第57話「木彫りの神像」

 エルンの街のアーティア教会には、主神オーディアと共に様々な神像が祀ってある。

 クコ村の人々から、善神アルテナの木彫りの神像をたくさん作ってもらったケインは、教会にも善神アルテナを祀ってもらうことをお願いすることにした。


 こうして、いろいろなところで善神アルテナへの信仰を集めようという作戦である。


「もちろん、主神オーディア様の眷属神だから置いても構わないのだけど……」


 シスターシルヴィアは、アルテナの木彫りの神像を見つめて、なにか感じ取ったようだった。


「シルヴィアさん」

「私の気のせいかもしれないのだけど」


 ケインは少し迷ったが、シルヴィアに本当のことを打ち明けることにした。


「善神アルテナは、俺の幼馴染だったアルテナの魂が女神になったものです」

「そうだったの……名前も一緒だし、神像と面影がよく似ていると思ったから、もしやと思っていたわ」


 どうやら、シルヴィアは気がついていたようだ。

 孤児院の子供たちを育ててきたシルヴィアにとっては、アルテナはケインと同じように大事な子供だ。


 アルテナが亡くなったのはもう二十年前にもなるが、悠久のときを生きるハイエルフのシルヴィアにとっては、昨日のときのことと変わらない。

 我が子の命を助けられずに、自らの手で葬った悲しみは胸に強く残っている。


「アルテナは、死んでもずっと俺のことを見守ってくれていたそうです」

「そう、ケインも良かったわね。私も、もう一度あの子と話したい」


 神秘的な銀色の瞳に涙を浮かべたシルヴィアは、愛おしげに神像を撫でる。


「人々の善なる祈りが、アルテナにとっては力となるそうです。神としての力が強まれば、シルヴィアさんとも話せるようになると思います」

「そう……あらいけない。あの子はもう神様なんだから、アルテナ様って呼ばなきゃダメよね」


 ハンカチで涙を拭ったシルヴィアは、祭壇に善神アルテナの神像を祀ると、跪いて敬虔な祈りを捧げた。

 ケインも、アルテナとシルヴィアが再び巡り合えるようにと手を合わせた。


 教会に厳粛な空気が流れた、そのときだった。


「大変だ。シスター様!」

「助けてくだせえ!」


 たくさんの人の声で、教会の表が騒がしくなり、板に載せられた怪我人が運び込まれてきた。

 年配の男が、腕を押さえて苦しんでいる。


「う、腕が……」


 苦しそうに呻く男の顔はすっかり青ざめていた。

 右腕が肩から完全に切断されて、なんとか包帯で押さえたものの、傷口から酷く血が滲んでいる。


「まあ、これはどうしたんですか!」

「ワシたちは、街の近くのトチ村の住人です。シスター様、どうか助けてください。ワシらじゃもうどうしようもできねえ」


「なんでこんなことになったんですか」


 シスターシルヴィアが治療にあたり、ケインが村人に事情を聞く。


「とてもじゃねえがこんな高い租税が納められねえって、村長がご領主様のお屋敷に直訴しにいったらこんな酷い仕打ちを」


 租税が急に倍になった話かと、ケインは眉をしかめる。


「誰がそんなことを」

「ご領主様の跡取り息子のカスター様が出てきて、『これからは俺が領主だ、お前らの勝手は許さん』と言い出して、見せしめにしろと村長の腕を……うう」


 そのときのことを思い出したのか、村人たちは悔し涙を流した。


「シスター、治療のほうはどうですか?」

「とりあえず傷口の血は止められるけど、残念ながら腕をつなぐことは無理だわ。斬られてすぐだったらまだしも、時間が経ちすぎてしまっているから」


「そんな! 利き腕がなくなったら、村長はもう畑仕事もできねえだ!」

「シスター様、なんとか助けてくだせえ!」


 治療で傷口から血が止まった村長は、青い顔で板から半身を起こすとシスターに詰め寄る村人を止めた。


「止めろ、お前ら……治療してくださるだけで、ありがたいことなんだ」


 大怪我を負った当人である村長に叱咤されて、村人は意気消沈する。

 助けられないのは、シスターシルヴィアのせいではない。


 だが、ケインは騒ぐ村人たちの気持ちもわかった。

 トチ村は、エルンの街に小麦や野菜を卸している農業が盛んな村だ。


 土を穿って生きている貧しい農民から利き腕を奪うことは、命を奪うに等しい。

 なんとかできないかとケインは悩み、はたと気がつく。


