第二話 ~特別講義~

「ははは、それは大変だったね」


「まったく、笑い事じゃないですよ……」


 ここは第三魔法学研究室。天井にはめ込まれた時計でオリエンテーションまでの時間を逆算しながら、目の前でさっそく女子制服を着て上機嫌なアイリスに先ほど起きた悲劇を話していた。


 鹿井に対して必死に誤解を解き、どうにか女生徒用の制服を入手できたが、この一連の行動が極めて労力の伴うものだった。


 サイズを聞かれて俺がやむなくアイリスの身体的情報を提供した時の鹿井の「ロリコン」という冷ややかな言葉が今も鮮明に耳に残っている。


 ひとまず、彼女とはしばらく縁がないことを祈ろう。


「それにしても、ここってどこなんですか?」


「ん? 第三魔法学研究室のリビングだけど?」


「そうじゃなくて……というか研究室にリビングという概念がある時点で疑問があるのですが……そもそも、ここは立地的にどこなのか聞いているんです。一人で来れないと不便極まりないのですが」


 そう、制服を入手した後も悲劇は続いたのだ。


 俺はここが学校のどのあたりにあるのか知らない。


 最初はアイリスの転移魔法で飛ばされてきた(ついでに意識も飛ばされた)し、出る時も同じく転移魔法で放逐されただけだ。事務の人に訊けば人の数だけ答えが返ってくる。


 そうして途方に暮れていたところを偶然通りかかったユカリさんに拾ってもらったのだ。なお、拾ってもらった後はかなり入り組んだ道だったので未だに位置が分かっていない。


 俺の問いに対し、アイリスは楽しそうにスカートを翻し告げた。


「ああ、そう言えば教えてなかったね。この研究室へ来るためにはかなり面倒な道を通らないといけないんだよ。ある種の魔術的結界の実験を兼ねているというか、いのりんの趣味というか。(転移魔法教えるのもめんどくさいし……)」


「いのりん……? というか最後何か言いましたか?」


 俺の問いに答える代わりにアイリスは適当な空間に手を突っ込むと虚空から鎖のついた銀の塊を取り出した。


 アイリスはその長い鎖をその小さい手のひらに収まる様に丸めると、大きく振りかぶって……投げた⁉


 俺は綺麗な子を描いてやや飛距離の足りなかったそれを慌ててキャッチする。


「ナイスキャッチ!」


「じゃないですよ! こんな高級そうなもの気安く投げないでください!」


 俺はしっかりと捕獲した重みを感じながら高級品と直感する。


 銀色の丸い塊の正体は懐中時計だった。単純な作りの中に控えめながらも丁寧に施された美しい細工。開くと時計の中央に何やら透明に輝く宝石がはめ込まれており、空に向かって光を伸ばしている。


 俺がその精巧な品に見惚れていると、アイリスがコホンとワザとらしく咳をして説明を始めた。


「それは曙光しょこうの時計。そこの天井にはめ込まれた時計の場所を指示してくれるから、それに従っていけば大体着くよ。助手君への入学祝ね」


「はあ、ありがとうございます」


 気の抜けた礼を述べつつ室内を数歩移動してみると、確かに時計の中央にある宝石の指す光が天井の時計の方角を指し示していた。


 ちょうどこれまで使っていた時計が壊れ、新しいのを買うか迷っていたところだ。せっかくなので頂戴させてもらおう。


 本来の問いの答えは得られなかったが、これに従えばたどり着けるのだからこれ以上は訊くまい。


 俺の様子を満面の笑みで見ていたアイリスが徐に口を開いた。


「そう言えば、何かトラブルとかあった?」


「なんでそんな嬉しそうなんですか……」


「トラブルって楽しくない?」


「アイリスって台風が来たら外に出て行くタイプの人ですよね」


「残念、私くらいになると自分で台風を作り出すよ」


「さすがと言われるだけのことはあります」


「ねえ、いま違くなかった? ねぇ?」


 研究棟を破壊しておきながらも、自覚がないのだろうか?


 瞬時に掛詞で返してきた点に加え、頬を膨らまし必死にムスッとしたアピールをしてくる教授の可愛らしい姿にイラっとしながらも、俺は話題を戻した。


「トラブルと言えば、箒に乗った人とぶつかったくらいですかね? 紙が飛んできて捕まえたらその持ち主の少女とぶつかったというか……」


「おお、新入生らしいイベント! それで、恋愛模様に発展する予兆は?」


「皆無ですよ。というか、最終的にその制服を受け取る代償として何か大切なものを失いました」


「残念、顔はまあ良くも悪くも無いから性格がダメだったのか……」


「主にアンタのせいだけどな……」


 唐突に目を輝かせたと思いきや、恋愛模様に発展する気配がないとした途端に文句を言い始めた。


 俺の呟きを無視するように「他には?」と訊いてくる。


「後は……ああ、箒が折れて小さな人垣ができていました。それくらいですかね」


「あ、それでさっきユカ姉が戻ってきてたんだ。何かトラブルで生徒会に緊急招集がかかったって言ってたし。あと絶対に関わらないでって釘刺された」


 アイリスは不服そうにしているが、ユカリさんの苦労が滲むダメ押しだ。


 それにしても多忙な人だな。アイリスに扱き使われている点からも、俺の中ではワーカーホリック説が浮上し始めていた。


 一方で教授様はお眼鏡にかなう話が無かったのか、魔法を使って冷蔵庫の上の棚から食器を取り出すと


「ここに一枚の食器があります」


 と語り始めた。


 入学式の開始まで特にすることもないので黙って頷く。


 アイリスはその上品な模様の描かれた皿を両手でしっかりと持つと……手を離した。


 皿は別れを告げるかの如く、この星の重力に引きずられて……床に落ち二つに割れた。


「って、何してるんですか⁉」


「……特別講義? 私の講義は貴重だよ。なにせ講義も抗議も会議も、大体ユカ姉にお願いしてるからね!」


 そう「上手いこと言った!」みたいな屈託のない笑顔を見せられても、俺の言うべきことはただ一つしか思い浮かばなかった。


「仕事しろ、教授……」

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