第70話「その全てを捧げて」

 隠しダンジョンの最奥に書かれた魔法陣。

 その中央にうずくまる黒ずくめの男に、剣姫アナストレアは神剣を突きつけて叫ぶ。


「あんたが、魔王ダスタードね!」

「残念ながら、私は魔王ダスタードではありません。剣姫アナストレアよ」


 魔王軍がこもっていた隠しダンジョンの最奥の空洞に、しわがれた声が響く。


「じゃあ、誰なのよ?」


 巨大な魔法陣の中央にうずくまる男は、深々とかぶっていたローブのフードをあげると、黒い仮面を付けた顔を見せる。


「我が名は、冥魔将アバドーン。八魔将の最後の一人です。魔王様が作られた地下魔王城も、ここで打ち止めですよ。よくもまあ……本当によくもまあ、ここまでやってくれたものですね。お恨み申し上げますよ」

「ふうん、魔王じゃないなら用はないわ。死になさい」


 即座に切り殺そうとするアナ姫を、マヤは必死に止める。


「待て、アナ姫!」

「なによ?」


「ここは、魔王の居所を聞き出すべきやろが」


 危ない。

 なんとか今度は、敵を殺す前に剣姫を止めることができた。


 冥魔将アバドーンは剣姫の神剣が迫っているというのに、それを避けようともしない。

 地下空洞に作られたこの巨大な魔法陣といい、この場所は怪しすぎた。


 何かがおかしいと、マヤは感じる。


「クックック……魔王の居所とは、今更そんなことを言うのですか」


 冥魔将アバドーンは、堪えきれないといった様子で笑い始めた。


「何がおかしいのよ?」

「これが笑わずにいられますか、剣姫アナストレア! あなたがたは、罠にまんまとハマり、自らの手で魔王ダスタード様に力を与えたのですよ」


「どういうことよ、説明しなさい!」

「いいでしょう。全て説明してさしあげます。もう何をやっても、遅いのですから。魔王様は、今頃は善者ケインのいるエルンの街を襲っているところでしょう」


「なんですって!」


 探していた魔王が、剣姫たちと入れ違いにケインのもとに向かっていた。

 それを聞いて、さすがの剣姫も焦る。


「そうですよ。あの忌々しい善者ケインのいる街です。あの善者のせいで、我らがシデ山で行っていた悪神復活計画は失敗してしまいました。だが、二度目はありません」

「アバドーン。悪神の神像は、魔王が持ってるんか!」


 マヤが声を上げた。

 それを聞いて、アバドーンが笑い声を上げる。


「クックック、さすが魔女マヤ。もう気がついたようですね。お察しの通り、悪神の神像は魔王様が持っておられますよ。今はあなたがた『高所に咲く薔薇乙女団』と善者ケインは分断されています」

「なんてことや……」


 魔王軍そのものを犠牲にして囮として使うなど、なんという自暴自棄な作戦。

 しかし、そのせいでここまでまんまとおびき寄せられてしまったと、マヤは愕然とする。


「善者ケインは、浄化した悪神様をうちに抱えて自らの力にしようとしたようですが、それが仇になりましたねえ」

「あんたたちは、ケインに何をするつもりなのよ!」


「ここまで聞けば、わかるでしょう。この魔法陣は我ら魔族の血を生贄として捧げ、悪神様の御力を再び蘇らせるのです。あなたに殺された魔王軍と八魔将の恨みと呪いが悪神様へと届き、それが悪神の神像を持つ魔王様の力ともなる。そうなれば、善者ケインとて倒せるのです!」

「うわあああ!」


 剣姫は神剣を振るって、あたりの魔法陣を無茶苦茶に切り刻んでいく。


「フハハハッ! 今ごろ魔法陣を破壊しても遅いのですよ! すでに悪神再誕の儀式は止められない。悪神の神像を使い、悪神様の御力を手に入れた魔王ダスタード様は、必ずや我らの悲願を達成してくれるでしょう!」

「あかん、アナ姫。アバドーンを殺すんやない!」


 冥魔将アバドーンを斬り殺そうとした剣姫を、マヤは慌てて止める。

 こいつの言ったことが確かならば、強力な魔族である八魔将を殺せば殺すほど、悪神の復活に手を貸してしまうことになる。


「ふふ、どうせなら恨みをさらに深めるために、あなたに殺されたかったのですが。先に地獄に行って待ってますよ。忌々しき善者ケインと、我らを滅ぼした剣姫アナストレアに呪いあれ!」


 冥魔将アバドーンは、取り出したナイフで喉を突いて倒れる。

 彼は、不完全な不死人のネクロマンサーであった。


 その醜く衰えた身体はすぐに砂となって崩れて、後には黒いローブと仮面しか残らなかった。


「こうしちゃいられないわ、ケイン!」


 剣姫は、びゅんと飛び上がってその場を後にする。

 同時にダンジョン全体が震える。天井を突き破って、一気に地上へと飛び出したのだ。


「アナ姫!」


 マヤも飛んでいってしまった剣姫を慌てて追う。

 エルンの街まではかなりの距離がある。魔王ダスタードはここまでの犠牲を払って計画を進めてきたのだろう。


 今更行って、間に合うとも思えない。

 それでも剣姫は、決して諦めない。


 これまで不可能を可能にしてきたアナ姫なら、なんとかしてくれるかもしれないとマヤは思った。

 エルンの街には、マヤができ得る限りの防衛体制は整えてある。


 あとは、聖女セフィリアとあのおっさんが、なんとかアナ姫が行くまでもたせてくれば……。

 そう希望を懐きつつ、最悪の事態も想定して対策を考えておくのがマヤの仕事だった。

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