第69話「つかの間の逢瀬」

 ケインは、悪神であったノワを討伐せずに救うことに決めた。


「それで、俺は何をすればいいのかな」


 魔王が敵となれば、モンスターの戦闘とかあるのではないだろうか。


「それはもう、テトラちゃんが動いくれているのよ」


 ノワが再び悪神の力を強めて瘴気を強めるようになってから、実は以前のようにモンスターの発生が活発化しているそうだ。

 ここに瘴気を吐き出すノワがいるので、エルンの街の近くにもモンスターが湧き出してくるはず。


 さっきから姿が見えないと思ったら、ケインの使い魔である獣魔テトラは、街や近くの村に迷惑がかからないように、湧き出すモンスターを潰して回っているそうだ。


「テトラがそんなことを、こうしちゃいられないな」


 思わず立ち上がろうとしたケインを、アルテナは手を引いて止めた。


「待って。ケインは、私とここにいなきゃダメよ」

「でもテトラが戦ってるなら、俺も手伝いにいかないと。アルテナはノワを見ていてやってくれ、俺はテトラを手伝ってくる」


 何の役にも立たないかもしれないが、それでもテトラを一人で戦わせるのは忍びない。


「敵の狙いは悪神に戻ろうとしてるノワちゃんだけじゃなくて、おそらくあなたもなのよ」

「俺が?」


 驚くケインを見て、アルテナは呆れたように言う。


「あなたは、自分が一番の重要人物だって自覚がないわね。あなたは、悪神を浄化して手元に留めている善者なのよ。私だって、ケインがいるからこうして善神として力を発揮できるんじゃない」

「でも、俺なんかを魔王が気にしてるとは思えないけど」


 ケインの自己評価の低さをそのうちなんとかしなきゃと、アルテナは思う。


「ともかく、外で戦ってるテトラは、ケインを守るために動いているのよ。魔王を倒しに行ったという神速の剣姫アナストレアさんと万能の魔女マヤさんだってそうでしょう。あなたは、私やノワちゃんと一緒にここにいなきゃいけないわ」

