第一話 ~第三魔法学研究室~
「箒もなく飛行魔法を使えるなんて」
「触れた魔道具を次々に壊していくそうよ」
「呪われた子だな」
ボンヤリと目を開けると三枚羽の空調が回っている木製の天井が見えた。
無論、記憶にない天井だ。
背中はふわふわとしているが前後に幅は無く足がはみ出していることからソファーだと認識する。
俺はゆっくり起き上がると周囲を確認した。
広さは教室より一回り小さい程度だろうか。四方が壁に囲まれており、出入口の戸の向かい側には『教授室』『准教授室』と札が書かれた部屋がある。入口から見て右側に実験室と書かれたドア、左側にはキッチンと冷蔵庫、その上には戸棚が乗っていた。
内装としては長細いソファーが部屋の中央に二つあり、その間には木製の品のある机が置かれている。
俺が必死に状況整理をしていると不意に入口が開き、先程見たベレー帽をかぶった少女が入ってきた。
「まったく寝坊助だね。そうだ、君のあだ名を寝坊助としよう!」
「いや、飛騨ユウタという名前が……、というか君はどこ。ここは誰?」
「うん、見事に混乱してるね、寝坊助君」
「名乗った意味」
「そんなものはない!」
俺は一蹴された名前を惜しみながらも、再度自分の状況を整理しようと試みる。
確かこの少女に手を触れられた瞬間意識が……、いや、その前に何か大切なことを忘れているような。
必死に記憶を探っていると、少女が自分の薄い胸に手を当てて自己紹介を始めた。
「私の名前は
元気に名乗るあどけない仕草は少なくとも大学生には見えない、がたぶん大学生だったはずだ。
もう少しで何か重要なことが思い出せそうなのだが……。
と、少女……アイリスが続けて状況説明を始めた。
「ここは第三魔法学研究室のリビングだよ。ひ……じゃなくて、なんだっけ……そう、助手君は私が転移魔法でここに連れて来たんだけど、あれの欠点で初めての人とか不意打ちされた人は寝込んじゃうんだよね」
「今、ちゃんと名前で呼びかけたよな?」
「さあ、なんのことかな助手君」
いつの間にか寝坊助から助手に昇級(?)しているが、別途気になることがあった。
「……転移魔法が実用化された?」
転移魔法は現代魔法における未解明魔術の一つだ。理論上は可能だが実現にはまだ数百年かかると言われていたはず……。
「まだ試験段階だけどね。些細とはいえ、初めて使った人の意識が飛ぶって欠点が問題なの。新規魔法として登録しようとしたら審査員全員が一週間くらい意識不明になっちゃって……」
「それは些細ではないのでは?」
むしろ致命的とまで言える。転移魔法の利点と考えられているのは時間短縮にこそあるのだ。一週間も寝ているなら歩いて行動した方が早いだろう。
「そもそもが未完成だったのに、教授審査会の期限の都合で何か功績出せってうるさくって。第一なんで私が……」
期限……レポート!
愚痴をこぼし続けるアイリスを無視して、時計を探して周囲を確認する。代わりに見つけた入口横の窓では空が薄闇に染まっていた。
夕方も終わる時間帯だろうか。ということはもうレポートの提出期限は過ぎている……。いや、そもそも先の話が本当なら入学式すら終わっている可能性がある。
そこまで思考が至ると、虚無感と絶望に襲われた。
受験勉強やレポートを書いていた記憶が走馬灯のように流れていく。
「おーい」
何か手は……。
「おーーいってば!」
耳元でアイリスが叫んだことでようやく目の前に意識が戻り、息がかかるほど近くにあるその整った顔に思わずのけ反った。
俺の反応を確認すると、アイリスはスタスタと部屋の端へ向かい、立てかけてあった箒を持ってきた。そこにちょこんと腰を掛けると静かに浮かび上がる。
「魔術の基本原理は?」
こんな時になんだろうか。もう色々どうでもいいい。
俺は投げやりになりながらも受験生だった頃の癖で素直に答える。いや、もう一度受験生に逆戻りか。
「世界の理を示す文字や図形を用いて構築された魔術式に対し、世界に満ちている魔素エネルギーに干渉、事象を引き起こす。ただし、そのためには呼び水となるような若干の魔力を術者が流す必要がある」
これは一般教養を知っている人なら誰でも答えられる、いわば常識問題だ。
「じゃあ、試しに飛んでみて?」
そう言って投げ渡された、先ほどまでアイリスを浮かべていた古い箒には表面に汚い魔術式が書いてある。アイリスが浮いていたということは魔術式としては機能するのだろう。
俺はとくに抵抗することもなく箒を構えた。
本来ならばこれで魔力を注ぎ込み魔術が発動して飛翔する……ところだが、俺は例の体質のせいでそれができない。
やむなく形だけ真似て、いつもの様に魔術式に魔力を流すことなく、代わりに自分が空中に落ちていくイメージを作る。
地に縛られる感覚が薄れ体がゆっくりと浮かび上がった。
「これでいいですか?」
「おお、さすが私の見立て通り!」
俺のおざなりな返事に対し、思ったよりも楽しそうなアイリスの返事が返ってきたので思わず頭に疑問を浮かぶ。だが、こちらが問うよりも早くアイリスがその答えを提示した。
「魔術なしで魔法を使えるんだね!」
「は⁉」
俺は慌てて降下すると箒に書いてあった落書きじみた魔術式と思われる文字を凝視する。
「それ、近所の幼稚園の子が書いた落書きだから」
「え、いや……、え?」
まさか本当に落書きだったとは……。いや、そうではなくて。
テンションの高いアイリスとは対照的に、自分の体温が下がるのを感じた。王立魔法大学はこの国で最高クラスの魔法研究施設でもある。モルモットという単語が脳裏を過ぎった。
「何言ってるんですか、常識的に考えて魔術無しで魔法が使える訳ないのですよ?」
「なんか言葉遣いがおかしいよ?」
「というかアイリスも飛んでいたような……」
「それはまあ……同族だからね」
「同族?」
元々虚無感がしかなかったところに生命の危機を感じ始めて思考が混乱する。
魔術を使えないことがバレた? アイリスも魔術無しで魔法を使っている?
