外伝 相克のカレッサリア②

 自由に出歩いてよい、というのは逆に、戸惑いを覚えるものだ。

 特にこの二年半ほど、決められた場所から外に出る自由は無かっただけに。


 王宮での、「王国議会の議長の秘書」という仕事は、平日の朝九時から午後四時まで。しかしそれも仕事の有無で伸びたり縮まったりし、議会の開かれていないこの時期は暇なものだった。現在のところ、王国の抱えている問題は西部の一部自治領で相続を巡った内紛の兆しがあることくらい。それも緊急会議を招集するほどのことはない話だという。

 結局、暇を持て余して町をぶらつく他に無かった。


 王都と言われるだけあって、リーデンハイゼルは隅々まで栄えていた。どんな小さな路地裏でも人通りが絶えることはなく、治安もよい。何しろ王国の中央部の治安を引き受ける宮廷騎士団の本拠地が町の中にあるのだ。建物自体は質素だが、外から見えるよう柵で囲まれた訓練場にはいつも熱気が満ちていて、現役の騎士や、まだ若い騎士見習いたちが日々訓練に励んでいる。

 一人前の騎士か、そうでないかは、剣に金色の房飾りを下げているかどうかで判別できる。金は宮廷騎士団の色。赤は西方騎士団。青は西方騎士団。そして北方騎士団が白。

 かつてクローナを攻めた王国の軍勢の大半は金色の房飾りをつけた騎士たちだったのだが、その同じ飾りを見ても、アルウィンには何とも思えなかった。金の房飾り自体が人を殺すわけでは無い。ここにいる騎士たちとて、好き好んで人を殺すわけではないはずだ。

 誰かが憎くて敵になるのではない。ただ、互いの立場がそうさせるだけだ。だからこそ、不要な憎しみを抱かなければ和解することも出来る。彼はそう考えていた。




 歩き疲れてくると、足は自然に王宮の正門に続く広場に向いていた。町の中心部にあり、周囲には植え込みが作る心地良い木陰と、一休み出来るベンチがある。広場の中心には湧水をたたえる泉があり、そこから流れだす豊富な水がこの町のすべての家々の生活を支えている。そうでなければ、高台にある町で人が快適に暮らしていくことは出来なかっただろう。

 水は、生活排水も含め町の入り口あたりに集められ、そこから滝となって流れ落ちている。

 アルウィンは、この場所が気に入っていた。

 リーデンハイゼルの中で最も活気のある場所であるだけでなく、この町にやって来た多くの旅人たちが真っ先に訪れる場所であり、住人たちにとっても交通の要。行き交う人々の姿を眺められる場所だったからだ。

 大通りは広場を中心に放射状に伸びている。裏路地を選んで遠回りするのでない限り、何処へ行くにもここを通る。そんな人々の交錯が、クローナの広場を思わせた。

 もっとも、クローナの場合はこれよりは狭かったし、泉はなく、商人たちの賑やかな掛け声や商品を陳列したテントで埋め尽くされていたのだけれど――。


 休憩を終え、そろそろ帰ろうと立ち上がった時、ちょうど、町の入口のほうから数頭の馬が走って来るのが見えた。

 先頭の騎手は白いマントを翻し、馬にも金色の房飾りをつけている。王宮の正門へ向かっているらしい。通行人が道を開ける。アルウィンも避けようとして、ふと、馬上の男と目があった。

 お互い、相手に気づいたのは、ほぼ同時。男はとっさに手綱を引き、馬を急停止させた。後ろを付いてきていた従者たちも、慌てて馬を止める。

 「…ウィラーフ?」

 「……。」

思いがけない、旧知の顔。それは、かつて同郷の地で幼少の日々を過ごした、七つ年上の青年だった。

 ウィラーフ・レスロンド。アルウィンが物心つく頃には既に王都へ修行に出ていたが、たまに里帰りした時には、剣術の稽古をつけてもらったり、遊んでもらったり――こっぴどく叱られたりもした。それがいつからか、帰郷しなくなり――次に出会ったのは、クローナ領主が戦死した直後の、アストゥール王国軍の本陣の中だった。

 あれ以来、一度もまともに顔を合わせていなかった。


 表情を押し殺したまま、青年はやっとのことで言葉を搾り出す。

 「…いつ、リーデンハイゼルへ?」

 「数日前。今はギノヴェーア様のところで秘書をしてる」

 「…そうですか。」

視線を王宮に向けると、彼はおもむろに馬に拍車を当てた。銀色の髪が流れる。避けられていること、話しかけてほしくないというような気まずい雰囲気が、ありありと伝わってきた。