「ちょっと待っててください!」


 ケインは自分の家まで行って、庭に咲いている白銀のユリの花を調べた。


「……良かった」


 ほんの少し『命の雫』が残っている。

 それをかき集めると、ケインは教会へと戻って、トチ村の村長の腕をつなぎ合わせて傷口に塗り込めた。


「う、腕が!?」


 トチ村の村長は信じられないという顔で、自分の繋がった手を開いたり閉じたりしている。


「みんな、村長の腕が繋がったぞ!」


 意気消沈していた村人たちが、奇跡を目の当たりにして歓喜の表情に変わる。


「ケイン一体どうやったの?」


 シスターシルヴィアに尋ねられたので、ケインは答える。


「善神アルテナが出してくれた、あらゆる傷を癒やす『命の雫』のおかげですよ」

「おお、善神アルテナ様と言いましたか? なんとありがたい神様だ!」


「こんな奇跡を起こしてくださるなんて、トチ村の守り神にしよう!」


 純朴な村人たちは、みんなはしゃいでいる。

 しかし、治療してもらったトチ村の村長は、沈痛な面持ちでケインに聞いた。


「どなた様か存じませんが、『命の雫』といえば目ン玉が飛び出るほどに高い薬でしょう。私どもには、とても払う金がないのですが」


 物知りな村長は、治療費のことを気にしていたようだ。


「いや、お金なんていりませんよ。俺のものじゃなくて、善神アルテナ様が出してくれたものですから」


 ケインは慌ててそう言うと、寝そべっていた板からよろっと立ち上がったトチ村の村長は、そのまま土下座した。


「誠にかたじけない。トチ村の村長リンネルと申します。改めて御礼を申します。私にできることなら、なんでも言ってください」

「いや、頭を上げてください。どうぞお体を大事になさってください。ほんとに俺は何もしてなくて、善神アルテナ様のおかげですから、どうか御礼ならアルテナ様に言ってあげてください」


「そうですか。それでもどうか、貴方様のお名前だけでもお聞かせ願いたい」


 怪我が回復したばかりの村長にそうすがられるので、ケインは仕方なく名前を教えた。


「俺はケインと言います。ただの冒険者です」

「そうですか。ケイン様」


「そうだ、アルテナ様を村の守り神にしてくださるとありがたい。神様は、人々の感謝の祈りで力を増すのです。良かったらトチ村にも、アルテナ様の神像を祀ってくれませんか」


 ケインはそう言って、村長に木彫りの神像を渡す。


「善神アルテナ様の神像、かたじけなくもお受け取りします。ちょうど、トチ村は神様にもおすがりしたいところだったのです」


 善神アルテナの神像を大事そうに受け取ると、トチ村の村長は神像に深い祈りを捧げた。

 純朴な村人たちも、みんな信心深い人達なので一緒に祈っている。


「租税倍額の件ですか?」

「そうです。倍も税金を取られては、冬が越せません。私も村長としてどうすればいいのか、困り抜いての直訴だったのですが……この上は、善神アルテナ様にお助けいただければ本当にありがたい」


 村長の腕が治っても、倍額という租税を要求されている件は一向に解決していない。

 その話になると、トチ村の村人たちは激高する。


「前から評判はかんばしくなかったが、カスター様があそこまで酷い方だとは思わなかった」

「バカ息子にあんな横暴を許して、ご領主様は一体何をしとるんだ」


 だんだんと、会話は痛烈な領主批判になってくる。


「そうだ。いくら領主の息子だからって、あそこまでの横暴が許されるわけがねえぞ」

「ほんとだ、あのバカ息子め!」


「ご領主様に言ってダメなら、他の村とも示し合わせて王国に直訴しよう」

「そうだ! そうだ!」


 盛り上がったところに、教会の表から怒鳴り声が聞こえた。


「村人どもが集まって何を言い合っておるかと思えば、直訴の次は反乱の相談か!」


 街の冒険者や護衛の兵を引き連れた、傲慢そうな貴族の若者が立っていた。

 若者が身に纏っている豪奢なマントは、ランダル伯爵家の双頭の鷹の紋章だった。


 それを見て、村人たちは顔を真っ青にする。


「カ、カスター様!」

「なんでこんなところに!」


 眼の前にいるのは、村人たちが悪口を言い合っていたその人、領主の息子カスター・ランダルだった。

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