第二話 ~遅刻の原因~
アイリスが特別講義という名目で割った皿を眺める。
あの模様や質感といい恐らくそれなりに上等なものであったに違いない。
皿を偲ぶ俺の反応を見てアイリスはしたり顔で頷くと、今度は虚空から杖を取り出し呪文を唱えた。
「
するとうっすらと黄色がかった光を放つ二片の皿が瞬く間につながり、いつの間にか亀裂すら無くなっていた。
これはまさか……。
「まずこれが修復魔法ね」
ごく当然の様に言ってのけるアイリス。
しかしながら彼女の行動は世間一般の常識とは大きく乖離していた。
通常の修復魔法はテープか何かで壊れた二片を繋ぎ合わせ、そこに長い魔術式を記載してようやく発動する、熟練の魔術師のみが使用できるような魔術だ。こんな気軽に、それも対象に直接魔術式を書くこともなく使えるしろものではない。
まあそもそも魔術式なしで魔法を起こしたり、転移魔術の実用化などしている時点で常識という言葉は今更な気がしないでもないが。
そんな俺の驚愕を全く気にしていないのか、直ったでしょ?という風に皿を片手で持ち上げる。
「で、それから……」
そう言って持ち上げた皿を再度床に落とす。
「せっかく直したのに何してるんですか⁉」
「まったく貧乏性だなあ。別にいいじゃん、お皿なんて食べ物が乗れば100均のも工芸品も一緒でしょ?」
「全国の工芸趣味の人たちに闇討ちされますよ……」
俺の苦言もどこか楽しそうに鼻歌を歌っている教授様には届かなかったらしい。
アイリスは杖を虚空にしまうと今度は手を翳して
「時間よ巻き戻れ《リタイム》」
と唱える。
すると例のごとく不憫な皿は先ほどよりも強烈な白い光に包まれ、光の中から出てきた時には完全に元通りだった。
「こっちが時間魔法の応用ね」
俺は渡されるがままに恐る恐る皿を叩いて直っていることを確認する。
それを見届けるとアイリスは魔法でティーポットに茶葉とお湯を入れて紅茶の用意をしながら、どこか楽しそうに解説し始めた。
「一見どっちも同じ『修復』という結果になってるけど、この二つには大きな違いがある。そうだなぁ、たぶん100均の皿と工芸品の皿くらい?」
「さっき自分で同じものの比喩で使っていたじゃないですか……」
「結果は同じだよ? 食べ物を乗せられる。でも、100均のは魔法で量産されているのに対し工芸品は一つ一つ職人が手作りしているでしょ?」
なるほど、結果は同じでも過程が違うか。
「なら、修復魔法と時間魔法の応用とで何か違いがあるってことですか?」
「そう。SS 理論の魔法分類的に修復魔法は
急にアイリスが自分の世界に入ってしまったので適当に相槌を打つ。
SS理論というのは、数年前に発表されて以来、従来の魔法研究の大半を否定するというとんでも理論で、高度な数学的手法による解析の結果として魔法は大きく
「ほら、聞いてる?」
唐突なアイリスの指摘に思わず背筋が伸びた。
どうやらこちらの思考が放浪していたことを見抜かれたらしい。
素直に分からなかったこと伝えるのも癪だったので、敢えて皮肉を込めた質問にする。
「それ、何年生くらいで習うんですか……?」
「SS理論自体は一年生でやるけど、応用的な分野だから修士くらい?」
「いや、無理ですよ、それ……」
この人、入学式前の学生に何を教えようとしているのか……。英才教育と称して幼稚園児に高等数学を教えるようなものだ。
一応噛み砕いてるのに、と不満げなアイリスだったが、コホンと小動物が必死に存在感を示そうとしているような咳払いをして説明を再開した。
「まあ端的にいうと、接着剤でくっつけるか、時間を巻き戻すかの違いみたいなものだよ」
「急に分かりやすくなりましたね」
「でしょ? で、この二つの違いは魔道具を修理する際に非常に大きな問題になる」
魔道具は魔術式が使用されている道具全般を指す言葉だ。
大して理解はしていないが、感覚的にその違いは予想できた。
「修復魔法だと内蔵された魔術式までは直せない?」
「その通り! 魔道具は作成の段階で魔術式をその内部に保存するけど、あれは概念的なもので物理的な修復だけだと見た目でしか直らないってわけ」
なんとなく分かった気がする。そして、なぜこの特別講義が始まったかも。
「つまり、魔道具である箒は修復魔法では直せないということですか」
「まあそういうことだね。ゆか姉にはお世話になってるから頼まれたら直すけど、多分頼ってこないだろうな……」
アイリスはどこか寂し気な表情を浮かべるとティーカップに紅茶を注いで口をつけた。ご丁寧に俺の分も用意してくれたので、こちらも黙ってそれを口に含んだ。
どうも沈んでしまった空気を誤魔化すように何か別の話題を考える。と、一つ絶対に聞かなければならないことを思い出した。
いろいろと衝撃の連続で訊きそびれていたが、俺がこの大学を目指したのは自分の呪い、この魔術が使えない体質を治すためなのだ。
「そういえば、アイリスはどうして術式なしで魔法を……」
「ねえ、知ってる? ここって校内のアナウンス聞こえないんだよ?」
また聞く機会は幾らでもあるか。
そう思い直し遮られたられた言葉を飲み込む。
「へえ、それは静かで良い……」
そこまで言って、俺はふと彼女の真意を察した。
慌てて先ほどの懐中時計、『曙光の時計』を開くと時刻は開始時刻の十時まであと数秒。
「って遅刻じゃないですか!」
「まあいいじゃん、別に出て楽しいものでもないし……。とはいえ、さすがに研究費を盾にされてるから私も出席といけないんだよね。これだけ飲んだら行こっか」
先の送り出しで完全に転移魔法の耐性が証明されたため、残念ながら俺がここから走っていくよりもアイリスが転移魔法を使う方が早いのは自明の理だ。俺はため息をつくとティーカップを手に取った。
「これだけですからね」
なお、入学早々遅刻という悪目立ちをしてしまったのは言うまでもない。
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