外伝 相克のカレッサリア①

 王都リーデンハイゼルは、自然の要塞とでも言うべき小高い丘の上に建てられた都だった。

 かつては小さな要塞しかなかった場所だが、五百年前、アストゥール王国が大陸のほぼ全てを手中に収めた後に、王国の二代目の王、ロランがそこに都を築くことを決めたと伝えられている。

 王国の東の果てにある学術都市サウディードを発って数週間。王都に戻ってくるのは、二年ぶりのことだった。と言っても、前回ここに住んでいたのは、ほんの僅かな時間だったが。

 しかも、町を出入りするのさえ、これでたったの二回目だった。

 一回目は、クローナでの戦いを終えて凱旋する軍とともに。あの時は、入るときも去る時も足かせを嵌められていたものだ。それが今や、見張りつきとはいえ枷もなく、専用馬車でゆったり送迎してもらっているのだが、扱いは随分と向上したと言うべきだろう。


 馬車の車窓から、アルウィンは、通り沿いの風景をじっと眺めていた。前回はとてもそんな余裕がなく、町をじっくり眺めるのは、これが初めてだ。町の風景は記憶にあるより広々として明るく、活気に溢れている。戦争が終わって二年経ったこともあるだろうが、風景を見る者の心情にもよるのかもしれない。

 「そろそろ到着です」

声をかけられ、アルウィンは我に返った。

 馬車は、王宮のすぐ脇にある広場に面した宿舎の前にゆっくりと止まった。その辺りには、王宮外で寝泊りする役人や従者たちの暮らす宿舎がいくつも建っていると聞いていた。今日から王室づきの文官として働くことになるアルウィンに割り当てられたのも、そのうちの一棟だ。

 「こちらです、どうぞ。」

案内されたのは、クローナで暮らしていた屋敷ほどではないが、十分に立派で、いかにも古そうな建物だ。入り口には、よく手入れされた植え込みに、鮮やかな色の花が咲いている。

 入り口のホールに入ると、すぐさま管理人が駆け寄ってくる。

 「荷物はこちらで運びます。お部屋は最上階ですよ。ご案内します。」

丁寧な扱いに戸惑いながらも、後ろについていく。

 正直に言えば、自分がここで何をするべきなのか、まだはっきりとは分かっていなかった。サウディードでメイザンに言われたのは、「お前には王のもとで”リゼル”として働いてもらう」ということだけだった。具体的な仕事の内容は、ここリーデンハイゼルで、直接シドレク王から聞くようにと。


 ”リゼル”というのが、通訳と交渉役を一人で兼ねたような官職だということは、朧気に知っていた。

 サウディードにはローレンスという、”リゼル”を兼任する学者がいたからだ。普段は、アルウィンもたびたび訪れていた語学研究棟で研究員として働きながら、王の要請があった時には命じられた任務に赴く。任務の内容は機密事項のため知ることは出来なかったが、「自治領を持つ少数民族や部族を対象とする専門の外交官」なのだという。

 ローレンスは、それ以上の詳しい話は、任務を言いつける本人に直接聞くか、実際に体験してみれば分かる、と言っていた。




 部屋の管理人が説明を終えて出て行ったあと、アルウィンは、広場に面した出窓を開いた。

 爽やかな初夏の風が吹きこんでくる。肺いっぱいに吸込むと、長旅の疲れも取れていくようだった。そこからは、すぐ側に王宮が見える。大きな噴水や植え込みのある前庭と、公式行事の行われる表の建物。宿舎の前にある広場からすぐ近くにある小さな門はいわば王宮の勝手口で、広い前庭を横切らなくても奥の行政などを行う棟に直接行くことが出来る。広場沿いに王宮仕えの人々が多く暮らしているのは、職場に通いやすいためでもある。

 一人になるのは久しぶりだ。しかも、これからの予定は何も入っていない。何だかくすぐったいような、不思議な気持ちになってくる。


 アルウィンはふと、部屋と一緒に支給された長衣を取り上げた。鮮やかな緋色に、胸元にはアストゥールの黄金の樹が刺繍され、襟元には所属を表す金色の縫い取りがされている。事前にサイズを合わせたのだろう、試しに袖を通してみると、あつらえたようにぴったりだ。

