第55話「ビーストボアーの解体」

 大きなイノシシ魔獣を仕留めて得意げな使い魔と、それを褒めるケイン。

 その姿を、相変わらず陰から見ていた剣姫はぼやく。


「なによあれ」

「あれは、Aクラス魔獣のビーストボアーやな」


 クコ山とシデ山のちょうど間にある奥地に、魔の谷という瘴気の吹き溜まりがある。

 人も通わぬ険しい谷であり、そこで瘴気を受けた獣が凶悪な魔獣へと進化することがある。


 テトラの狩ってきたビーストボアーは、小山のように大きなイノシシである。

 これだけの巨体が突っ込んでくるだけでも脅威であり、Aクラスの魔獣とされている。


 そんなビーストボアーも、獣魔将テトラにかかればただの大きな牡丹肉ぼたんにくであった。


「これは、大物を仕留めたなあ。偉いぞテトラ」

「もっと褒めても良いのだぞ!」


 うんうん偉い偉いと、ケインはテトラの白いたてがみをモフモフと撫でる。

 テトラは、あるじーそこそこと言わんばかりに、立てた尻尾の先を揺らしてご満悦。


 マヤから見れば、たいへん心温まるシーンなのだが、剣姫はブチ切れている。


「マヤ! たかが雑魚魔獣を持ってきた駄虎が、なんであんなに褒められてんの!」

「そりゃ、あの使い魔がケインのおっさんの役に立ってるからやないか」


 もっと言えば、剣姫がいつもやってることはありがた迷惑なのだ。

 国民的英雄である剣姫アナストレアより、この前まで魔王軍の獣魔将だったテトラのほうが、よっぽど機転が利いて人の役に立つというのは皮肉だった。


 ただマヤが気になるのは、あの大きな獲物をどう調理するつもりなのかということだ。


「もう、私今からあのイノシシよりでかいの取ってくる!」

「まあ待てや、アナ姫。ちょっと耳を貸してみ」


 ゴニョゴニョとマヤが耳打ちすると、途端に喜色満面になる剣姫。


「それよ! フフ、待ってなさい駄虎。私のほうがケインの役に立つんだから!」


 アナ姫は、ほんと単純だなとマヤは苦笑する。


 さて、ケインのほうはこのビーストボアーをどうしたものかと考えて、こう切り出す。


「これは大きすぎて、俺たちだけじゃ処理できないし、食いきれない。とりあえず、クコ村まで持っていこうか」

「わかったぞ、あるじ!」


 ケインとテトラが、山の麓のクコ村にビーストボアーを持ち込むと、村でも大騒ぎになった。


「こりゃまた、見たこともないほどでかいイノシシだ。ケインさんは、すごいなあ」


 木こりのヨルクは、ドシーンと村の真ん中に置かれた巨大イノシシに半ば呆れ顔だ。

 村長のホルト老人など、巨大イノシシを見上げすぎて、そのままひっくり返って腰を抜かしたぐらいだ。


 ヨルクの孫娘のカチアも「でっかいお肉! でっかいお肉!」と興奮している。

 カチアが興奮するのも無理はない。


 大きな獲物が取れると、クコ村では肉祭りとなるのだ。

 これほどたくさんの肉があれば、これから春までは肉には困らないだろう。


「ハハ、俺がすごいんじゃないよ。テトラがやったんだから、テトラがすごいんだよ」


 ケインがそう言うと、テトラのプライドが刺激されたのか、尻尾が得意げにピーンと立っている。


「さて、問題はこれをどう解体するかだがな」


 大きなイノシシ肉は嬉しいのだが、岩の砦のような重さのイノシシの解体は、村人全員でかかっても難しい。

 まずは血抜きをと思っても、吊るす場所がない。


「うーん、デカすぎて吊るすこともできん。このままじゃ、血抜きすら難しい」

「ケインさんがせっかくワシらに持ってきてくれたんだから、なんとかせにゃならんぞ」


 獣の解体が専門の猟師たちも、あまりのイノシシの大きさに困り顔だ。

 肉を冷やすのに水も必要なので、近くの河原にでも運ぶかと相談している。


