5 空間の覇者

 遠野彩は身体変形タイプのバグだ。

 これがエラーなら、バグ討伐部隊の戦力として大いに活躍していたことだろう。


「遣る瀬無いよ」

 

 未散は一言そう零すと、再び襲ってくる翼を身軽に避けた。

 ちらりと広間の入り口を確認する。男性がひらりと手を振っていた。横には誠太郎もいる。


「よし、じゃあ見学開始だな」

 

 未散はいつものようにローブのポケットに手を突っ込んで、人の山の上に君臨する彩を見上げる。

 そして、未散が持つ指示語を発した。


「―――空間を掌握せよ」

 

 次の瞬間、未散は消えた。

 突如として標的を失った彩が、ぎょろりと血走った目を辺りに巡らせる。


「ここだよ」

 

 声はすぐ背後から聞こえた。しかし、彩が振り向くことは叶わなかった。

 彩は、そろりと自身の腹を見下ろす。

 焼き切れてしまうかのように熱いその場所からは、千切れた彩の右腕が突き出ていた。


「嘘、私の右腕が・・・。何よ、これ」

 

 驚愕に目を見開いた彩は、ゴポリと吐血して倒れた。

 右腕が体を貫通したまま、人の山を滑るようにして落ちていく。


「はい、終わり!」

 

 ぱちん、と静寂の中で軽やかに手を叩いたのは、誠太郎が助けた男性だった。

 未散が呆れた顔でその隣に立つ。


「仕切らないでくれますか。今回の見学は私が主導なんですけど」

「あは、ごめん。つい癖でね」

 

 誠太郎はあんぐりと口を開けて未散を凝視する。


「どうかしたか?」

「さ、さっきまであそこにいたじゃん!」

 

 誠太郎が人の山を指すと、未散は思い出したように手を叩いた。


「そうそう、せっかくの見学だし、エラーの能力もついでに見てもらおうと思ったんだよね」

「それより未散ちゃん、すぐに救助隊入れるから、誠太郎連れてってー」

「了解。行くぞ」

 

 男性がにこやかに手を振ってくれたので、誠太郎も負けじと振り返した。


「あの人って師匠の知り合いなの?」

「まあ、〇番隊の隊長だしね」

「は?」

 

 誠太郎はぴたりと足を止める。

 その横を救助隊らしく装備した人々が走り抜けていく。

 誠太郎はしばしの硬直状態の後、叫ぶように言った。


「早く言ってよ!」


「ごめんて」

 

 ショッピングモールを後にして、併設されている公園のベンチに二人並んで腰かける。

 未散が通りがかりに自動販売機で買ったミルクティーを献上すると、誠太郎は大人しく受け取った。


「少しは落ち着いたか?」

 

 誠太郎は乾いた笑いを零した。


「もしかしてばれてた?」

 

 未散が小さく頷く。

 誠太郎は大きく脱力して、顔を手で覆った。その手は笑えるくらい震えている。足だって、まるで長時間正座したときのように力が入っていない有様だ。


「あー、カッコ悪いし恥ずかしい。あんなに師匠と特訓したのに、怖くてたまらない。見てるだけで何もできなかった」

 

 同じ年頃の少女が、瞬く間に化け物になる様を間近で見た。あれがバグで、殺す対象なのだ。それを実感して、ぞっとした。

 そして、それを殺す未散も同じくらいに怖かった。

 いきなり消えて、また現れて。その時、彼女は彩の右手を手にしていた。それを背後から突き刺したのをしっかりと見ていた。

 一瞬だ。全て一瞬の間に起こり、一瞬の内にバグである彩が死んだ。―――これが未散の持つ、エラーの能力ということなのだろう。

 崩れ落ちる彩と、人が瓦礫のように積み上がったあの空間が目に焼き付いて離れない。


「何するか分かってたけどさ、全部怖い。師匠は平気なの?」

 