 王宮へ出仕するのは、いつからでもいいという話だった。

 だが、今さら町を見物して回る気にもなれない。どうせなら王宮を見たかった。何しろ、前回の半年の滞在ではほとんど部屋から出ることも許されていなかった。苦手な人もいれば、楽しいとは言えないような思い出も山ほどあったが、それだけに、これから毎日通うことになる場所への苦手意識は克服したかった。


 意を決して、長衣を着たまま外に出る。

 同じように緋色の長衣を着た人々は、この辺りの区画に大勢暮らしている。少なくとも、この服を着ている限り過剰に目立つことはない。

 門に近づくと、左右を守っていた衛兵は少し怪訝そうな顔をした。

 「見ない顔だな」

一瞬どきりとしたが、平静を装う。

 「今日、サウディードから着きました。」

そう答えた。嘘ではない。

 「今日からお世話になります。よろしくお願いします」

 「新入りか。その色は…王室づきだな。秘書か?」

 「はい。王国議会の議長の秘書になります」

 「そうか。ま、頑張れよ」

 「はい」

通り抜けてしまえば、何のことはない。アルウィンは、ほっとして胸をなで下ろした。しかし、長衣を着ているにもかかわらず、新入りだとすぐに見抜かれるとは思っていなかった。さすがに王宮の入り口を守る衛兵だけはある、毎日門を通り抜ける何百人もの顔をなんとなく覚えているのだ。ただ、彼がかつて「人質」としてここにいたことまでは、覚えていなかった。

 王宮を出てから、丸二年。

 クローナから送られ、その後サウディードへと飛ばされた人質の顔など、皆、忘れていてくれればよいのだが。



 王宮の中を見て回るのは、拍子抜けするほど簡単だった。

 今は王国議会の開かれる季節ではない。議員たちは自分たちの地元に帰っているか、休暇中だ。議会以外の時期は、有事の際でもなければ召還されることはない。アルウィンを見知っているような人々は、今は王宮内に出仕していないようだった。


 歩いているうちに分かってきたことだが、どうやら王宮に仕える人々の服装は、役目によって決まっているらしい。

 いずれもアストゥールの紋章のついた制服を支給されていて、短い上着だけの人々が下働き。長衣は文官。マントや外套は武官。かつてアルウィンをサウディードまで送ってくれた男の着ていた灰色は、下位の一般職の人々。緋色の長衣は王や大臣、その直属の役人が身につける上級職の色らしかった。

 何千人といる顔をいちいち覚えているわけもなく、衛兵も使用人たちも、着衣しか見ていないようだ。すれ違うとき、召使たちが軽く頭を下げるのが、何故か申し訳なくさえ思えてくる。

 サウディードを出る前にメイザンから一通り宮廷内の決まりごとは聞いてきたつもりだったが、実際に目の当たりにすると不思議な気持ちになってくる。彼は今更のように、シドレク王が緋色の長衣を与えて自分をここに呼び戻した理由を訝しみはじめていた。


 中庭の先にあった、王国議会の開かれる大議場も少し覗いてみた。今は使用されていないが、何百人も入れるような大きな部屋だ。

 その他に何を見ておけばいいだろう。仕事場になる場所も、聞いてはいない。宿舎に戻るには、まだ早い。ほんの少し迷ったが、せっかくなのでもう少し歩いてみようという気になった。どこかから、優しい音楽が聞こえてきたのだ。不思議と心安らぐようなその音に引きつけられるようにして、彼は、議場と空中回廊で繋がった、こぢんまりとしているが立派な外見の建物のほうへ歩いていった。

 音楽は、よく手入れされた植え込みの間から聞こえてくる。誰かが奏でている弦楽器の音だ。アルウィンは、植え込みの間からそっと覗いてみた。

 と…、

 「ここで何をしている」

何の前触れもなく、頭上から太い声が振ってきた。振り返ると、目の前を塞ぐ巨大な黒いものがある。

 見上げると、厳しい巌のような男の顔が、そこにいた。

 「この先は、関係者以外は立入禁止だ」

はっとして、男の腰に下げた剣に目をやる。揺れる金色の房飾り。宮廷騎士団に所属する証――そしてたぶん、その中でも一握りの、王の身辺を護衛する近衛騎士の一人。

 アルウィンは、慌てて一歩後ろに下がった。

 「失礼しました。道をよく知らなくて。綺麗な音がしたから、つい」

 「道を知らない?」

その時はじめてアルウィンは、自分の迷い込んだ場所が、今まで通ってきた場所とは雰囲気の違う中庭の端なのだと気がついた。音に気を取られているうちに、柱だけで区切られた回廊を通りぬけ、建物に囲まれた庭の中まで入り込んでいたのだ。

