2 バグ討伐部隊本部にて

 都心から少し逸れると、喧騒とは無縁の長閑な田園風景が広がっている。

 タクシー一台がやっと通れるような畦道がずっと先まで続いていて、ガードレールなんてものは無い。田畑を潤すための細い水路の真横をタイヤが通る。


「笹船が流れてる。懐かしいな」


 笹船はゆらゆらと不安定に揺れながら、タクシーと同じ方向に流れていく。

 誠太郎は期待に胸を膨らませる。

 謎が多いバグ討伐部隊。テレビやネットで取り沙汰されることすらほぼ無い組織。けれど、バグ発生率が世界一位の日本に、無くてはならない存在である。

 エラー判定を受けるまで、これからそこに自分が関わっていくことになるなんて思いもしなかった。

 タクシーから降り立った誠太郎の目の前には、古民家が一軒あった。屋根も外壁もぼろぼろである。


「バグ討伐部隊本部へようこそ」

 

 覇気のない未散の言葉に、誠太郎はあんぐりと口を開けた。


「嘘でしょ」

「嘘じゃない。ついてこい」


 ポケットに両手を突っ込んだ未散は、迷うことなく古民家の引き戸の向こう側へ進んでいった。


「ちょっと師匠、置いていかないでよ!」

 

 誠太郎は慌ただしく後を追う。

 中に入ると真新しい畳の匂いがした。

 くんくんと匂いを辿りながら進んでいく。雨戸を閉めているせいで昼間だというのに暗い。


「こっちだ」

「うわ、こわ」

 

 誠太郎は思わずのけ反る。

 未散の青白い顔が暗闇の中で浮かび上がり、まるで生首の幽霊のように見えたのだ。


「失礼な奴だな」

「ごめん師匠、あまりにも師匠のおかっぱ頭がこの家と合ってて驚いちゃった」

「おかっぱ頭じゃない、ボブヘアと言え」


 未散が居間の押し入れを開けると、その中には正方形の蓋があった。


「こんな所に木のマンホール?」

「これは隠し扉だ。ここから地下に降りる。バグ討伐部隊で保有している、隠し通路の一つだよ」

 

 木製の重たい蓋を持ち上げると、古びた階段が姿を現した。


「えー、ここ進むの嫌なんだけど」

「何でだ?」

 

 未散が小首をかしげる。


「恐いじゃん。暗いし何か出そうな雰囲気あるし」

 

 気が引けている誠太郎の肩を掴み、未散は得意げな顔を浮かべる。ローブのポケットから懐中電灯を取り出した。


「大丈夫、これで明るいだろ」

「そういう事じゃないんだけどね」

 

 仕方なく未散の後に続いて階段を下りていく。

 そこから三十分、視界不明瞭な中をひたすら歩き続けた。


「はい、ここあがって」

 

 来た時と同じような古びた階段を上り、重たい蓋を押し上げると、目の前は本部の受付けだった。

 立て看板にバグ討伐部隊本部と書かれているので間違いない。


「お疲れ様です、戸井さん」

「お疲れー。仮隊員連れてきたから通すね」

「オッケーでーす」

 

 軽い受け答えで受付けをパスすると、エレベーターに直行する。


「すごい広いね! オフィスビルって感じでカッコイイ!」

「はいはい、どうも。五階で降りて左に進もうね」

 

 辺りを見渡しながら興奮気味の誠太郎を少し面倒くさく思うが、本人は全く気付いていないようだ。

 今は大きなこけしの石像をスマートフォンで連写している。


「誠太郎、こっちだ」

「はい!」

 

 返事だけは満点だな、と未散は独りごちる。


「〇番隊待機室」

 

 扉に張り付けられたプレートを読み上げた誠太郎は、ごくりと生唾を飲み込んだ。


「じゃ、開けるぞ」

「はい!」

 

 緊張で顔が強張りながらも、何とか挨拶用の笑顔をキープする。

 しかし、扉の向こう側の光景を見て誠太郎は絶句せざるを得なかった。


「ようこそ、〇番隊へ」

 

 未散に背中を押されて足を踏み入れた誠太郎は、その場に頭を押さえて蹲った。


「どうした?」

「いやいや、どうしたじゃないよ。汚い! めちゃくちゃ汚いよこの部屋!」

 

 十畳ほどの部屋に机が四つ、向かい合わせに並べられている。その卓上は書類で溢れ返り、床にまで侵食していた。

 書類だらけで足の踏み場がないため、誠太郎はつま先立ちで部屋の奥へと進む。


「それにさ、空気籠りすぎ。問答無用で換気するからね!」

 

 ブラインドを上げて、窓を全開にする。

 すうっと空気が流れ込んできて、未散の前髪を揺らした。

 誠太郎が、屈託なく笑って未散を振り返る。


「ほら、気持ちいでしょ」

 

 未散はこくんと頷いた。

 窓の近くに積まれた書類の山が、がさごそと音を立てる。風が当たってしまったのかと思った次の瞬間には雪崩が起きた。


「あ、窓閉めるの間に合わなかった」

「閉めなくていい。これは中から人が出てくるパターンのやつだ」

 

 未散の言う通り、崩れた大量の書類の中から淡い桜色の頭髪が見えた。


「挨拶しなよ副隊長。仮入隊の子が来たよ」

「仮入隊?」

 

 中性的な声がした。書類を乱雑に手で払いのけ、億劫そうに起き上がったのは細身の男性だった。

 寝ぐせだらけの髪を手櫛で整えながら、興味津々の目で誠太郎を観察する。


「エラー判定が出てすぐに仮入隊できるなんてすごいね。そんな子何年ぶりだろう。名前は?」

「住屋誠太郎です。よろしくお願いします」

「誠太郎君ね。僕は〇番隊副隊長の桜木春生さくらぎはるお。こちらこそよろしく」

 

 ぞっとするほど細い腕が伸ばされる。

 握手を交わして、誠太郎は少し安心した。桜木の手にはちゃんと熱があった。

 そうして今、誠太郎は書類に埋もれて見えなかったソファに腰を掛け、あんぐりと口を開いて桜木の話しを聞いていた。


「通常の流れとしては、エラー判定が出たらまず全員がバグ討伐部隊の候補生となり、訓練の合間で面接と筆記試験を三回程度こなして、その後仮入隊で実践を学び、最後に所属先の隊長と副隊長の推薦を取れた者が正式に入隊できるってな感じだよ」


 誠太郎は、錆びついてしまったかのように固い首を未散に向ける。


「エラー判定が出たら全員仮入隊じゃなかったの?」

「違うっぽいね」

「軽いよ師匠! そんなの俺聞いてない。生まれてこの方エラーの才能を微塵も感じた事のない俺が、いきなり飛び級してやっていける自信ないんだけど!」

 

 打ちひしがれ、ソファのひじ掛けに顔を埋める。すごく黴臭かったので、すぐに顔を上げた。

 桜木が聖母のような穏やかな顔で教えてくれた。


「そこまで不安にならずとも、君の師匠も飛び級だ。近くに手本がいるから学べばいいさ」

「え、そうなの⁉」

「因みに飛び級はバグ討伐部隊創設以来、未散ちゃんと誠太郎君を含めて五人だけだよ」

 

 誠太郎は生唾を飲み込んだ。

 そして思った。

 もしかして、己にはとんでもない才能が秘められているのではなかろうかと。

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