「ノワちゃんの周りにモンスターが発生するなら、俺たちは人里から離れたほうがいいんじゃないだろうか」


 ケインはノワを守ると決めた。

 それでも、それに関係ない人が巻き込まれるのは良くない。


「私だってそれは考えたけど、移動中に襲われる危険もある。このあたりではこのエルンの街が一番守りが堅いでしょう」


 確かにこの街には高い外壁が囲っているし、大きな冒険者ギルドもある。


「街の人に迷惑がかからなければいいんだけど……」

「マヤさんが、魔王軍がケインを狙ってるって説明してくれて、今は王国軍が増援にやって来ているの。そう簡単には落ちないはずよ」


「そうだったのか。そういえば、やけに見慣れない兵士が多いと思った」

「ここが一番安全だから、下手に動かないほうがいいわね」


「それでも、せめて街の防衛に参加したほうがいいんじゃないかな」

「もう、ケインはそういうとこ頑固よね」


 どこにも行かせないように、アルテナはケインを優しく抱きしめた。

 そんなに強くないくせに、ケインはいつも人のために働こうとして無理をしてしまう。


 そんなケインが心配で、アルテナは一緒に冒険者となった。

 それで死んでもずっと見守って、こうして神様にまでなってしまった。


「アルテナは、神様になっても昔と変わらないんだな」

「ふふ、そうね。昔は私のほうが一歳年上だったのに、ケインはすっかりオジサンになったわよね」


 そう言って、アルテナはクスクスと笑う。

 不思議なもので、死に別れてから二十年のときが流れても、まるで昨日別れたばかりのようにアルテナを感じていた。


 その優しい声も、髪から仄かに香る花のような甘い香りも、触れ合った温かさも、アルテナ以外の何者でもない。


「おっさんは嫌いか?」

「好きよ。あっ、でも別にオジサンが好きってわけじゃなくて、ケインはケインだから……」


 ケインは、アルテナを求めて強く抱きしめ返した。

 確かに感じる懐かしい重さに、泣きそうになる。


「君が死ぬ前にこうしておけば良かった。あのときは、まだ若くて素直になれなかったんだ」

「ふふ、そう言ってくれて嬉しいわ。でも、もう私は人ではなくなってしまったんだから、遠慮しなくていいのよ。ケインを好いてる女性は、他にも結構いるわよ」


 自分に遠慮して、女性との付き合いを避けているのではないかと、そうアルテナは言っているのだ。

 そう聞いて、ケインは目を丸くする。


「まさか、俺みたいなおっさんはモテないよ」

「はぁ、まったく。素直になったのはいいけど、朴念仁ぼくねんじんなのは変わらないのね」


 アルテナは少し寂しそうに笑って、引き下がろうとした。

 生きている今のケインに寄り添うべきは、もう死んでしまった自分ではないと思うから。


 ケインは、下がろうとするアルテナをもう一度引き寄せて抱きしめる。


「俺だって家族を持とうと考えたこともある。だけど、君のことを忘れられなかった」

「私だって、死んでも忘れられなかった!」


「こうして会えたんだ。俺にはやっぱり君しかいない。また一緒に暮らせるように、なんとか頑張ってみるから」


 それはあまりにも優しい言葉で、アルテナは一瞬、神である我を忘れた。


「ああ、ケイン。ずっと愛してるわ」

「俺もだよアルテナ」


「あ、ダメ!」


 キスしてこようとするケインを、アルテナは思わず受け入れてしまおうとしたのだが、とっさのところで唇を手で止めた。


「……ごめん、嫌だった?」

「そうじゃなくて! この身体は、セフィリアちゃんよ!」


「うわ! そうだった!」


 ケインにはアルテナにしか見えないのだが、依り代として聖女セフィリアの身体を使っているのだ。

 抱きしめるのも本当は良くなかったが、キスは絶対にダメだ。


 二人は思わず気持ちが高ぶって、取り返しのつかないことをしてしまうところだった。


「私、ちょっと頭を冷やして引っ込んでるわね。ケインは、ノワちゃんをしっかり見守るのよ。セフィリアちゃんに、身体を返すから」


 すっとアルテナの気配が抜ける。

 そうして見ると、ケインが抱きしめてるのは、やっぱりセフィリアであった。


 ケインは慌ててセフィリアから離れようとする。

 だが、セフィリアに思ったよりも強く肩を掴まれて、ぐいっと顔を覗き込まれる。


 その表情は、いつも微笑んでいるセフィリアには珍しく少し不満げだった。


「聖女様?」

「ケイン様、わからないので教えていただきたいのですが、先程アルテナ様はケイン様に口づけをなさろうとしていましたよね」


「はい……」


 これは、詰問されてるようだ。

 そうだ、セフィリアに無断でキスしてしまいそうになったのだから、怒るのも無理はない。


「なんで、途中で止められたのでしょうか?」


 どうやら、善神アルテアが身体に降臨している間も、セフィリアはちゃんと意識があったようだ。

 とんでもないところを見られてしまって、ケインは申し訳なく思うと同時に、恥ずかしくなってきた。


「いや、普通止めるでしょう」

「愛し合う二人が結ばれることを、主神オーディア様はお認めになると思いますが」


 本気でわからないという口調で、セフィリアは首を傾げている。

 ケインも、何を言われているのかわからない。


 結ばれる?

 ここにはノワちゃんもいて見てるわけで、盛り上がったケインとアルテナだって、結ばれるまでするつもりは毛頭なかった。


 今のは、久しぶりだったのでつい盛り上がってしまったというか……。


「それはその、身体は聖女様でしたから、結ばれるのはダメでしょう。戒律とかもあるでしょうし」


 戒律以前に、いろいろとダメなのだが。


「私ならば、身も心も善者ケイン様に捧げております。アルテナ様として使っていただいて構わなかったのですが……」


 使ってって、一体どういう意味だろう。

 いやいや、純真の聖女と呼ばれるセフィリアが、まさかそういう意味で言っているわけもない。


 ともかく、ケインはもう何とも言えない。

 いっそ前みたいに、さっさとマヤが飛び込んできて、ツッコんでくれたらいいとケインは願った。


 なんでこんなときに限って、誰も来てくれないのか。

 気まずい思いをしたケインは、ようやくセフィリアから逃れて、ノワちゃんを抱き寄せる。


「ノワちゃんおいで」

「終わった?」


 いや、何も始まってもいないよと、ケインは笑うしかない。

 今はしっかりとノワちゃんを見守る。


 これが、ケインのできる唯一の仕事のはずだ。


「あの、ケイン様。次にこういう機会があるときは、お気になさらず私の身体を使っていただけるよう、アルテナ様に申し上げてください」

「いや、そういうのはちょっと、できないというか……」


 だから、そう言われても、なんとも言えたものではない。

 セフィリアはベッドにヨイショと上がって、後ろからケインの頭を抱きかかえた。


 前にノワちゃんを抱いて、後ろからセフィリアに抱かれて、ケインは挟まれる。

 なんだこれ。


「あの、なんで抱きしめてくるんだい」


 まさかの色仕掛け?

 いやいや、ありえない。


 汚れなき聖女様を相手に、そんなことを考えることがもう不埒ふらちというものだ。

 しかし、この子が何を考えてるのか、ケインにはどうもつかめない。


 相手はまだ十三歳の子供だと思うのだが、セフィリアの子供らしくない柔らかい部分がちょうどケインの後頭部にグイグイと押し当てられている。

 セフィリアのやることはいつもズレているので、何か目的があって盛んに胸を押し付けているのか。


 わざとやってるのか、たまたまそうなっているのかすら皆目わからない。


「私が、まだ子供だからいけないのでしょうか。でもでも、マヤやアナ姫には、身体だけは大人だなって褒められることもあるんですよ!」

「はぁ……」


 だから何の話なのだろう。

 どうでもいいんだが、さっきのこともあって気まずすぎるので、もう頼むから勘弁してほしい。


 ケインは、もう外に飛び出して、テトラと一緒にモンスターと戦いに行きたいぐらいだった。

 しかし、今はノワちゃんをしっかり見守らなきゃならない。


「だからきっと、私の身体だって使えないわけがないと思うんです。あ、ケイン様は動いちゃダメですよ。本当は前からのほうがいいんですが、このままでいいですから」

「はぁ……」


 こうして、いつになく饒舌にしゃべるわりに、何を言ってるんだかさっぱりわからない聖女様を相手にして、甘美な地獄のような時間を過ごす羽目になるケインであった。

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