 (そうか、ウィラーフは近衛騎士だし、もしかしたら、おれと知り合いだと知られるとまずいのかもしれない…)

王国に仕える騎士と、王国の敵となった町の人質。普通に考えれば、馴れ馴れしく出来る余地などあるはずもない。

 アルウィンは、去ってゆく後ろ姿を、ただ見送っていることしか出来なかった。




 王からの召還命令が、ギノヴェーアの名前で届けられたのはその日の夕刻だった。

 「直ぐに来て欲しい、とのことです。」

宿舎に帰るなり、入り口にいた管理人に告げられた。まるで、アルウィンが高級官僚であることを信じて疑わないような口調と、尊敬の眼差しだ。

 王宮から個々人への連絡は、こうして宿舎の管理人を通してもたらされる。個人で家を構えている者は、家人か召使に伝えられる。王宮の近くに住んでいる利点だ。

 部屋に置いてあった緋色の長衣を身につけながら王宮に向かう。入り口の衛兵も、今ではアルウィンの顔を覚えている。

 「おつかれさん。今日は今からかい」

 「ええ、何か急な仕事らしくて」

 「頑張ってな。」

何気ない会話が、今では嬉しかった。同じこの場所で、かつては敵意に囲まれて暮らしたことを忘れそうになる。

 長衣の裾を翻して早足に奥の棟へ向かいながら、アルウィンは、果たして、今の自分の立場は一体何なのだろうかと思い始めていた。


 既に辺りは薄暗く、回廊は明かりに照らし出されている。中庭を抜け、王とその家族が住まう棟の二階に向かう。

 王の書斎は、私室であると同時に私的な謁見室でもある。入り口には、今日もデイフレヴンが物言わぬ彫刻のように、微動だにせず立っていた。相変わらず周囲に放つ威圧感は強烈だが、さすがにもう慣れた。アルウィンが扉の前に立つと、彼は視線で入ってよい、と合図する。

 襟を正しながら、扉をノックする。

 「失礼します。」

 「入れ」

中に入ると既に先客がいて、シドレク王の執務机の前に立っていた。アルウィンと同じ緋色の長衣を着た老齢の男。髪も髭も真っ白で、いかにも温厚そうな顔をしている。シドレク王は鷹揚に構えたまま、アルウィンのほうに顎をしゃくった。

 「ああ、ちょうど来たな。今来たのが、今回の任務に同行させる”リゼル”だ」

 「この子が――、ですか?」

男は、驚きを隠せないようだ。

 「調度良い見てくれだろう? なに、年は見てのとおりだが、サウディードの学長が自信を持って送り出して来た英才だぞ。これなら誰も、本命がこちらとは分かるまい」

 「はあ」

さりげなく失礼なことを言われている気がしたが、この王を相手にする場合、細かいことは気にしないのがコツだ。

 「申し訳ございません、話が読めないのですが…」

 「ああ、そういえば説明がまだだったな」

シドレクは、面倒くさそうな仕草で机の上に広げている地図を指す。

 「ここがカレッサリアの町。周辺がシャイラ自治領。共通語を話す人々のほかに、マジャール人にサレア人、他にも様々な部族が住む。今ここでは、当主アストラッドの後継者争いが起きている。」

ここ数日、王宮内で噂を耳にした話ではある。大した話ではないから、緊急議会を招集するほどでもないという話だったが。

 「どうも情勢がかんばしくない。あの地域のマジャール人は、武器商人マリッドを顔役に妙にまとまっていてな。老齢のアストラッドが引退した暁には、自分たちに肩入れする当主の息子のユースタスを後継者に据えるつもりのようだ。しかしそうなると、領内のサレア人との関係が微妙になる。もう一人の候補者は領主の甥のライナスで、実質、行政も財政も握っている今の領主なのだが、こちらも腹に一物ある男だな。ライナスは、どちらかというとサレア人との関係が強い。

 いずれにせよ、二人の後継者の対立は、二つの民族の対立と地域紛争の可能性を孕んでいる。特に厄介なのがマジャールの武器商人だ。ユースタスが領主の後継者に収まる場合、奴がシャイラで権力を得るのは好ましくない」