そんな俺に対しアイリスは更なる混乱を招き寄せた。
満面の笑みで語るその姿は死神ではなく天使を彷彿させた。
「入学おめでとう、飛騨ユウタ君」
想像の斜め上を行く言葉が飛んできた。
「今色々と取り込んでるんだ。あんまりナイーブなところに冗談を出すと本気でグーが行くから気を付けた方がいいぞ」
「ちょっと、恩人に対してその言い分はないんじゃないの⁉」
「恩人?」
不服そうに頬を膨らますアイリスの発言によって混乱が深まる。あれだ、混乱は混沌で無限に近しいから無限に無限を足したような感じだ。……なるほど、分からん。
俺が黙ったのを見てアイリスが口を動かしかけた瞬間、急にドアが開いた。
「ふう。疲れました……。あいちゃんのせいで散々な目にあいました」
そう言って入ってきたのは落ち着いた私服の少女だった。背まである眩い桃色の髪にヘアピンで前髪を止めている。あどけなさが残るアイリスとは対照的にこちらは大学生感がある。
その人物はふらふらと部屋へ入るとそのままアイリスの座っていたソファーに飛び込んだ。
「ゆか姉。お疲れ様!」
「うう、労ってもらえるのは嬉しいですが、毎回無茶ぶりはやめてください。今度こそダメかと思いました……」
「大丈夫だって。ゆか姉はやればできる子だから」
「世の中には通らない無理があることを知るべきです」
「いいじゃん通ったんだし。これからもよろしくね、ゆか姉」
俺は混乱を忘れてそのやり取りを眺めていた。なんというか仲の良い姉妹という雰囲気だ。ただ、年上に見える少女がアイリスに敬語を使っているのが気になる。
と、分析されていたことに気付いたのか、少女がぱっと立ち上がりそれまでの醜態が嘘のような美しいお辞儀をした。
「あ、飛騨ユウタさんですね。初めまして。私は二年生の白井ユカリです。一応、この研究室の准教授に当たる仕事をしています。ユカリで結構です。以後よろしくお願いします」
「ユカリさん、よろしくお願いします。えっと、学生? 准教授?」
「学生兼准教授です。ちなみに授業料は給料から天引きです」
微妙に世知辛い情報も混じっていた。一応説明を求めてアイリスを見るが、
「私は兼任じゃないよ」
と追加情報を渡された。始めからその発想はない。
しかしせっかくと思ったのか、アイリスも立ち上がって改めて自己紹介を始めた。
「改めまして、榊愛璃ことアイリスです。二年前からこの第三魔法学研究室教授をしています。これからよろしくね!」
ああ。この発想もなかった。学生兼准教授と威厳の欠片も感じない教授。
自然と俺の対応はこうなる。
「二人がかりで騙そうとしてるんじゃないですよね? 特にアイリス」
するとアイリスは頬を膨らまし、自分を指さして抗議してくる。
「私、教授。理解できた?」
「いや、繰り返せばいいというものでもないから。催眠……催眠なのか?」
「もう、疑い深いなあ。学者としては良いけど人としてどうなの。健全な男子ならこんな可愛い女の子に言われたら何でも信じちゃうんじゃないの?」
「その可愛らしい女の子と教授というイメージが一致しないから困っているんです」
あと、性格が可愛い女子はそのような発言はしないです。
「か、かわいいだなんて……」
自分で言ったくせに何を照れているのだろうか。アイリスは一瞬頬を赤らめるとコホと小さく咳払いをした。
「折角私が頑張って裏口入学させてあげたんだから、感謝してよね」
「裏口?」
「いえ、正確には私が頑張ったんですけどね」
あ、ダメだ。また視界が不安定になってきた。
「ちょっと休ませてくれ」
俺はソファーに座り込みながらそう告げた。
「分かった。ならちょっとお風呂入ってくるね」
「私は帰って寝ます……」
そう言って白井さんは書類をソファーの前にある机に置いて部屋を後にし、アイリスは実験室と書いてある部屋へ入っていった。
俺は額を押さえつつ白井さんが持ってきた書類や壁にかかった賞状を確認した。
そこに押してある学長や王家の紋章で彼女たちの発言が事実であることを裏付ける。これらの印は複製が極刑とされているので冗談ではすまないのだ。
この書類から推測するに、俺は入学試験に合格したがレポート未提出で入学籍がおけず除名になった。そこを第三魔法研究室が引き取るという形で入学したらしい。確かにレポート未提出で入学できないのは所属研究室が決まらないからであり理屈の上では可能だが……。
確かにこれは立派な裏口入学だな。
俺は明るくなってきた窓に、夕方ではなく夜明けだったことを知ったのだった。
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