第2話 赤い線路
「大丈夫」
凛がそう言ってくれたのには
理由がある。
手術を終えた私の胸には
ざっくり切られた跡が
しっかり刻まれていた。
首元から少し下から始まる
20センチほどのキズだった。
少し襟の開いた服を着ると
そのキズはひょっこり顔を出した。
赤くみみず腫れになったそれは
線路のようだとよく言われた。
幼稚園でも、小学校でも、
初めて目にした子は
興味津々に聞いてきた。
「どうしたの?
何それ?
線路みたいだね」
最初の頃はその度に泣いて、
そんな私を幼なじみの凛が
いつもかばって隠してくれた。
別にそれで虐められたわけではない。
同級生達も、見たことのないものが
普通に不思議で興味があったのだと思う。
何度か話題には出たが、私が泣くと
それ以降、泣いた私を見た友達は
その話題に触れることはなくなった。
そんな同級生達の優しさは
よくわかっていたけれど、
それでも、私は身体測定が嫌いだったし、
キズが見えるプールの授業も嫌いだった。
普段はなるべく首周りが狭く、
キズの見えない服を選んで着るように
していた。
中学生になる頃には
周りのみんなは私のキズを
話題にすることもなくなった。
いろんな質問をされることもなく、
嫌な気持ちになることもなくなっていった。
でも、今日からは違う。
このキズを見られないように
高校生活を送っていくことが
私の目標なのだ。
「初めての電車通学~」
私の顔があまりにも強ばっていたのか、
いつもは大人びた凛が
ちょっぴりおどけてみせた。
その優しさに私もふっと心が和んだ。
と、思ったのも束の間、
電車が着いた途端に後ろから押され
私達は吸い込まれるように
電車に飲み込まれていった。
「もう無理!」
そう叫ぶ私と凜は、
ぐいぐい押し込まれる。
あっと言う間にしっかり手を繋いでいた
凛ともはぐれてしまった。
そこから降りる駅までは、
人生でこれほどまでに潰されたことが
あるのだろうか、と思うほどに
息が詰まるほど押し潰された。
人生で経験したことがないほど押し潰され、
あちこち痛い。
もう一度叫びそうになった時、
ようやく学校の近くの駅に着いた。
着いたと思ったのも束の間、
これまた人に揉みくちゃにされ、
流されるまま駅で吐き出された。
私はフラフラになりながら、
はぐれてしまった凛を探す。
「まじか、毎日これ?!
ありえん!」
ブツブツ話す凛を見つけ、
二人で顔を見合わせて笑った。
凛の首元の歪んだリボンが
満員電車の壮絶さを物語っていた。
ほんと、毎日これを乗り越えないと学校に
たどり着けないとか、ありえない。
「そういやさ、うちの親父、
満員電車が嫌だからって
めちゃくちゃ早く家を出るんだけど」
綺麗な凛の横顔を眺めながら
私は相槌を打つ。
「今日までは、寝る時間の方が大事!
早起きとか意味わからん!
って思ってたけどさ、
親父の気持ちがわかったよ」
深~いため息と共に凛が話す。
そんな満員電車への文句を
凜と言い合いながら学校に着くと、
私は大きく深呼吸をした。
「いざ!」
「また声に出てるよ」
ポンっと肩を叩いて凛が笑う。
「まじで?!
ほんと、心の声出しすぎなんだよね。
直したいのにぃ~。」
「あはは。
無理無理。
それが心のかわいいところなんだし。
ま、拳つき上げるまでは
やりすぎだけどね」
ひひっと凛が笑う。
凛とは運よく同じクラスだった。
教室に入ると、
昨日の入学式とはうって変わって
制服をおしゃれに着崩した人で
溢れていた。
ちょっぴり羨ましかったけれど、
気にしていても仕方ない。
さ、今日から新しい日々が始まるんだ!
佐々木凜と佐藤心。
座席は運よく私の前が凜だった。
凜が側にいてくれると本当に心強い。
本当は恋がしたい。
ずっとそう思っていた。
でも、私の胸のキズの
主張があまりにも激しくて
恋をしたいと思う気持ちの
妨げになっていた。
高校でこそ、素敵な恋をするんだ!
ふふふ。
今度はしっかり心の中で呟き、
思わずニヤけた私は、
ふと視線を感じて
首をゆっくり右へと向けた。
ふふふ。
それはどうやら私の真似を
しているようだ。
「な、なにをっ!」
しまった!
最後だけ口に出ていたらしい。
耳まで自分の血液が
全力疾走で巡っているのがわかった。
恥ずかしいという気持ちと、
何か言葉を発するべきなのか、
ということと、
あれやこれやと
脳内で考えているうちに、
わははと笑う隣の男の子の声で
我に返った。
じっと睨む私の視線をまるで無視して、
彼は
「俺、田村。
隣、よろしく~」
と、右手をヒラヒラ振りながら軽く言った。
なんだこいつ。
そう思ったけれど、
きちんと笑顔を向けて
「私は佐藤、よろしく~」
と、そいつの目の前で
手のひらをヒラヒラさせて
真似をして言ってみた。
一瞬真顔になったそいつは
数秒後、
満面の笑みで笑った。
それに釣られて私も思い切り笑った。
なんだ、私、笑えるんだ。
朝から緊張していた自分が
馬鹿みたいに思えた。
そしてそれを見ていた凜が、
母親のような眼差しで私を見て
微笑んでいた。
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