第二部 第一章「自宅のある生活」

第42話「自宅のある生活」

 ケインは、オーブンから薄くスライスしたパンを取り出す。


「アチッ、ちょっと焼きすぎちゃったかな。みんな、ご飯できたよ」

「早く早く!」


 猫耳娘のミーヤが、特徴的な耳をピクピクさせながら、スプーンを持ってはしゃいでいる。

 八歳のミーヤは、猫人族ケットシーの血が混じっている。


 新しい自宅には、オーブンがありパンを温め直すなんて贅沢もできるようになった。

 大鍋で野菜や鶏肉などを煮込んだポトフも、いい匂いがしてきた。


「最後にパンの上に目玉焼きを載せてっと、ほらスペシャルトーストだぞ」

「わーい!」


 ケインが振る舞う朝ごはんは、隣の孤児院の粗末な食事よりも良いので、すぐに子供たちが殺到するようになってしまった。

 そこで、交代で常に三人ぐらいと一緒に朝ごはんを食べるローテーションになっている。


 ケインも朝ごはんを一人で食べるのは味気ないし、一人で住むには広すぎる家なのでみんなが来てくれるのは歓迎だった。

 ミーヤたちが、我先にと旺盛な食欲で食事にありつくのを眺めながら、ケインはクコの葉を煎じて淹れた渋いお茶を啜る。


 気がつけば、ミーヤは自分の食事を食べてしまって、ケインの前のトーストを物欲しげに見つめる。

 食べ盛りだからお腹が空くんだろう。


「食べる?」

「うわーい!」


 ケインがミーヤに差し出したトーストの皿を、横からキッドがスッと取り上げた。


「駄目だよミーヤ。それはケインさんのなんだから」


 キッドは十三歳で、みんなよりも年長者だ。孤児たちのリーダー格としてミーヤを注意する。

 キッドの群青色ぐんじょういろの短髪にも、狼人族ワーウルフの特徴のシャープな狼耳が生えている。


「いやー、ケインはくれるって言ったもん!」

「まあ、そんなに厳しいこと言わなくてもいいじゃないかキッド。半分だけならいいでしょ」


 ケインは、スペシャルトーストを半分に割ると、ミーヤに差し出す。


「やったー!」

「ケインさん、あんまりミーヤを甘やかさないでやってくださいよ」


 キッドは、しょうがないなとため息をつく。

 ミーヤだけにあげると、他の子に不公平になるってこともあるのだろう。


 それでもケインは、目の前で子供がお腹を空かせていたら食べ物を分け与えてしまう。


「ごめんごめん。ほら、キッドも半分食べるかい」

「ケインさんの分は、ちゃんとケインさんが食べてくださいね」


「そうか。でもまだポトフもたくさんあるから、キッドもしっかり食べよう。育ち盛りなのに、少し痩せすぎじゃないかな」

「それじゃあ、そちらは遠慮なくいただきます」


 獣人の血が混じっていると美形になりやすいのだが、キッドはその中でもとても綺麗な顔立ちをしている。

 ケインが皿にポトフを注いでやると、キッドはスプーンで上品な仕草で口に運ぶ。


 全く上品な仕草で、どこでテーブルマナーを覚えたのだろう。

 ケインは、キッドが孤児たちのなかでも一番に出世するだろうと見込んでいる。


 女の子かと見紛みまがうほどの美貌と、多彩な才能に恵まれた若い彼の前途には、きっと無限の可能性がある。


「未来か……」

「何か言いましたか、ケインさん?」


「いや、食べてしまおうか」

「はい!」


 これから羽ばたいていく子供たちの姿は、ケインのような大人には、少しまぶしく見えるのだ。

 朝ごはんを終えると、ケインは庭に出て薪割りを始める。


 新しくできた家には足りない物も多く、細々とした仕事も山のようにある。

 日課になってるクコ山での薬草狩りも、ここ数日は休んで野良仕事に専念するつもりだ。


 まだ殺風景なケインの家の庭だが、一頭の白いロバがのんきそうに飼葉かいばを食んでいるのが彩りだ。

 悪神退治のときに天馬ペガサスとして活躍してくれたロバで、今は名残で身体が白くなってるだけだが、ケインはそのまま冒険者ギルドより貰い受けて飼っている。


 ケインがせっせと薪割りに勤しんでいたら、キッドが声をかけてきた。


