第37話「悪神」

「万物の根源よ、天地の法力よ、我がマヤ・リーンの下に集え! 凝着し! 束縛し! 禁錮し! 制圧せよ! 神の理に背きし悪しき神に天の鎖縛を! 永久鎖縛イモータル・バインド!」


 おぞましき瘴気をまとうおぞましき闇。

 悪神の姿を目にした瞬間に、魔女マヤは渾身の魔力を込めて魔法を詠唱していた。


 呪縛系魔法の最上位、永久鎖縛イモータル・バインド

 純粋なるマナで作られた不朽ふきゅうの鎖が虚空から現れて、漆黒の闇に巻きついていく。


 悪神は、それを避けることすらしない。

 だが、こんなもので悪神の足を止められないのはわかっている。


 それはただ、ほんの一瞬の注意を引き付けるため。


「相手は、私よ!」


 瘴気を漂わす悪神に向けて、飛び込んだ剣姫アナストレア。

 カンカンカンカンと乾いた音が響く。


 常人の目に映るその斬撃は四回。

 だがその刹那で、剣姫アナストレアは四十四回の斬撃を放っていた。


 天才剣士アナストレアの全力、まさに神速の剣!

 だが――


 超常のスピードで放たれた、あらゆるものを切り刻む神剣の乱れ斬りを、悪神は最小の動きで撥ね退ける。

 その上で、悪神は永久鎖縛イモータル・バインドの鎖を引きちぎりながら、剣姫の腹部に一撃を食らわせた。


「――うああぁぁ!」


 アナストレアの叫び。

 悪しきといえども神の一撃を食らって、ドワーフの名工の鍛えしオリハルコンの鎧が、まるでガラスでもあるかのように粉々に砕ける。


獄炎殲滅尽フレア・デストロイア!」


 魔女マヤは、口の中で高速詠唱していた獄炎殲滅尽フレア・デストロイアを放つ。

 悪神は、まったく避けようともしない。


 地獄の業火ですら、悪神にとって何の意味もない。

 だが、視界を遮るぐらいはできるはず。


「主神オーディアよ! 勇者に癒やしを!」


 その間に、傷ついたアナストレアの身体を聖女セフィリアの祈りが癒やす。


「ありがとうセフィリア。まだ、これからよ!」


 業火を物ともせず迫ってくる悪神に、また剣姫が斬りかかる。

 再び神速の乱れ斬り!


 今度はさらにギアを一段階あげて、刹那の刹那に五十五回の斬撃。

 しかし、その攻撃は当然のように防がれ、また悪神に反撃の一撃を食らってしまう。


「ぐ、まだよ……」


 肩を砕かれて血が流れても、なお剣姫アナストレアは赤色の髪を振り乱して剣を振るう。

 刹那の刹那の刹那の世界で、六十六回の斬撃!


 だがその攻撃は、悪神には全く通用せず、また一撃を食らう。


「まだぁあああ!」


 天才剣士アナストレアは、この状況でもまだ成長し続ける。

 刹那の刹那の刹那の刹那の世界で、七十七回の斬撃!


「当たった?」


 刹那を超えた速度で言葉は出せない、人間には認識すらできない。

 だが、アナストレアは攻撃が当たったことを確かに感じた。


 神剣『不滅のデュランダーナ』は、たとえ神であろうとも切り裂く。

 確かに悪神の身体に傷をつけた。


 それでも、その攻撃はすぐに回復されてしまう。

 この程度では、悪神には何の痛痒も与えられない。


 神速の世界でも悪神の注意を引きつけられるように、マヤは無詠唱に切り替えた。

 マヤの才能をもってしても無詠唱では炎球ファイヤーボールぐらいしか撃てないが、どうせ効かないから一緒だ。


 剣姫にならって、神速の世界で下位魔法を乱れ撃つ。

 刹那の刹那の刹那の刹那の世界でも、聖女アナストレアの主神オーディアへの祈りは、剣姫アナストレアを回復させる。


 それでも、悪神の回復には到底及ばない。


「ならばぁああ!」


 刹那の刹那の刹那の刹那の刹那の世界で、八十八回の斬撃!