 「申し訳ありませんでした。すぐに――」

 「あら」

立ち去りかけた時、奥のほうから、鈴のなるような声が聞こえた。男の体の向こうで、白いドレスを着た女性が立ち上がる。優雅な物腰、高く結われた上品な金髪。

 「あなた…アルウィン?」

 「あ、はい」

名を呼ばれ、とっさに返事したあと、しまった。と思った。自分を知っている者に見つかってしまったと思ったのだ。

 恐る恐る上げた視線の先で、美しい女性が微笑んでいる。

 覚えがあった。

 「あなたは…ギノヴェーア王女…」

そうだ。確か、シドレク王の息女で、王国議会の議長でもある、ギノヴェーア王女のはずだ。

 「お久しぶりね。ずいぶん背が伸びたじゃない? そろそろ着くとは聞いていたけれど、呼びに行く前に自分から来てくれるなんて。」

王女が話しだしたので、巌のような男はじゃまにならないようにと脇へ退いた。

 「その人はデイフレヴン。わたくしたちの護衛をしてくれているの。さ、こっちへいらっしゃいな」

アルウィンは、おずおずと庭の中に踏み込んだ。庭に張り出すようにしてしつらえられたテラスに、籐の椅子とテーブルがある。王女の傍らには、さっきまで弾いていたらしい楽器がたてかけられている。

 「そんなに緊張しないでもよろしくてよ。お父様は今、相談事の最中。終わるまで、わたくしとお茶でもいたしましょう」

のんびりとした口調、いかにも深窓の令嬢といった風情だが、この女性が実は侮れない人物であることはよく知られている。でなければ、あくの強い人物も多い王国議会を一手に纏め、その議長を長年務めることなど出来ない。

 実質、王国内の政治は彼女が取り仕切っているという話もある。「女帝」とあだ名される所以だ。


 だがアルウィンは、それ以外にギノヴェーアのことをよく知らなかった。彼女と直接話をしたことは、殆ど無い。分かるのは、どこか人間離れしていて、いつも優雅な白っぽいドレスを着ていることくらい。

 「サウディードは、どうでした?」

勧められた向かいの椅子に腰を下ろすと、王女はすぐに話題を振ってきた。

 「こう言うと不謹慎かもしれませんが…、楽しかったです、とても。メイザン先生にも、とても良くしていただけました」

 「そう。それは良かったわ。あなたを送った甲斐があったというもの。確か…話では、中央語の他に七つの言葉を扱えるそうね?」

 「今は八つです。ルグルブ語を教えてもらいましたから。レトラ語も勉強していますが…まだ…あまり」

 「そう」

ギノヴェーアは楽しそうに笑う。

 「将来有望だわ。仕事の内容は、聞いてる?」

 「一応は…」

言いながら、アルウィンはちらと周囲に視線をやる。庭園の入口には、さっき紹介されたデイフレヴンという男の他にもう一人、奥の柱の影に隠れている騎士がいる。あまりにも気配がなさすぎて、注意しなければ人がいることに気づかない。

 アルウィンの視線に気づいてて、ギノヴェーアは微笑んだ。

 「奥にいるのはアレスタよ。宮廷騎士団の騎士団長で、長年つとめてくれているわ。近衛騎士については知っている?」

 「ええ、全部で十二人――」

僅かな視線の動きを見透かされたことに驚きつつ、アルウィンは手元に視線を戻す。

 「宮廷騎士団の中から、特に優れた者を選ぶんでしたよね」

 「そう。そのうち全員覚えるわ。あなたのよく知ってる人もいる。彼は今、王の使いで遠出しているけれど… 話を戻しましょう。あなたがここで受け持つお仕事」

ギノヴェーアは、手元のティーカップを取り上げた。

 「あなたは表向き、わたくしの秘書兼通訳ということになっています」

 「通訳?」

 「そう。王国議会には、様々な部族から共通語以外の書簡が送られてきます。共通語の不十分な使者が訪れることもある。こちらからの返事を、相手の言葉で出さなくてはならないことも。そうした場合に対処するのが、あなた。サウディードの語学院で学んだ秀才には適役でしょう?」

