外伝 相克のカレッサリア③

 風が運ぶ香りが変わった。

 大陸の中央部を過ぎ、西の地方へ入ったせいだ。北には高く連なる山々が遥か西方まで壁のように続き、残る三方には遮るものの何もない、広い大地と空が広がっている。町はまばらで、行き交う人の姿も少ない。畑がほとんどないのは、主に遊牧の民が暮らす地方だからだ。

 アストゥール王国の広大な領土の中の半分は、こうした、人口密度の低い平原で占められている。

 その中でもカレッサリアは、比較的大きな町を持つ自治領だ。土地が肥えていて畑が作りやすく、昔から定住民が集まっている。


 街道の先に見えてきた町は、荒い石積みで出来た壁に取り囲まれていた。風に吹かれただけでも崩れてしまいそうな傾いた見張り小屋がいくつか、使われもしないまま放置されている。

 「この当たりには時たま盗賊が出ます」

と、レビアス。

 「ミグリアの傭兵団からはぐれた者も、たまに襲ってくるとか。近年はだいぶマシになっていましたが、もともと、あまり治安は良くない地方ですね」

 「自治領なのに?」

 「自治領だからこそです。名目なくして王国は騎士団を介入させられません。あくまで”自治”してもらわねば困るということです」

クローナの平穏さから、自治領というのはどこも運営が上手くいっていると思い込んでいたアルウィンは、その認識を改めざるを得なかった。

 ひとたび自治権を認めてしまい、相手が最低限であれその義務を果たす限り、よほどのことがないと王国は領内の問題に手を出せない。多少盗賊が出るくらいでは、王国側は手を出せないのだ。

 「この辺りは西方騎士団の管轄内ですよね。騎士団は何もしていないんですか?」

 「逆に、騎士団が街道沿いを厳しく見張っているせいで、ならず者は街道から離れた手薄な町を襲うのですよ。」

ということは、シャイラ自治領は、宝石から上がる利益があるにも関わらず、治安にあまり力を入れていないということか。武器商人が住んでいるわりに、それはおかしなことだとアルウィンは微かな疑問を持った。




 町に一歩踏み込むと、土埃とともに乾いた風が吹きつけてくる。

 既に畑の収穫も終わった乾季で、町には穏やかな静けさが満ちている。その中で異様なのは、町のあちこちに、武器を手にした警備の目が光っていることだった。盗賊対策なのかもしれない。自治領ならば、領主が編成した自治のための私兵団のようなものは存在しても不思議ではない。ただ、明らかに異質な、ごろつきのような姿も混じっている。黒い布で顔を隠し、威嚇するようにうろうろしている。

 「あれが、ユースタスの連れてきた連中ですよ。」

レビアスが囁いた。

 「ああして昼間からウロついてはいますが、今のところ何をするでもないのでライナスも手出しが出来ないという話ですね」

 「なるほど…。」

そう言われればそうも見える。確かに、警備に立っている兵と、黒い布で顔を隠した者たちは仲が悪そうに見えた。

 「ですので、話の付きそうなライナスのほうから先に行くことにしますよ」

 「分かりました」

訪問は二者、それぞれに必要だと言われている。

 預かってきた書簡も二通。

 中身は見ていないが、王国議会からの通達、と聞いている。要するに、雲行きが怪しいので早急に内部で問題を解決せよ、そうでなければ王国からの介入もあり得る、という最後通告だ。それを両者に渡しに行き、ついでに話をする…というのが、今回の仕事の内容になっている。

