてしまうとは誰も思わない。

 驚いたのは、魔王ダスタードも同じだった。


 なまじ剣の巧者であったがゆえに、力余って剣を振り抜いてしまい、つんのめってしまう。

 その一瞬の隙をついて、魔王の横を駆け抜ける陰があった。


 まったくノーマークだった一頭の天馬ペガサスが、転びそうになった魔王の左手から悪神の神像を奪い去って走った。

 悪神の神像を口に咥えたヒーホーは、そのまま空高く飛んで行く。


 よりにもよって、馬にしてやられた魔王は、怒りに我を忘れる。


「おのれ! バカにしおって! それをこっちに返せ!」


 天馬ペガサスを必死に追い回す魔王だが、ヒーホーの口からひょいと放り投げられた神像は、スポッとケインの手に入った。

 魔王を出し抜いたヒーホー、一世一代のファインプレー!


「ケイン今よ! 願って、ノワちゃんのために!」


 善神アルテナの合図で、ケインは悪神の神像を抱えて、ただひたすらに自分の願いを叫んだ。


「ノワちゃんは、悪神なんかじゃない。ノワちゃんは、俺の娘だ!」


 ケインが悪神の神像にそう願った瞬間、ノワを取り囲む瘴気の檻が、パンッと音を立てて崩れた。


「ケイン!」


 闇のくびきから解き放たれたノワが、ケインの名を叫んで魔王の元を去っていく。

 魔王ダスタードの悪神復活の儀式は、こうして潰えた。


 まるで、蟻の穴から堤が崩れるように、全ての計略が崩壊していく。

 魔王ダスタードは、目の前の現実を認められず、絶叫した。


「なんだ、この茶番は! 貴様らは一体なんなのだ! そもそも道理に合わぬではないか。なぜ悪神が、我ら魔族を見捨てる!」


 たった一人の人間の願いだけで、どうして幾万もの魔族の怨念ねがいを、かき消せるというのか。

 こんなことはありえない、あっていいわけがない!


 魔族はこれまで、ずっと悪神に犠牲を捧げてきたではないか。

 悪神が神だというのなら、魔族の悲願をなぜ叶えない!


 魔王ダスタードの絶叫に、聖女セフィリアは澄んだ声で答えた。


「魔王ダスタード。恨みつらみを押し付けた身勝手な願いと、思いやりと慈しみに溢れた願い、あなたが神ならどちらを聞き届けますか。あなたの奸計が退けられ、ケイン様の心が届くのは当然です」


 セフィリアには、最初からケインが勝つとわかっていた。

 ケインの優しさは、闇夜を照らす灯火。


 セフィリア自身もそうであったように、一度その温かさに包まれたならば、獣魔であろうと悪神であろうと、二度と離れられるわけがない。

 だから、ノワはケインの元に戻るに決まっていたのだ。


「善者ケイン! こんなことは絶対に認めぬ! 悪神を魔族の下に返せ!」

「ノワちゃんを道具として使おうとしたお前に、もうこの子は渡さない!」


 もう俺の子だと、ケインはノワをぎゅっと抱きよせる。


「ふざけるなぁぁ!」


 魔王ダスタードは怒り狂った。

 これまで魔族がどれほどの歳月をかけ、どれほどの犠牲を払ったと思っているのか。


「もういい! そうやってふざけていられるのは今のうちだ。この魔王ダスタードが、貴様ら全員を血祭りにあげてやる!」


 まだ魔王ダスタードには打つ手があった。

 もはや王国軍の守りは崩れ、エルン街の正門は崩れかけている。


 その一方で、魔王にはまだ五千匹のモンスターが戦力として残っている。

 そして、闇の主たる魔王が、ここにいるのだ!


 空高らかに飛び上がった魔王ダスタードは、エルンの街を取り囲む全てのモンスターに向けて、目の前の虫けらどもを殺し尽くせと命じようとした。


 そのとき――。


 遥か空の彼方から飛来した何かが、輝ける流星のように突っ込んでくると、魔王ダスタードにパァンと衝突した。


「なっ!」


 なにやつと言う暇もなく。

 剣姫アナストレアが、神剣『不滅のデュランダーナ』を、魔王ダスタードに向かって叩きつける。


 その無慈悲な打撃が、一体誰に襲われたのかも認識できない魔王ダスタードの身体を、無慈悲に、一方的に、完膚なきまでに打ちのめしていく。


「魔王、百回殺すべし! 魔王、千回殺すべし!」


 剣姫アナストレアは、ただそれのみをずっと唱えて、神速のスピードで山を飛び越えて、千里を駆けてきた。

 この刹那、剣姫自身ですら神剣で叩き落とした相手が、魔王ダスタードだと気がついていない。


 それもそのはず、神速のスピードの世界では、そのような思考すら邪魔になる。

 全てを速度に、ただひたすら速度に!


 ケインの元を目指して駆け出したとき、天才剣士である剣姫はこう考えた。

 時空をも超越して駆けつける自分は、エルンの街にいるケインの危機に絶対に間に合う。


 だから、そのときに倒すべき敵は、とにかくそこにいる一番強い魔族でいい。

 ただそれを感じたら、殺せばいいだけ。


 その思いのままに、剣姫の身体は放たれた矢のように千里を飛び、的確に魔王ダスタードを射抜いた。

 あとは、神剣の与える煉獄の責め苦があるのみ。


 剣姫アナストレアが、地獄からよみがえる魔族を死滅させるために開発した秘技、魂砕きの打擲ソウルブレイク・フルバーストが炸裂した。

 無慈悲なる悪滅のゴッドパニッシュ!


「ん、ぎゃぁ、ごぉ、げぇぇ!」


 そんな情けない悲鳴が、哀れな魔王の最後の言葉となった。

 神速で叩かれ続けた魔王ダスタードへの打擲ちょうちゃくは、なんと三分にも及ぶ。


 それは通常時間に換算すれば、三万年の煉獄の責め苦に相当する。

 数十万回も繰り返されたゴッドパニッシュによって、魔王ダスタードの肉体は一ミリの肉片も残さずに、この世から死滅した。

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