 吊るせない場合、斜面において頭部を下にして喉を切るしかないのだが、すでに死んで心臓が止まっているのが血抜きを難しくしている。

 そう処理しても、これほどの巨体から血がすぐ抜けるかわからない。


「テトラはいつもどうやって食べてたんだ」

「我は、そのまま丸かじりだった」


 そう言って、テトラも困った顔だ。

 怪力のテトラにも、イノシシの解体は難しいようだった。


「解体なら、私たちに任せなさい!」


 そこに颯爽と現れたのは、剣姫アナストレア率いるSランクパーティー『高所に咲く薔薇乙女団』である。

 よくは知らないが、剣姫アナストレアと聖女セフィリアと魔女マヤの三人が偉い人であることは知ってるので、村人たちは平伏する。


 剣姫の姿を見ると、テトラはブワッと毛を逆立たせて、ケインの背中に慌てて隠れた。


「君たちは……」


 突然現れた三人にケインが声をかけようとするのだが、剣姫は「まあいいから見てて」と傍らのマヤに声をかけた。


「マヤ、まずこいつを吊り下げて」

「ハイハイ、浮かせればええんやな」


 この巨体を上げるのは結構なマナがいるのだが、気軽に言ってくれるなあと苦笑しつつマヤは浮遊魔法で持ち上げる。


「血を抜けばいいのよね」


 血抜きするのに、神剣を使うのかと思えば、剣は抜かなかった。

 ピョンと飛び上がると、剣姫は無造作に腕でビーストボアーの巨大な心臓を引きずり出す。


 なんという力技、これには全員が唖然であった。

 一瞬遅れて、剣姫が引き抜いた胸の穴から大量の血液が滴り落ちる。


「ほら、駄虎。あげるわ」

「ヒッ!」


 剣姫が放り投げたビーストボアーの心臓を、テトラは慌てて受け取る。


「丸かじりするんでしょ。虎の餌にはちょうどいいわね」

「い、今のはどうやったのだ!」


 巨大な獣から心臓だけを素手で引き抜くとか、テトラもびっくりの神業である。


「なにあんた、こんなこともできないの?」

「で、できるわけないだろ!」


 それでケインの使い魔が務まるのかしらと、剣姫は高笑い。

 力の差を見せつけられて、ご満悦である。


「じゃあ、アナ姫の開けたところから血を抜くで」


 魔法でビーストボアーを浮かせているマヤは、そのまま血を全部吸い出した。


「さて、血抜きが終わったから次は解体すればいいのね」


 神剣を引き抜いた剣姫は、ピョンと飛び上がってクルッと回ると、ビーストボアーの身体を飛び越えて向こう側に着地する。

 途端にべろりと、巨大イノシシの毛皮が剥がれ落ちた。


 一瞬にして、毛皮を剥いだのかとみんな驚くが、それだけではなかった。

 毛皮が剥がれてから一瞬遅れて、腹がパッカリと割れると落ちた毛皮の上に、ボトリ、ボトリと内臓が落ちていく。


 まだまだ続く、内臓が綺麗に取り出されたかと思えば、続いてブロック状になった肉が次々に剥がれ落ちて、毛皮の上に積み重なっていく。

 なんという妙技!


 剣姫は、小山ほどの大きさもあるビーストボアーを、皮剥ぎから解体まで一瞬にして終わらせたのだ。

 あとに残るのは巨大なイノシシの毛皮と、その上に綺麗に重ねられた大量の骨と内臓と肉の山である。


 信じられない光景に、シーンとあたりが静まり返る。


「あれ? なんか私間違えちゃった?」


 みんながずっと黙りこくってるので、剣姫はちょっと不安になる。


「いや、そんなことはないよ。アナストレアさんありがとう。みんな助かったよ」


 ハッと気がついたケインがそう言ったので、剣姫はしてやったりと機嫌良さそうに破顔一笑した。

 本当に久しぶりに、剣姫がまともに人の役に立った瞬間であった。

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