 あまりに簡単すぎる内容だ。果たしてこの程度に”リゼル”が必要なのかどうか、仕事が初めてのアルウィンには判断が付きかねていた。


 馬車が、領主館の前に止まる。ここからは演技の開始だ。

 先に降りるのはレビアス。アルウィンは、秘書として鞄を持ちつつその後に従う。領主館は館というより外見は「砦」で、ここも、高い塀に囲まれ見張り塔がつけられている。

 王の使者であることと用向きを告げ、待つことしばし。出迎えたのは、三十手前に見える男だった。

 「ようこそいらっしゃいました、王の使者殿。急なお越しで大したもてなしも出来ませんが、歓迎いたします」

これが、領主の甥だというライナスだろうか。

 「私はレビアスと申します。こちらは私の秘書」

アルウィンは、調子を合わせて頭を下げる。砂を含む風が草原を吹き抜ける季節のせいか、館の中は埃っぽく、砦のように窓を小さく作ってあるお陰で少し薄暗い。

 「で、ご用向きとは。王国議会の招集はまだ先のことと思いますが…」

 「はい。この度は、王国議会からの書簡をお渡しするためにお伺いしました。」

レビアスはアルウィンに向かって頷いてみせる。アルウィンは、預かっていた書簡のうち、ライナス向けのほうを手渡す。

 「どうぞ、お受け取り下さい」

ライナスは、緊張した面持ちでその小さな巻物を受け取る。表面の王の印章を一瞥し、そっと中身を開いた。

 十分な時間を置いてから、レビアスが言った。

 「私どもは内容を知らされておりません。しかしながら、必要であればライナス殿の力になるように仰せつかっております。差し支えなければ内容を教えていただけますか。」

 「…伯父のアストラッドの後継者問題のことだ」

男は、たっぷりと哀愁を含んだ口調で言いながら、溜息まじりに書簡を畳み直した。

 「知っての通り、従兄弟のユースタスは後継者として育てられはしたものの家を飛び出しており、素行もあまりよろしくない。正直、彼に領主は務まらない。だが、伯父上は病床にあって、いまだ後継者は定まっていない。ユースタスには武器商人が後見人についている。もし力ずくで脅しでもしてくるようなら、どうすれば良いのやら。

 …私としても、今は頭を悩ませている最中なのだ。奴は自分から手を出して来ない。民の安全を確保しつつ、あの町にいるゴロツキどもを排除しなくては…。」

 「ふむ…。」

 「ユースタス殿の後見人についているのは、マジャール人の武器商人マリッドですね?」

アルウィンが口を挟むと、男は、なぜ秘書が横から出てくるのかというように、怪訝そうな顔をする。慌ててレビアスが言い直した。

 「失礼。そう、それを聞くつもりでした。名前が出てこなかったのです――マリッド、で合っていましたかな?」

 「そうだ。この町のはずれに屋敷を構えている。狡猾な男だ。黒い取引の噂もごまんとある。表立ってはユースタスの奴と取引などしていないように見せかけているが、実際には武器も人も工面しているのは奴で間違いない。」

従兄弟同士のはずなのに、この男はユースタスに対し、ずいぶん憎しみを込めた喋り方をする。アルウィンには、少しそれが気になった。

 「幸いなことに、私の秘書はマジャール語も少し出来ます。何なら、交渉してみましょうか」

 「無駄ですよ。」

きっぱりと、わずかな間もおかずライナスは言い切った。「どうせ門前払いだ」

 「さようですか。それでは、一目だけでもご領主様に会わせていただくことは…」

 「申し訳ありません、伯父はこのところほとんど眠ったままで、意識が戻ることが少ないのです。とにかく、この件はこちらで早急に対処をつけます。どうか王国議会の方々にはご心配なくとお伝え下さい。王国の騎士団の力を借りるまでもありません。私が自ら始末をつけますから」

 「……。」

そうまで言われては、引き下がるしか無い。だが、預かってきた書簡は二つ。それとは別に、マリッドにも接触することになっている。

 アルウィンとしては、ライナスにもっと聞いてみたいこともあったのだが、表向きは秘書となっているから、自分から質問することは出来なかった。レビアスはあまりにも素直で、ライナスの言うことをほとんど鵜呑みにしているようにも思えた。

 そもそも、ユースタスは何故、家を飛び出してしまったのだろう。そして、館の中に全く気配の感じ取れない領主は、一体どういう病状なのだろう。




 領主の館を出た後、二人は馬車には乗らず、そのまま町に出た。武器商人マリッドの館は、そう遠くない場所のはずだ。徒歩で、町の様子を確認しながら向かうつもりだった。

 ライナスには、一晩この町に滞在し、明日には発つと伝えてある。実際にはこれからユースタスのところへも行くのだが、何か探り当てられるとすれば今夜一晩しかない。もしユースタスのほうもライナスと同じように取り付く島のない男なら、残るは、マリッドとの交渉に賭けるしか無くなる。

 「どう思いました、あの男」

歩きながら、レビアスはアルウィンに問いかける。

 「ずいぶん頑固な印象ですね。何か隠している気がしました。…それと、よほどユースタスと仲が悪いんだろうなと」

 「そうですか? 礼儀正しい男ではあります。仕事も申し分ない。ユースタスのほうは、昔からちょっとした悪ガキのようなところがありましたから、ウマが合わないのでしょう」

