第73話「魔王ダスタード」

 漆黒の鎧を身に着けて、漆黒のマントをなびかせた魔族の男は、エルンの街の上空を浮遊している。

 魔族と魔物を統べし、魔王ダスタード。


 頭に悪魔の角が生えていても、その姿はむしろ人型に近い。

 魔族の頂に立つ者。


 至高の地位にある者としては、身につけた装飾も頭に冠を戴いている程度で簡素といえる。

 虚飾に塗れた愚かな人間の王と違い、絶大な力を持つ魔王ダスタードは、己を飾る必要などないのだ。


 空から戦況をじっと見つめている闇の王の左手には、悪神の神像が握られてきた。

 悪神の復活に全てを賭けた最後の作戦。


 どうなることかと危惧してはいたが、蓋を開けてみれば大成果であった。


「これでこそ、全てを犠牲にしたかいがあったというものだ」


 魔王ダスタードの低く冷たい声。

 勝利を確信していても、その声は苦渋に満ちている。


 あまりに犠牲が大きすぎた。

 腹心である冥魔将アバドーンから、魔王軍の全てを生贄に捧げて悪神をもう一度復活させようという計画を聞いたとき。


 この老体はついに正気を失ったのかと思ったが、こうしてみれば失うだけの価値があったといえる。

 いや、どちらにしろ、もう打つ手がなかったのだが……。


 獣魔将テトラが善者ケインの手に落ち、幻魔将フォルネウスの作戦が失敗に終わった段階で、思慮深き闇の王には、もうこの日がくるのは予想できていた。

 シデ山より戦力の大部分を避難させた地下魔王城が、剣姫アナストレアによって全滅させられた段階で、悪神復活の儀式はスタートする。


 前回の失敗を繰り返さないために、剣姫アナストレアと善者ケインを分断する。

 全ては計略通り、こうして滞りなく遂行された。


 ただ、その始まりは予想よりもあまりに早かった。

 想像を絶する剣姫アナストレアの力に、魔王ダスタードも肝を冷やした。


 だが、剣姫アナストレアや善者ケインに怯える日々もようやく終わる。

 闇の時代が再び訪れるのだ。


「なあ、悪神よ。我が魔族の悲願を達成してくれよ」


 魔王軍の全てを犠牲にした魔族の祈願に応じて現れた悪神に、魔王ダスタードは願う。

 悪神が復活しただけで、その凄まじき瘴気に呼ばれて、こうして五千を数えるモンスターが集まったのだ。


「ケイン……」

「悪神よ、まだその名を口にするか!」


 ここまでの犠牲を払っても、まだ悪神の心は善者ケインに囚われたままなのか。

 まあ良い。


 悪神の力を操れる魔王ダスタードには、闇の力が満ち溢れている。

 復活した悪神の力さえ使えば、崩壊した魔王軍の再編も容易い。


 まずは、目障りな善者ケインを倒すと同時に、この人間の街を落として新たな拠点にするのも面白かろう。


「しかし、なかなか街が落ちぬな。あの外壁の戦力が邪魔か」


 王国軍の防衛力も、なかなか捨てたものではない。

 周りを囲んだ圧倒的な数のモンスターに対して、外壁で守る兵士たちが矢を撃って、巧みに抗戦している。


 だが、街の守りなど門を破ってしまえば終わりだ。

 これほどの強兵を殺して使えば、さぞや強いアンデッドがたくさん作れることであろう。


悪竜イビルドラゴンよ、あそこを潰せ!」


 傍らを勇躍する最大戦力に、魔王ダスタードは攻撃を命じる。


「グォオオオオオオオオ」


 おうとばかりに吠えた悪竜イビルドラゴンは、魔王の命じるままに正門に向かって上空へと突入する。

 王国軍の防衛戦力が集まった、もっとも守りの堅固な地点だが、だからこそそこを押し潰せば終わりだ。


 大型弩砲バリスタから放たれる極太の槍が、次々と黒き竜の巨体に突き刺さる。

 それでも猛々しき竜の勢いは止まらず、ついに強固な門塔をなぎ倒すようにして突入した。


 大型弩砲バリスタに取り付いていた兵士たちは、塔の崩壊に巻き込まれまいと慌てて逃げ惑う。

 突撃だけで正門を完全に崩すまでには至らなかったが、頭上から降り注ぐ遠距離攻撃がなければ、門を破るのは容易い。


 もはや戦の趨勢すうせいは決したと思ったそのとき。


「ほう、悪竜イビルドラゴンですら退けるか」


 恐慌状態の兵士たちに変わって、勇敢な冒険者たちが前に出て暴れまわる悪竜イビルドラゴンと戦い始めた。

 守りのかなめである正門が落ちれば、もう後がないのはわかっているのだろう。


 崩れた塔の瓦礫を撥ねのけて暴れまわる最強最悪の大魔獣相手に、冒険者たちは決死の抵抗をみせる。

 瓶底メガネの魔法使いクルツを中心とした魔術師たちが、炎球ファイアボールなどの攻撃魔法を撃ち放つ。


