第一話 裏口入学では?

第一話 ~書類整理の後で~

「ミルクティー一つ。砂糖とミルク多めで」


 薄暗い喫茶店に一つの注文が入る。


 一人の青年が適当な窓辺に陣取り、程なくして運ばれてきた、すっきりとした紅茶の香りとまろやかなミルクの混合液に舌鼓を打っていた。


 窓辺に陣取る彼の眼下には人による地上の川が流れている。


 そう、地上では。


 なら上空はというと、箒に乗った人々が嵐のごとく飛び交っていた。三次元的空間を移動しているため衝突こそしないものの、お茶をしながら眺めるには十二分にスリルを味わえる景色だ。


 少年はめまぐるしいその光景から視線を切り下げ、鞄から入学用のレポートを取り出し最終確認を行った。


 レポートの内容は魔法文化の発展について歴史的観点から簡潔にまとめ、感想を述べよという常識的なもの。


 乱雑に書かれた辛うじて他人でも読める自分の字を眺めながら文章を確認する。



 魔法の歴史は今から約二千年前のコペルの日に始まったとされる。


 その日、魔法が一切存在せず、科学のみで文明を築き上げてきた人類に対し、空を覆いつくす大量の隕石が降り注いだ。


 多様な生物の死滅や世界中の都市の機能不全、それまで人類を支えてきた物理法則の崩壊など、長きにわたり築かれてきた科学文明は一日で崩れ去った。


 その絶望的な状況下で、絶滅の一途を辿るかに思われた人類はどこからともなく現れた不思議な現象によって救われたとされる。神の奇蹟と呼ばれたその現象には魔法という言葉が当てられ、論理的な解明が進んだ。


 その結果構築されたのが魔術という学術体系。幾何学的な文様と文字列で描かれた魔法陣に、人自身の持つわずかな魔力を呼び水として大気中の魔素から魔法という奇蹟を引き起こす学問にして技術。都市の空を覆う箒もこの魔術が刻まれた木に魔力をそそぐことで浮遊しているのだ。


 では、その魔素はどこから現れたのか?


 これについて諸説あるが、ひとまず現在の定説ではコペルの日に落下した隕石群に含まれる魔岩と呼ばれる未知の鉱石に由来するということになっている。魔岩は魔素を無限に生成することができると考えられており、魔岩に蓋をして光魔術を発動させるだけの魔岩性質実験は極めて端麗な実験として有名だ。


 また、高濃度の魔素にふれさせることで人工的に劣化版の魔岩を作成する技術も確立されており、魔石と称して魔術が使えない人が魔術の恩恵にあずかるために必要不可欠なものとなった。


 近年では魔素が物理法則に様々な影響を与えることが報告されており、今後は科学と魔術が交わった新たな文化が生まれると考えられている。



 そこまで読むと一度目を離しカップに口をつける。それ以降も流し読みで誤字が無いことを確認すると、素早くそれを鞄にしまった。


 この春から通う王立魔法大学では、このレポートを提出することで正式な入学が認められる。具体的な参考文献を記載する必要があるせいで、これを作るのに相当な時間がかかるのだから、受験で合格した喜びなどその日のうちに消えてしまうというものだ。


 なお「結果的に認められる」というのはレポートと引き換えに入学番号をもらうことになっており、その入学番号で自分が配属される研究室が決まるということによる。この研究室がクラスに当たるため、レポートを出さなければ所属クラスが不明=所属が不明であれば学生として扱われない=入学できないという理屈だ。


 カップを半分ほど飲み干したところで俺は鞄から新たに一枚の紙を取り出した。


 こちらはレポートと一緒に提出しなければならない履歴書だ。


 筆箱からボールペンを取り出し、上から適当に記入していく。


 名前は飛騨ユウタ。ちょっと若白髪が多いため髪が灰色にくすんで見えるくらいで、それ以外に外見、経歴ともに特筆すべき点はない。普通に小中高と進学して王立の魔法大学に辛うじて合格した平凡な新大学生だ。


 その後も特に問題なくすらすらと書き進める。得意魔法の点だけ少々手間取ったが既に入学は決まっているのだし、そもそも俺の研究目標はこの魔術への特異体質について解決することなのだ。卒業するまでには直すという決意も含め、誤魔化しても許されるだろう。


 俺は完成した書類をしまうと残った紅茶を一気に飲み干して支払いを済ます。


 店を出る時、すれ違いに一人の少女が入ってきた。


 背まである黒髪に大人びた印象を受ける服装だが、見た目の齢は16歳くらいだろうか?


 俺がジロジロと見過ぎていたのか、すれ違い様にふとその少女の幸薄そうな唇が動いた。


「……まだ、分からない。あなたが祝福されたのか、呪われたのかも」


「え?」


 唐突な発言で上手く聞き取れなかった。


 少女に何を問えばいいのかも分からないまま、何かを問おうとして振りかえると既にそこには、少女の姿は無かった。


 見通しの良い店内で見失ったとも思えないのだが、死角になる席にでもすわったのだろうか。


 しかし、尋ねる言葉が定まらないなら引き返して探したところで不審者に変わりない。そう考えると俺は気を取り直し行き先を思い出す。ドタバタしていたせいで入学式前日になってしまったが、これからこの書類を大学に提出しに行くのだ。


「さて、行きますか」


 迷いが振り切れていなかったのか、折角の意気込みも虚しく、右の脇腹にドンと強い衝撃が襲ってきた。


「ごめんね!」


 まるで何かから逃げるようにフードを目深に被った少女が俯いたまま走り去った。


 なお、彼女が来た方向を確認するがただ人の往来があるのみで特に怪しい影はない。むしろフードを被っていた彼女自身が不審者のような……。


 そこまで考察した時、俺は右手が軽いことに気付いた。


「鞄が……ない?」


 先程まで書いていたレポートや入学関連の書類を入れていた鞄が手品のように消えていた。


 角を曲がる先の少女がここ数年愛用していた黒い鞄を持っているのが目に入る。


「待て!」


 鞄にも多少の思い入れがあるが、それ以上にアレが無ければ冗談抜きで入学できないという事実が思考を占領する。


 意識するよりも早く、その後ろ姿を追いかけた。

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