第51話「遠い記憶」

 古の森に住む虎人族ワータイガーの村に、一人の赤子が生まれた。

 悲しきことに、その子は呪われた赤い瞳と禍々しき爪を持つ獣魔であった。


 それは、取り替え子チェンジリングと呼ばれる。

 悪魔が子供を取り替えたのだとも言われるのだが、原因はよくわからない。


 人族からも魔人が生まれることがあるが、同じように獣人からも魔に見入れられた獣魔の子が生まれることが極稀にあった。

 可哀想だが、そういう赤子は生まれてすぐに殺されるのが常である。


 しかし、その子の母親は虎人族ワータイガーでも子が生まれにくいと言われる白虎人だった。

 待ち望んで得た赤子を、どうしても殺すことができなかった。


 そこで両親は、その子をテトラと名付け、村人からも隠して山奥の小屋で育てることにした。

 しかし、そんなことが長く続けられるわけもない。


 テトラが六つの歳に、悲劇は起こった。


「お前たち、とんでもないことをしでかしてくれたな」


 テトラが隠れ住む離れの小屋に、村長と村の人達がやってきて囲んだのだ。

 父マンサと、母レストラは、村長を拝み倒した。


「村長、私たちは村を出ていきますから見逃してください」

「もう遅い」


 小屋に、王国軍の兵士たちがなだれ込んでくる。


「テトラ逃げて!」


 王国の兵士長は、テトラを守ろうとかばうレストラを長剣で斬り殺した。

 目の前で母を殺されたテトラは、血を浴びたまま、その場にしゃがみ込む。


「止めてくれ、子供だけは!」


 そう叫んだ父マンサも、すぐさま兵士たちに槍で突き刺されて殺された。


「……悪く思うなよ。マンサ、レストラ。これも村が生き残るためだ」


 村長は、あまりの愁嘆場に耐えきれず瞑目する。

 レストラの返り血を浴びた兵士長は、声も出せずに震えている六歳のテトラの頭を掴み上げてあざ笑う。


「これが、獣魔のガキか。たしかに邪悪な面をしている。これで、私も獣魔殺しになれるわけだ。クックッ、せっかくだから、生きたまま皮を剥いで毛皮にでもしたてるか。頭蓋骨はお前にくれてやってもいいぞ」

「それじゃあ、入れ物にでもしますかねえ」


 そう言って残忍に笑い合う兵士たちの顔色をうかがいながら、虎人族ワータイガーの村長はペコペコと頭を下げる。


「これで、村は見逃してください」


 アウストリア王国に支配されている虎人族ワータイガーの村は、こうでもしないと生きていけない。


「ああ、王国への忠節ご苦労であったな。おいお前ら、仕上げはどうした。獣魔が出た小汚い村には消毒が必要だと言っただろう。薄汚い獣人どもを一人残らず殺し、全部焼いてしまえ」