 神剣と一体になったアナストレアの身体は、ついに神々しく輝く。


 アナストレアの剣技は、人間の限界を超えてついに神の領域に達しようとしていた。

 だが、それでも足りない!


 悪神の放つ闇の瘴気にアナストレアの光がジリッと押されて、やがてその拮抗は崩れた。


「きゃぁああ!」


 漆黒の刃に切り刻まれたアナストレアは、身体中の傷から血を噴き出し、自らの血溜まりの上に崩れ落ちた。

 マヤも、セフィリアも、悪神から発する瘴気の波動に吹き飛ばされて無事では済まない。


 王国最強の三人の力をもってすら、悪しき神には敵わない。


 悪神は、たった一人。

 その凄まじい瘴気は、味方であるはずのモンスターですら滅ぼし。


 悪神は、たった一人で、前へと歩き続ける。

 ただその存在は、この世のすべてに滅びを与えんがため。


「……けて」


 かろうじて人のような姿を取った漆黒の瘴気をまとう忌まわしき神。

 その小さな声は、誰にも聞こえない。


 人の限界を遥かに超えて、悪神の足元にまでたどり着いた剣姫たちですらも聞くことはない。


「ケインさんだ! ケインさんが来たぞ!」


 後方にあって、あの剣姫ですら勝てないのかと絶望に打ちひしがれていた冒険者たちが歓喜の叫びを上げた。

 空から光をたなびかせて現れたのは、天馬ペガサスに乗った善者ケイン。


「これ、どうなってんだろ……」


 下から見ている人たちもびっくりしているが、空を飛んでいるケイン自身は、もっとびっくりしていた。

 乗馬の経験がなかったケインは、これに乗りましょうとアルテナに勧められて小さなロバに乗ったのだが、スピードが遅くてみんなに遅れてしまったのだ。


 どうしようと思ってると、途中からロバの身体が大きくなって翼が生えて、天空を飛び始めたのだ。


「ケイン、心の準備はできた?」


 ケインは、その身体に宿っている女神アルテナに尋ねられる。


「あんまりできてないけど、俺のできることをやるよ」

「大丈夫よ。ケインは私が守るから」


 善神アルテナの力をその身に宿らせたケインは、天馬ペガサスにまたがり、颯爽と悪神の前へと降り立つ。

 それを見た剣姫アナストレアは、血だらけの身体を引きずるように、もう一度立ち上がる。


「セフィリア、お願い……」

「主神オーディアよ。勇者に力を!」


 聖女セフィリアの祈りが、剣姫アナストレアの身体を癒す。

 全快には程遠い。でも足さえ動けばいい。


 まだアナストレアの仕事は終わっていない。

 私が先鋒せんぽうなのだから、ケインを助けなきゃ。


 傷だらけのアナストレアは、その思いだけで限界を超えて立ち上がり、悪神へと切り込んでいく。


「あの子たちが隙を作ってくれるみたいね。ケイン、私は剣に善神としての力を宿すから、悪神に思いっきり剣を叩きつけて、それで悪神は滅ぼせる!」

「わかった!」


 ケインは、アナストレアと共に悪神に切り込んでいく。

 ただのミスリルに過ぎないケインの剣は、アルテナの力で神剣へと変わっていた。


 今度は、悪神が押される番だ。

 その漆黒の両腕で二本の神剣を押しとどめるが、善神アルテナの力に押されて、徐々に追い込まれている。


「……けて」


 ついに、悪神に打ち込む隙ができた!

 剣姫アナストレアと、善神アルテナの声が重なる。


「「いまよ、ケイン!」」


 これでアルテナの神力がこもった神剣を打ち込めば、悪神を葬れる。

 しかし、ケインは剣を捨て……。


 何を思ったか、そのまま悪神の身体を両手で抱きしめた。

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