 か弱き女盗賊までもが、投げナイフや石まで投げて竜の注意を引こうとした。

 そうして巨体の大剣使いゲオルグが真正面から切りかかり、ついに悪竜イビルドラゴンの振るう獰猛な爪を押さえ込んでみせた。


 そして、それらの攻撃はすべて囮だった。


「いまだアベル!」


 ゲオルグの言葉のままに、空を高らかに飛翔したアベルの流星剣がキラリと光る。

 そのまま竜の背に落下した流星の英雄アベルが、深々と剣を突き刺した。


「グギャァアアアアアア」


 響き渡る悪竜イビルドラゴンの断末魔の悲鳴。

 なんと、一撃で魔王の最大戦力を倒してみせた。


 しかし、魔王ダスタードは、口元に余裕の笑みすら浮かべている。

 悪竜イビルドラゴンの変わりなどはいくらでもある。


 それより興味を持ったのは、悪竜イビルドラゴンを倒した青髪の剣士だ。

 これは、魔王自らが出向かねばなるまい。


「フハハハ! 見事だ、人間の英雄よ!」

「貴様は、魔王ダスタードか」


 恐れ多くも、魔王に向かって流星の魔剣を向けた青髪の剣士に、魔王ダスタードは勇者への礼儀として剣で応じてやる。


「いかにも、我が名は魔王ダスタード。闇の瘴気よ、剣となりてその形を現せ」


 そう魔王が唱えると、漂う悪神の瘴気が集まって右手に漆黒の剣が生じる。


「俺の名は流星の英雄アベル! 魔王ダスタードよ。その首貰い受ける!」


 勇敢にも、魔王に立ち向かった若き英雄アベルの斬撃は深く鋭いが、それでも軽々と魔王には受け流されてしまう。

 おしい、あまりにもおしい……。


 あと十年、いや五年経てば、この青髪の若者は魔王すら脅かす英雄になっていたかもしれない。

 だが、今はまだ敵にならない。


「悪いが、未熟なうちに死んでもらおう。若き英雄よ、貴様も我が力となるがいい!」


 強大な魔族から見れば、人間は愚かで弱々しいゴミクズのような存在だが、まれに英雄の資質を持った者が現れる。

 この若者を殺してアンデッドにすれば、最強の駒が作れることだろう。


 魔王ダスタードは、ちょっと力を込めて漆黒の剣を持った手を横に振っただけ。

 ただそれだけで、青髪の剣士の魔剣を撥ねのけ、正門の上で戦う勇敢なる冒険者たちを全てなぎ倒してしまう。


「うわぁああああ!」


 たくさんの悲鳴があがり、外壁で戦っていた冒険者たちは次々に吹き飛ばされていった。

 しかし、魔王ダスタードの圧倒的な力を前にしても、流星の英雄アベルを始めとした数人は、まだ外壁の上にへばりついている。


「ほう、一撃では死ななかったか」


 再び悪神の力を振るおうとした魔王ダスタードの前に、白い天馬ペガサスに乗った冒険者が現れた。


「ケインさん、来てくれたのか!」


 アベルが、嬉しそうに叫んだ。


「貴様が、善者ケインか」


 別にアベルが叫んだからでなく、魔王ダスタードはひと目で目の前の男が善者ケインであるとわかっていた。

 ミスリルの剣を持つ男が、聖女を背負って天馬ペガサスにまたがっているのだから、これほどわかりやすい目印はない。


「魔王、ノワちゃんを返してもらいにきた!」


 ノワだと?

 そう一瞬、困惑したが聡明なる魔王ダスタードはすぐに気づいた。


 善者ケインは、魔族の奉じる悪神に名を付けたのかと。

 ただの虫けら風情が、我らの神に名を付けるなど、なんたる不遜ふそんか!


「やはり貴様は生かしておけん。速やかに死ぬがいい」


 怒りに震えた魔王ダスタードは、善者ケインに向かって全力で漆黒の剣を振り下ろした。


「させない!」


 そんな声をとともに、ケインの持つミスリルの剣に光の帯が発生する。

 魔王の瘴気の剣から放たれる強大な剣圧が、撥ねのけられた。


「ぬう、善神アルテナの加護か。こしゃくな、ならば直接その身を切り刻んでくれる!」


 ここまで、魔王ダスタードの計略は完璧だった。

 ほぼ完全なる復活を遂げた悪神の力ならば、善神の加護を受けた善者であろうとも倒せる。


 長らく魔族に奉じられてきた悪神と、生まれたばかりの善神とでは、神としての力に差がありすぎるのだ。

 ここで善者ケインと聖女セフィリアを倒して、しかるのちに剣姫アナストレアと魔女マヤを倒す。


 完璧な作戦ではあったが……。


「そうか、貴様もいたな。裏切り者め」


 ケインを直接切りつけようと振るった漆黒の剣を受けたのは、そこに飛び込んできた使い魔テトラの血塗られた烈爪れっそうであった。

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