「そんな、村は助けると……グッ!」


 兵士長は村長の胸を長剣で貫き通すと、さっと引いて剣に振るって滴った血を振り払った。


「そんなことは一言も言ってはおらん。お前ら、そんな約束を私がしたか?」

「いえ、ガウス兵士長は一言も村を助けるなどといっておりません」


「フハハハ、だよなあ。さっさとやってしまえ!」


 逃げ惑う村人たちを、周りを囲んだ王国兵士たちが槍で突き刺して殺していく。

 村には火が付けられ、すべてが燃やされていく。


 赤々と燃える村、赤々と流れる血の海。


「うああああああああああああ!」


 急に叫び声を上げたテトラを、兵士長は地面に叩きつけた。


「いきなり叫びやがって、びっくりするじゃねえか」

「うああああああああああああ!」


 頭を強く床に叩きつけられても起き上がり、テトラは叫ぶ。


「チッ、気色悪い獣魔のクソガキが。お前の両親も、村人もみんなお前のせいで殺されたのだぞ。わかったら、我が正義の剣にかかって地獄に落ちるがいい」


 兵士長は、テトラに向かって唾を吐きかけると、無造作に長剣を振り上げた。

 獣魔といえど、たかが六歳の子供だ。


 剣を振り下ろせば、テトラの首は一瞬にして飛ぶはずであった。

 しかし、次の瞬間ガウス兵士長の長剣がはね飛ばされて、テトラの長い爪が兵士長の胸を貫き通していた。


「なっ……」


 両親の血を浴びたテトラは、そのショックで獣魔として目覚めたのだ。

 そのときのことを、テトラはあまり覚えていない。


 村は焼け落ち、その場に誰一人残らなかったことだけは確かだ。

 その後のテトラの記憶は、ただ炎の赤と血の赤のみ。


 人間への憎しみのみで暴れまわったテトラは、血塗られた烈爪れっそうのテトラと呼ばれるようになった。

 やがて魔王ダスタードにその力を見出されて、獣魔将の地位にまで上がることとなる。


 そんな長い戦いの日々で、ずっと忘れていた記憶を、テトラはハッキリと思い出していた。

 とうに忘れてしまったと思っていた父マンサと、母レストラの顔。


「お父さん、お母さん……」


 テトラを優しく見つめる二人の顔は、笑顔だった。

 そうして、眼をゆっくり開くと、それは心配そうにテトラを見つめていたケインの顔と重なる。


「おや、眼を覚ましたか」


 テトラは、ベッドに寝かされていることに気がつくと、半身を起こしてケインに言う。


「おいケイン、いま我が言った言葉を聞いたか」


 顔を真っ赤にしてあたふたしているテトラが何を言ってるのか、ケインにはよくわからない。

 ともかく、落ち着かせるように言った。


「言葉? 何のことかわからないが。だいぶ血を失ってるから、まだ動かないほうがいいよ」


 父母を呼んだなさけない自分の声はケインに聞かれてなかったようで、テトラはホッとする。


「あら、起きたのね」


 奥からシスターシルヴィアが出てきた。


「ハイエルフのシスターとは珍しいな」

「もう平気そうね。何か食べる? 消化にいいものが良いかと思ってオートミールを作ってみたのだけど」


「ふん、そんなものより、肉を食いたいのだがな」


 そう悪態つきながらもテトラは、皿に盛られたオートミールを美味そうにしっかりと食べた。


「肉が良ければ、あとで買ってこよう」


 血を取り戻すには滋養も必要だろうからと、ケインは微笑む。


「善者ケイン。そんなことより、なんで人間の宿敵である我を助けたのだ。しかも、女神の奇跡や、貴重な薬まで使って、正気の沙汰とは思えない」


「なんでって、俺が助けたいと思ったから、助けただけだよ」


 目の前に傷つき死に絶えようとする命があれば、ケインはなるべく助けようとする。

 テトラが魔族であっても、ケインに向かって人を殺さぬと約束した。


 それならば、助けるのは当たり前だとケインは言っている。

 人の宿敵である魔族の言葉を素直に信じて、その生命までも慈しむ。


 圧倒的なまでの善意。

 これほどの善意に初めて触れたテトラは、ケインの目を直視できず、眩しいものを見るように目を伏せ、やがて涙を流した。


「これが善者というものなのか、敵わないな。だがそんなことをしても、結果は同じなのだ」


 そのテトラのつぶやきに、「そうですね」と、聖女セフィリアが入ってきた。


「聖女様!」


 急に現れた聖女セフィリアにケインは驚く。

 シスターシルヴィアは、その場にうやうやしく跪く。


「人を数多に殺めた魔族テトラは、その罪により処刑せねばなりません」


 そう言うセフィリアに、テトラは諦めたように微笑んだ。


「ああ、人に捕まった魔族が殺されぬわけがない。我も覚悟はできている」

