第50話「獣魔将テトラ」

 ケインの庭で、バサッとフード付きのマントを脱いで正体を現したのは、魔族の女であった。

 一見すると虎人族ワータイガーにも思えるが、そうではない。


 赤く光る瞳と凶暴な爪。

 身体中に浮き上がる入れ墨のような禍々しき紋様は、あまりにも異様な姿だった。


「ケインさん、そいつは魔族です。虎人の獣魔ですよ!」


 孤児院の子供の中では、一番物知りなキッドが叫ぶ。

 魔族を見たことがないケインは、これが話に聞く獣魔かと驚く。


「そうか。魔族、俺がケインだ」


 魔族の来訪に驚いたケインだが、とっさに声を震わせながらもそう言った。


「お前が、本当に悪神を倒したという善者ケインなのか?」


 訝しげに首を傾げるテトラ。

 悪神を倒した大英雄と聞かされた善者ケインからは、何の力も感じないので不思議に思う。


 体格から見て冒険者ではあるのだろうが、Sランク冒険者の剣姫たちとは比べるべくもない。

 テトラの邪気を恐れる、どこにでもいるただの人間だった。


「そうだ、善者ケインは俺だ!」


 ケインは魔族の注意を引き付けるつもりだった。

 キッドたちにいますぐ安全な場所に逃げろと目配せして、恐怖を圧し殺して魔族の前に立ちはだかる。


「ハハ、フハハハハッ、我はまたなぶられているのだな。獣魔将テトラともあろうものが、落ちぶれたものだ」


 テトラは、剣姫にわざと弱い人間のところに自首に行かされたのだと思った。

 またもてあそばれている。


 ポロポロと涙を流しながら、テトラはバカらしくなって笑いだした。

 そんな泣き笑いするテトラを見て、ケインはどうしたら良いか迷う。


「えっと……」

「お前が誰かなど、どうでもいい。我は、ケインに自首しにきたのだ。さっさと捕まえてくれ」


 獣魔将たるテトラが、弱々しい人間に屈服させられることは、身を切られるほどの屈辱だ。

 いっそ殺してしまおうかとも思ったが、そうする前に後ろから見張っている剣姫たちに八つ裂きにされるだろう。


 もはや、逆らう気力を失っていたテトラはおとなしく頭を垂れる。


「自首するなら、王国兵士の詰め所とかに行ったらいいんじゃないかな」

「そうはいかぬのだ。善者ケインに自首するとの約束なのだから」


「自首するって、あなたは何か悪いことをしたのか?」


 ケインは、邪気が抜けた今のテトラからは悪いものを感じないのでそう聞いた。

 テトラは唖然として顔を上げる。


「悪いことだと? この姿を見てわからないのか。我は魔王ダスタード様直属の獣魔将、血塗られた烈爪れっそうのテトラだぞ。数々の戦いをくぐり抜けて、数多あまたの人間を殺してきた。人にとっては、我が生まれたことすら罪であろうよ」


