心のキズは
櫻んぼ
第1話 白い部屋とアルコール
すべてが白で統一された部屋。
スンっとアルコールの匂いが漂う。
爽やかな風が吹き抜けるあの日。
男の子は私の胸にそっと
手を置いてこう言った。
「ここが痛い時は
僕がきっと側にいてあげるから」
「ね?
忘れないでいてね」
まだろくに動くことのできない私は
かすかに頷くだけだった。
「またね」
にっこり笑った男の子は
爽やかな空気を残して白い扉から
出ていった。
あれから10年の時が経った。
胸にキズがついたあの日。
とても悲しく辛く、痛い日々だったけれど、
あの男の子の笑顔のおかげで
乗り切ることができた。
そんな私も高校生。
シャツに手を通す。
ボタンは一番上までしっかり留める。
リボンも規定通りしっかり結ぶ。
昨日の入学式ではきちんとしていたけれど
少しかわいくしたいから、
スカートは一段折り込んで。
よし!
小学校から中学校は
そのままの持ち上がりで
メンバーが増えることはなかった。
そのため、何の気兼ねもなく
過ごしてきたけれど、
今日からは気を引き締めて
いかねばならない。
このキズの事はみんなに
知られたくないから。
「おはよー!心!」
駅に着くと幼なじみの佐々木凛が遠くから
これでもかと手を振っていた。
私といえば、
思うような笑顔を作ることができず、
ぎこちなく手を振り返す。
「今日からもよろしくね、心」
にっこり微笑む凛はいつもと変わらず
笑顔が素敵だ。
「さては緊張してるな?」
私の肩に腕を置いて、
凛が少しトーンを落とした声で私に囁いた。
「大丈夫」
落ち着いた声で、
名前のごとく凛と話す
彼女はとても心強い。
私は幼い頃、
心臓に穴が見つかった。
穴から血液が逆流し、
綺麗な血液に汚れた血液が混ざる。
そのため、充分な酸素が体に回らない、
そんな病気だった。
「少し走るとすぐに疲れたと言い、
上の兄に比べてなんて体力のない子なんだ、
と、呆れていたんだ」と、
後に父から言われた。
「あの時は気づいてあげられなくてごめん」と。
風邪をひいてたまたま行った病院で
心臓の音が気になるから、
と、先生に紹介状をもらい、
大きな病院に行くことになった。
両親も、まさかこんなに大きな病気だとは
思いもよらず、
まだ幼稚園児の私が手術になると聞いて、
パニックだったらしい。
あれよあれよと手術の日程が組まれ、
入院となった。
私が小さかったこともあり、
入院中は母親がずっと側にいてくれた。
私の病棟は
私と同じように
心臓の手術を待つ子供たちや
手術を終えた子供達が
何人か入院していた。
ICUに入っている子。
病室に帰ってきてはいるが
何やら管がたくさん付いていて
寝ているだけの子。
年齢もさまざまだったが、
隣の病室で、同じ年の元気な男の子がいた。
母も付き添いながら不安だったのだろう。
先に入院していたその子の母親と
話をしている時間が多かった。
待ってる間に、その男の子とは
絵を描いて遊んでいたのを思い出す。
「俺がここの絵を描いてあげる!」
そう言って私の画用紙に
ニコニコした女の子の絵を
これでもか、と大きく描いてくれた。
こころ、だけれど、自分のことを
小さい頃は「ここ」と言っていて、
一人称も「ここ」だった。
「俺のサインも入れておくから!」
「サイン?
すごい!すごい!
テレビの中の人みたい!」
ワクワクしながらその子の手元を見ていた。
彼の笑顔にも負けないくらいの、
大きなニコニコの笑顔の女の子の絵の下に、
何やら文字を書いてくれた。
「すごーい!
カッコいい!」
得意気な彼の顔は
今までに見たどの男の子よりも
キラキラしていた。
とても元気いっぱいの彼は、
私と同じ病気だとは思えないくらい、
元気はつらつで、
キラキラして見えた。
「俺、元気になったらサッカーやるんだ」
そう言いながら、
袋に入ったサッカーボールを
器用にポンっと蹴り上げた。
袋に入ったボールだけれど、
紐なんて付いていないように
何度も何度も彼の足や膝の上で跳ねた。
「心臓が元気になったらさ、
外でおもいっきり走れるんだぜ。
楽しみだよな。
今は全然走れないから」
期待と悔しさとが入り交じったような、
なんとも言えない顔をした男の子は
そう言うとこちらを向いて、
「頑張って元気になろうな!」
と言った。
手術をすると言われて、
悲しい顔をする父や母を見てきた私は
正直手術にいいイメージがなかった。
でも、
手術後の夢を楽しそうに話す彼を見て、
手術に対する不安が少し和らいだ。
「うん!」
心の底から元気になるんだ!
初めてそう思えた瞬間だった。
ある日、
男の子は手術室へと運ばれて行った。
真っ白いベッドに寝かされた男の子を
笑顔で見送ったその子の母親が、
姿が見えなくなった途端
ボロボロ泣き出した。
泣き腫らした目をしたその子の母親の
震えた肩のことを今でも覚えている。
その子はその日
隣の部屋には戻ってこなかった。
そして、私には母親と一緒に
先生から手術の説明を受ける日が
やってきた。
「心臓に穴が開いているから
今は運動がとても辛いけれど、
先生が穴を治したら、
心臓が元気になって
苦しくなくなるんだよ」と。
お兄ちゃんみたいにかけっこが
できるようになるからね、と。
そして、
「手術をしたら、
一度違う部屋にお泊まりをして
少し元気になったら、
今のお部屋に戻るからね」と。
おそらくそんな話だった。
その話を聞きながら、
あの男の子は今頃違う部屋に
お泊まりしているのかな?
と、考えていたように思う。
隣の男の子に会えないまま
私はあの時の
あの男の子と同じように
真っ白なベッドに寝かされた。
私を覗き込む母親。
その笑顔の奥にいつもの笑顔にはない
悲しみが私には見て取れた。
無性に怖くなった。
ボロボロ涙が出て来て、
「お母さん!
お母さん!」
と、叫んだのを覚えている。
今思えば、母親も必死で
笑顔を作っていたのだと思う。
それでも、大好きな母親の笑顔が
いつもと違っていたことを
私は見逃さなかった。
泣きながらベッドで移動をした。
先生が優しい声で、
何やら話かけてくれていたが、
なんだかピカピカした部屋の中で話す
先生の声がどんどん遠くなり、
途中から記憶がなくなった。
気がつくと、
眠る前とは違う部屋にいた。
どれくらいの時間がたっただろう。
母親がやってきて、
「よかったね。
本当によかったね。
無事に心臓が元気になったよ。」
と、私に伝えた。
そっか。
穴の空いた心臓、
元気になったんだ。
次にふと目が覚めて
自分の病室に帰ってきたんだと
気づいてから、
何日か経ったあの日。
あの男の子が私の横で
そっと私の胸に手を置いて微笑んでいた。
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