「聖女様、しかしテトラは……」


 止めようとするケインを手で押さえて、セフィリアは懐から鏡を取り出した。


「鏡?」

「テトラ、ご自分の姿をごらんなさい」


「これは……」


 身体中に刻印されていたテトラを縛る魔王呪隷紋は綺麗に消えて、テトラの白い肌は昔の美しさを取り戻していた。

 それだけではなく、まるで別人のようだ。


 猛々しい表情は穏やかになり、ギラついた赤い瞳も落ち着いた真紅になっている。

 赤黒い血に染まった虎柄の体毛も、まるで生まれたてのように真っ白でもふもふしていた。


「テトラ、あなたの身は、善者ケイン様の慈悲で清められたのです。その罪は決して消えませんが、あなたには処刑の他に選べる道もあります」

「道とは?」


「ケイン様の使い魔となりなさい。そうなるのであれば、聖女セフィリアの名をもって刑の執行を猶予しましょう」

「……」


 テトラは黙り込む。


「ちょっと聖女様、使い魔ってなんなんですか?」

「そういう制度があるのです。かつての勇者、聖者の中には、懲らしめた魔の物を使役した方々もおられます。ケイン様は、善者として聖女の誓約を受けておられます。そのための力をお持ちです」


「……わかった。善者ケインには助けられた借りがある。そう望むのであれば、我を使い魔にするがいい」


 テトラも、もう魔王の下には戻れない。

 それに、誇り高き白虎人は、受けた恩を忘れないものだ。


 すっかり忘れていた母レストラのそんな教えを、テトラは思い出していた。


「でも俺には使い魔なんて」

「ケイン様は、処刑のほうが、お望み、ですか?」


 可愛らしく小首を傾げて尋ねる聖女セフィリア。


「いや、テトラを使い魔にしましょう!」


 天然のセフィリアだと、それなら処刑しましょうって言いかねない。

 ケインの宣言にセフィリアは頷く。


「それではケイン様、使い魔たるテトラに聖紋を授けてください」

「聖紋ってなんですか」


「ケイン様の使い魔たる証、聖なる紋様を身体に刻むのです」


 もしかして、魔王呪隷紋のような入れ墨をテトラにまた刻むのかとケインは驚く。

 テトラの傷を癒やすときに、女性の身体の隅々までにこんな禍々しい痕を残すのかと、たいへん不快に思っていたのだ。


 せっかく綺麗に消えたというのに、また紋を入れるなんて……


「聖女様、テトラは女の子ですよ。身体にそういうものを入れるのはどうかと」


 それを聞いて、テトラは真っ赤になってる。

 聖紋が恥ずかしかったわけではもちろんない。


 ケインの言葉がなぜかくすぐったくそわそわとして、とても恥ずかしくていたたまれなくなる。

 生まれてからずっと女の子扱いされたことなどなかったからだろう。


「やっぱり、処刑のほうが、よろしいですか」

「入れましょう聖紋。なるべく目立たないところに!」


「いえ、聖紋は目立つところでないと、聖職者にただの魔族と間違えられて騒ぎになりますから」

「もうなんでも良いから、さっさとやってくれ」


 いたたまれないテトラは、さっさと上着を脱いで裸になろうとする。


「うわ、何やってんだテトラ。服を着て!」

「では、我の身体のどこに聖紋とやらを入れるのだ」


 テトラにそう言われて、ケインは悩んでしまう。

 目立つ場所にと言っても、女の子の顔には絶対ダメだ。


 胸も論外、そうすると。

 いつも露出度の多い服を着ているテトラが剥き出しにしている、お腹のあたりだろうか。


「ケイン様、入れたい場所に手を当ててください」

「ここでいいですか」


 ケインがテトラのお腹に手を当てると、もうセフィリアはもう片方の手を掴んで、二人を抱くようにして主神への祈りを捧げた。


「よろしいです。では、主神オーディアよ。聖女の求めに応じてその力をお示しください。獣魔テトラを善者ケインの使い魔となすことをお許しください」


「熱い!」


 テトラがそう叫んだので、ケインは慌てて手を離すと、テトラのお腹にハートマークのような紋章が浮かび上がっていた。


「これは、ケイン様を加護する、善神アルテナの聖紋のようです。獣魔テトラ、これよりは善者ケインの使い魔として誠心誠意尽くしなさい。それが、あなたの罪滅ぼしですよ」

「人間の聖女にそう言われるのは癪だが、白虎人の誇りにかけて承った」


 セフィリアにそう諭されて、人間嫌いなテトラは複雑そうな表情だったが、渋々と頷いてみせた。

 こうして、獣魔将テトラはケインの使い魔となったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る