それだけではない気がしたが、――アルウィンは、特に反論せず黙って聞いていた。


 ライナスを疑わしいと思うのは、ほとんど直感的なものからだった。

 人に好かれる男ではない。領民の人気がないというのも、分かる気がした。

 アルウィンは、今さらのように先に訪れたのがライナスだったことを後悔し始めていた。レビアスにとってはライナスのほうが扱いやすい相手だと思えたのかもしれないが、理由もなく他人を拒絶する者のほうが、かえって接しづらい。もう一方の相手、マリッドとユースタスは、それより話しが通じる相手ならいいのだが。


 それに、町を歩いているうちに、彼は気づいてしまった。

 行き交う人々の装いからして、この町ではマジャール人とサレア人の勢力が拮抗している。

 色鮮やかなスカーフで髪を隠しているのが、サレア人。反対に真っ黒な布で、顔の半分まで隠しているのでマジャール人。女性の装いは所属部族によってはっきりとわかれている。男も似たようなもので、頭や首に巻く布が、鮮やかな色か質素な色かで、たいてい区別がつく。織物を特産とするサレア人は、自分の家族が織った布を一族の証として身につける。

 数は同数――。どちらも町の人口の二割ほどだろうが。だとすると、二人の領主候補のどちらが次の領主になっても、不満を抱く者が無視できない数、出てしまうかもしれない。

 「遊牧の民だったはずのサレア人が、こんなに定住しているとは…」

 「最近になって、急に数が増えたんですよ」

と、レビアス。

 「ライナスが、領民を増やそうと移民政策をやっていました。定住すれば土地と家を与える、と。どうも、サレア人を優先的に呼び寄せていたようです。しかし、それにしても、ここまで増えていたとは…」

言いかけた言葉が途切れた。行く手を阻むように、黒い布で顔を隠した二人の男が姿を現していた。ただならぬ雰囲気だ。

 思わず足を止め、振り返ると、いつの間にか背後からも道を塞ぐように二人の大男がやってくる。


 道を急ぐあまり、少し路地裏に入りすぎたのだ。

 声を上げても間に合うまい。大通りからは遠すぎる。

 「…逃げてください」

レビアスは囁いて、マントの下から護身用の剣を抜く。アルウィンが武器は何も帯びていないことを知っての上だ。

 「早く!」

黒い布で顔を覆い隠した男たちが、前後から同時に動く。振り下ろされる凶刃を、アルウィンは、とっさに転がって避けた。サウディードで散々オーサに稽古をつけてもらったことが、ここで役に立った。

 だが、レビアスのほうは彼ほどの身軽さはない。後ろから羽交い締めにされ、捕らえられようとしているところが見えた。 

 (すいません…必ず後で助けます!)

出来る限りの速度で走りながら、アルウィンは心の中で呟いた。

 襲撃者たちの狙いは、最初からレビアスだった。王の使者、と知っていたゆえに。――そうとしか考えられない。

 だとすれば、最初に抱いた疑問は当たっていたのかもしれない。アルウィンは、懐にあるもう一通の書簡を手でまさぐり、そこにあることを確かめた。何とかして、これをユースタスのもとに届けなければ。

 「逃がすな、追え!」

後ろで襲撃を命ずる声が聞こえた。マジャール語ではない。西方訛りのある中央語だ。

 黒い布を巻いて顔を隠した男たちのうちの二人が、アルウィンの後を追ってくる。一見してマジャール人のようだが、どこか違和感がある。

 アルウィンは、狭い路地を全力疾走していた。けれど初めての町で、土地勘もない。足の速さに自信があっても、地元の人間相手に逃げ切ることは難しい。逃げ道がなくなる前に、なんとか追っ手を捲かなければ。


 行く手に橋が見えてきた。

 乾季の間、遠く北を流れる川から生活用水を引くための運河だ。幅はそう広くないが、水量は十分にある。橋の上で立ち止まって振り返ると、襲撃者たちがもうすぐそこまで迫っているのが見えた。

 (…これしかない)

息を思い切り吸い込むと、アルウィンは、意を決して運河の中に飛び込んだ。思っていたより流れが急だ。水は濁り、夏だというのにしびれるほど冷たい。

 「流されたぞ!」

 「どこだ、見えない」

叫び声が頭上に反響している。勢いよく流されながら、アルウィンは必死で岸に向かって手足を動かした。泳ぎなら、故郷の湖で多少は練習したことがあるが――しかし、こんな急な流れではなかった…。