 剣姫の場合はランクが高すぎてなのだが、薬草ばかり狩っていたDランク冒険者のケインもそういう世界とはまったく無縁だった。

 そのため、魔王とか獣魔将とか魔族とか言われても、まったく実感がわかない。


「テトラさんというのか。うーん、自首したら、あなたはどうなるんだろ」

「斬首、だろうな。いや、その前に拷問にかけられて、なぶり殺しにされるかもしれぬ」


 魔族と言っても、それは可哀想だなあとケインは思った。


「もう二度と人を害さないでおとなしく暮らすというのであれば、自首までしなくてもいいと思うんだが」

「は? お前は何を言っているのだ」


「自らの行いを反省してるんだろ。だったらそれで許されるんじゃないかな」


 テトラの血のように赤い瞳が細くなった。

 善者とはこういうものなのかと、血が沸騰するほどの怒りに震えた。


 剣姫に滅ばされることも構わず、本当にケインを道連れにして殺し尽くしてやろうかとすら思う。

 呪われし生まれの獣魔が許されるだと、よりにもよってなんて言葉を吐くのだ。


 その優しい言葉は、優しいからこそテトラの心の傷を深くえぐるものだ。

 そんなことができるなら、こんなにも我が身は苦しんではいない。


 そんなことができるなら、血塗られた道を歩まずに済んだ。

 あまりの激しい怒りにむしろ心が冷えたテトラは、今できる最大の仕返しを思いついて、静かに頷いてこう言った。


「いいだろう。では、善者ケインは我が二度と人を殺さないと約束すれば、自首しなくても許すというのだな」

「もちろんだ。それなら、殺し合う必要もなくなる」


 テトラは、その言葉に乾ききった笑いを浮かべる。


「では、善者ケインに従い、我は二度と人を殺さぬと約束しよう。グハッ!」


 そう口にした瞬間、テトラの全身から血が噴き出した。

 身体中の紋様が次々に赤黒い傷口となって開き、テトラの身体から噴き出す鮮血は、みるみるうちに血溜まりとなった。


「お、おい!」

「フフッ、見たか。これが、お前の言う許しの結果よ!」


 自らの血の海に崩れ落ちながら、唖然とするケインの顔を見上げて、ざまあみろとテトラは力なく笑った。


「どういうことだ。なんでこんな傷が」

「……我の身体の紋様は、魔王呪隷紋と言う。魔王様との約を破ると、我が身体をむしばみ殺し尽くすまで血は止まらぬ」


 用心深いダスタードは、こうして自らの目の届かぬところでも配下の魔族が裏切らぬように手を打っている。

 人を殺さぬなんて約束は、魔王ダスタードの命に反するものだ。


 命に反すれば、死あるのみ。


「なんでこんな酷いことを……」

「これで、わかっただろう。人と魔族は殺すか、殺されるかしかない。呪われし魔族を人が許すなどは無理なのだと」


 呪隷紋の傷に蝕まれ身体は焼けるようで、大量の血が失われたせいか、頑強なテトラも目が霞んできた。

 ケインの言葉に激しい怒りを感じていたテトラは、それでも嬉しかった。


 善者などと呼ばれるこの甘い男に、現実を思い知らせてやって死ねるのだ。

 処刑されて死ぬより、よっぽど小気味がいい。


 しかし、おろおろするばかりだと思ったケインは、思わぬ行動に出た。


「何をするつもりだ」

「待ってろ、今治療してやるから」


 ケインは、薬草を使ってテトラの身体を癒そうとする。

 プライドの高いテトラは、思わずその手を払いのけようとしたが、まあいいとそのままにさせておいた。


「無駄なことを、魔王のとがの傷だぞ。ただの薬草などで、癒えるわけがない」


 もはや、テトラは弱って死ぬのを待つばかりだ。

 ケインに勝手にさせてしまったのは、それが口だけではない純然たる思いやりだと感じたからかもしれない。


「ああ、血が止まらない。俺はまた……」


 テトラの傷口から流れ出る血を止められないケインは、苦悶に顔をしかめて悔し涙を流していた。

 流れる涙は、温かくテトラの肌へと触れる。


 目の前で女が死んでいくシチュエーションは、アルテナをそのように亡くしたケインにとってはトラウマだ。

 この人間は、魔族である自らの死にゆく様を本当に嘆き悲しんでいるのだと知って、テトラは心から困惑した。


「我は呪われし獣魔だぞ。なぜ、そんなに必死に……」

「アルテナ、頼む。俺に助けさせてくれ!」


 為す術もないケインは、最後の手段として、善神アルテナへと祈った。

 パーッと光が降り注ぐと、ケインが庭に植えていたヤマユリの花が姿を変えていく。


「これは……」


 目の前で、善神アルテナの奇跡が起こっていた。

 ケインは、ポケットサイズの植物図鑑で、その植物を調べる。


 レアリティーダブルS『命の雫』


【入手高難度レア植物の一つ。女神の息吹を受けた白銀のユリの花からこぼれ落ちる聖水は、あらゆる傷を完全に癒やす力を持つ。『蘇生の実』と同じく蘇生ポーションの材料として有名であり、その市場価値は計り知れない】


「そうか、『命の雫』なら助けられる。アルテナありがとう!」


 ケインは、テトラの倒れている眼の前で『命の雫』を集めだした。

 なんと、貴重な薬を獣魔であるテトラを助けるために使うつもりらしい。


「お前は、バカなのか。いいかケイン。我は、人間ではない、死んでも、また蘇る」

「もうしゃべるな。絶対に俺が助けてやるから」


「だから、助ける必要など……」


 テトラが止めようにも、もはやその手を払いのける力もない。


 さすがは、女神の力を持つ『命の雫』。

 テトラを蝕む痛々しい傷がケインの手によって癒され、白い肌は健やかさを取り戻していく。


 その触れる手の温かさに、テトラは不思議と懐かしい感じがしていた。

 この感じ、昔どこかで……。


 そうしてそのまま、テトラは血を失い過ぎたせいで気を失ってしまった。


「キッド、シスターを呼んできてくれ!」

「はい!」


 傷を癒やされたテトラは、本格的な治療を施すべくケインの家へと運ばれていった。

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