 「何故です?」

 「武器商人というのは、戦争を自由に起こせる人種だからだ。武器がなくては戦は始まらん。奴らが売るか、売らないか、それ如何で情勢が決まる」

アルウィンにも、段々と事情が飲み込めてきた。

 緊急議会を招集するほどもない、というのは表向きの情報であって、実際はそれなりの規模の内乱に発展する可能性のある火種があるのだ。その火種を事前に取り除くことが出来るか。それとも着火して、王国軍の介入を行うことになるか。

 「そのマジャールの武器商人を――説得するんですか?」

 「手を引かせることは無理でも、この問題が穏便に収まればそれでいい。マジャール人の後ろ盾がある限り、ユースタスは退かない。ライナスのほうも、それを口実に武装解除はしないだろうな」

 「王のめいでも?」

シドレクは、ふっとため息をついた。

 「自治領なのに、王国が表立って後継者争いに介入するわけにもいかんだろう。そんなことをすれば、国じゅうの自治領が揃って反乱を起こす」

 「…なるほど」

だからこそ、間接的に影から手を回すしかない、ということか。”リゼル”の使命は、たしかに危険な国家機密に関わっているようだ。

 「と、いうわけでだ」

シドレクは、老齢の男を指す。

 「今直ぐこのレビアスと共に行ってくれ。必要な情報は、道すがら聞くといい。」

 「今直ぐ?」

 「一刻を争うのだ。コトが起きてからでは遅い」

 「…わかりました。」

王宮に着いてから、一時間も経っていない。


 部屋を出る前、シドレクはアルウィンを呼び止め、呼び寄せた。

 「一つ、いいことを教えておいてやろう。気休めのおまじないだが」

 「はい?」

 「――”赤い雌獅子は、ベーコンを食べない”」

アルウィンの耳元に謎の言葉を囁くと、シドレクはにやっと笑った。「よし、行ってこい。」

 書斎を出ると、レビアスはそこで待っていた。

 王の私的な謁見室である書斎に直接呼ばれるのは、大臣やごく一部の要職にある者に限られることを、アルウィンも今では知っている。この男も、年齢からして、長く王に仕えてきたのだろう。王のあの性格にも、王宮内のことにも、誰よりも詳しいに違いなかった。

 「私はトーマ・レビアスと申します。これからカレッサリアまでは、体面上私が上司ということで参りますが、よろしくお願いします、リゼル殿」

 「あ、はい。」

アルウィンの名前は聞かれない。”リゼル”が本名を隠す職だと知ってのことだ。立場上は、アルウィンのほうが「上」ということになっている。そのあまりに丁寧な物腰に、少し申し訳なくすら思った。

 「それから、こちらはリゼル殿がお持ちになってください」

レビアスは、書簡を二つ、アルウィンに手渡した。王の印章で封がされている。

 「片方はマジャールの商人マリッドに向けたもの。もう一つはライナス殿向けです。詳しい話は道中でいたしましょう。表に馬車が来ております。着替えもその中で」

手回しはいいが、何とも慌ただしい。

 「猶予は…」

 「ほとんどありません。斥候からの情報では、こちらの到着前に開戦する可能性もあるほどの緊張状態にある、とのこと。万一に備え、西方騎士団の小隊が、自治領との境界に待機しています」

もし後継者候補同士が衝突してしまったら、その時は、王国も黙って見ているわけにはいかなくなる。自治が不可能とみなされれば、下手をすれば、自治領としての独立も失うことになるだろう。

 いや、それよりも…

 どんな形であれ、戦闘は人々の暮らしを揺るがす。二つの勢力の衝突、あるいは王国の騎士団の介入によって、一般人に被害が出ることだけは防がなくては。

 アルウィンは、強くそう思ったのだった。




 レビアスは道すがら、現在のシャイラ自治領の状況を話してくれた。

 「現在の領主アストラッドは、長年、無難に領土を治めてきたのですが、高齢で近年はずっと病床にあります。特にここ最近では、意識が戻らず、ほとんど床から起き上がることも出来ないという話です」

馬車はかすかに揺れながら、王都から西へ続くアミリシア街道を走っている。馬車の中で、二人とも長衣は脱ぎ、地味な旅人の服装に着替えていた。

 「後継者は、はっきりとは指名されていません。本来なら息子が継ぐべきなのでしょうが、とんでもない放蕩息子という噂で、ごろつきとつるんで家を出てしまっていたとか。そこで、甥のライナスが領主の仕事の一切を切り盛りしているのです。」