 水に呑まれ、意識を失いかけていた時だった。

 「手を貸してくれ、人が流されてる!」

誰かの手が伸びてきて衣服の端と肩を掴み、岸辺に引き上げてくれる。

 「おい! 大丈夫か、おい!」

気がつくと、目の前に見覚えのない顔があった。短く刈り込んだハシバミ色の髪と、そばかすだらけの顔。

 アルウィンは、頷いて咳き込みながら体を起こした。今いる場所は運河のかなり下流の土手の上で、助けてくれたのは、いま声をかけている十代後半あたりの少年と、その仲間たちらしい。

 「よそのもんだな。どこから流されて来た? 歩けるか」

 「町から…橋のあたりで落ちて…」

正直に言えば、まだ足に力が入らなかった。服は泥水に濡れ、乾いた熱い風が吹きつけてくるのが心地良い。

 周囲を見張っていた仲間の一人が近づいてくる。

 「――”大丈夫そうか?”」

マジャール語だ。

 アルウィンは、ちらとその男を見る。地味な色の布を首に巻き、曲刀を腰に下げた典型的なマジャール人の若者だ。髪は黒く、肌は日に焼けて、既に顎には短い黒ひげを蓄えている。年は、ハシバミ色の髪の少年よりは五つくらい年上に見える。

 目の前の少年はどう見てもマジャール人には見えないのだが、流暢なマジャール語で答えている。

 「”ああ、しばらく休ませれば歩けそうだ”」

 「”それなら良いんだが。さっき町で騒ぎがあったと聞いた”」

アルウィンは、息を整えながら自らも同じ言葉で言った。

 「”おれの連れが、黒い覆面の連中に攫われたんだ。あれは、君たちの仲間じゃないのか?”」

二人の少年は、驚いたようにアルウィンを見る。

 「”お前…マジャール語が分かるのか。”」

 「”連れが攫われた、だと?”」

 「”ああ。…格好だけはマジャール人だった。あまりこなれていない感じだったけど…”」

二人は、顔を見合わせた。

 「”そいつらは、仲間じゃない。偽装だ。”」

硬い表情で、マジャール人の若者が言う。

 「”町で俺たちのふりをして悪さをする。それで、町に危機が迫っているような演出をしている”」

 「”なぜ、そんなことを? ――一体、誰が”」

 「……。」

若者たちは、苦い表情で顔を見合わせる。

 「”よそ者には…関係ない”」

 「”攫われたのは”、」

アルウィンは、ここで賭けに出ることにした。この二人が、何か事情を知っていることは明らかだった。それに、ある種の予感のようなものもあった。

 「”攫われたのは、王国議会からの使者だ。ユースタスに書簡を届けに行き、武器商人のマリッドとも話をする予定だった。おれは、マジャール語の通訳なんだ。何か知っているなら教えてくれ”」

 「!」

そばかすの少年が、驚いたような顔になった。その評定は、次の瞬間には強張っている。

 「王国…議会…」

 「どうする」

二人は、ひそひそと囁きあっている。

 「嘘だったら?」

 「いや、確かに今日、領主館に立派な馬車が止まっていたのは見た。王国からの客というのは有り得る。だとすれば…」

しばらくして、振り返ったそばかすの少年は、握手のためと、アルウィンを立ち上がらせるための片手を差し出した。

 「ひとまず、マリッドのところへ行こう。あと、僕が――ユースタスだ」

アルウィンは、やはりと思いながら、差し出された手に応じた。どう見ても、何年も父親と領地をほったらかしていた放蕩息子…という雰囲気ではない。

 レビアスのことは心配だったが、とにかく今は、状況の整理が必要だ。




 マリッドの館は、武器商人の屋敷というわりに意外なほど質素で、儲かっている商人の屋敷には見えなかった。

 豪華な装いは何一つなく、壁は漆喰を塗りつけたままだ。ただし、防御用の壁だけは高く作られ、武器を手にした歩哨がいる。もっともそれは、館が町外れにあるためだろう。盗賊が多いという話からすれば、自然なことのように思われた。

 館の主はちょうど食事中だった。

 そこへ、ユースタスとマジャール人の青年、それに、滴る水を拭いただけでタオルを被ったままのアルウィンの三人がどやどやと入ってきたので、何事かと眉をひそめる。

 「”一体どうしたというのだ。その子供は?”」

 「”来客だ。運河で拾った。王国議会からの使いのうちの一人らしい”」

 「”運河で、客を拾った?”」

男は、じいっとアルウィンを見つける。アルウィンのほうも、その男を観察した。

 これがマリッドだろう。マジャール人らしく黒々とした髭をきれいに揃えて刈りこみ、口ひげを伸ばしている。長年行商に暮らしてきたためか顔は日に焼けて真っ黒だったが、下腹のあたりには少したるみが出来ていた。