「ケインさん、そんなの俺がやりますよ」

「いや、これは俺の仕事だ。それに、斧が一本しか無いからな」


 ケインだって普段から山歩きしている熟練の冒険者だ。

 薪割りぐらいは、軽々とやれる。


「俺も何か手伝います」

「キッドは本当にいい子だな。気持ちだけもらっておくよ、ありがとう」


 ケインは、キッドの少し紫色を帯びた青い髪を優しく撫でてやる。


「俺じゃ役に立たないですか?」


 キッドは、ちょっと不安そうにケインを見上げてくる。


「そうじゃないさ。自分の家の庭仕事なんだから、俺も楽しみでやってるんだよ。キッドもミーヤたちと遊んでくるといい。ほら、子供のうちはしっかり遊ぶのも仕事だぞ」


 聖女セフィリアの尽力のおかげで、教会の孤児院も財政難を脱した。

 近頃は、孤児たちの手仕事のほうも随分と減ったらしい。


 遊んでいる孤児院の子供たちの表情にも、余裕が見える。


「キッドばっかりずるーい、私も撫でて!」


 キッドと話していると、庭を駆け回っていたミーヤたちもやってきた。


「はいはい」


 よいしょっと、ケインは斧を下ろすと。

 近寄ってきたミーヤの頭を撫でる……と見せかけて、ひょいと持ち上げて肩車してやる。


「きゃー!」

「ハハハ、どうだ高いだろ」


「たかーい!」


 両手を挙げて歓喜の叫びを上げるミーヤ。


「ケイン、私も肩車!」

「僕もー!」


 ケインは、すぐ子供たちに取り囲まれる。


「はいはい、順番な」


 これじゃいつまでも庭仕事が進まないなと苦笑しながらも、つい子供と遊んでしまうケイン。

 ふと見ると、見たこと無い女の子が混じっていることに気がついた。


 人形のように小さい顔に、不釣合いなほど大きな黒い瞳。

 白い肌に、細い手足、足元まで伸びる長く豊かな黒髪。


「君はどこの子かな?」


 ケインがその子を孤児院の子だと思わなかったのは、美しい色合いの黒いドレスを着ていたからだ。

 それに、まるで一度も外に出たことがないような白く透き通るような肌と黒絹のような髪は、いいところのお嬢様のように思えた。


 見慣れない子だけど、近所の子だろうか。


「私は、ここの子」

「……えっと、お名前は?」


「名前はまだない。ケイン、あなたが付けて」

「うーん、名前か。じゃあ、ノワちゃんでどうかな」


 あだ名を付ける遊びかと思って、ケインは少女の夜の闇のように深い漆黒の髪を見て何気なくそう口にした。

 黒を意味するノワールからである。


 女の子がノワールはおかしいからノワちゃん。あだ名に意味などないが、あえて言えば黒子だろうか。

 ケインらしい、素朴な名付け方だった。


「ノワ、ノワ……私はノワ」


 何度か口の中でそうつぶやくと、どこか人形めいた無表情の少女はぎこちなく笑った。

 ケインも微笑み返したが、この子は初対面なのになんで自分の名前を知ってるのかなと思った。


「それで、君のお家はどこかな」


 ケインがそう聞くと、ノワは抱きついてきた。


「ノワは、ケインといつも一緒」

「えっと……」


 子供の扱いは慣れてるケインなので、ノワを優しく受け止めるが、話が通じないのでやれやれ困ったなと黒髪を撫でてあげる。

 そのときだった。


 バキバキバキッと大きな音がして、庭の垣根を突き破って長方形の巨大な石の塊がドーンと砂煙を上げて飛び込んできた。


「なんだ!?」


 何ごとかとケインはノワを強く抱きしめ、とっさに周りの子供たちを集めて警戒する。


「アナ姫。またやってしもうたんか!」

「しょうがないじゃない手が滑ったんだから」


「あーあ、おっさんの家のへいを壊してしもて、どうするつもりなんや」

「門を変えるんだから、ケインのお屋敷の塀も全部やりかえればいいでしょ!」


 壊れた垣根の向こうから、何やら聞き覚えのある声が聞こえてきた。

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