 「では、民衆の支持はライナスの側にあるんですか」

 「普通ならそうなのでしょうが――。これがまた、不思議とライナスのほうもあまり評判がよくない」

アルウィンは首をかしげながらもレビアスの話を聞いている。

 「そんなわけですので、後継者がどちらになるかは微妙な情勢なのです。ユースタスは父親が倒れたと知るや舞い戻って来て、マジャール人とつるんでいるようです。サレア人の支持は今の所はライナスにありますが、ライナスを次の領主にして上手くいくかは不透明です。マジャール人とサレア人の勢力は拮抗していますからね。とはいえ、何も起きていないうちは王国が介入するわけにもいきません。」

 「…マジャール人を退かせて、ユースタスには諦めてもらうのが一番いい、と?」

 「せめて、武力衝突の前に話し合いの場を設けるか、王国の介入を要請してほしいものです。それなくして内紛になってしまったら、王国議会は看過しないでしょう」

 「なるほど…。」

アルウィンは考え込んだ。こんな時、一体どうすればいいのだろう。マジャールの武器商人が同じ領内に住む別の部族を追い出したいためにユースタスを支持しているのだとしたら、その支援をやめさせる説得など出来るのだろうか。逆にライナスに、長年執政をほったらかしてきた領主の息子と話しあう気を起こさせるには、どうしたらよいのだろう。

 「実をいうと、私はマジャール人のことをあまり知りません。言葉もそうですが、風習も何も」

レビアスは、自信なさそうにそう言った。

 最初の印象どおり、この老人は口調だけではなく雰囲気そのものが柔らかく、物腰が大人しい。今までにあまり出会ったことのないタイプだった。この穏やかさなら、あの苛烈な王の性格も中和することが出来そうだが。

 「王は、リゼル様なら詳しいから大丈夫だと仰るものですから…お任せしてしまうことになりますが、申し訳ない」

 「いえ、こちらこそ判らないことだらけで。王に仕事を言いつけられるのは、これが初めてですし…。」

 「そう伺いました」

見れば分かるはずだ。アルウィンは、どう頑張って見積もっても十五歳より上には見えない。体格のせいで、下手をすれば、実際より若く見られる。騎士ならようやく拍車をもらえる歳。それで、使者の役目とは荷が重いだろうと、レビアスは、過度なほどに気を遣ってくれている。

 「…とにかく、話だけはしてみます。マジャール人は荒っぽくても商人気質ですから、利害関係が一致すれば話はつくと思います。」

 「というと」

 「彼らがユースタスを支持しているなら、何か理由があるのだと思います。何か争い事が起きるとしても、得することもないのに、わざわざ別の部族と対立するとは思えない。武器商人なら尚更です。自治領で内戦が起きれば王国軍の介入があることくらい、分かっているはずですし」

クローナの市場にも、マジャール人の商人は頻繁に訪れていた。その中で学んだ彼らの流儀は、今も忘れることはない。草原で遊牧を営むサレア人よりは、マジャール人のほうがまだ、行動原理が分かりやすい。

 「レビアスさんは、シャイラ自治領について詳しいんですか?」

 「ええ、実は…数年前までは、あの辺りにある自治領の税収官吏をしていました。それもあって、今回の任務に抜擢されたのですよ。土地勘もありますからね。」

 「税収官吏…。それなら、シャイラ自治領でのマジャール人とサレア人の主要な取扱い使用品は分かりますか」

 「ええっと。そうですねえ、マジャール人は、他の地域と同じく武器や金属器が一般的。サレア人のほうは乳製品と織物、それに宝石です」

 「…宝石?」

それは、他の地域のサレア人は扱っていない商品だ。

 「近年になって、サレアの居住区で鉱脈が発見されたんですよ。産出量はそう多くありませんが」

成程。そういうことか。

 「もしかして、鉱脈と流通経路はサレア人が握っている?」

 「おそらくそうですね、利益も莫大なものでしょう。マジャール人が面白くないと思っていても不思議はありません」

ことはそう単純ではないのかもしれないが、あり得ない話ではない。単純であってくれたほうがいいのだが。

 「町に入ったら、まずは領主の館へ向かいましょう。先にライナス殿に例の書簡を渡します。申し訳ないのですが、その際はリゼル殿は…」

 「あなたの秘書、という扱いですよね。分かってます」

言われなければ誰も、まさかその逆だとは気づくまい。

 だが彼はのちに、この選択が失敗だったことを知ることになる。

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