 「”見回りに出てたら、橋の方から流れてきた。こいつは――”」

 「”リゼルといいます。あなたが武器商人マリッド、ですか。”」

 「”うむ”」

男が頷くのを確かめから、アルウィンは、振り返ってユースタスのほうに向き直った。

 「領主アストラッド殿のご子息、ユースタス殿。こちらは、あなたへの書簡です」

これは中央語。

 「”この町の状況についてお伺いしたい。マリッド殿。あなたは、彼の後見人――という話ですが、こちらの認識に相違ないでしょうか”」

今度はマジャール語。ごく普通の子供としか見えないアルウィンが流暢なマジャール語を話し、しかも使者として堂々とした言葉を巧みに操っていることに、マリッドは興味を引かれたようだった。

 「”相違ない。…ユースタス、書簡には何と?”」

そばかすの少年は、濡れた封筒から不器用に折りたたんだ紙を取り出し、マリッドが食事をしているテーブルの端に広げた。防水処理のされた丈夫な封筒に二重に入れられていたお陰で、あれだけ流されたにも関わらず中の紙は角のほうしか濡れておらず、文字は、まだちゃんと読める。

 「”…相続争いの件だ。早期解決を望む、と。”」

 「”なるほど。最後通告、というわけだ”」

マリッドは、ナプキンをテーブルの端に落として盃を取り上げた。

 「”このまま揉め事が続くようなら、王国軍の介入も有り得る、ということだろう。ま、確かにもう一年近くも膠着状態だ。自治権の返上を要求される可能性もある”」

 「”そうは言うけどさ、手を出すなって言ったのは親父だろ? 一体、どうすりゃばいいんだよ!”」

声を荒らげたのは、ユースタスではなくその傍らにいた若者のほうだった。荒々しく、拳を振り下ろす。

 (親父…?)

アルウィンは、少し驚いていた。よく見れば、たしかに目元がそっくりだ。だが、まさかこの若者がマリッドの息子とは。

 「”あいつは何の要求も飲まず、交渉に応じないんだぞ!”」

 「”やめないか、カイ。人前でみっともない。…ああ、申し訳ない。そこのうるさいのは、わしの息子です。ユースタスとは、幼なじみでしてな”」

なるほど、とアルウィンは思った。まだ事情は見えてこないが、どうやら武器商人マリッドは、単に商売上の利害関係からユースタスを支援しているわけではないらしい。

 「”要求とは何ですか?交渉とは?既に話し合いは試みたということですか”」

 「…王国は、ライナスの言い分を信じているんだろう?」

ユースタスが中央語で呟く。

 「どうせライナスに領主を継がせるつもりなんだ。」

 「そうはなりませんよ」

 「何故言い切れる」

 「王国は、自治領内の問題に介入しないからです。」

 「ま、とはいえ理由さえあれば容赦なく介入して来るだろうな。うだうだと結論のでない問題が続くくらいならいっそ武力でばっさり白黒つけろ、というのがシドレク王のやり方だ。どうせ今回の書簡も、王国議会というよりも、実際は王の意向だろう?」

アルウィンは、内心驚きながらも頷いた。この男は王の性格をよく知っているのだ。広範囲に交易路を持ち、商売柄ありとあらゆる噂話に耳聡い見聞広き大商人ならばこそ――か。

 それに、この男はさっきから、中央語で喋っている。商人が中央語を知らないわけはないから当たり前なのだが、それにしても自然な切り替わりだ。

 「で、リゼル殿。あんたは、わしと接触して状況を探り出せ、と言い付けられているのではないか?」

 「――そうです」

 「ふむ。わしは王国では危険人物扱いだ。ならば、わしがシャイラで力を持つことは、好ましくないと思われているのだろうな。あわよくば、この争いからは手を引いて欲しい、どうせそんなところだろう。か」

ユースタスが悲鳴に似た声を上げる。

 「そんな!マリッドがいなかったら、僕はどうすればいい。ライナス相手に一人じゃ」

 「情けない声を出すな。あの男ごとき相手に出来んようでは、この先、シャイラを守っていけんぞ。」

 「でも…」

 「幾ら奴が勝手に館に居着いて出て行かん上にお前を追い出したのだとしても、そもそもの原因は、お前が癇癪を起こして家出なんぞしたからだろうが。子供の頃からの馴染みとはいえ、その歳でただ泣きついてこられても、わしとしても面倒は見切れんわ。