 人を殺しても。

 そう口にする事は無かったが、未散には届いていた。


「平気だよ。私は経験を積んできてるから、バグなら殺せる」

 

 未散はそう言って、ぐりぐりと誠太郎の頭を乱暴に撫でまわす。いきなりの事に驚いていると、静かに諭すような声で未散が言った。


「人を殺す瞬間を初めて見たんだ。今は動揺して当然だし、バグ討伐部隊にいると嫌でも慣れていくからそこは安心しろ。でも、私個人の意見としては、人の死を何とも思わないようになってほしくないけどね」

 

 誠太郎は大きく頷いた。


「そんなの当たり前じゃん。頭ぐちゃぐちゃして上手く纏らないけどさ、あの子は今まで普通の女の子で、これからしたい事とか夢とかあったはずだろ。でも、師匠はその子をバグだから殺さないと駄目でさ、そんなの殺されるのも殺すのも普通に嫌じゃん。どっちも辛いはずじゃん。バグ討伐部隊に入ったんだから、これからこういうことが当たり前になるんだろうけど、慣れることなんて絶対にない」

 

 力強い真っすぐな目だ。

 未散はそれを見てくい、と口角を上げた。


「そっか。よし、それ飲んだら帰るぞ」

「はい」

 

 誠太郎は残りのミルクティーを飲み干すと、勢いよく立ち上がった。

 帰路では、込田の運転する車内で終始爆睡に徹していた誠太郎だったので、体感的には車に乗り込んだ一分後にはバグ討伐部隊本部に到着していた。

 〇番隊待機室に着くころにはすっかり目が覚めていた。

 桜木が朗らかな顔で出迎えてくれる。


「二人ともお疲れ様だったね。負傷者は多いけれど死者はバグの一人だけだったよ。さすが未散ちゃん、仕事が早い」

「ほぼほぼ隊長のおかげですよ。先に現場に紛れ込んで負傷者たちを回復していたみたい」

「謙遜しちゃって。バグを止めたのは未散ちゃんでしょう」

 

 桜色の髪がさらりと揺れる。桜木は機嫌よくスキップを踏んでいた。


「それにしても、誠太郎君は人に好かれる才能があるよね。あの霊力持ち大嫌い人間の隊長が、どうやら君の事をすごく気に入ったらしい」

「え、俺?」

 

 誠太郎が小首を傾げる。

 その時、背後で勢いよくドアが開いた。


「よう、誠太郎!」

「あ、さっきのおっさ・・・隊長!」

 

 威勢の良い声に振り返ると、長身の男がひらりと手を振っていた。

 バグの現場では薄暗く分かり辛かったが、体格が良い割に、顎のラインがシャープな整った顔立ちである。


「・・・かっけー」

 

 思わずぽろりと言葉が漏れる。男は盛大に笑った。


「だろー? 誠太郎は見る目があるな。俺は〇番隊隊長、堂前治良どうまえじろうだ。改めてよろしくな」


 差し出された角ばった手をしっかりと握った。状況は違えど本日二度目だ。


「改めまして、住屋誠太郎です! 末永くよろしくお願いします!」

 

 未散が良く褒めてくれる良い返事をすると、堂前がガシガシと乱雑に頭を撫でてくれた。


「うん、最高だ」

 

 隊長である堂前にも褒められたことが嬉しくて、得意げな顔を未散に向ける。

 しかし、鬱陶しそうな顔の未散にしっしと手で払われたので軽くしょげた。


「誠太郎にも挨拶できたし俺は帰るわ。お疲れさん。それと、誠太郎には〇番隊隊長と副隊長から推薦出しといたから。後は本入隊の前に候補生に交じって基礎だけ学んできな。そんで、さっさと〇番隊に来て一緒に働こうぜ」

 

 うえーい、と言うだけ言って堂前は部屋を後にした。

 しばしの沈黙の後、正気に戻った誠太郎は呟いた。


「嘘だろ、一体俺のどの辺に見込みがあったわけ?」

 

 答える者はこの場に居なかった。

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