そういう設定――になっているらしい。

 「でも実際は、あなたはお父様の部下。王の命には何よりも優先して従ってもらうわ」

 「兼任なんですね」

 「そうよ。全ての”リゼル”は兼任。表立った仕事を持ちながら、裏で王の依頼をこなしてもらうことになるわ。任務中は本名は名乗らないこと。なるべく目立たないこと。やむを得ない場合を除いて、王の使命をしゃべらないこと。…でも、密偵なんかとは違うのよ?」

 「その辺りがよく解らないんですが…」

 「一度やってみれば分かりますよ。」

ローレンスと同じことを言って、ギノヴェーアはにっこりと微笑んだ。

 「あなたが王国のために役立ってくれることを期待しています」




 アストゥールの国王・シドレクのもとを訪れたのは、その後、ずいぶん経ってからのことだった。

 もうすっかり日が暮れかかっている。王の”相談事”は、当初の予定よりずいぶんと長引いたらしい。来客の退出したあと、メモ書きや書類の散らかったままの書斎で、シドレクはかなり不機嫌そうに椅子に身を埋めていた。部屋の隅には、やはり金色の房飾りをつけた騎士が一人、無言で、壁の一部のように立っている。

 「…なんだ、ギノヴェーアの言う来客というのはお前だったのか。」

アルウィンのほうを見もせずに、むすっとした声で言う。この王は、機嫌が悪い時はとことん機嫌が悪い。喜びも、怒りも、あまり抑えようとはしない。それだけに分かりやすいとも言えるのだが。

 「よく逃げずに戻ってきたな。」

 「アストゥールの王から逃げられるなど思いませんよ。どこへ逃げても、すべてあなたの領土ですから。」

シドレクはにやりとした。椅子からさっと身を起こすと、獲物を狙う獅子のような目付きで、執政机越しに少年を見据える。

 「相変わらずのようだな。それでこそ、コキ使い甲斐があるというものだ。」

 「……。」

アルウィンは、王の視線に正面から対抗しないよう、それとなく自分の足元に目をやる。

 何故だか判らないが、最初に会ったときからシドレクは、やたらと挑戦的な態度を取ってきた。王と人質では立場が違いすぎ、争うことなど何一つないように思えるのに、まるで、意地になって張り合おうとしているようにさえ感じられた。

 「仕事の内容については、ギノヴェーアやメイザン師からある程度聞いているのだろう?」

 「はい、ローレンスさんからも少し。」

 「場合によっては、危険も伴う」

それは脅しではない。任務中に本名を名乗らず、目立たないよう行動することも、実際の任命は王が単独で行い、誰がその任務についているかを隠すのも、全ては任務を遂行する者自身の身を守るためなのだと、メイザンからは説明されていた。

 「ちょうど今、揉めている話がある。マジャール語が話せる交渉役が欲しい。お前はマジャール語は得意だったな? 丁度いい、そろそろ話が纏まるところだ。手配がつき次第、すぐにも発ってもらいたい」

 「承知しました」

王都でぶらぶらしているよりは、そのほうが気が紛れそうだ。

 「ですが、発つ…とは? どこへ?」

 「カレッサリアだ。西の荒野地帯の端だな」

聞いたこともない地名だ。それ以前に、王国の西の地方へは一度も行ったことがない。

 「領主の後継者問題で揉めている地域だ。現在の領主を補佐している甥と、息子との間によからぬ雰囲気がある。そこに絡んでいるのが、武器売買で巨万の富を築いたマジャールの商人。厄介な相手だが、そいつに密かに接触して貰いたい。何、お前は単なる通訳としてついて行くだけでいい。ただのお使いのようなものだ。初めてだしな、仕事のやり方を見てくるがいい」

 「…わかりました」

 「次に呼ぶまで適当にギノヴェーアの言いつけた仕事でもしていろ。今日はもう疲れた、詳しい話はまた後日だ。下がっていいぞ」

頭を下げ、退出する。

 廊下で、さっきのデイフレヴンという男とばったり会った。分かってはいても、一瞬どきっとしてしまうような威圧感がある。その脇をそそくさと通り過ぎながら、アルウィンは、王の言った任務内容を頭の中で反芻していた。

 聞いていたとおりだ。交渉役、外交官、あるいは通訳…そのどれとも違う。

 だが、武器商人と接触して、何をすればいい?揉め事の仲裁でも、状況の確認でもないとすれば、一体、何が目的なのだろう? …。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る