第一話 ~事務とレポートと少女と~
「だから、書類をすべて盗まれたって説明しているじゃないですか」
「悪いけど規則だからね」
「そこをなんとか……」
今日は綺麗に晴れているなあ。そんな思考をしていた時がありました。
俺は大学へ着いてから、かれこれ一時間近く事務員と問答を繰り返していた。
あのレポートを提出しなければ入学番号が受け取れないし、そうすれば所属クラスが分からず入学できない。
この所属クラスというのは研究室で分けられており、学生の希望を踏まえつつも実技と筆記の結果を見た教授陣が欲しい人材を指名する形式である。よって入学試験の結果も成績順に選ばれるのではなく、場合によっては筆記が0点でも受かるという噂があるほどだ。
ただ、学校としての体裁を保つため、入学レポートの提出という形で最低限の学力調整が定められているらしい。
ちらりと壁にかかった時計を確認すると、提出期限まで5分を切っていた。
いい加減同情するような事務員やすれ違う同級生になったであろう人たちの視線にも疲れ、脳裏にも諦めの言葉が色濃く浮かんできた。
残された方法は先ほどの盗賊少女から取り返すくらいしか思い浮かばない、が時間内に見つけること自体が非現実的だ。何か打開策は……。
そこまで受付を離れドア付近で腕を組み、最後の抵抗を考えていると不意に背後から声を掛けられた。
「ねえ、何してんの?」
「うわっ」
思わず変な声が出た。
振り返ると白いブラウスとピンクに近い赤のスカートの少女が悪戯っぽい笑みを浮かべながら後ろ手を腰にあてて覗き込んでいた。肩で切りそろえられた空色の髪からは活発な印象を受けるが、それでいて妙に理知的な声をしている。そして何より、その整った顔立ちと低めの背丈からは、まるで物語に出てくる妖精のような場違い感があった。
「もう、君はここで何してるのって聞いてるの!」
俺が惚けていることに痺れを切らしたのか、少女はやや口調を強めて同じ質問をしてくる。
その子供っぽい仕草に俺は違和感の正体に気付いた。
「俺は入学に必要なレポートを出しに……いや、レポートはないから解決策を探しに来たんだ」
そう端的に説明をすると、こちらも焦燥感に由来する軽い苛立ちをぶつけた。
「君は……高校生だよね。どうして大学に?」
「……は?」
「もしかして中学生かい?」
俺は改めて少女を見る。背も低いし、化粧っけもないのに肌が白くて柔らかだ。……それに胸も薄いし、これらを総合して考えれば十分に中学生の可能性も。
「……もしかして君は私が、中学生や高校生のような下等生物に見えるの?」
強い敵意を含んだ発言に身じろぎをしつつ、とりあえずこの少女が中高生ではないことは察した。それにしても中高生を一括して下等生物呼ばわりとは失礼が過ぎるのではなかろうか。
「いや、別にそういうわけでは……」
俺が誤魔化そうと必死に言葉を探していると目の前の少女は顎に手を当て、軽やかな足取りでその場をクルクルと回りながらブツブツと呟いていた。
「なるほど、ね。うん。まさかあの課題をすっぽかす人がいるなんて。マイちゃんの言ってた通り……」
はっきりとは聞き取れないが何やら楽しそうだ。今日この場にいることや外見を考慮して考えるとおそらく彼女も新一年生でレポートを出しに来たと行ったところだろう。
と、俺はそこで思考を切り上げて事務の人たちへの形式的な礼もそこそこに、足早に部屋を後にした。こんな良く分からない少女に構っている暇はないのだ。それよりも最後の悪あがきとして時間ギリギリまでレポートを思い出して書けば……。
「ねえ、君は……って、ちょっとどこ行くの⁉ まだ私の話しは終わってないって!」
俺はなおも歩みを緩めない。この速さならあの小柄な少女だと小走りになるくらいだろう。彼女には申し訳ないが、すぐにでもしなければならないことがあるのだ。
「待ってってば……<とまれ>」
少女が声のトーンを落として言ったその発言に俺の足が動かなくなった。
比喩ではない。本当に地面に足が縫い留められたようにビクともしないのだ。
背後からコツコツと靴音が鳴り響いてくる。
これは……詰んだかもしれない。
般若が近づいてくるような恐怖にかられつつ、足音が止んだのを合図に振り返る。
少女の柔らかい手が俺の手に触れた。
静かな笑みを携え上目遣いで覗き込んでくるその碧眼は見ていると息をするのも忘れてしまいそうだ。
そんな呑気な感想を抱いた瞬間、目の前の視界がねじれるように歪み……俺の意識はそこで途切れた。
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