 それにな、わしは王国の覚えが良くない。わしに頼ってはお前の心証も悪くなる、と、最初に言っただろうが」

マリッドは、わざと分かりやすく状況を説明してくれているのだと、アルウィンは思った。

 つまり彼は、邪まな企みをもってユースタスを支援しているわけではなく、まだ頼りない領主の後継者を、息子の友人として手助けしているだけなのだと主張している。

 もっとも、この男は既にシドレク王の考えを正確に見抜いている。言っていることが本当だとしても、何かを隠していないとも言い切れない。


 その時、館の表のほうがにわかに騒がしくなってきた。どうやら、入り口で揉め事が起きているらしい。

 「見てきます」

カイが走って行く。ユースタスは、不安そうな視線をマリッドと来客の少年とに交互に向けながら立ったままだ。

 「同行者が襲われた、と仰いましたな」

 「ええ。生死は不明ですが、わざわざマジャールの格好をして襲ったからには、生かしておくかと」

 「向こうは、捕らえたのが本命の使者だと思っている。なるほど。」

マリッドは面白そうな顔をして顎髭を撫でている。

 「――ということは、ライナスのほうは気づかんかったな。ふん、やはりその程度か」

 「え?」

そこへ、様子を見に行っていたカイが、血相を変えて駆けこんでくる。

 「大変だ、親父! ライナスの奴が…屋敷を取り囲んで…!」

窓から見ると、周囲には、おびただしい数の兵が集められていた。町の警備に当たっていた者たちだ。

 「逆賊、武器商人マリッド! 出てこい。王の使者を襲い、攫った罪で、領主の名においてお前を拘束する!」

馬上から声を張り上げているのは、紛れもなくライナスだ。

 対するマリッドの館の警備たちも、一歩も門の中に相手を入れまいと、武器を手に激しく威嚇している。

 ここで双方が衝突してしまったら、自分が来た意味がなくなる。アルウィンは、慌ててマリッドに囁いた。

 「手を出さないでください。どちらから先を手を出したのでも、王国にとっては意味は同じです」

 「ふむ…。どうしたものかな」

恰幅のよい武器商人は、台詞のわりに特に困ってもいないような顔をしている。

 「このままでは、館はあのライナスめに良いようにされてしまうわけだが。使者殿はどうすれば良いと思われる?」

 「ひとまず投降を――自治領と王国領の境には、王の命令で騎士団が待機しているんです。争い事の気配を察知すれば突入してくる。今は、時間を下さい」

 「なるほど。そういうことか」

マリッドは、アルウィンの言葉を疑ってはいない。ちらと自分の息子のほうに目をやる。

 「カイ、外の連中に抵抗はするな、と伝えろ。解散して逃げるように言え」

 「けど、親父――」

 「早くしろ! 王国の騎士団に介入されるのと、どっちがいい。手勢さえ無事ならあとで何とでもなるだろう。どうにすかるのはお前たちだ。出来ないとは言わせんぞ!」

カイは、舌打ちしつつも父親の激しい物言いに押されて再び表へ走っていく。館の中では、使用人たちが大わらわで走り回っている。


 マリッドは、落ち着いたものだ。大商人然として、扉が打ち破られようとしている音が響き渡る中でも、表情一つ変えない。

 「これで宜しいですかな?リゼル殿」

 「今は最善の策だと思います。」

館の主は、ユースタスのほうにも視線をやった。

 「王の使いとともに行け。ここにいて、お前まであの不届き者に捕らえさせては、アストラッドに申し訳がたたんからな。」

 「――マリッド…」

ユースタスが何か言いかけるのを、男は遮った。

 「裏の抜け道を使え。何、わしが大人しく捕まってやれば、ライナスもそれ以上何も出来んだろうよ」

 「…くそっ」

扉が打ち破られる。流れこんでくるライナスの私兵たち。

 駆け戻ってきたカイは、アルウィンの腕を掴んだ。

 「こっちだ!」

ユースタスに向かっても怒鳴る。

 「早くしろ、見つかったら面倒だ!」

駆け出す三人のすぐ後ろで、使用人の女性たちの悲鳴や、食器のひっくり返される甲高い音が響いた。外はもう真っ暗で、おびただしい数の兵と松明に囲まれたマリッドの屋敷だけが、闇の中に燃え立つように浮かび上がって見えていた。

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