空#3

 あれは分厚い雲が太陽の光を遮る、だれもが鬱屈とした気分になってしまうようなそんな昼下がりだった。


 水瀬は中学での失敗を繰り返すまいと高校に入学すると友達作りに励んだ。


 昼休みの教室。大体皆つるむグループも決まってきたような、そんな時期。


 水瀬にできた友達は、制服を着崩して着こなしてスカートはとびきり短くして先生にバレないように化粧をしている、そんな子達だった。


 水瀬は友達ができた安心感と共についていけるのかという不安を抱えていた。


 そんな友人二人と他人の椅子に勝手に座ってお話していた時の事だった。


「ねぇ知ってる?3組の花玲ちゃんに告ったやつがいるらしいよ」


 クラスは違えど篠原花玲と言えばちょっとした有名人なので水瀬も知っていたし少しなら話したこともあった。


 しかし水瀬はやはりこういった女子の恋バナにあまり興味が無かったので相づちを打つ程度だった。


 しかし水瀬の相づちに被るようにもう1人の友人は食いついた。


「え、だれだれ?」


 体を乗り出し興奮気味に声を抑えている。


「…名前忘れちゃった!」

「えーイケメン?」

「いや、こないだ覗いて見たけど冴えないブ男だったよ」

「なんだ〜で結果は?」

「えとね、花玲ちゃんは『ちょっと話を合わせてあげただけなのに勘違いしてグイグイきてキモかった』って言ってたよ!」


 二人がお腹を抱えて笑っているので水瀬を合わせて笑うが、心の中ではその男の子が可哀想だと思っていた。


 篠原花玲の姿を思い浮かべる。ふわふわとした茶色がかったボブ、小柄で華奢な体格、そのくせ豊満な胸、そして猫なで声。まさに男の好みを具現化させたような女だと水瀬は思っていた。


「真凜元気なくなーい?」

「あーそれウチも思ってた」


 水瀬の反応があまりよろしくなかったのだろう。2人は心配してるのではなく『こいつノリ悪いな』と糾弾しているのではないかと勘ぐってしまう。


「ごめん、ぼーっとしてた」

「もーしっかりしなよー。で、真凜はどう思う?」


 どう思う?、というのは花玲が男の子を振ったことについて、だろう。男の子可哀想なんて言ったら2人は水瀬を空気読めないやつ判定するのだろう。ここは話を合わせなければならない。


 これは水瀬自身が友達に馴染むために仕方の無いことだ。


「…それはちょっと、ね?」


 しかし罪悪感が拭いきれず濁す言い方をする。


「ちょっとなに?」


 2人はそれを許さなかった。


「…ちょっと気持ち悪いよね」

「ははは!言うねー」

「さいこーまじ爆笑」


 友人2人を嫌悪した。それよりもっと自分を憎悪した。


 水瀬のそんな気持ちとは裏腹に陰口は盛り上がっていった。


「ねぇそのキモ男、見に行かない?」

「えーやだよぉ!見てなんになんの」

「いやいや面白いんだって、今男子も協力してハブってるんだって!」


 そんな流れで水瀬もついて行くことになった。まぁ見に行くくらいなら問題ないだろうと、この時はそう考えていた。


 その男の子がいる教室に向かう途中の廊下、窓から見た猛々しい曇天が何故か記憶にこびりついている。


 教室にたどり着き2人は扉から中を覗いている。


「ほら、あいつあいつ!隅っこでイヤホン付けて漫画読んでる」

「うわぁ陰気くせぇ」

「あ、あの漫画知ってる!今深夜にアニメやってるやつ」


 友人二人の会話の『漫画』という単語が少し気になり、水瀬も教室を覗く。


 すると、視線を感じたのか男の子もこちらを見た。水瀬と目が合う。


 水瀬はその男を知っていた。よく、知っていた。それは水瀬の恩人であり救世主であり、想い人である。中学時代、水瀬を救った───木下正宗だった。


 同じ高校に入れたがクラスが離れ疎遠になっていた木下。


 木下は目が合うと、口を少し開け固まった。水瀬も固まり、互いに見つめあう。木下のその顔に懐かしい太陽のような穏やかさの面影は無かった。


 少しして、木下は漫画に目線を戻した。しかし、唇を噛み締める木下の眼は潤みを帯びていて、とても漫画の文字を追っているようには見えなかった。


 水瀬は全身から力が抜けていく著しい脱力感に襲われた。手は小刻みに震えている。


 悲哀、怒り、嫉妬、嫌悪、憎悪、後悔。


 水瀬の胸は自らでも正しく分析できないほどに数多の強烈な感情でごちゃまぜになっていた。


 その接触を最後にし、以降水瀬は木下と会っていない。


 木下が不登校になったということだけは風の噂で聞いていた。




後悔しない日は無い。あの時木下を救えていればと。しかし、1度あの立場になった人間だからこそ、そこから這い上がった水瀬だからこそ再びそちら側に立つことは…その勇気は無かった。

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